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EternalCurse

Story-98.王妃と公妾
グランディアでの滞在二日目。
陽が高くなり始めた頃、レオノーラは、約束通り、人質として白銀の騎士団員であるジェレミー・マグワイアをエステリアらが滞在する宿舎に伴って現れた。
ジェレミーと入れ替わる形で馬車に乗り込んだエステリアは、二の郭、ベイリー邸より北に位置する王妃のサロンへと向かった。
半刻ほど経ち、辿りついた王妃のサロン、と呼ばれた屋敷――要は別荘に降り立ったエステリアは、呼吸を整え、レオノーラの後に続いた。
屋敷の内装にはほとんど目もくれず、エステリアは淡々と歩みを進めた。
カルディア王宮、メルザヴィア王宮、ブランシュール公爵邸などを見てきたエステリアだが、こういう建物の造形、ただ輝いているばかりでどれもこれもが同じに見える。
と、突然レオノーラが急停止した。
エステリアは危うくその背中にぶつかりそうになったところを、なんとか踏ん張り、体勢を保った。
「この扉の先に妃殿下と公妾ブリジット様がいらしゃいます。私は扉の外で待機していますので……」
レオノーラはそこまで言うと、一礼し、扉の取っ手を引いた。
それはあまりにも唐突で、心の準備もまだ出来ていなかったのだが、進むという選択肢以外に用意されてないエステリアは、覚悟を決めると、扉の中へ一歩、踏み出した。

「本日はお招きありがとうございます。このような格好で申し訳ございません」
エステリアはドレスを着るわけでもなく、普段の法衣姿で訪れた非礼に詫びを入れ、深々とお辞儀をした。
「構いませんわ。面を上げて頂戴」
「いらっしゃいませ、次代の神子様」
包み込むような柔らかい女性の声と、少し低めで張りのある女の声が頭上を通り過ぎたような気がした。
エステリアは身体を起し、ようやく正面を見据えると、円卓に座った王妃、そして初めて目にした公妾がこちらに優しい微笑を向けていた。
先日よりも淡い桃色のドレスを纏った王妃と、濃い紫のドレスを着たブリジット。
真っ直ぐに伸びた長い茶色の髪、優しい顔立ちの王妃と、豪奢に波打つ金髪、鋭利で知的な風貌の公妾。
ルドルフ国王は全く異なる類の女性を同時に愛したものだ。
だが、純粋に二人を美しいとエステリアは思った。これにメルザヴィアのソフィア王妃やサクヤを交えたならば、この部屋は女神達の饗宴となるだろう。
「あらあら、どうしたの? 神子様ったら、ぼんやりなされて」
ブリジットが手を口元に当て、クスクスと笑いながら
「そのようなところに立たせていたのでは申し訳ないわ。どうぞこちらに座って」
エステリアに着席を促す。
「あ、ありがとうございます……えっと……」
王妃の事は『妃殿下』と呼ぶのは当たり前のことだが、公妾の場合は一体どのような敬称を付ければよいのだろう?――エステリアが迷っていると、
「どうぞ私のことはブリジットとお呼びください」
まるで心の内を見透かしたようにブリジットが答えた。
「ブリジットを呼び捨てにすることに抵抗があるというのなら、デリンジャー侯爵夫人と呼べばいいわ」
今度は王妃だ。
「夫人……と言っても、私は、未亡人ですが」
王妃と公妾の息が合った回答に、エステリアは摩訶不思議なものを見るかのように二人を凝視した。とりあえずエステリアは言われたとおりに、円卓に着席すると、待ちかねていたかのように菓子やお茶が目の前に次々と運ばれてくる。
もてなしの準備が整うと同時に、小麦色の肌が目立つ侍女が王妃の傍に立った。ベイリー・コバーンの娘、ネリーである。
「急に呼び出したから驚いているでしょう? 迷惑をかけてしまったわね。でも、今日、ここに来て頂いたのは、私が個人的に貴方とお話をしたかったというのもあって……」
王妃が微笑む。
「昨日は本当にごめんなさいね。ルドルフのせいでお気を悪くされたのではないかしら?」
「いえ。大丈夫です」
王族が、ましてあのルドルフの妻である王妃が、このように素直に謝るなど、エステリアには信じられなかった。
「でも……どうかルドルフを恨まないで。グランディアはこのような時期ですもの。国民を勇気付け、兵士の士気を上げるのが、私達の役目なのです」
胸に右手を添えて、懇願するように王妃が言った。その爪先は、整えられ、ほんのり赤く染められている。
「それ……」
「ああ、これ?」
爪先に集中しているエステリアの視線に気づいた王妃が、良く見えるようにこちらに右手を向けた。
「花の汁で染めていますのよ。神子様もおやりになればよろしいのに。身に纏うものや、化粧にまで制約はないのでしょう?」
「はい。あ、でも……ブリジットさん……いえ、デリンジャー侯爵夫人もやはり爪を?」
「いいえ」
話を振られたブリジットが白い両手をエステリアの前に出した。
「え? 染めてないんですね……」
「所詮は愛妾の身、ルドルフ陛下に飽きられてしまえば、そして妃殿下のご不興を買えば、それまでの事。国を挙げての催事や、妃殿下の前において、私ごときがでしゃばる真似などできるはずもありません。よって私が妃殿下よりも華やかな装いをすることは皆無。何より私は公妾であると同時に、国の政を一任されている身。私は国王陛下ご夫妻を守る剣と盾ですもの」
「私は、気を使わなくていいと言ってるんだけど……」
王妃が困ったように、隣のブリジットを見た。ブリジットははにかむように笑う。
「妃殿下もそう仰ってるのですから、夫人も爪を染めれば良いのに。きっと似合うと思います」
エステリアからも素直な感想を聞いた後、
「まぁ、神子様ったら」
ブリジットはおもむろに席を立った。そのままエステリアに接近すると、その身を屈め、じっと顔を見つめる。
直後――
「え? ちょ……ちょっと?」
突然、ブリジットから頬にキスを受け、エステリアが思わず仰け反った。
「あまりにも可愛らしい方だったので、ご挨拶代わりですわ。受け取ってくださいまし」
にっこりとブリジットが笑う。
「え、あの……」
キスを受けた頬に手を添えたまま、エステリアは動転していた。
ブリジットは得体の知れない公妾だ――シェイドの言葉の意味がようやくわかった気がした。
「あらあら、ブリジットのいたずら好きにも困ったものね」
王妃もつられて笑う。その間にブリジットは元の席に着いた。
エステリアは自身を落ち着かせるように胸を撫で下ろすと、乱れてしまった左側の髪を右手で梳き、整えると膝の上で両手を重ねた。その仕草を王妃がじっと見つめている。
「話が逸れてしまったけど……、ねぇエステリアさん、貴方達神子はこの世の均衡を守る者。神子が不在の際は必ず世は乱れる――と代々語り継がれてきたわ」
「はい」
「貴方もこのグランディアもセレスティアによって宣戦布告を受けました」
「ええ」
「これに対し、貴方は、どのような力をもって、セレスティアを、そして世界を鎮めるというの? 貴方達、神子の力とは一体……?」
王妃の問いかけに、
「わかりません」
エステリアは即答した。
まさかの返事に王妃と公妾が同時に目を丸くした。
「申し訳ありません。神子の力についてですが、暁の神子も、セレスティアも、そして私自身も、それぞれ異なる力を持っているそうです。どのような力、と尋ねられても、一概にこれとはっきり言えるものではありません。それから……世界の均衡を保つ一番の近道は、世界各地に降り注ぐ呪いを解いていくことです」
と、以前仲間から聞いた事をエステリアはそのまま口にした。
「では、貴方達神子は血縁関係を問わず、代を重ねていますが、それぞれ使える力が異なるのであれば、神子の資格は継承しても、歴代の神子や、聖戦での出来事――そのような記憶までは引き継いではいない、ということ?」
「それもはっきりとお答えすることはできません」
少なくともシェイドの方には、本来の役目を思い出したように、断片的に最後の英雄としての記憶があるようだが、エステリアにはそのようなものは未だ感じたことはない。
「私はどうやら特殊な神子だそうです。ですが、妃殿下はどうしてこんなことを尋ねられるのですか?」
「私は……神子には会う機会を一度逃してしまっているの。『セレスティアの悲劇』のおかげでね」
膝元に視線を落しながら王妃が言った。
「そして、ルドルフは神子という存在に懐疑的なの。私は彼に神子を信用してくれるよう、誤解を解いてくれるよう、進言したいの。そのためには、私自身が、色々と神子について知る必要があると思って。詮索してごめんなさいね。さあ、お茶でも飲んで」
仕切り直すように、王妃が進める。エステリアはカップを手に取り、じっと注がれた紅茶を見つめていた。
「毒なんて、入っていませんわよ」
微かに警戒心を見せるエステリアに、ずばりとブリジットが言ってのけた。
「いえ、そうではなくて。私、このようなお茶を頂くのは初めてなんです」
「では日頃は何を口にされているの?」
ブリジットが尋ねた。
「集落で暮らしていた頃は、自分で摘み取った薬草やハーブを煎じて飲んでいました」
「あら、残念、こういったお茶は苦手ですのね? でしたらせめて用意した焼き菓子でもいただいてくださいな」
すっとブリジットが菓子盆をエステリアの方へと寄せた。
「ごめんなさい。実は私……法衣の締め付けがきつくて、背筋を伸ばして息をするのがやっとなんです……ですが妃殿下や夫人の厚意を無駄にするわけにもいきません。よろしかったら、仲間のためにこのお菓子を包んで貰ってもいいですか? グランディアに詳しい仲間もきっと喜ぶと思うので」
苦笑いをしながらエステリアは用意されたお茶やお菓子を断った。
「まあ、お口に合わないなんて残念だわ。お持ち帰りになる前に、せめて一口ぐらいは齧っていって頂戴。焼きたてと冷めたものとでは全く味が違う、グランディアの銘菓なのよ?」
残念そうに王妃が言った直後……、
「母上!」
軽く閉められていた扉を押し退け、王太子ローランドが駆け込んできた。
「王太子殿下……」
ブリジットが目を見開く。
「お待ち下さい、ローランド様!」
慌てて扉の外にいたレオノーラが室内に突入した。
「あ、ブリジット! 遊んで!」
母親の横に座る公妾に、ローランドはまとわりつき、はしゃいだ。
ふとローランドは見知らぬ女性――エステリアを興味津々に見つめていたが、その目の前に並べられたお菓子を見つけるや、顔を輝かせ、円卓に張り付いた。
「これ、好き!」
エステリアの前に置いてある菓子盆にローランドが手を伸ばす。
「どうぞ、殿下」
ローランドがお菓子を取れるようにエステリアが菓子盆を差し出した。その瞬間、
「ローランド! 止めるのです!」
王妃の悲鳴を交えたような声が響いた。母親の一喝にローランドの手が止まる。
「王太子ともあろう者が、盗人のような真似をするのではありません。それは神子様のものです」
厳しい口調で諭され、ローランドは両目に一杯の涙を溜め、震えている。
「申し訳ありません。妃殿下。ローランド様がどうしても妃殿下に会いたいと仰られ、侍女の制止を振り切ってこちらに入られたようで……」
レオノーラが王太子の侍女による不手際に詫びを入れる。
「構いません。レオノーラ、すぐにローランドの侍女を呼びつけ、部屋に戻すよう命じなさい」
「はい」
王妃の命を受けレオノーラが退出する。
「すみません。妃殿下、夫人、私もそろそろお暇させていただいてよろしいでしょうか?」
「え?」
不意に立ち上がったエステリアを王妃が不思議そうに見上げた。
「本当に今日は色々とお気遣いありがとうございます。お尋ねの件に関しましても、ご期待に沿えず、すみませんでした。私達には陛下より課せられた『怪事件』について調べる必要がありますし、何より宿には白銀の騎士団の方が私の代わりに人質になっています。何かと不憫でしょうから、戻らせていただきますね」
ローランドの乱入によって室内に異様な雰囲気が立ち込めている――エステリアの中で、一刻も早くここを出るように、何かが訴えているような気がしてならなかった。
「こればかりは仕方りませんわね」
「もうちょっとお話したかたのに……」
王妃と公妾が残念そうにこちらを見つめた。エステリアは一礼すると、扉の外にいるであろうレオノーラの元へと向かった。



「なかなか、思うようにはいかないものね……気取られたのかしら?」
エステリアが去った室内で、扉に視線を移したまま、王妃が冷ややかに呟いた。
「それともレオノーラはわざとローランドを使って邪魔をさせたのかしら?」
「まさか」
声を押し殺して足元で泣き続けるローランドを見ながら、ブリジットが頭を振った。
「レオノーラは貴方の侍女でもあるのでしょう? まさか貴方も……」
「今回の件は、ローランド殿下の無邪気さが招いたものでしょう。お疑いならば、レオノーラを問いただしておきましょう」
「それにしても……あの神子……本当に『神子』なのかしら?」
「どういうことでしょうか?」
「あの娘の物腰からは、神に嫁いだ聖女というより『女』の匂いがするわ」
あくまでも女の勘だけど――ヴィクトリアは言った。
「ブリジット、貴方も神子の顔や首を確認していたぐらいだから、そう思っているのでしょう?」
「確かにあの一行には随分と殿方がいるのは事実。間違いが起きない、といえば嘘になるでしょう。ご指摘の通り、彼女の顔、首を確認いたしましたが、特に男と通じたような跡は、見当たりませんでしたが?」
「聖女でないから、すぐにセレスティアの凶行を止めるだけの力がないのではなくて? ああも答えをはぐらかすのではないかしら?」
ヴィクトリアは、エステリアには見せぬよう、膝の上に置き、左手に握り締めていた煙管を取り出すと、火を求めた。近くにいた侍女、ネリーが近づき、それに火を点そうとした直後、ブリジットがヴィクトリアの手より、煙管をすっと取り上げる。
むっとしたネリーを、きつく睨み返すとブリジットは言った。
「お止め下さい、妃殿下。お身体に障りますし、なにより王太子殿下の目の前です」
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