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EternalCurse

Story-97.それぞれの夜
「あ、お帰りなさい」
宿屋で自分に宛がわれた寝室に一歩踏み入れた途端、ベッドから起き上がって出迎えたエステリアの姿を見るなり、シェイドはまるでこの世の終わりのような、盛大な溜息を吐いた。
つい先程まで、シェイドはレオノーラが宿から去った後、『野暮用がある』と言い残し、仲間にすら行き先を告げず、外に出ていた。
よほど心配をかけてしまったのか、エステリアはシェイドの寝室に忍び込み、小さなランプをつけて待っていたようだ。
待ってくれるのはありがたい。だが、しかし、何故わざわざこちらの寝台に潜む必要があるのだろうか? やはりこれはあの『仕返し』の続きなのだろうか?
「グランディアに着てまで、『嫌がらせ』は続行なのか?」
思わずシェイドが毒づいた。
「嫌がらせじゃないわよ。ここの宿はもう白銀の騎士団に知れてしまったんだから、一人で寝るのは危険だって、皆が言うんだもの」
「どうせそれはサクヤかあの鬼に考えてもらった言い訳だろ? いつまでこの拷問のような仕打ちを続けるつもりだ?」
「そんなに我慢できないんだったら私が眠っている間にでも、いいようにすればいいじゃない」
まるでメルザヴィアでの聖婚を当て擦るかのような、痛烈な皮肉である。
返す言葉が見つからない……シェイドはどっと疲れたかのように、上着の首元を緩めた。エステリアはそんなシェイドの仕草を不思議そうに見つめていた。
「今から夜着に着替える」
「眠れないのに?」
「気分の問題だ。あっち向いてろ。襲われたいのか」
雪のように白い胸元をはだけたまま、夜着を手に取り、シェイドが言った。勿論これは冗談である。だが、エステリアは寝台にもぐりこみ、言われた通りに背を向け、
「そうね。私も変な気が起こったらいけないもの」
と、大真面目に答えた。
そんな若い妻の反応に、シェイドは小さく噴出した。
夜着に着替え終わると、仕方なく、エステリアの隣に身体を横たえる。寝台に入ったところで眠れるわけではないのだが、それでもエステリアの近くにいると、自然と気分が落ち着くようだった。
「ねえ。さっきまでどこに行ってたの?」
「それは明日になればわかる。――といってもお前は王妃の下にいるかもしれん頃だがな」
「へぇ……。じゃあ、質問。王妃様の『サロン』って何?」
「お前……何も知らずに、行くと言ってたのか?」
「だって……」
「サロンっていうのは、そうだな……若い思想家や、音楽家、その他芸術に携わる将来有望な者などを集めて、語り合わせる場所……とでも思っていればいい」
「そんなところで、私と王妃様と公妾とで何を話すんだろ……」
「疑問に思ってるなら、なんで王妃の誘いを受けたんだ? お前らしくない」
「勘」
ぽつりとエステリアが言った。
「は?」
「なんとなく……だけどあのレオノーラさんって人、悪い人には見えなったから」
「お前……。そんなものを基準に世の中を見ていたら、命がいくつあっても足りんぞ」
「あら、これまで私の勘ってけっこう当たってるのよ? 妖魔や鬼神を最初に見たときだって『悪そうには見えない』って言い当てていたのに」
「…………」
「少なくとも、それだけは当たっていたわ。セレスティアのおかげで、悪者に見えるように吹き込まれてはしまったけれど」
これにはさすがのシェイドも何も言い返せないでいた。
「それより貴方、レオノーラさんが、帰る前にブリジットさんへの伝言を預けていたけど……。まさかレオノーラさんに妙な暗示とかかけてないわよね?」
「特にかけた覚えはない。もしもあの女がそれで誘惑されてしまったのなら、俺の妖気にやられたってことだろう。何故そんなことを聞く?」
「だって、一瞬見つめただけで他人を操るような暗示、シオンさんが使っていたから……」
「どこで?」
「出店の多い路地を逃げ回ってた最中よ……あっ!」
「今度は何だ?」
シオンとの道中での会話を思い出したエステリアは小さく叫ぶと、少しシェイドの方に身体を寄せる。次から次へと会話を変えるエステリアを、シェイドは少し呆れた様子で見つめた。だが、話を聞いてやること自体は苦になるわけではない。
「道中、スーリア人のお店を見たわ。変な薬を沢山売ってた」
「ああ、『惚れ薬』のことか……?」
「知ってるの?」
「……知ってるもなにも……、スーリア人が売るものといえば、大抵それと決まっている。世界では常識だ」
「そうなんだ……」
「どうしたんだ? 急に。店に並んでいたもので、どれか一つ、欲しいものでもあったのか?」
「そんなわけないでしょ!」
急に取り乱したエステリアが可愛く思えて、シェイドは笑った。
「そのスーリアの薬が、王室にも出回っているかもって、シオンさんが言ってたわ」
「それもなんら不思議じゃない。カルディアの王宮でも一時期流行った」
当たり前のように答えを返すシェイドに、エステリアの頭の中では『シェイドに聞いて見ると良い』というシオンの言葉が今更ながらに反芻した。
「いつもより刺激的な快楽を求めることは勿論だが、愛妾という立場の人間が、正妻よりも早く世継ぎを、とりわけ男子を産むため。逆の場合は、正妻がその座を他の女に引き摺り下ろされぬよう、夫の心を繋ぎとめておくために使ったりする」
「愛妾が産んだ子でもお世継ぎになることはできるの?」
「国や家によって様々だが、性別構わず跡取りは正妻の子に限り、妾腹の子には一切の継承権がないところもあれば、、非嫡出子でも優秀であれば総領になれる場合もある。最悪の場合、正妃に男子がいなければ、妾腹の男子が王になることもある」
シェイドは続けた。
「カルディアのみならず、スーリア人は昔、メルザヴィアの王室にも売りつけにきたことがあるらしい」
「あのヴァルハルト陛下や王妃様に、そんなものを売りつけるの?」
厳格なヴァルハルトと儚い妖精のようなソフィア王妃に、そのような如何わしいものを堂々と売りつけるなど、エステリアにはにわかに信じ難いものがあった。
「それぐらいの度胸がある連中じゃないと、あんなものを真昼間から売りには来れん。それに白昼堂々、出店に並べるわけないだろう? 誰が王宮にスーリア人を呼んだのかはわからないが、おそらくは俺の次に『正当な血を引く世継ぎ』が生まれるのを待って、の判断だろう」
「あ……」
エステリアは当初、シェイドがヴァロア皇帝の落し胤と影で囁かれていたという話を思い出した。
「で……陛下はそれを買ったの?」
「買うわけがない。そもそも、そういった薬には、なにかと後でツケが回ってくるものだ。それに、そんな薬を使ってまで、次の子を設けようなんて気など、ヴァルハルトには毛頭無かったらしい」
この間、メルザヴィアに立ち寄った際にボリスに聞いた話だ――とシェイドは付け足した。
「両親に必要とされて自然に生まれてくるのと、野心に塗れた不純な動機や、単なるだらしなさから、生を受けるのとでは、生まれた側としても、己に見出す価値が違うんじゃないか? それがヴァルハルトの持論だ」
「価値……」
「つまり、親にとっても、子供自身にとっても、その身をいかに大事にできるか、だ。少なくとも、ヴァロア皇帝の落胤として出生を疑っていた頃は、俺は自分自身なんて、正直どうでもよかった。むしろ、俺が死んだ方が、両親にとっても楽だろうと思っていたぐらいだ。この身体に成り立ての頃は得に」
「今は、そんなこと思ってないわよね?」
「ああ……」
「よかった……」
エステリアはまるで我が事のように安堵した。
「そうそう、今日、出会って一緒に教会に行ったグレイスさん。貴方のお母様みたいな人だったわ」
「――どっちの『母』だ?」
母といわれても、実質、シェイドとっては生母と養母の二人が存在する。
「あ、ごめんなさい。どちらかというとソニアさんみたいな人」
だとすれば、おそらく自分にとってはやりにくい相手なのだろう、とシェイドは思った。
「優しくて、温かくて、素敵な人よ? ああいうお母さんになれたらいいのに……」
「いつかはなれるだろ? ――もう寝ろ。明日も早い。寝付くまでこうしてるから」
「うん……」
シェイドがエステリアの髪を優しく撫で下ろす。それが何度か繰り返された後、いつしかエステリアは深い眠りに落ちていた。



グランディア二の郭、西に位置する白銀の騎士団の宿舎の二階。夜も更けるにつれて、いつの間にやら振り出した雨が、窓に弾かれ音を立てていた。白銀の騎士団、団長のオスカーは、特に外の様子を確かめているわけでもなく、窓辺に立ったまま、手に持った小さな瓶をじっと見つめていた。
深い溜息を吐くと共に、オスカー掌に薬剤を二粒ほど瓶から取り出すと、一気に口に運んだ。喉を嚥下していく独特の香りに、端正な顔が少しだけ歪む。
「めずらしいわね、貴方がそんな格好でいるなんて」
ふいに背後から声がかかった。オスカーが振り返ると、港町の宿屋から帰ってきたばかりのレオノーラが立っていた。男装のレオノーラとは違い、オスカーは貴族の礼装であるコートを着用せず、ゆったりとした白いシャツに、黒いズボン、そして同じ色のブーツという出で立ちである。
「ここのところ、あまりにも窮屈で息が詰まることが多いのでな。久しぶりの宿舎に帰ったときぐらいは、楽な格好がしたい」
「確かに。分かる気がするわ」
言いながら、破顔したレオノーラであったが、オスカーが手にしている薬瓶が目に付いた途端、その表情が固くなる。
「随分前から、不調を訴えていたみたいだけど、身体の方は相変わらず?」
「薬を服用しているから、心配ない。じきに良くなる」
「よかった……貴方、最近働き詰めだったから、心配していたのよ。なら、行きましょう? 食事の準備が出来ているそうよ。皆で食事なんて久しぶりだわ」
「そのような報告、使用人に任せればいい、お前がわざわざ呼びにくる必要は……」
「いいから、いいから」
話の途中でレオノーラはオスカーの袖を引き、食堂へと降りた。


「皆――とはいえ、ハロルドやジェレミーの姿が見えないようだが?」
柔らかい蝋燭の光に包まれた食卓で、オスカーがレオノーラに訊いた。
「ハロルドなら、地下室に行ってるわ。ジェレミーもすぐに上がってくるわよ」
白身魚の蒸し料理を口にしながら、レオノーラが笑った。それに比べ、オスカーの方は病み上がりのせいか、あまり食が進まない様子である。
「妃殿下の命で神子に会ってきたわ」
「どうだった?」
「普通の子」
「普通の子、と言い切られてもわからん」
「特に警戒するような子ではない、という意味よ。陛下もあそこまで目くじら立てることもないでしょうに」
「あの神子の実力も分からぬ上、場合によっては、セレスティアのように、このグランディアの脅威となる可能性もあるのだから、信用できぬのだろう」
「どちらかというと、神子の女の子よりも周りのお供の方が厄介な感じ」
「神子の同行者、というと、大剣使いと銀髪、セイラン人の男女――だったな」
「その中で、かなり喧嘩腰――というか警戒心が強いのが銀髪とセイラン人の女よ。こちらの要求をのんでもらう代わりに、私は剣を預けて、人質まで用意する羽目になったわ。あと、セイラン人の男の方も得体が知れなかったわ。一見穏やかそうに見えて、こちらにすごい殺気を向けるんですもの。まあ、あの神子の仲間達の名前なら、今夜中には調べがつくはずね」
「随分と苦労したようだな」
「貴方に比べれば易いもんだわ、だって……」

「へえ、珍しい! 団長が宿舎の方にいるなんて!」
食卓に響いた若い男の声がレオノーラの声を遮った。ジェレミーである。久しぶりに宿舎に帰ってきた団長を見るなり、ジェレミーは嬉しそうに駆け寄った。
「団長! 昼間は一体どうしたんだよ!」
「どうした、とは?」
「中央広場でのことだよ! 団長がオークなんかに引けをとるなんて信じられなくてさ……」
「無茶言わないの。オスカーはまだ本調子じゃないのよ。仕方ないわ」
「そっか……」
ジェレミーは納得すると、自分の席に着く。
「ねえ、ジェレミー、お願いがあるんだけど……」
「何? レオノーラ?」
「早速で悪いんだけど、明日人質になってくれない?」
食欲すら一気に失せる、その願いにジェレミーは思わず手にしたばかりのナイフとフォークを取り落とした。
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