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EternalCurse

Story-96.予期せぬ縁談
地方貴族が住まう歌劇場周辺地に建つコーンウェル屋敷――今となってはバーグマン邸となった我が家で、グレイスは小さな息子と夫抜きでの食事を済ませ、丁度、寝かしつけたところであった。
日中、晴れていたとはいえ、グランディアの夜は冷え込む。夜空の星をいつの間にか雨雲が覆いはじめていた。グレイスは食卓に戻ると、いつ帰ってくるともわからぬ夫のため、暖炉に薪をくべていた。
「お嬢様……、そのようなことは使用人にお任せ下さい!」
バーグマン夫人となったグレイスを『お嬢様』と呼び、その手から慌てて、薪を取り上げたのは、子供の頃から屋敷に仕えている家政婦である。
「いいのよ……これぐらい」
「よくありません!」
家政婦はきっぱりと言い切ると、グレイスに変わって暖炉に薪を放り投げていく。
「まったく! 身重のお嬢様をほったらかしにして! あの男は一体、何を考えているのでしょうかね!」
家政婦が憎しみを込めて『あの男』と呼ぶのは――いわずと知れたグレイスの夫、ウォルターのことである。
「たまに帰ってきたかと思えば、浴びるように酒を飲んで……。お嬢様とまだ幼いユーリ様には目もくれず、また、すぐに出て行ってしまう。やはりあの縁談は間違っていたのですよ!」
「お願いだから、あまりウォルターのことを悪く言わないで。これもご縁なんだから……」
婚期こそ遅かったものの、グレイスは家庭を得て、可愛い子宝にも恵まれた。夫は冷たい人ではあるが、仕事は卒なくこなしている。
寂しさを感じないといえば嘘になるが、それでも自分は幸せな方だと、グレイスは常に、自身に言い聞かせていた。
怒りで耳まで赤くなった家政婦を宥め、グレイスは暖炉の火を眺めながら呟いた。
「あの人が心を開いてくれるには、まだ時間が必要ね……」
それは、コーンウェル家との縁談が成立し、辺境よりバーグマンの一族がグランディアに移り住むため、出立した時の事であったという。
一族が乗った馬車は山道を越える際、魔物に遭遇した。恐怖に戦慄いた馬は手綱を繰る御者を振り切り、暴走する。その日は、雨足が強かったことも手伝って、馬は足を踏み外し、馬車ごと崖へと転落した。
両親や従者――全てを失い、一人生き残った夫は、傷ついた姿でここに辿り着いたのだった。
そのような思いを経て、婚礼に臨んだ夫の心を思えば、強く責めることなどできるはずもない。
その上グレイス自身、どうしても夫に尋ねたいことがあったのだが、無理に心をこじ開けることだけは、避けたかった。
グレイスはゆっくりと息を吐くと、日に日に重くなる大きなお腹を撫で下ろした。
「今度は女の子だったらいいのに……ううん。無事ならどちらでもいいわ。ユーリにも、遊び相手ができたら、きっと、今より楽しくなるわよ……」
「お嬢様……」
幼少の頃より知るグレイスが、じっと耐え忍ぶ姿が、不憫でならず、家政婦の目尻には涙が滲み出ていた。
「グレイス! グレイスはいるか!」
ぶっきらぼうな声が、食卓に響いた。
グレイスと家政婦が振り返れば、そこには久方ぶりに帰宅したウォルターが、不機嫌そうに立っている。
「あ、あなた……。お帰りなさい……。今食事の用意をさせますね……」
「必要ない。おい、いつまでそこにいる? お前は下がれ」
ウォルターは家政婦を睨みつけると、すぐに部屋から引き下がらせた。
「お前、最近、ルーベンス教会に通っているそうだな?」
テーブルに片手をついたまま、まるで尋問するかのような口調でウォルターは言った。
「ええ」
「何のために行っている?」
「祈りを捧げるついでに、教会に住み込みで働く子供達に、お土産を持っていっているだけよ」
「屋敷の金をそのような乞食が集まる場所に、ばら撒く必要などない。すぐに辞めろ」
「でも、ほんの少しの施しよ? それで家が傾くわけではないでしょう? それにディオス司祭からは、お腹の子に祝福を頂いてるわ」
「盲目の司祭に何がわかるというんだ? 上手く利用されやがって……お前はあいつらにとっての良いカモというわけだ」
ウォルターが舌打ちする。
「そんなことないわ。司祭様や教会の子供達のことを悪く言わないで」
「お前、その司祭とやらに惚れてるのか? だから毎日足繁く通うのか? それとも他に男でも……」
「変な詮索は止めて!」
「だが、俺の仲間達が、お前が男連れで歩く姿を今日目撃したと言っている」
「今日? それなら神子様の連れの方よ」
うんざりしたようにグレイスが答えた。
「神子? セレスティアか? どこにいた!」
神子――と聞くなり、ウォルターはまるで悪鬼のような形相で、グレイスの肩を掴み、問いただした。
「い、いいえ……、今の神子様ですわ。エステリアさん、というの」
夫は国王から、セレスティアの居所を探るようにでも、命じられているのだろうか?――グレイスは、夫の手を振り解くと、数歩下がって距離を置いた。
「エステリア? セレスティアではないのか」
「一体どうしたというの? あなた……」
グレイスがそういった直後、
「お取り込みのところ、申し訳ありません、旦那様、奥様」
家政婦と入れ替わるようにして、執事が現れる。
「なんだ?」
「旦那様に、お客様がお見えです」
「こんな時間にか? 追い払え。今は誰とも会いたくない」
「ですが……お相手はケイン・ホフマン様で、急用のため、旦那様に取り成していただきたいと申されております。それでも、お引取り願いますか?」
「ケインか……仕方ない。すぐ行く」
グレイスとの話を一方的に切り上げると、ウォルターは妻に目もくれず、執事と共に客間へと向かう。一人食卓に取り残されたグレイスは、椅子を引き寄せ座り込むと、額に手をあて、深い溜息を吐いていた。



「悪いな、ウォルター。こんな遅くに来ちゃってよ」
客間に現れたウォルターに、軽々しい口を聞くのは、赤い制服に身を包んだ、二十代半ばの青年である。
名は、ケイン・ホフマン。『黒曜の艦隊』の提督、ベイリー・コバーンの直属の海兵、『紅蓮の巡視団』の一員である。
明るい茶色の髪に、健康的に焼けた肌、いささか狐目ではあったが、愛想は良い。どこか陰鬱な雰囲気を持った面持ちのウォルターとは、正反対の容姿である。
「そうそう! 海賊どもを討伐した後、一度、スーリアに寄って、色んな物資を買い足したところだ。ほら、土産の蜂蜜酒だ。取っておけよ」
「で、一体、何のようだ?」
ケインから糖蜜酒を受け取りながら、ウォルターが聞く。
「いきなりで悪いけどさ。べイリー・コバーン提督がお前に会いたいそうだ。今すぐ身支度整えてついてきてくんないかな? 外に馬車は用意してるからさ」
「随分と用意がいいな」
「当たり前だろ? 俺が提督のお気に入りになれたのも、上官への『取り入り方』をお前が教えてくれたからだ。恩人のためならこのぐらいやるさ」
ウォルターの背を軽く叩きながら、ケインは出発の準備を急かした。
「お前はいつも楽しそうだな」
「ああ楽しいさ。紅蓮の巡視団ほど『おいしい仕事』はないぜ?」
「それだけじゃないだろう? たかが、俺を屋敷に送り届けるだけで、何故そこまで嬉しそうできるんだ?」
「嬉しいに決まってるじゃないか。提督の屋敷に行くんだぞ? もしかしたら愛娘のネリーに会えるかもしれないじゃないか」
「なんだ、やっぱり下心ありか。俺は見たことはないが、ネリーはお前の意中の人だったな」
「すっげえ、美人だぞ! 提督にあんな娘がいるなんて、信じられないぐらいだ。さぁ、乗った、乗った!」
ケインは、いつものように紺青の制服に身を包んだウォルターを、無理矢理馬車に放り込むと、急ぎ、二の郭に建つコバーン邸へと向かうよう御者に命じた。




「失礼致します」
「急に呼び出して悪かったな。座りたまえ」
コバーン提督宅に招かれた、ウォルターは、ケインの取次ぎでベイリーの待つ一室へと案内された。ベイリーは、恰幅の良い体を椅子に預け、葉巻を咥えたまま、ウォルターに着席を促した。
「ケイン、お前はこちらに控えておくがいい」
「はい」
提督に言われるまま、ケインはベイリーの椅子の後ろ立つと、背筋を伸ばして姿勢を正した。
「実は、折り入って君に話したいことがあってね。いや、頼みというべきか?」
「頼み……ですか?」
黒曜の艦隊の提督が、国王配下の末端である紺青の守衛如きに、一体、何の用があるのだろう?――、ウォルターは首を傾げていると、
「単刀直入に言おう、娘が君のことを気に入っていてね、貰ってはくれまいか? いや婿として来てくれまいか?」
淡々と語る、ベイリーの言葉に、ウォルター思考が停止する。言葉の意味を理解するのに、一時かかり、ようやく口にしたのは、
「は……何かの、ご冗談……でしょうか?」
という言葉であった。
「君は、私の娘に、何か不服があるのかね?」
ベイリーが紫煙を吐き出す。娘の容姿すら見ていないというのに、不服も何もあるわけがない。
ウォルターは戸惑いつつも、ベイリーの背後に立つケインの顔を見た。案の定、ウォルター以上にケインの顔は表情を失い、硬直している。
つい先程も言っていたが、ケインの意中の人こそ、このベイリーの娘なのだ。
「決してそんなわけではありません。ですが、提督閣下は私の身分をご存知なのでしょう? 私には妻も子もおります。私のような者と、婚約すれば、提督の経歴、そしてご息女の名誉に傷がついてしまいます」
自分の意志など関係なく、強引に進められる縁談話、そして近くに控えた友人の気持ちを(おもんばか)って、ウォルターは、当たり障りなく答えた。
「それに……何故、私なのですか?」
いくら愛娘が気に入っている――とはいえ、貴族としてもさほど身分が高いわけでもない、瘤つきの男を婿に迎えよう、など正気の沙汰ではない。
「『セレスティアの悲劇』後、混乱に陥ったグランディア国内での、君の目覚しい出世話は聞いているよ? 私は君のその『強運』に賭けてみたい、というのもある」
ベイリーは、頼もしそうに、ウォルターを見つめている。
「私には娘しかおらぬ。だからこそ娘にはそれなりの男と結婚して欲しいと思っている。君の目は野心に満ちている。このままでは終わらない、終わりたくない、常々そう思っているのだろう? 私はそういう男が好きだ」
ウォルターはまるで自分の内なる部分を全て見透かされたような思いであった。
「ルドルフ国王陛下は、爵位、地位は問わず、能力が在り、国益を成す者を重宝する方だ。そして私の娘は王妃の侍女を務めている。娘と、婚約し、国王から見込まれれば、近衛兵への昇格も夢ではない」
「近衛……兵」
グランディア王家には、『白銀の騎士団』を始め、『黒曜の艦隊』、そして『紺青の守衛』など、様々な役職があるが、国王夫妻の『近衛兵』とくれば、白銀の騎士団よりもさらに王族に密接した地位である。ウォルターは震える拳を、必死に押さえた。
「これを期に、王家と近しい関係となり、王宮での発言権を強くしておきたいのだよ。そして私は同時に良き息子――君を手に入れる。一石二鳥だ。君にとっても悪い話ではないだろう?」
「た……確かに」
ウォルターはこう答えるのが精一杯であった。妻は、特別美しいわけでも、可愛いわけでもない。では、なぜ求婚したかといえば、妻の持つ……いや、妻の後ろにある『財産』と『領地』、そして『グランディアでの屋敷』が目的であった。娘の『貰い手』を探していたコーンウェル家との縁談は格好の餌であり、グランディアにおいてそれなりの役職を得て、出世した今となっては、妻と、子供など邪魔でしかない。冷ややかな夫婦関係に終止符を打つには、この縁談話は絶好の機会である。いや、その先に待っている、輝かしい大貴族への道を思えば、逃してはならないものだ。
「君には是非とも近衛兵となってもらいたい、なんとか私が推し進めてみるとしよう」
紫煙を吐きながらベイリーは話を続けた。
「何故そこまで?……と言いたげな顔をしているな。先程も話したが、娘は『王妃の』侍女だ。しかし王妃に仕える侍女は娘だけではない。沢山の貴族が、国王夫妻に気に入られるよう、己が娘を王宮へ送り込む。家を賭けた女同士の熾烈な争いが起こるゆえに、国王夫妻と必要以上に近づくことすらままならぬそうだ。何より、こういったことには、王妃と同様、白銀の騎士団が護る公妾ブリジットの陣営も黙ってはおるまい。だが、近衛兵ならば、話は別だ。妙な諍いに巻き込まれることなく、国王に付き従い、取り入ることができる」
正直な話、ベイリーには、この他にも王家と親密でありたい理由があったのだが、それはまだ己の胸の中に留めることにした。
「万が一、国王に一度気に入られたのならば、……そうだな、君と娘との間に女児が生まれれば、その子をいずれ、ローランド王太子殿下の妃候補に上げることも不可能ではない」
つまり、それは、王室と親族になる――ということである。夢のような話だ。ウォルターが揺れ動く。確か、数年前にも、同じようなことがあった。その時も、誘いのまま、そして自らの思いと欲のままに動いたからこそ、今の地位がある。今度の誘惑も信じていいのだろうか?

「娘のネリーだ。といっても亡き妻との間には子がおらんゆえ、妾腹だが」
ウォルターが迷っている間にベイリーが言うや、この時を待っていたとばかりに、娘のネリーが入ってくる。
黒に近い褐色の髪、はっきりとした目鼻立ち。長く上向きの睫毛に彩られた瞳は自信に満ち、意中の男を目にして一層輝いている。ふっくらと艶やかな唇に、男の興味をそそるような肉感的な肢体。それを強調しているのは衣装である。ネリーの纏っているものは、グランディア人の令嬢が着るそれとは異なっていた。胸の大きく開き、臍の部分が丸見えの短い黒の上着。下半身はフリルが三段ついたオレンジ色のスカート。胸や腕、腰回りに金のゴツゴツとした装飾品をつけている。それはまるでスーリア人の女が着ているものに酷似していた。艶やかに微笑むネリーは、どれをとっても妻などとは比べ物にはならないほど、眩い若さに満ちて、美しい。顔を上げたウォルターはしばしの間見とれていた。しなを作りながら、ネリーはウォルターに自身の身体を押し付け、微笑む。
「今宵は遅い、止まっていかれるがよかろう」
背後で羨望と嫉妬に震えるケインの恨めしそうな視線に気付くことなく、いや、その存在すら忘れたかのように、ベイリーは満足げに言った。
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