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EternalCurse

Story-93.追跡‐W
目的の教会に近づくにつれ、道には所々に大きな石が迫り出し、足場が悪くなる。
「あの……大丈夫ですか?」
少し道に勾配が着き始めた頃から、エステリアはグレイスの身体を支えながら、歩いていた。
「大丈夫よ、慣れてるわ。それに、教会はもうじきだもの」
グレイスは、視線の先に見えている古びた石造りの教会を指差して微笑んだ。臨月間近な身重の身体で、このような場所まで歩いてくるなど、辛いことだろうに――それを文句一つ言わずに歩み、こちらに笑顔を向けるグレイスの姿に、エステリアは敬服した。
「あ、グレイスさんだ!」
教会付近の菜園の草むしりをしていた男の子が、グレイスの姿を見つけるなり、嬉しそうに叫んだ。
「わぁ! また大きくなってる!」
と、手や頬を泥だらけにした小さな女の子が、目を輝かせてグレイスを指差した。
「こんにちは、ライアンにタニア。草むしり、頑張ってる?」
「うん!」
「頑張ってる!」
元気良く答える子供達に
「皆の大好きなパンを沢山買ってきたわよ」
と、グレイスは手を振る。
背後に子供達のはしゃぐ声を聞きながら、エステリアは教会の扉を叩いた。
「あら、グレイスさん。こんにちは」
扉の中から、出てきたのは若い修道女であった。
「これ、お土産です。といってもいつものパンとお花ですが……」
グレイスはそう言うと、修道女に花を手渡した。
エステリアはグレイスに促され、抱えていたパンの袋を差し出した。
「いつも、本当にありがとうございます」
修道女は申し訳なさそうに礼を言うと、花束やパンを受け取り、近くにいた仲間の修道女に手渡した。
「どうぞ、奥へ。丁度スープが出来上がった頃です。せめてものお礼に召し上がって行って下さい。きっとディオス様も喜ばれます」
「ディオス……?」
エステリアが呟くと、
「この教会の司祭様よ」
グレイスが囁く。
「そちらの方々は、普段はお見かけしないお顔ですね?」
修道女がグレイスに尋ねた。
「旅のお方達よ。エステリアさんとシオンさん。特にエステリアさんはディオス様に負けず劣らずの神通力を持っているの」
「まぁ、そうなんですか? 始めまして。私はここの教会で修道女をやっております。ルーシアと申します。どうぞよろしく」
ルーシアは自己紹介が終わるや、一行を教会の奥へと案内した。エステリア達を客間まで連れて行くと、ルーシアが席を外す。どうやら司祭のディオスを呼びに向かったようだ。
そんな中、ルーシアとは別の修道女――ではなく、まだ十歳前後の子供達が、おぼつかない手つきでスープと一切れのライ麦パンが乗せられた皿、茶器などを人数分運んでは、テーブルの上に並べていった。
「ありがとうね」
そんな子供達にグレイスが声をかけると、子供らは深々とお辞儀をして、その場から出て行く。
「こういう食事は、苦手?」
グレイスがエステリアに問いかける。
「いいえ。大丈夫です。むしろ、贅沢なものの方が苦手です」
簡素な食事ならば、集落の暮らしで慣れている。
エステリアにとって、並べられた食事に気になるようなものはなく、むしろ懐かしさすら覚えた。シオンにしてもあまり『人間としての食事』については、それほど拘りなどない様子である。
「グレイスさん!」
「グレイスさーん!」
菜園からそのまま走って来たのだろうか? グレイスにライアン、タニアと呼ばれていた子供達が駆け込んできた。
「沢山のパンやお菓子、いつもありがとうございます!」
「ありがとうね!」
改めて子供達はグレイスに礼を言うと、(まばゆ)いほどの笑顔を見せた。
「いいのよ。沢山食べて大きくなってね」
子供達の喜ぶ顔を見るや、グレイスの表情も自然と綻ぶ。
「こら! きちんと手を洗ったの? 早く身ぎれいにして、食堂に行きなさい!」
いつの間にか背後に立っていたルーシアの声に、子供達は弾かれたように振り返ると、『ごめんなさい』と、言いながら即座に散る。
「まったく……もう」
腰に手を当てルーシアが溜息をついた。
「そこまで叱ることはないでしょう? 彼の者達は、グレイスさんにお礼を言いたかっただけなのですから」
ルーシアの後ろから穏やかな男の声がした。
「ですが、ディオス様。お客様に会うとき、ましてお礼を言おうってときに、土だらけの手足では失礼すぎます!」
言いながら、ルーシアは白い法衣を来た青年――ディオスの手を引き、室内に入ってくる。
ディオスは足場を確認するように、ゆっくりと歩みを進めた。
青年の両瞼は固く閉ざされている――彼は盲目であった。

「……シェイド?」
部屋に現れた司祭の顔を見るや、エステリアは思わず呟いた。
ディオスの髪は白に近い、明るい灰色である。肌色も健康的な色だ。本来、黒曜の髪、白皙(はくせき)の肌を持つシェイドとは、一見では似ても似つかない。
しかしながら、骨格、鼻筋などは、その『普段の』シェイドを思わせるような作りであった。
勿論、閉ざされている瞳が開けば、全く異なる顔なのかもしれないが。
「なんとなく、似ている気がしますね」
背中におぶっていたユーリを今度は膝の上に乗せ、シオンが言う。
その傍らで、着席した司祭、ディオスが
「まずは、グレイスさん、いつも子供達へのご厚意、感謝致します。お腹のお子様は、いかがですか?」
グレイスに訊いた。
「ええ。順調です。元気すぎるぐらい」
「それはよかった。そのお子様に、神のご加護がありますように」
ディオスが両手を組み、祈りを捧げた。
「ところで……こちらは……孤児院も兼ねた教会でしょうか?」
シオンがそっとルーシアに尋ねた。
「はい。やむを得ない事情で両親から手放されてしまった子、魔物に家族を殺されてしまった子、病で親を失った子などを引き取って、育てております」
「それで、自給自足の生活を?」
教会周辺にある見事な菜園、働く子供達を見れば、この教会におかれた現状などよくわかる。
「はい。その他教会は、慈善事業に情熱を注ぐ貴族の方のご厚意や、街の皆様による寄付などによって、賄われています。勿論、寄付はありがたいのですが……だからといって、皆さんに、子供達のことを必要以上に『可哀想だ』と思うことだけは止めて欲しいのです。あの子達もそのような憐れみの目で見られることなど、望んではおりません。どうか、親の居る子供と同様、健やかに育ってくれるよう、ただ温かく見守って欲しいのですが……」
「現実はそういきませんよね。特に貴族様方は。まずは巷で自分の評判を上げることありきで、『可哀想な子供達』に寄付を行うのですから。自己満足のために、ましてそのことによって、逆に子供達を蔑んでいるような寄付ならいらない――なんて教会側が言えるわけありませんしね。下心なしで子供達に接するグレイスさんのような方は、本当に稀な方です」
カップに注がれたハーブティーに口をつけながら、シオンが言った。
「まったくもって、その通りです」
思わずルーシアが苦笑する。
「ルーシア。例え、貴族の方々が心の底でどんな考えを抱いていようとも、この教会にいる子供達に良くしてくださるのだ。感謝する気持ちを相手次第で選んではいけない」
ディオスが落ち着いた声で、ルーシアを諭した。
「も……申し訳ありません。ディオス様」
「わかってくれればそれで良いのです」
「はい……」
蚊の泣くような声でルーシアが答える。その頬が仄かに紅く染まっていた。
失言を諭された恥ずかしさ――もあってのことだろうが、エステリアには、ルーシアが頬を染めたのには、他に理由があるように思えた。傍目から見てもルーシアがディオス司祭に好意を寄せているのは一目瞭然だ。

「ルーシアさんはね、ディオス様の身の回りのお世話もしているのよ」
グレイスがエステリアに耳打ちした。
「何分、私は不自由な身ですので……」
言いながらディオスの右手が小刻みに動く。
いや、動くというより、何かを掌の中で弄んでいる、といった感じであった。
つい目に付いたエステリアが思わず、
「それは……何を持っていらっしゃるんですか?」
と尋ねる。
「ああ、これですか?」
ディオスが握り締めた右手を開くと、そこには真紅の宝珠が載っていた。胡桃ほどの大きさのそれは紐で繋がれ、まるでペンダントのようにあつらえてあった。

「私は、このような目を持って生まれたこともあってか、赤子の頃に、この教会に捨てられていたそうです。この宝石は、その際に、私がずっと身につけていたもので、おそらく私を捨てた両親は、お金の代わりにこれを持たせたのでしょう。ですが、当時、私を育てて下さった司祭は、赤子の私がこの宝石を握り締めて離さなかったこともあって、換金することはしませんでした。以来、ずっとこうしてお守り代わりに持っているのです。
弄ってしまうのは――そうしていると落ち着くので……要するに、癖ですね」
両瞼を閉じたまま、ディオスが笑う。

「少し、お聞きしても良いですか?」
不意にシオンが話を切り出した。
「はい。なんでしょう?」
声が聞こえる方にディオスが向き直る。
「ここ最近、グランディアを騒がせている『怪事件』というのは、一体どのようなものなのでしょうか? 差し支えなければ聞かせていただきたいのですが?」
「それは構いませんが……何故ですか?」
ディオスが首を傾げる。
「国王陛下より、その怪事件を解決せよとの仰せがあったので」
これにはエステリアが答えた。
「危険だわ! 止めておきなさい!」
隣に座っているグレイスがエステリアの二の腕を掴むと、『絶対に駄目よ!』といわんばかりに首を横に振る。
「なんだって、貴方のような可愛いお嬢さんが、そんなことしなくてはならないの!」
「あ、だって……その……実は……私、神子でして……」
「え?」
エステリアの二の腕を掴んだ、グレイスの手が緩む、
驚く周囲の反応を他所に、エステリアはこのグランディアに着いてからここに至るまでの経緯、そして自分達の事情を簡単に説明した。


「どうりで……神通力があるわけだわ……」
一通りの話を聞いた後、グレイスは神妙な面持ちで一人、納得していた。
「グランディアの『怪事件』と言っても、一体、どれから話せばよいものかはわからないのですが。私がこの教会を訪れる方々から聞いた話では、最近、この辺りで、血を抜かれた遺体が何体も見つかっている、とのことです」
ディオスが自身のお守りでもある宝珠に触れながら言った。
「『どれから』ということは、その事件の他にも、奇妙なことが起こっている、と?」
「ええ。この付近で起こったものの他に、グランディアの至る所で、多くの方々が何者かの犠牲になっている――という話は耳にします。見つかる遺体はどれも残虐な手口で殺されたものばかりだとか……」
「そうですか……」
シオンがユーリを抱え直しながら、呟いた。
「あの……その事件、やはり、セレスティア様の仕業なのでしょうか?」
突然、青ざめた顔で、ルーシアがエステリアに訊いた。
「セレスティア――『様』?」
エステリアが反芻する。
「あ、あの……気分を害されてしまったのなら、も……申し訳ありません。私……子供の頃に一度だけセレスティア様にお会いして……、命を救って頂きました。そしてその時に一生消えないような傷も、癒して貰ったので……」
ルーシアは口ごもった。
子供の頃に一度セレスティアに会ったというのであれば、それはおそらく十六年間の眠りに着く前のセレスティアなのだろう。子供の頃に奇跡を与えて貰った彼女にとって、例え今のセレスティアが魔女のような存在に様変わりしていたとしても、当時のセレスティアを崇拝する気持ちは変わらないようだった。
「別に気なんて悪くしていません。ルーシアさんが『その頃』のセレスティアに敬意を抱いているのなら、そう呼べばいいと思います」
エステリアの言葉に、ルーシアは表情を和らげると、話を続けた。
「中央広場に大きな噴水があるでしょう? 本来、あの場所には噴水なんてありませんでした。あれは、三年前、セレスティア様が火刑に処された際、劫火で焼き尽くされ、地面も抉れていたため、後から埋め立て、設けられたものです」
「つまり……セレスティア処刑跡地、があの噴水である、と?」
シオンの問いかけにルーシアが静かに頷いた。
「セレスティアの……悲劇……」
エステリアが呟く。
「セレスティア様の処刑に立ち会ったのは数人。中央広場の近くに住まう者達は、恐ろしくて、皆窓を閉めていたそうです。セレスティア様を包んだ劫火は、立会人をも巻き込みました。そしてセレスティア様自身の遺体は見つからなかった。劫火の中、唯一生き残った一人が、事の詳細を文献に認めたようです」
「それって……グランディアの歴史資料館に置いてあるという文献ですか?」
カルディアを出立する前――ブランシュール邸で行われた晩餐の席でシエルがそう言っていたのをエステリアはふと、思い出した。
「はい。ですがセレスティア様に関する資料などは、今は全て焼却されています」
「どうして……?」
「あのセレスティア様による宣戦布告より、王家が処分を命じたのです」
「随分と肝の小さい王家の方々ですね」
シオンがばっさりと斬り捨てる。
「そういえば……セレスティアに関する事って、私達はほとんど知らない……」
自分の伯母であるセレスティアが処刑された――ということならマナの集落にいる際、耳にした。だが、処刑に至るまでの経緯を知ったのはカルディアを訪れてから――とりわけ『本人』の口から聞かされたからだ。シェイドにおいては、大使館などを通じて、詳細を知ったのだろう。
考えてみれば、セレスティアは生まれた後、妹であるマーレと引き離され、どこで育ったのか、どのような術を用いて、十六年もの眠りについていたのか、またどこで目覚めたのかすらエステリアは知らない。
カルディア人のガルシアにしても、セレスティアが、若い頃の姿のまま目覚めた――ということに仰天していた。それほど、希代の神子、セレスティアという存在は謎に包まれていた。

「セレスティア様は、カルディアにある集落でお生まれになった後、双子の妹君と引き離され、グランディアにある別の集落で、神子となるべく育てられたそうです。妹君とは、眠りにつくより少し前に初めてお会いになったようで――『自分同じ顔の持ち主ながら、綺麗な海色の瞳をした娘だった』と笑っておられました」
「詳しいんですね……」
「はい。眠りにつく前のセレスティア様は、常にグランディアの城下にいらっしゃいました。そこで人々の病や怪我をその神通力で癒し、暇を見ては子供達と戯れておられました。ですから、当時のグランディア人ならば、セレスティア様の事を詳しく存じていると思います。
あの頃、私はたまたま通りかかったところに落ちてきた材木に潰され、瀕死の状態でした。仮に助かったとしても顔や腕に酷い傷跡が残るはずでした。それをあの方が癒して下さった。
だからこそ……あの方が今、このグランディアを滅ぼそうとしている事が信じられないのです。
もし、今グランディアで起こっている『怪事件』が、あの方からの復讐の一部だったとしたら、そう思うだけで、胸が押しつぶされそうになります。むしろ……あの方をそこまで追い詰めた、王家にも責任があると、私は思っています。こんなことを言えば不敬罪で投獄されてしまいますが……」

眠りにつく前のセレスティアの様子を、大抵のグランディア人は知っている――にも関わらず、この話が、『セレスティアの悲劇』に関することが、近隣諸国の耳に入ることはない。
ということは、セレスティアに関する情報が外に洩れぬよう、グランディア王国が綿密に統制を図っていることになる。
そうまでして隠し立てしたくなるほどに、この地で神子を育んだ後、起してしまった『セレスティアの悲劇』は、グランディアにとって、最大の醜聞であるのだろう。
「やっと見つけたぞ……」
と、その時、修道女に案内され、サクヤが客室に現れた。
「どうしてわかったの?」
待ち合わせをしたわけでもないのに、現れたサクヤの姿を見るなり、エステリアがおもむろに身を乗り出した。
「わかるに決まっている、こいつが妙な気配を残していたからな。甘ったるい香りにもほどがある」
言いながらサクヤはシオンに視線を移す。
妙な気配――とはすなわち妖気だったのだろう。
「まぁ……あれぐらい『残り香』があれば、さしずめ貴方も迷子にならない、と思いまして」
「まったく……」
溜息を吐きながら、肩を落したサクヤが、不意にディオスの顔を見るなり、その表情が固まる。
「ねぇ……なんとなくシェイドに似ていると思わない?」
珍しく驚きを隠せないような面持ちのサクヤにエステリアが尋ねる。
「なるほど……」
ディオスの顔をじっと見つめたまま、サクヤが答えた。
「とりあえず、帰るぞ。遠目にだが、追手が嗅ぎ付けてこちらに向かっていた」
「追手?」
ルーシアが反芻する。
「ああ、私達、どういうわけか国王陛下から付け狙われているんですよ。神子というだけで、妙に目の敵にされましたね」
まるで他人事のようにシオンが言う。
「なんてことを……、だったら、どうぞ教会の裏からお逃げください」
「あ、でもグレイスさんは……? 私達を逃がしたと知られれば、それから皆さんにも迷惑がかかるんじゃ……」
ルーシアに促され、立ち上がったものの、エステリアはグレイスと子供のユーリが気が気でない様子であった。
「大丈夫よ、エステリアさん。全員で知らぬ、存ぜぬを通します。それに先程も言ったけど、私の夫の名を聞けば、そういった人達は大抵引き返してくれるから」
心配ないわ――グレイスは、出会った時と、変わらぬ笑顔をエステリアに向けた。
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