Back * Top * Next
EternalCurse

Story-92.追跡‐V
「もしかして……グレイスさんは、貴族の方……ですか?」
街外れの教会へ向かう道中、『お供をつけずに、街中まで下りてきた』という話の流れから、グレイスがそれなりの身分の持ち主であると、察したエステリアが尋ねた。
「ええ。でも貴族といっても、コーンウェル家はさほど身分が高いわけではないんだけど……父の代で少しだけ、王家に出入りしていたぐらいかしら」
「え? コーンウェル家って? でも、さっき、グレイスさんはバーグマンって……」
「ああ、コーンウェル家の跡取りは、私一人だけだったから、父が亡くなった後は、地方貴族のバーグマン家に嫁いだの。嫁いだといっても、実際は、地方には行かずにグランディアのコーンウェル邸で、夫と一緒に過ごしているの。やっぱりこの国にいた方が、何かと便利だから」
「いくら便利でも……貴族の方が、こうやって街中を出歩いて買い物……してもいいんですか?」
「普通は駄目なんだけど……好きなのよ」
「身の危険を感じた事、ありませんか?」
「それは大丈夫よ。なんせ夫は『紺青の守衛(アイアン・ブルー)』だから」
「ご主人は……紺青の守衛?」
「ウォルターの名前を出せば、大抵の人は逃げていくわ」
楽しく話してはいるものの、グレイスの横顔はどこか寂しさが漂っていた。
「ウォルター……?」
どこかで聞いた名前である。エステリアが眉間に皺を寄せていると、
「確か、パブから男性を引っ立てていたのが、『ウォルターさん』だったはずです」
ユーリを背負ったシオンに言われ、エステリアの脳裏に、あの不健康そうな面差しの男の姿が過ぎった。
「あれが……グレイスさんの、ご主人……?」
驚くエステリアの表情を見て、グレイスは溜息をついた。
「ごめんなさいね。貴方ももしかして、嫌な思いをしたかしら?」
「あ、いえ、遠目にご主人の姿を見ただけですから……何も」
「そう、よかったわ」
街での夫の噂は聞いている。王家より賜った役職とはいえ、あまりにも乱暴な捕り立て、そして厳しさから、城下の人間に恐れられ、快くは思われてはいない。
グレイス自身は、街の人間とは気軽に接したいのだが、素性を知っている者は、密告を恐れて心を開いてはくれない。そこまでの話を聞いて、エステリアは先程の、グレイスの寂しげな表情の意味を理解することができた。
「なんだか、辛気臭くなってしまったわね。早く教会まで向かいましょうか」
空気を変えるように、グレイスは笑った。隣にいるエステリアも釣られて笑う。
グレイスは、どこかお日様のような香りが漂っている。その温かく、優しい雰囲気はエステリアにとって、理想の『お母さん』といえた。




「なるべく手荒な真似はしたくなかったんだけどよぉ」
路地裏に折り重なって倒れた追手達を見下ろしながら、ガルシアが呟いた。
「まったく、拳一つで気絶たぁ、弱すぎるぜ。俺達も舐められたもんだな」
ガルシアは指の関節を鳴らした後、空を仰いだ。
追手を引きつけ、一網打尽にするために、あえて入った狭い道である。高い建物の壁と壁の合間から見える空は狭く、雲だらけである。
「早いところ、先に進むぞ、カビ臭い路地裏なんぞ、長居は無用だ。ここを抜けた先は、一体どうなってる?」
ガルシアが聞くと、シェイドが目を細め、ここを抜けた先にある街の様子を伺っている。
「先程と違って、中流階級、あるいは物好きな貴族らが出入りする店が多いようだ」
シェイドは行き交う馬車や、歩く人々の身形を注意深く観察した。
中央広場を越え、国立歌劇場付近まで来ると、やはり貴族の屋敷へ連なる郭が近いためか、街の雰囲気も随分と違う。
「とりあえず、俺達もそれなりの身形はしているから、普通に歩いていても問題ない」
「本当だろうな? お前さんの銀髪は、違う意味で目立つぜ?」
「いざとなったら、お前を連れて、上空へ飛ぶまでだ」
「それだけはご遠慮願うぜ」
上空まで飛ぶ――ということは、普段妖魔が隠している翼を使う、ということだ。
いや、そんなものを出さずとも、シェイドならば膨大な魔力を用いて飛翔することができるかもしれない。しかし、そのようなことになれば、大騒ぎは免れない。
人ならざる者を連れ歩いている事が、人伝に知れ渡り、それはそれで神子の立場を悪くすることだってあり得る話だ。
二人は慎重な足取りで路地裏から出ると、辺りを見回した。
その視界に真っ先に飛び込んだのは、銀細工に彩られた大きな馬車だった。
馬車にはグランディア王家の紋章が刻まれている。その馬車の傍らで馬を寄せている男が、路地裏から出てきた二人をじっと見ていた。何より、
「白銀の騎士団……?」
男の纏っている白銀の甲冑に蒼い外套――中央広場で見た騎士団の装いなら、目に焼きついている。「先回りしていたのか?」
追手を撒いていたつもりが、上手く追い詰められていたのだろうか?
シェイドは剣の柄に手を添え、身構えた。
「剣を収めよ」
白銀の騎士団の男は馬上からシェイドらに命じた。どうする?――と、シェイドとガルシアが視線を交わす傍ら、
「こちらにおわすは、ルドルフ陛下の公妾、ブリジット様なるぞ。貴様らが狼藉者ではないというならば、即座に剣を収められよ」
騎士は厳かな口調で言った。ブリジットの馬車に付き添う騎士は、年端も体躯もガルシアとさほど変わらぬ感じで、右顔面には、薄っすらと刀傷が走っており、浅黒い肌と、鬣のように背中に流れた灰色の髪も相まってか、まるで狼のような印象を受ける。
「ハロルド、一体、何事ですの?」
馬車の中から落ち着いた低めの女の声がした。
どうやら付き添いの騎士の名はハロルドというらしい。馬車の窓が内側から下ろされ、中にいた女が不安げな表情を浮かべ、外の様子を伺っていた。
「公妾ブリジット?」
切れ長の灰色を帯びた青い瞳、淡いハニーブロンドの髪が豪奢に波打ち、輪郭を彩っている。髪の色をより一層引き立てているのは、淡いスミレ色のヘッドドレスだ。肩から下は生憎見ることができないが、おそらくは同じ色のドレスを纏っているのだろう。
公妾ブリジットは王妃ヴィクトリアとは正反対の容貌の持ち主であった。
「なぜ公妾がこのような場所にいる?」
シェイドが単刀直入に聞いた。『セレスティアの悲劇』後、ルドルフが王妃を娶り、子を儲けた事は知っていたが、公妾を迎えていた、という話は初耳である。
「口を慎め」
ハロルドが眉根を寄せる。
「俺達は、あんたらの仲間に追尾されていてな。路地裏を出た先に、公妾と白銀の騎士団が都合よく現れたものだから、てっきり待ち伏せをされていたと思ったまでだ」
ハロルドに視線を移しながら、シェイドが皮肉たっぷりに言った。
「まぁ、ひどい言いがかりね……」
口元にドレスと同じ色の扇を当て、ブリジットは優雅に笑う。
「そういえば、先程、中央広場に国王が姿を現した時、あんたはいなかったようだが?」
「口を慎めと言ったのが聞こえなかったのか?」
今一度、ハロルドが強く言った。
「構いませんわ。所詮、私は蔑まれて当然の妾の身ですもの」
ハロルドをやんわりと諭すと、ブリジットは話を戻した。
「お話の続きですが、ご夫妻が、中央広場に向かわれた頃、私は歌劇を鑑賞していましたの。私のような者が陛下とご一緒するわけにはいきません。妃殿下の不興を買いたくありませんもの」
ブリジットが白い手を口に添え、クスクスと笑う。
「それから、このような場所にいる理由(わけ)ですが……」
ブリジットが扇で近くの菓子屋を指した。扇で示した菓子屋の扉が、丁度、開かれ、内側から店主の『誠にありがとうございました』という声が聞こえたかと思うと、ブリジットの侍女が大きな菓子箱を嬉しそうに抱いて出てくる。
が、公妾と対峙する狼藉者の姿が視界に入ると、その笑顔が一瞬にして凍りつく。
ハロルドが、『黙れ』と云わんばかりに睨みをきかせることで、侍女はどうにか悲鳴を飲み込むと、菓子箱を落とさぬよう、気を遣いながら、馬車の裏手に回り、そそくさと乗り込んだ。

「私のわがままで、遠出のついでに寄ってもらったまで。この通りの菓子は土産に評判ですもの。ところで、銀色の面白い方、貴方のお名前は?」
「面白い?」
「ええ。どの方々も国王陛下への告げ口を恐れ、私の機嫌を取ってくることはよくありますが、私にもハロルドにも物怖じせぬ口調で語りかける殿方は初めてですもの」
シェイドは一呼吸ほど間を置くと、
「……オルフェレス・ヴァリエートだ。神子を伴って、カルディアから来たばかりだ」
さすがにこの容姿で本名を名乗るわけにもいかず、シェイドは『最後の英雄』の名を口にした。
「本当に、……面白いお方」
薄っすらとブリジットが微笑む。
「貴方達が何故、私達の仲間――つまりは陛下や白銀の騎士団の命によって、追跡される理由は存じ上げません。ですが、貴方達さえよろしければ、私が仲介役となって、陛下に口利きして差し上げても構いませんわ」
「あんたは、ルドルフ国王の公妾だろ? 何で俺達に肩入れするんだ?」
今度はガルシアが訊いた。
「肩入れ――ではありません。神子と共に遠路遥々カルディアよりこの地を訪れた、というのであれば、それなりの目的がおありなのでしょう? それにも関わらず、追尾というおもてなしは、あまりにも無礼。グランディアの外交を取仕切る者として、きちんとした話し合いの場を設けたいだけですわ」
「悪いが、肝心の陛下とやらが、俺達とは話す気がさらさらないらしい。口利きしてもらうだけ無駄だ」
言いながらシェイドは踵を返した。
「いくぞ、ガルシア」
「お、おい。いいのかよ」
「この公妾は、俺達が追われる理由なんぞ知らないと言っているんだ。背を向けて歩いたところで、馬車で追いかけてくることはあるまい」
ブリジットやハロルドを牽制するかのようにシェイドが言う。
しかし、ブリジットは特に様子が変わるわけでもなく、
「気が向いたら、デリンジャー侯爵家を訪れて下さいな。いつでもご相談にのりますわ」
と言い残すと、自分の屋敷に向かって馬車を進めるよう、御者に命じた。



「胡散臭い連中だ」
ブリジットの乗った馬車の音が遠のいた事を確認して、シェイドが呟いた。
「あの公妾の笑顔……なんか違和感があるんだよな……」
「お前もそう思うか?」
「いや、これに限らず、さっきから、気になることは山積みなんだけどよ。ハロルドって野郎もな」
ガルシアがどうもすっきりとしない様子で、頭を掻いた。
「しかし、お前の事だから、てっきりあの公妾の話に乗じて、なんだかんだで、国王との直談判に持ち込むかと思ってたんだが?」
「なんだかんだで、話し合いの場を設けてもらったところで、あの赤毛がが普通に俺達と口を聞くと思うか? こちらが妥協するなり、まず第一声に『怪事件が解決できぬ者達に用は無い。すぐさま立ち去れ』とくるに決まっている」
「確かにな……」
「それに、必要以上に協力的な人間には、要注意ってことだ。まして嘘吐きならば、尚更な」
「嘘吐き? あの公妾がか?」
「ああ。考えてみろ、あの公妾は国王一行が行進中に、歌劇を見ていたと言っていたが、国立歌劇場は、国王一行が中央広場に辿り着くために、必ず通る位置にある。そして国王自身は自尊心の塊だ。自らの行進中に、出迎えすらせずに歌劇の上演を許すとは思えない」

国王夫妻が歌劇場を通り過ぎ、中央広場へ辿り着くまでは、住民を始め、周辺を警護している役人、店の店主、歌劇場の支配人、役者、歌姫に至るまで、総出で出迎えていたはずである。『街』としての働きが止まっていた中、ブリジットが歌劇を鑑賞しているはずがない。
「まぁ公妾がこの国の外交を取仕切っているというのなら、時として嘘を吐くのも仕事のうちか。じゃあ、やっぱり連中は、お買い物のふりをして、待ち伏せしてたってわけだな」
「確かにこの通りに入り込むよう、追手に上手いことしてやられた――という可能性もなくはない。だが、公妾の馬車と騎士団の姿を見たときは頭に血が上っていたものの、冷静に考えてみると、そこまで計算している割には追手が随分と頼りない」

シェイドが路地裏で伸びている追手の顔を見て溜息を吐いた。
「まぁ、公妾と出会ったのが『偶然』――で片付けるには釈然としないものもあるが……」
「しかし、条件を満たすまで会いたくねぇ――なんて言った傍から追手を放つなんざ……こちらの国王陛下の意図がさっぱりわからねぇ。俺達の会話や、行き先を監視するために尾行する事だけが目的か、最初から俺達を捕らえることが目的だったのか……」
「俺達の中から一人でも人質を取れば、神子を利用できる。ついでにこちらの情報も聞き出すことができるだろうしな。どんな理由にせよ、赤毛の気まぐれに振り回されるこっちは迷惑だ」
「まったくだ。その国王に負けず劣らず、公妾の方も嘘吐きで、得体の知れない女だとわかったことが、ここまでの収穫だな」
「ただの嘘吐きじゃないぞ『大嘘吐き』だ」
「はぁ?」
頓狂な声を上げたガルシアに
「いずれわかる」
と、シェイドは何かを含んだような笑みを向けた。
Back * Top * Next