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EternalCurse

Story-90.追跡‐T
中央広場を抜け、国立歌劇場付近まで来ると、今まで以上に人通りと馬車の行き交いが激しくなっていった。怨敵と対面し、あまつさえ、『普段の自分の姿』がないのを良い事に、観衆の前で侮辱を受けたシェイドは今まで以上に口を噤んで歩き続けている。
エステリアはふとガルシアの方に目をやった。
そういえば、国王との対面後は、何やら思うところあってか、こちらも随分と無口な様子だ。
「まったく……息苦しいものだ」
まるでエステリアの心中を代弁するかのように、サクヤが呟いた。
普段ならば、大抵、この後にシオンの陽気な言葉が続くのが常なのだが、今回はそれがない。仲間内に流れている奇妙な雰囲気にエステリアは思わず、首を傾げそうになった。
「せっかく宗主国たるグランディアに来たんだ、ちょっとぐらいは生き抜きに観光して行こうぜ、なに、そのぐらいで罰は当たりはしねぇ」
唐突にガルシアが切り出す。
「観光といっても、この付近を見て回るだけで、相当な時間を要する。見終わる頃には日も暮れてることだろう」
ようやくシェイドが口を開いた。
「確かに、このまま大使館に向かうのは勿体ないな」
サクヤまでもが、急にその話に乗り始め、エステリアはますます訳が分からぬまま、三者の顔を見回した。
「我々は尾行されています。ここは別れて行動したほうがよろしいかと」
エステリアの耳元でシオンが呟いた。はっと顔を上げたエステリアに
「後ろを振り向くな。ぎりぎりまで油断させておけ」
厳しい口調でサクヤが言った。
「で、どうする?」
視線は前に向けたまま、ガルシアが訊いた。
「どうも、あの赤毛の阿呆が目をつけているのは、神子と、ふてぶてしい態度であいつを睨みつけていたお前」
サクヤがちらりとシェイドを見た。
「いつもの姿ならばともかく、今は別人だぞ? なのに、目をつけられるとは考えすぎじゃないか?」
シェイドが反論した。
「人間というものには直感が備わっている。姿形は違えども、その雰囲気から、何故か気になる、あるいは気に食わない、癇に障るといった事があるだろうが。ともあれ、お前達二人が共に行動するのは得策ではない。追手に捕らえられた際に、大騒ぎになるのが目に見えている」
サクヤの言葉に、『アンタが言うなよ』といわんばかりの調子でガルシアが溜息をつく。
「では、ガルシアさんとシェイドさん、私とエステリアさん、そしてサクヤの三手に別れて『観光』というのはいかがでしょう?」
すかさず、シオンが提案する。
「どうして私だけを一人にする? 万が一、私が下手をやって尋問――なんてことになったらどうするんだ?」
少しばかり不服な様子でサクヤが言う。
「ありえねぇ」
「きっと大丈夫だと思います」
「あんたに限って逆はあってもそれはない」
ガルシア、エステリア、シェイドがほぼ同時に各々の意見を口にした。
「と、お三方の意見もありますし、これで決まりですね」
嬉々としているシオンの傍らで、
「まったく……」
サクヤがどっと息を吐く。
「ねぇ、追手を撒いた後は、どこで落ち合うの?」
「昼間に予約した宿屋が無難だろ。結局、今日一日が無駄になった上、振り出しに戻ってしまうが……仕方ない」
シェイドの答えにエステリアが小さく頷く。
「で、追手の人数は何人ぐらいだ?」
「私達をつけている足音から察するに、ざっと五、六人はいるのではないか、と」
「お前……っ、そんな音まで聞き分けできるのかよ!」
「だって……ガルシアさんが聞いたから答えたまでで……」
何気ないような会話をしつつ、シオンがそれとなくエステリアの真横につく。シェイドもまた、ガルシアを小突くような素振りを見せつつ、傍らに寄った。一行の後を追う一団が、足早に距離を詰めてくる。
「行くぞ……」
背後の気配が変わったことを察知したのか、シェイドが合図した。ガルシアとシェイドが踏み出し、シオンがエステリアの手を引き、そしてサクヤがそれぞれ別方向に向かって、走りだす。追手の一団は、一瞬、呆気に取られていたが、事態を把握すると、自らも三手に別れ、一行の後を追う。
「ユリアーナといい、アドリアといい……あの赤毛の阿呆然り、お前の従兄弟はどうして、こうも性格に難が在る奴ばかりなのだ?」
追手から逃れる直前、呆れたようにサクヤがシェイドに訊いた。
「向こうも俺に対して、そう嘆いているだろうよ」
そう簡単に答えると、シェイドはガルシアの後に続いた。
後でまた合おう――と、付け加えて。




中央広場から一旦城へと戻った国王ルドルフは、王妃と王太子を残し、外出用の馬車に乗り換えると、息を吐く間もなく、別荘へと向かった。
貴族の屋敷が建ち並ぶ郭に設けられたその屋敷は、本来、王族の静養、また要人のもてなしに使われる。ここにルドルフは、かねてより、密かに目通りを願っていたという令嬢を待たせていたのだ。
普段あまり用はないとはいえ、別荘の手入れは、庭先から屋敷内は勿論、調度品に至るまで行き届いている。口の堅い従者を一人だけ連れたルドルフは、その一つ一つを確認するようにして、令嬢の待つ部屋へと続く階段を上る。
不意に背後の足音が鳴り止んだことに気づいたルドルフは、足を止め、従者の方へと振り返った。
「どうした?」
ルドルフの問いかけに、従者は国王の顔色を伺うような上目遣いで、おどおどと畏まっていた。
「何か申したきことあらば、言ってみよ」
改めて国王の許しを得た従者は、ようやく口を開いた。
「実は、カルディアに大使として派遣されているサイモン様より、ようやく王国壊滅の詳しい知らせが届いたのですが……」
どうやら従者は、国王に話を切り出す頃合を見計らっていたのだろう。国王宛に届いた書簡に目を通してもらうべく、懐を探る。
「そのようなもの後でよい」
国王からの素っ気無い返事に、従者の手が止まる。
「ですが……」
「カルディアの事なんぞ、今はどうでもよいわ」
従者があんぐりと口を開けて固まっている事にさえ目もくれず、ルドルフは向き直ると、目的の部屋に向かって歩みを進めた。

「待たせたな。長旅、ご苦労であった」
別荘の客間に足を踏み入れるやいなや、早速ルドルフは形式通り、労いの言葉をかけた。ルドルフを待っていた客人は、質素な出で立ちで、帽子にヴェールを取り付けた令嬢と、その両親、あるいは親類と思しき初老の男女、そして騎士の四人であった。
「ひとまずは、座るが良い」深々と国王に礼をする四人に、ルドルフが着席を促す。しかし、それに従ったのは令嬢ただ一人で、残りの三人はその後ろに立ったまま控えていた。ルドルフは軽く鼻を鳴らすと、令嬢の前にゆったりと腰を下ろした。
「グランディアより南方のメイヤールより参じました。ジュリエット・シーニュと申します」
ルドルフが尋ねるよりも早く、令嬢は名乗りを挙げた。

「後ろにいるのが、ロッドバルド伯爵……私の伯父にあたります。そして隣が伯母のコーデリア、控えている騎士が、幼い頃から従者を務めております、ティムです」

ロッドバルドと呼ばれた男は頬骨が高く、鷲鼻が特徴的である。その夫人であるコーデリアは細身で背が高く、美女とまではいかないが、知性を秘めた面差しをしていた。ジュリエットの従者であるティムという騎士は、まるで、この目通りの監視者であるかのように、表情が氷のように張り付いていた。ルドルフは一通り顔を確認すると、ジュリエットに視線を移した。

「そなたらが辺境の地にある伯爵一家であることはわかった。で、そなた自身は何故、顔を見せぬのだ?」
ルドルフが眉根を寄せる。見た感じではジュリエットはまだ二十歳そこそこの女性である。しかし、その年頃の女性が着るには地味な、紺色の襟を詰めたドレスで極力肌の露出を避け、あまつさえ帽子には黒いヴェールが取り付けられている。
「私のような者が、妃殿下や公妾であるブリジット様を通さずに、国王陛下へのお目通りを願った事が知れれば、お二方が決して良い思いをされません。無礼とは存じておりますが、国王陛下、どうかお許し下さい」
気品ある動作で、丁寧に受け答えるジュリエットの姿は、分を弁えた貞淑な娘に思えた。ヴェールのおかげでしっかりと確認はできないものの、透けた部分からは目鼻立ちの良さが見て取れる。
おそらくは王妃であるヴィクトリアとも、公妾のブリジットとも違う類の美しさの持ち主なのではないか――ルドルフは想像を巡らせた。
「で、用件は?」
「はい……」
ルドルフに促されるようにして、ジュリエットが語り始めた。
「セレスティアによる宣戦布告の後――メイヤールは落ちました」
ルドルフが微かに目を細める。
「メイヤール周辺の村、町は焼き払われました。井戸の水は呪いによって毒となり、民を苦しめております」
「それで、そなたは我が国に亡命するため訪れた……と?」
「いいえ……」
ジュリエットは小さく頭を振った。
「メイヤール地方は……シーニュ伯爵家の領地。それを知ってか……私の夢に……セレスティアが現れたのです……」
ジュリエットは膝で重ねた両手をきつく握り締めた。
「夢の中で……セレスティアは言いました……次は……グランディアだと……グランディアの民を同じように苦しめる、と。もし……私が陛下にこの事を、一刻も早くお伝えすることによって、王国を救うことが出来ればと……その一身で……私……私……」
唯一ヴェールから覗くその可憐な唇が戦慄く。次の言葉を紡げずにいる姪の背をコーデリア夫人がそっと撫でる。気持ちを落ち着かせるように、ジュリエットは深く息を吐くと、背筋を伸ばし、再び口を開いた。
「そして……ここからは、厚かましい願いであるとは重々承知しております。ですが……陛下……どうかお慈悲を。メイヤールをお救いできるのは『黄金の獅子王』たるルドルフ殿下を置いて他はありません……故郷はまだ完全に滅んだわけではありません……、どうか……苦しむ民をお救い下さい」

まるで神に祈るように胸の前で両手を組み、ジュリエットはルドルフに乞い願う。
「そなたの言いたいことはわかった。その華奢な身で、長旅に耐え、グランディアの危機をいち早く伝えてくれたことには感謝しよう。そなたの故郷、メイヤールにも軍の一部を派遣し、復興のため尽力するよう命じるつもりだ……だが……そなたが私に与える見返りはあるのか?」
ルドルフは立ち上がると、ジュリエットに近づき、その小さな顎を軽く持ち上げた。
「国王に慈悲を乞う――ということが、如何なものか、わかっていような?」
言いながら、ルドルフはジュリエットのヴェールを捲った。つまりルドルフはジュリエットに自らの愛妾になるよう、求めているのだ。ヴェールの下から現れた、吸い込まれそうな黒く大きな瞳が揺れ動く。予想通りに、この令嬢は、愛らしい顔立ちをしている――と、ルドルフは満足げに唇の端を吊り上げた。
「姪御は既に、その覚悟はできております」
口を噤んだ姪に代わって、伯父のロッドバルドが答えた。
「故郷の復興、民を思うのは、領主として当然のこと……そのために陛下が所望されるならば、姪御は喜んで陛下に身を捧げる所存」
「賢明な選択だ」
ルドルフは静かに言うと、ジュリエットを見下ろした。できるならば、すぐさまこの娘を味わってみたいものだが、今後、詰まった予定から考えればそうもいかない。
「我が息子、ローランドの聖誕祭が終われば、そなたに屋敷を与えよう。次に会う時は、遠慮なく私の目を楽しませる装いでいてくれ」
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