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EternalCurse

Story-88.喧噪‐T
「さて、幸か不幸か、先に進めば国王陛下御一行と鉢合わせになるわけだが……どうする?」
改めてサクヤがエステリアに尋ねた。
「もし王様に会えたら、ついでに要件を……ってわけにはいかない?」
エステリアが聞き返す。
「止めとけ、お嬢ちゃん。ただでさえ、国の役職にもいちいち仰々しい名前を付けたがる王様だ。そういう奴に限って妙なところで形式を重んじる。非公式な対面と踏めば、絶対に相手なんかしてくれねぇ。だからこそ、俺達は正々堂々と大使館を通してから謁見といこうぜ?」
「お前……俺達には『国王に対しての口には気をつけろ』とか言ってなかったか……?」
「お前ら二人の会話に比べりゃ可愛いもんだ」
どこか納得がいかないようなシェイドを他所に、軽く話を受け流すガルシアの様子を見て、エステリアは苦笑した。
「なんとか面倒事に巻き込まれずに大使館に向かうことはできないのか? 国王達の行列に無駄に時間を割かれるのは御免だ」
サクヤに言われて再びシオンが見取り図に目をやる。
「残念ながら、それは無理みたいですね。この先にあるのは円形広場でして、その位置から進めるのは西、北西、北、北東、東の五通り。私達は北の道――つまり真ん中の道に進んで国立歌劇場に辿り着き、そこから東にあるカルディア大使館に向かうわけですから……広場を避けることはできません」
シオンの背後からシェイドもまた見取り図を覗き込んだ。
「国立歌劇場からさらに北に進めば、貴族の住まう郭を経て、本宮。なるほど、この巣から広場に向かって行進中のルドルフとは、嫌でも顔を合わせることになるわけだ」
「なら仕方ねぇ。『黄金の獅子王』様とやらが中央広場に辿り着いたら、民衆が演説に聞き入っている間に、それとなく歌劇場まで進んで、大使館への道に入り込むぞ」
と、ガルシアが言ったが、
「国王の話が終わるまで、道が封鎖されてなければいいが、な」
シェイドが眉を潜める。
「まさか……さすがにそこまではやらねぇだろ?」
「わからんぞ? あいつは自己顕示欲の強い男だ。自分の話を聞き漏らす人間の存在なんぞ、許すわけがない。サクヤは嫌がるかもしれんが、国王の一団と居合わせた場合、騒ぎを起したくなければ、奴らが去った後に目的地に向かった方が無難だ」
言いながらシェイドがサクヤに視線を移す。
「不本意ながら、従うしかあるまい。先程の守衛の件といい、話を聞く限り、この国の国王はろくでもない。不敬罪なんぞで捕まりたくはないのでな」
サクヤが肩をすくめた。



港に浮かぶ『黒曜の艦隊』が、国王の一団が間もなく円形広場へと到着する知らせとして、休むことなく花火を打ち上げていた。
どんどん増していく人だかりを掻き分けながら、一行は進む。空で何度も弾けるその破裂音に、エステリアは思わず身をかがめ、両耳を塞いだ。
「耳がおかしくなりそう……なんなの、これ……」
「普段は祝賀にのみ、数発だけ使うものだが、あの馬鹿……よほど自分の権力を誇示したいらしい」
エステリアと同じく耳を塞いだシェイドの端正な顔が歪む。
「花火どころか、艦隊は大砲も撃ってお出迎えしてるんじゃねぇか? 妙な振動まで街に響きやがる」
両手で耳栓をしたままガルシアが言う。
「早いうちにこの人だかりを走って抜けたいところですが、妙に急いで、先程の……なんでしたっけ? 紺青の守衛? あの方達に目を着けられてもかないませんから、ここは我慢して、ゆっくり進むしか、方法がないようですね」
特に耳を庇うわけでもなく、平然と言ってのけるシオンには、この爆音が苦にならないらしい。黙々と歩みを進めていた。
やっと中央広場に辿り着いたか――と、思われたその時、花火の音に重なるように、ファンファーレが鳴り響く。
「う……る……せぇ……」
げんなりとしたガルシアが周辺の屋敷を見上げると、次々に二階、三階の窓から顔を出した娘達が、籠一杯に盛り上げられた紙吹雪を国王一行が通る花道に散らしていく。
「破裂しそうなラッパの音といい、紙吹雪といい、一体、どこの戦勝パレードだ?」
皮肉交じりにサクヤが言った。
「どうやらご到着のようだ」
シェイドが顎先で中央の道を促す。エステリアがそのまま視線を移すと、遠目ではあるが、国王と思しき一団が、こちらに向かって進んでくる。
式典用の軍装に身を包んだ騎士達が、前列を警護し、その後に続く国王夫妻の豪奢な馬車をさらに護るように、グランディア王家の紋章が胸に彫られた白銀の甲冑と蒼い外套を身にまとった数人の騎士達が、馬を寄せている。
これが、先程老婆が言っていた『白銀の騎士団』なのだろう。
国王の一団の姿が中央通りから見えるなり、民衆から歓声が沸き起こる。
「早く……早くお姿を見せてください、ルドルフ様……ヴィクトリア様」
街娘の一人が両手を胸の前で組み、目を輝かせて言った。その街娘の様子に、シェイドが嫌悪感を露わにする。
「ちょっと……シェイド……」
エステリアがシェイドの袖を引く傍らで、
「そんなに焦らずとも、国王陛下ご夫妻の御姿なら、後日拝謁できますよ。ローランド様の聖誕祭も控えていることですし……」
街娘の母親だろうか――が、娘を嗜めていた。
「『……聖……誕祭』?」
シェイドの顔がさらに引きつる。その呟きを聞きつけたのか、娘がこちらに振り返る。
「あら? 貴方達、聖誕祭を知らないの?」
そう尋ねられて口を開こうとしたシェイドを遮るように
「はい。私達、旅のものでして……」
エステリアが答えた。
「聖誕祭はもうじき御年三歳になられるローランド様を国家を挙げて祝う祭りのことよ。今以上に盛大なパレードが行われるわ。聖誕祭では、国王御夫妻は今とは違って、御姿が見える四輪馬車にお乗りになるの! ああ……あの麗しい御姿を近くで見れるだけで幸せ……」
エステリアの腕を取って、興奮気味に話す娘からシェイドは静かに離れ、ガルシアとサクヤの間に入った。
「我が子の誕生日を――『聖誕祭』だと?」
心なしか、シェイドの語尾は震えていた。
「カルディアでもテオドール陛下や、妃殿下、王女殿下の誕生日を祝ってはいたが……『聖誕祭』は、さすがにないだろ……」
呆れ果てた口調でガルシアが言う。
「メルザヴィアでも、国王が誕生日に城のバルコニーから、民衆に手を振って礼を述べる程度で終わるぞ」
「素朴な疑問なんですが……子供の誕生日を『聖誕祭』とするならば、国王陛下の誕生日は一体どんな名称になっているんでしょうねぇ……」
シオンがサクヤに話を振った。
「神に等しき国王の『降臨祭』とでも名付けているのではないか?」
サクヤの目は完全に据わっている。
「セレスティアの鎮魂祭でもやってろ」
吐き捨てるようにシェイドが言った。

「王太子殿下のお誕生日を祝うお祭りは、今月末なんですって」
ようやく娘の元から開放されたエステリアがこちらに帰ってくる。
「今月末? 随分と漠然とした日程だな」
すかさずサクヤが突っ込む。
「ええ……、彼女……私達がそんなに長居をするとは思ってなかっただろうから、きっと詳しい日取りは教えなかったんだと思う」
「そんなものを見せ付けられる前に、とっととセレスティアと決着をつけたいものだ……」
うんざりとした口調で話すシェイドの声が、途中で盛大な歓声と拍手によって遮られる。どうやら国王の一行が広場に到着したらしい。

集まった観衆の視線は広場の中心――女神達の沐浴像を備え付けた大噴水に向けられていた。噴水の前で、国王の馬車が停止するなり、前列にいた騎士達が、幾分か離れた場所に隊列を組みなおすと、馬上から降りる。白銀の騎士団は国王夫妻の身辺の護衛もあってか、馬車の近くに馬を止め、整列した。騎士団の中で、団長と思しき者が歩み出る。
二十代中盤とも言える青灰色の髪を持った男が、馬車に近づくと恭しくドアを開く。
と、同時に騎士団、観衆が一斉に跪く。
不本意ではあるが、エステリア一行も渋々膝を折る。
馬車から降りてきたのは、赤銅色の髪と、それに負けぬ程に派手な、真紅の軍装に身を包んだ若い男だった。この男こそ、グランディア国王、ルドルフその人である。
ルドルフは自信に満ちた表情で、その場に控える民衆を見渡すと、両手を広げ、その上半身を一旦、馬車の中に屈めた。次にルドルフが振り返った瞬間、その腕には馬車の中で受け取ったであろう、幼児が抱えられていた。もうじき三歳を迎えるという王太子のローランドだ。
ローランドは眼前の大衆に驚きを隠せないのであろう、父親の胸にしっかりと張り付いていた。
そんなローランドの頭を撫で、宥めながら、片腕に抱きなおすと、ルドルフは今一度、馬車の中に手をかざした。その手にエスコートされ、馬車より優雅に降り立ったのは、王妃ヴィクトリアだ。

ヴィクトリアが降り立つなり、観衆からどっと溜息が漏れる。
「綺麗な人……」
思わずエステリアも嘆息した。
健康的な白い肌、面長の輪郭、豊かな濃茶色の髪と優しげな瞳、ふわりとした桃色のドレス。
カルディアの王妃であるマーレが、玲瓏なる氷の女王、メルザヴィアのソフィア王妃が雪の妖精と形容するならば、この王妃は春を運ぶ精霊を思わせる風貌の持ち主だ。
夫のルドルフにしても、王族特有の威厳を漂わせてはいるが、他人より目立つ髪の色は元より、愛嬌のある華やかな面差しだ。そんな二人が並ぶと、背後の女神像すら霞むような気がする。
なるほど、あの娘が、この国王夫婦に憧れるわけだ――と、エステリアは納得した。
「マーレ王妃の方が美しいと思うぞ?」
呆然としたエステリアの横で、面白くなさげにシェイドが呟く。
「え……、そう……?」
どう反応していいものかわからないエステリアを他所に、
「何言ってんだよ、お前の母ちゃんだってこっちよりも充分に綺麗だろ」
と、ガルシアがシェイドを肘で突付く。
「確かにメルザヴィア王妃は、儚い雪の花……マーレ王妃は水晶の塊のような――鋭利な氷の結晶で作られた花、といった感じだな。念のため断っておくが、どちらも褒め言葉だ」
サクヤも一応はシェイドやガルシアの意見に同意しているらしい。
「エステリアさん、シェイドさん、ここは素直に喜んでくださいね。この人、同性を褒めることなんてほとんどありませんから」
シオンが耳打ちした。

次の瞬間、観衆にどよめきが起こる。ルドルフが、王太子ローランドを王妃に預け、民衆に数歩近いたためだ。
「皆の者、いつまでも跪くのは苦しかろう。楽にするが良い」
ルドルフが言うと、白銀の騎士団、続いて観衆が立ち上がる。
エステリア達もそれに倣った。
「我がグランディア国民の諸君、セレスティアによる此度の宣戦布告に、不安を覚えている者も少なくはないだろう」
水を打ったような広場にルドルフの声が響いた。緊張した面持ちで次の言葉を待つ観衆に、ルドルフは満足気な笑みを口元に湛えると、話を続けた。

「かつての希代の神子、セレスティアは僭王ベアールによって火刑に処された。そのことは記憶に新しい。私は世界を混迷に陥れたベアールを討ち滅ぼした。それこそがセレスティアの名誉を護る行為であり、グランディア王国の贖罪でもあるからだ。だが、残念なことに、哀れセレスティアはそれでは気がすまなかったらしい。火刑に処された後に妄執に支配された亡霊となってさまよい、あろうことか、この私に宣戦布告を申し出てきた。セレスティアの身に降りかかった悲劇――それは同情に値するが、その仇を討った私が逆恨みされる筋合いなどない。よって我がグランディアはあの魔女に屈することはない。断固戦うと誓おう。世界を陥れるあの魔女を滅ぼし、その哀れな魂を天に還し、皆と共に、世界に平穏をもたらそうではないか!」

力強いルドルフの声に、観衆達は熱狂的な反応を見せた。ある者は国王に改めて忠誠を誓いを叫び、ある者はグランディア王国……ひいては国王夫妻、王太子のさらなる栄華を願いながら。また、ある者は、国王夫妻、そして傍らに控える白銀の騎士団の神々しい美しさに酔いしれて。


「ご高説、ありがたいことだな!」
大きな歓声が渦巻く中、その男の皮肉めいた声だけが、何故かよく聞き取ることが出来た。
「まったく、毎日、毎日、街のどこそこで、行進とはいいご身分だぜ」
今度は別の男の声が、どこからともなく響き渡る。
その場にいた観衆はざわめき、男達の居所を突き止めようと、辺りを見回した。
「兵隊の士気を上げるためとは銘打ってはいるが、要は貴族様が派手に自己主張したいだけだろ?」
始めにルドルフを詰った男の声が再び聞こえる。
公の場においての王族への批判に、観衆の中で悲鳴と非難の声がその場に飛び交い、入り乱れる。
王妃ヴィクトリアは、その不穏な空気を、いち早く感じ取ったのか、ローランドを強く抱き寄せた。

「おいおい……一体何が起こってんだ?」
ガルシアも、観衆と同じく周囲を見回す。
「誰か罵っているのかは知らんが、聞くに堪えん阿呆の演説に嫌気が差したのではないか?」
サクヤはやはり動じることなく、平然とした態度で事態を見守っていた。
「おら! どけ!」
エステリア一行とは正反対の位置で、人ごみを掻き分けながら進む男達の姿が目に入った。
「王室の方々になんて事を……!」
「国王陛下に唾を吐くような真似は、国賊ぞ!」
横柄な声の主が判明するなり、観衆はこぞって男達を罵倒し、また男達の歩みを身を挺して遮る者もいた。
「たかだか、人間風情が、セレスティア様に敵うとでも思っている……のか?」
王室に不敬を働き、今にも取り押さえられそうになった男の顔が醜く歪む。
もう一人の方はは身体を震わせ、気味の悪い呻き声をあげていた。
「お前ら……人間は……なぁ……。俺達の餌に、な……る、ん……だよぉっ!」
その叫び声と共に、男二人の身体が、まるで人の皮を脱ぎ捨てるかのようにぶくぶくと膨れ上がる。衣服が弾け飛び、異臭が漂う。肌が急速に張りや艶を失い、灰色に変色する。まるで豚のような面をした醜悪な怪物二匹が姿を現した。
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