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EternalCurse

Story-89.喧噪‐U
つい先程まで威勢良く男二人を足止めしていた者や、彼らを強く非難していた者が、眼前の魔物の姿に腰を抜かす。突然の魔物の襲来に、老人や女子供が悲鳴を上げ、我先にと逃げ惑う。
騒然とした広場で、人語を失った化け物は、行く手を阻むものが無くなると、高らかに吼え、国王夫妻に向かって突進する。
「オークの類だ……どうする?」
ガルシアがバスタード・ソードの柄に手をかけながら小声で言った。
「オーク如き、仕留められん程、腰抜けではなかろう?」
余計な心配はするな……といった調子でシェイドが答える。
迫り来るオークに、白銀の騎士団の団長格の男が叫んだ。
「陛下、妃殿下、馬車にお戻り下さい! 陛下を護れ!」
「はっ! オスカー様!」
オスカーと呼ばれた団長格の男の指示に従い、国王夫妻を馬車の中に退避させ、馬車の周りを囲む。「ジェレミー! レオノーラ!」
オスカーに名を呼ばれ、飛び出したのは、二十歳前後であろう少年の騎士と、灰色がかった薄紫の髪が特徴の女性の騎士だった。観衆の間を抜け襲い掛かってきたオークの一体を二人の騎士の剣閃が、一瞬で仕留める。
残りの一体は、仲間のあっけない死にも臆することなく、騎士達の頭上を飛び越え、国王の馬車に向かって突き進む。
一体を取り逃した騎士達二人は、特に取り乱すこともなく、オスカーに視線を移した。オークの刃物のように鋭い爪が、国王の馬車の前に立ちはだかるオスカーの頬を掠める。
ただでさえ、オークの手は人間の首の骨を簡単に砕くほどに大きく、力強い。
隙を突かれ、あれに捉えられた一貫の終わりだ――その場から逃げずに、騎士団の勝利を信じ、見守っている観衆達が固唾を飲む。
次の瞬間、オスカーの剣が、オークの首を跳ね飛ばした。
オスカーの目の前で首を失ったオークの巨体が血飛沫を上げ、倒れる。胴体から切り離された首は、弧を描きながら、エステリア一行の下へ落ちる。
周辺にいた人間達は悲鳴を上げて仰け反った。母親は両手で我が子の目を多い、娘達が次々と失神する。
しばしの沈黙の後――ようやく我に返った人々は、魔物の死をその目で確認するや、一斉に歓声を上げ、白銀の騎士団を讃えた。
つい先程まで死に物狂いの形相で逃げ惑っていた者でさえ、手を叩きながら、何事も無かったかのように、国王の演説を聞いていた位置に戻ろうとしている。
「終わったか――?」
馬車の窓を開け、国王が訊いた。
「はい」
剣を鞘に戻し、オスカーが答えた。
「ならば、早々にあの魔物の死骸を片付けるよう指示しろ。それからそなたの傷も治療せねばな」
先程、オークの爪によって傷つけられたのか、オスカーの頬を、わずかではあるが、赤いものが伝っている。
「傷口から伝染して豚男にでもなられては、せっかくの美男も台無しであろう?」
からかうように国王は言った。
「人狼に傷つけられたのならまだしも、さすがにそれはありません」
オスカーが苦笑する。
ルドルフは窓から観衆に向けて、高らかに言い放つ。
「皆の者! 先程、魔物自身が申していた通り、彼奴らはセレスティアからの刺客である。あの魔女め、思ったよりも姑息な手を使う。だが、これで確信できたであろう? たとえセレスティアがこのような醜悪な刺客を放ったところで、白銀の騎士団ある限り、我が国が敗北するなどありえぬ!」
再びあの熱狂的な空気がその場を支配する。
この中央広場に辿り着いてからというものの、瞬く間に様々な出来事が駆け抜けていく。エステリアは呆気に取られたように立ち尽くしていた。
「まったく……妙なことばかりが起こるもんだぜ」
ガルシアがそう呟く傍ら、
「お前もそう思うか?」
シェイドは足元に落ちてきた魔物の首を、じっと眺めたまま答えた。
サクヤやシオンも神妙な面持ちで思考を巡らせてる。

「その方等は一体何事か?」
ふいにルドルフが問いかける声が聞こえた。観衆の目が一斉にエステリア一行へと向けられる。
気がつけば、物怖じせずに魔物の首を見下ろすエステリア一行の周囲にだけ、人だかりはなく、観衆と共に国王を賛辞するわけでもないその態度に、国王は違和感を覚えたのであろう。

「何ゆえ、そうも魔物の首を気にする? 彼の者はそなたらの知り合いか?」
ルドルフの質問に、観衆がざわめき、一行に疑念を抱く声がちらほらと聞こえ始めた。
「いいえ、違いま……」
「答える前に、まずそなたが名乗れ」
エステリアの返事をルドルフの言葉が遮る。
サクヤならば、王族如きに、神子が謙る必要などない――と、ここで一蹴するところだが、相手を言い負かす程の弁をエステリアは持ち合わせてはいない。
「エステリアと申します」
と、仕方なく答える。
「そなたの顔立ち、グランディア人ではないな? どこから来た?」
「カルディアより参りました」
「ほう……ではそなたは一体、カルディアで何を生業としている者だ?」
爪先から髪の毛一本に至るまで、値踏みするかのような視線を投げかけながらのルドルフの詮索に、エステリアは、少なからず、不快感を抱きながらも、
「『神子』のエステリアです。そしてこの者達は私の連れであり、仲間です」
きっぱりと言い切った。
しかし、ルドルフはエステリアが『神子』と聞いてもさほど動じる気配もなく。
「ああ、なるほど。確かに今度の神子は『エステリアとか言う名』であったな。気を悪くしないでくれ。何分、そなたが異国の者を連れ立っていたゆえ、大道芸人の一行かと思ったまで」
と、わざとらしく惚けてみせた。
国王の顔色を伺うように、周囲が一行を失笑する。

本当に不愉快な人間達だこと――ふとそんな感情がエステリアの心を過ぎり、自分自身でかき消す。

「そなたが本当に神子の一行である確証はどこにある?」
「カルディアより、妃殿下からルドルフ国王陛下へ書状を認めていただいております」
証拠を見せようと、書簡を取り出そうとしたエステリアに、
「我が従兄弟、ジークハルトはどうした?」
ルドルフは間髪入れずに詰問を浴びせた。
「そなたが『次代の巫女』であるならば、従兄弟殿もまた『英雄』と予言されていたはず。何故、連れておらんのだ?」
「ジークハルト殿下とは、行動を別にしているだけです」
実際、シェイドは真横に立っているのだが、エステリアは嘯いた。
「そうか、別行動か。あぁ、哀れなジークハルト。ヴァロアの落胤と囁かれるぐらいなら、いっそ妾腹の子にでも生まれていた方がよかったであろうに。けれども私はそのような従兄弟殿を、卑下するつもりはない。その生き様に恥じぬよう、神子殿のお役に立つように、と伝えておいてはくれまいか?」
やたら芝居がかった素振りで、相手を小馬鹿にした物言いをするルドルフに、シェイドが小さく舌打ちする。運良くそれが、本人に聞こえることはなかったが。

「いずれ、私達は正式に陛下にお目通りを願う事になると思います、その際は……」
「私は忙しい」
「え?」
「聞こえなかったか? 外交、会食、軍議――私の予定は満杯だ。現にこの後も人と会う約束をしている。そなたらに割いてやる暇など、ほとんどない」
ルドルフの言葉にエステリアは開いた口がふさがらなかった。
なんという傲慢な性格なのだろうか――それでもここで引くわけにはいかない。エステリアが食い下がろうとすると、
「だが、このグランディアにおける怪事件を見事に解決したならば、会ってやらんわけでもない」
「怪事件……?」
ルドルフはエステリアに発言を許すまいと、話題を変え、翻弄する。
「セレスティアの宣戦布告より、このグランディアには不可解な出来事が増えてな。それもこれも、元より、神子殿がしっかりあの魔女、セレスティアを討伐していれば、我が国に災厄が降りかかることもなかった――何より……カルディアも滅びず済んだのではないか?」

今度ばかりは、エステリアは勿論、一行全員の表情が強張った。
サクヤにおいては呆れてものが言えない――といった感じだ。
「怪事件の犯人を突き止め、見事にその首を献上した暁には話を聞こう」
「でしたら、私達がその『怪事件』を解決するために、グランディアの城下町を自由に散策する許可を、いただけますね?」
「好きにするがいい。しかし、白銀の騎士団を始め、黒曜の艦隊から紺青の守衛、そして街の警護に当たる一般兵に協力を仰ぐことは許さぬ」
一つ願いを申し出れば、同時に無理難題を一方的に押し付けてくる。エステリアは唇を噛み締めた。

「どうやら神子殿はご不満の様子だが、これだけははっきりさせておこう。彼らの主は『神子』ではない、この私だ」
ルドルフはそこまで言うと、すぐに馬車の窓を閉ざし、神子の一行を気にも留めずに馬を出発させた。



「どうも面倒なことになったな……」
観衆の拍手喝采に包まれながら国王の馬車が去った路地を歩きながら、シェイドが呟いた。
「ごめんなさい」
反射的にエステリアが謝る。
「国王側が私達の邪魔をしないと誓えば、もはや連中には用済みだ。セレスティアの動向は気になるところだが、あの国王の性格からして、こちらに情報を洩らすとは考えにくい。セレスティアの件においては、あちらがけしかけて来るまで待つしかない。問題は……『怪事件』の解決、とやらだ」
サクヤがちらりとエステリアを見る。突き刺さるようなその視線にエステリアがさらに萎縮する。

本来、エステリア一行は、国王より、国の情勢、セレスティアの情報を聞き出すことは勿論、城下町を自由に行動する許可を貰うために、正式に謁見を申し込もうとしていたのだ。
しかし、あろうことか国王は、多忙を理由に一行の謁見を拒絶した。
どうしてもというならば――と、国王がエステリアに持ちかけてきたのは、このグランディアを震撼させている『怪事件』の解決だった。
謁見を円滑に進めるために……と、その条件をのんだエステリアであったが、話の成り行きから思わぬ形で、最も重要であった『望みの一つ』を、制約つきではあるが、叶えてしまった。
つまりは謁見で願うはずだった『行動の自由』である。
それを得てしまった今となっては、改めて国王に謁見を申し込む必要などなく、ただ厄介な『怪事件』の解決という約束だけが残ってしまった。一行にしてみれば、これこそが無駄な時間とも言えるのだが、この一件にセレスティアが絡んでいないとは言い切れない。また約束を反故すれば、ますます神子としての立場は悪くなる。

「本当に……ごめんなさい。もうちょっと気が利くことが言えればよかったんだけど……」
「別にエステリアさんが謝る必要はありませんよ。どの道、ここで国王に居合わせずに、大使館経由で謁見していたとしても、あの王様はきっと様々な理由をつけて、こちらに無理難題を押し付けていたはずですよ?」
シオンが宥めるように言った。
「そ……そうでしょうか?」
「ええ、どうやらあの国王は、神子という存在を目の敵にしているようですし? 『怪事件』とやらも解決しない限りは、今度は権力にものを言わせ、船の利用を禁じ、我々をこの国に繋ぎとめようとするかもしれません。要するに、国王は神子に厄介ごとを擦り付け、上手く利用する気でしょう」

「どうしてそこまで?」
「『セレスティアの悲劇』という醜聞を払拭――つまりは王家を正当化したいがために、神子側に少しの落ち度でも見つけようものなら、悪に仕立てたい……といったところか? その教育だけは徹底しているようだぞ?」
サクヤがエステリアに『周囲を見ろ』――といった素振りを見せる。
ルドルフが観衆の前で盛大に侮辱してくれたお陰もあってか、たった今、素性が分かったところで、その後、一行に話しかけてくる民などおらず、グランディア国民の神子への期待や関心の薄さが見て取れた。むしろルドルフが、あの時、故意にグランディア混乱の元凶が神子であると印象付けてしまったため、あるいはサクヤの言うように、日頃からそう植えつけているためか、真横を通りすぎ帰路につく人間の眼差しは、好意の欠片もなく、
せいぜい国王陛下のために、頑張ることね――と言いたげな雰囲気である。
「とりあえずは……カルディア大使館に向い、『怪事件』の詳細を聞くしかない」
シェイドが、元気を出せ、といわんばかりに、軽くエステリアの頭を叩く。
国王への正式な謁見の申し込み以外の目的で、そこを頼る羽目になるとは当初、思ってもみなかったが、グランディアにおける兵士や騎士、それらに協力を仰げないエステリア一行にとって、唯一の味方となり得るのは、この大使館のみである。

「それにしても、前々から気にいらねぇとは思っていたが、実物を見ると、より胸糞悪くなってくる。なんだって、あんな野郎がヴァルハルト陛下の再来呼ばわりされるんだ?」
ここになって盛大に毒を吐いたのは、ガルシアだった。
「周辺諸国では、あいつは慈悲深い国王として通っているようだが……あいつが抱いているのは、慈愛なんてもんじゃない。優越感を前提とした同情だ」
シェイドが嫌悪感を丸出しに言った。
「ついでに口も達者なようだな。都合の悪い話を持ちかけられる前に、議論をすり替え、自分が優位である方向へと持っていく……」
と、いうのがサクヤのルドルフに対する評価である。
「王族が人格者である可能性なんて微々たるものです。大抵は権力や女性に溺れた性格破綻者がほとんどといってもいいでしょう。ヴァルハルト陛下などは稀な方です」
シオンの言葉に、ガルシアは感慨深く頷いた。


城へと戻る道のりで、馬車に揺られながら、ルドルフは物思いに耽っていた。何かを思いついたかのように、いや、頃合を見計らっていたように、窓を少し開け、すぐ隣に馬を着けているオスカーに、小声で命じる。
「神子の一行を、特にあの女子のような顔をした銀髪の男を尾行しろ」
「既に監視の者なら放っておりますのでご安心を。それほど警戒するような事もありますまい」
落ち着いた声でオスカーが答える。
「念には念を、だ。あの銀髪の男だけは気にいらん。ずっとこの私を睨みつけていた。あの佇まい、雰囲気……容姿こそ違うものの、『あの男』と同じ不快感を覚えるのだ。この上、今は神子と行動を別にしているという『あの男』まで加わって、いずれ私に物申しに来ると思うだけで、気分が悪い」
ルドルフは、銀髪の男の中に、自らが蔑む黒髪の従兄弟の姿を見出しているようだ。
珍しく苛立ちを見せる国王の姿に、オスカーはやれやれといった様子で肩を落とすと、一人、馬車から離れた。
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