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Eternal Curse

Story-9.まやかしの都・セイラン-U
窓の合間からそよいだ風は、天蓋に吊るされたレースのカーテンを穏やかに揺らしていた。
その豪奢な縫い取りや装飾が施された寝台や傍らに置かれた調度品の数々は、持ち主の身分の高さを物語る。 頬に触れた心地よい風と、隣に感じた気配に、午睡していた『妻』は目を覚ました。

「起こしてしまったか?」
寝台まで引き寄せた椅子に腰をかけ、妻の寝顔を盗み見ていた『夫』は、苦笑しながら妻に謝った。

「具合はどうだ?」
「ただの寝冷えから拗らせた風邪だったみたいですわ。申し訳ありません。お薬も頂きましたから、すぐに治ります」
言いながら、妻は寝台から身を起こした。

「どうした?浮かない顔だな?」
夫は目を細めた。 その瞳は雪雲の覆った冬の空にも、そして鋭い剃刀にも似た鋼色であったが、妻は夫のこの瞳の色を何より愛していた。

「眠っている間に、ずっとあの子のことを考えておりましたの。あの子がどうしてあんなことを言い出したのか――離れてしまったのかわからないの」
妻は遠い昔に手放してしまった我が子に想いを馳せた。

「あの子、一体、どんな大人になっているのかしら・・・ね」
妻が表情を曇らせた。
「心配ない。あれは立派に成長しているはずだ。それに、そなたがそのように気落ちしていては、 治る病がいつまでたっても治らぬぞ」

夫は妻を慰めると、思い出したように懐から橙色の果実を取り出した。
「まぁ、それはオレンジ、ですか?」
勿忘草色の妻の瞳が和らぐ。
「ああ。園丁長より貰った。この国の気候ではほとんど育たぬ果実であるにも関わらず、今年は珍しく実が成ったそうだ。神子のいない乱れた世界だからこそ、実ったのだとしたら、少し皮肉なものだが……」

言いながら、夫は果実の皮を剥き始めた。
「あなた……こんなところで剥いては、果汁が飛び散ってしまいますわ。寝台も寝具も……あなたのお召し物にも染みがついてしまいます」
妻は慌てて、夫の手を取った。夫はか細い妻の手をゆっくり振り解く。

「料理長に任せようと思ったのだが、それでは持ち運ばれるまでに時間がかかりすぎる。無残に発酵乳(ヨーグルト)や蜂蜜をかけられたり、搾り取られてゼリーにされては、せっかくの鮮度が落ちてしまう。これはもぎ立てのまま、食すのが一番だ」

「あなたは……食べませんの?」

「香りだけで充分だ」
夫はそれだけを言うと、病み上がりの妻の口元に、剥き終えたオレンジの一房を近づけた。

「愛していますわ――ヴァルハルト」
妻は感謝を込めて夫の名を呟くと、その優しさに素直に甘えることにした。

結界の先に足を踏み入れた途端、辺りの光景は一変した。
それまで路地裏であったはずの道が、所々に明かりの灯る地下通路へと変化する。
いや、変化したのではなく、元々この通路が存在する場所と、外の世界をなんらかの術によって、繋げているようだ。

「美しき星の都、セイラン――かつて、この国はそう呼ばれていた。そう、あの腐れ外道が現れる前までは」
案内していたサクヤが忌々しげに言った。
「腐れ外道っていうのは、噂の大僧正……のことか?」
ガルシアの問いに、サクヤは無言で頷いた。

「詳しくは、中で話そう」
導かれるまま、しばらく歩くと、通路の先にあった扉の前に、一人の青年が待ち受けていた。
年の頃は二十代後半といってもいい。亜麻色の髪を後ろに束ね、セイラン特有の白い衣服を身に纏っている。その清潔感のある出で立ちは、医術に通じる者のそれとよく似た雰囲気であった。

「お帰りなさいませ。サクヤ様」
青年が一礼する。
「その方々は?」
青年はサクヤが連れ歩く、見知らぬ顔の持ち主達を紫色の瞳で見回し、尋ねる。
「王権奪還のために呼んだ英傑どもだ」
サクヤの一言に、青年は納得したように頷くと、自己紹介を始めた。
「ああ、なるほど。申し遅れました。私は薬師のシオンと申します。この度は、我々に力を貸して頂けるようで……まことに恐縮です。ところで、サクヤ様から貴方方になにか失礼はありませんでしたか?」

「失礼もなにも、はっきり言って態度がでかすぎるぜ?こちらの賢者様はよ」
ガルシアがさっそく不満を洩らした。
「サクヤ様の無礼をお許し下さい。このお方は人一倍尊大な発言、態度で誤解されることが多いのですが、根はとても良い方なのです」
仕える主人の欠点を必死に弁明するシオンの姿に、エステリアは苦笑した。

「なんだか、シエルさんとガルシアさんの関係を見ているようだわ」
「私としては、ガルシア様より聡明な賢者様の方が格段にお仕えしやすいと思いますけど……」
「シエル、オメェ、一言多すぎるぞ」
「あら?聞こえてましたの?」
「痴話喧嘩はいいいから、怪我人をこちらによこせ」
シオンの努力も空しく、サクヤはぶっきらぼうに言うと、ガルシアの肩に寄りかかった壮年の男を指差した。
「シオン、彼を頼む、傷そのものは重症ではないと思うが、心身供に弱りきっている」
「わかりました」
シオンはガルシアの前に出ると、男に自分の肩を貸した。
「娘は……?婿殿は?」
少しだけ顔を上げ、サクヤを見つめた男の声は憔悴しきっていた。
「安心しろ、そなたの娘御も、花婿も、我々が保護し匿っている。後で会われるがよい」
「ありがとうございます……ありがとうございます……サクヤ様」
男は娘達の無事を聞くと、嗚咽した。 今にもその場に崩れ落ちそうな男の様子にシオンが戸惑っていると、
「一人じゃ大変だろ?手伝おう」
すかさずシェイドが歩み寄り、もう片方から男に肩を貸した。
「ありがとうございます」
シェイドの心遣いにシオンが礼を言う。
だが、シェイドは不思議そうな目でシオンを見ていた。
シオンに近づいた瞬間に、ふわりと漂った柑橘類の香りが気になったのだ。
「どうかされました?」
心配そうな顔をしてシオンが尋ねる。
「いや、なんでもない」
おそらくそれは彼の衣服に染み付いた薬の匂いなのだろう。 シェイドは一人納得すると、サクヤと共に、扉の奥へと入って行った。





扉の中には、幾重にも別れた廊下があり、サクヤはエステリアに簡単な道順を説明すると、シェイドやシオンと共に、怪我人を別室へと連れて行く。
残されたエステリア達は、言われたとおりに建物の中を進んだ。
何度か迷いそうになったものの、 行きついた先にあったのは広々とした部屋で、四方には巨大な織物が吊るされていた。
織物にはそれぞれ青い龍や炎を纏い、孔雀のように艶やかな鳥に、白虎、そして身体に大蛇を巻きつかせ、獰猛な顔をした亀の姿が独特の色合いで描かれている。
部屋の中央にはどこから掘り出したのだろうか、巨大な水晶の玉が台座に置かれていた。
その水晶の周りには、四人の男女が鎮座している。おそらくはサクヤの同胞なのだろう。

「不思議ね、あの人達の衣、絵の中の獣達と同じ色合いよ」
エステリアが呟く。
言われてみれば……と、シエルが絵と四人を交互に見比べた。
これも何かの偶然か、彼らはそれぞれ、幻獣の絵を背にするように座っており、 青、朱、白、そして黒といった幻獣達を象徴する色の衣を纏い、また装飾品を身につけている。
例えば、青き龍の前に座る男は、頭に龍の角をあしらった冠を頂き、鱗で作った鎧を身につけ、炎の鳥の前にいる女の衣には赤い羽根飾りで彩られ、そして髪には鳥を象った金の髪飾りが挿してある。
白虎の前にいた男はやはり虎の毛皮をあしらった肩掛けをしており、蛇と亀の前にいる少年は黒い亀甲の肩当てをつけている。

「もしかすると、彼らはあの絵に描かれた獣を信仰している方々なのかもしれません」
シエルの推測にエステリアも頷いた。その直後
「うぉ?!」
ガルシアの頓狂な叫びと共に、ゴツリと鈍い音がその場に響く。
どうやらガルシアは巨大な水晶が放つ虹色の輝きに見入られ、疎かになった足元を、何かにぶつけてしまったらしい。
「誰だよ、こんなところにでかい庭石を置きやがったの・・・は……」
そこまで言いかけてガルシアの表情が凍りついた。

石だと思って蹴り上げたのは、それが生き物であるとは信じがたい風貌の亀と蛇であった。
「なんだ、この妙な亀と蛇は。おい、こら邪魔だ!お前達はさっさと海にでも帰れ」
ガルシアの言葉を解しているのだろうか、亀はひたすらガルシアを、ジーッと見つめている、いや、眉間のような部分に皺を寄せていることから、おそらくは睨んでいる・・・つもり、なのだろう。
亀の上にちょこんと乗った蛇がちらちらと舌を見せ、ガルシアを威嚇している・・・はずなのだが、残念ながら――これっぽっちも怖くない。

「ちょっと、僕の『母さん』を足蹴にしないでくれる?!」
中央で黒い亀甲の肩当てをした少年が立ち上がり、声を荒げ、こちらに向ってくる。
「は?!母ちゃん?この亀が?嘘だろ?!」
「お母……さん?」
「え?亀から生まれましたの?!」
ガルシア、エステリア、そしてシエルがほぼ同時に叫ぶ。 普通の人間なら耳を疑う話なのだから、この反応は仕方がない。

「母さん、大丈夫?蹴られて痛くなかった?」
少年はしゃがみ込むと、心配そうに亀の顔を覗き込む。
母さんと呼ばれた亀と蛇が、これまた幸せそうににんまりと笑う。 だがどう考えても、エステリア一行にはこの二匹が土産用に作った置物のようにしか見えなかった。
「そいつは霊亀でな、亀の方が『むっちゃん』で蛇の方が『ぴぃちゃん』。ついでに捨て子だった、そいつを育ててきた立派な『母親』だ」

母親(?)を労わる息子に次いで、白虎の肩掛けを纏った青年がそう言いながら近づいてきた。
その髪は絵の幻獣と同じく、雪のように白い。

「なるほど、亀から生まれたんじゃなくて、亀に育てられたのですわね?」
シエルが妙に納得した。

「亀って呼ばないでよ、『むっちゃん』だってば!」
少年がムキになって訂正した。
「むっちゃんに、ぴぃちゃんだぁ?」
ガルシアが眉を吊り上げた。
「だって、むっちゃんはいつもムゥーっていう顔して昼寝してるし、ぴぃちゃんは、いつも舌をピロピロさせてるから、僕がそうつけた」

「なんだよ、息子のオメェが名づけ親かよ!」

「そう、そして二人合わせると『お母さん』そうだよね?」
少年の笑顔に、亀と蛇はコクコクと頷く。ガルシアは頭を抱えた。

「まぁまぁ、あんまり真面目に考えていると、ついていけなくなるぜ?あんな亀と蛇でもありがたい玄武の精霊だ」
白い髪の青年が、ガルシアの肩を労うように叩く。
「玄武?」
聞き慣れない名前に戸惑っているエステリアに青年が説明した。
「ああ、異国人はほとんど知らないだろうが、この国は青龍と朱雀……あの赤い鳥だ。異国じゃ不死鳥とも言うな、それから俺の白虎、そしてこの亀に蛇が巻きついた玄武という神によって護られている。」

「四つの神……やっぱりあの絵の獣は神様でしたの?で、貴方方は一体……」

「俺はオウガ。四神の憑代(よりしろ)にして白虎殿の当主だ。まぁ、こんなこと、別に覚えてくれなくてもいいけどな」
あっけらかんとした物言いである。

「憑代ってなんだよ」
今度はガルシアが首を傾げた。
「憑代とは四神の力を宿した人間のこと。いわば神が現世において力を使うための器だ。そして彼らは四神を奉る神殿の当主でもある」
ガルシアの疑問に答えるかのように、ようやく一仕事を終えたサクヤが姿を現した。
その後ろにはシェイドもいる。

「おぉ!姐さん!用事はすんだか?」
言いながらオウガはサクヤに向って手を振った。
「姐さん?!」
一同が声を揃えて、一斉にサクヤを見た。

「誰が姐さんだ、貴様……」
サクヤはバツの悪そうな顔で、オウガを睨む。
「だってさぁ、この美貌でこの態度、この口の悪さにこの指導力、どこを取っても姐御としか言えないだろ?賢者様なんて呼び名は絶対に似合わないね」
「オメェ、良いこというなぁ」
ガルシアがしみじみと言う。
妙に意気の合うオウガとガルシアを他所に
「怪我をしていたあの男の人、大丈夫だった?」
エステリアがシェイドに訊く。
「心配するな、大事はない。あの薬師が手当てをした後に、娘や婿と感動の再会を果たして、干からびるぐらいに泣いていた。今はシオンが必死に宥めているところだ」

「そう。よかった。ごめんなさい。私がすぐに癒しの術を使えばよかったわね」
エステリアは少し悔しそうに俯いた。
「気にするな。この国の人間には、この国の薬や霊術で治療するのが一番だ」

「さて、シオンは仕方ないとして、役者は全員揃ったな。あの水晶の周りに腰を下ろしてもらおうか」
サクヤは自らの通り名についての論議を無理やり打ち切ると、エステリア達に着席を促した。
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