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Eternal Curse

Story-8.まやかしの都・セイラン-T
ほどよい厚さにスライスされた生魚の身を二本の棒で挟みこみ、 おぼつかない手先で、ソースを注いだ皿へと浸す。 いや、ソースというよりは、スープのようにサラサラとした液体だ。それでも調味料であることには変わりない。 ソースの真横にはおそらく野菜を摩り下ろしたであろう黄緑の物体が添えられている。 これもこの液体と混ぜて使う香辛料の一種で、入れる量は好みで良いそうだ。
慣れぬ道具に奮闘し、やっとのことで切り身を口に運べると思ったその瞬間……

「うわぁああ!またやっちまった!」
ガルシアの悲痛な叫びが店中にこだました。 切り身はガルシアが持っていた二本の棒の間をすり抜け、テーブルの上へと落下する。

「もう!ガルシア様ったら、またこぼして!」
シエルが落とした切り身を摘み上げ、別の皿に移す。 これで五回目である。
「俺の所為じゃねぇ!悪いのはこいつだこいつ!」
ガルシアは、持っていた二本の棒をテーブルへ置き、指差した。
このナイフともフォークとも、スプーンにも似つかない棒をセイランでは『箸』と呼ぶらしい。

「なんで、セイラン人はこんな面倒臭いもんを使って飯が食えるんだよ!器用にも程があるぜ!」
「褒めているんだか貶しているんだかはっきりしろ」
ガルシアが悪戦苦闘する箸を涼しい顔で使いこなしつつ、シェイドが言った。
「この二本の棒は、食べ物をナイフのように切り裂いたかと思えば、フォークのように突き刺すこともできる。 俺は随分と画期的な道具だと思うぞ?」
「ええ。ディナーのように、数本ものナイフやフォークを使わずに、これ一本で全てが済むのですから、きっと洗い物も楽ですわ。羨ましい」
シエルも同意する。

カルディアよりセイランまでは船で三日はかかる。
一行がこの東の大国に到着し、店で食事を始めたのは、つい先程のことである。
世界でも西の果てスーリアと並び称されるほど、セイランは異文化が発達した国である。
国民の装いと言えば、老若男女問わず、誰もが落ち着いた色合いのものを好んで着るようだ。
しかし、その形はカルディアで一般的に言う『ドレス』や『コート』と呼ぶには程遠く、レースやフリルがついていない代わりに、生地そのものを特殊な染料で仕上げ、見事な刺繍が施されている。
そしてセイランの『騎士』と思しき者達にしても、腰に差した剣は風変わりなもので、鍔の装飾は簡素なものであり、刀身は片刃であった。
建物にしても風土にしても、一行にとって……いやこの地に訪れる異国人にとってセイランは実に風変わりな国なのである。

「エステリア様?どうかされました?料理が御口に合いませんか?」
先程から沈黙したまま、一向に箸が進まぬエステリアを心配そうにシエルが見つめる。
「あ、うん、なんでもない。ちょっと、思い出していただけ」
「なんだ?母ちゃんが恋しくなったのか?」
軽い冗談のつもりで言ったガルシアだったが、これは裏目に出た。
エステリアが俯き、シエルがガルシアをきつく睨みつける。 とどめはシェイドの溜息だ。

エステリアはずっと、カルディアを出た日のことを思い出していた。
旅立ちの朝、シェイドとガルシアの二人は密やかに王宮に立ち寄った。
それは、国王への別れの挨拶を告げると共に、昨晩、神子を王宮から連れ出したことへの弁解も踏まえての行動だった。
エステリアとシエルは彼らの帰りを馬車の中で待つ羽目になったのだが、 そのときに見た光景が目に焼きついて離れない。 それは窓辺に寄り添い、己が腕を王妃の腕に絡ませ、甘えるアドリアの姿だった。王妃は優しい眼差しでアドリアを見守っている。
見送りのつもりか、ただの偶然か、あるいは王女の悪意だったのか、それはわからない。
ただ確実に言えるのは、やはり王妃は自分の母ではなく、あの王女の『母』であることだ。
もう割り切っているはずなのに、心が痛む。
エステリアは自分の情けなさに溜息をついた。

「あの人は母じゃないわ。私にとってはずっと王妃様よ」
今は目的を果たすことが優先だ。感傷や思い出に浸っている場合ではない。
エステリアは被りを振って、周囲に作り笑いを振りまく。 その空気を読んだのか、
「で?俺達はこれからどこに向うんだ?」
シェイドが即座に話を切り替える。
「まずはセイランの大賢者、サクヤに目通りしなくてはなりません」
シエルの反応も心なしか早い。
「サクヤ?おい、サクヤってまさか……」
「暁の神子とは別人ですわ」
シエルはガルシアの反応を読んでいたのか、即答した。
「賢者サクヤは若干二十三歳にしてこの国の摂政をも務める尊い人だそうです」
「なんだ、同姓同名かよ。紛らわしい」
「その賢者サクヤから、洗礼を受ければ、エステリア様は晴れて神子の資格を得るのです」
『――と、国王陛下が仰っていました』、シエルは最後にそう付け足した。
「それ本当か?なーんか、不安なんだよな。国王陛下の筋書き通りに行動するのはよ」
ガルシアは言いながら、皿の上の切り身と未だに格闘している。
なんとか切り身を箸で掴んだ時のことだった。

「いいから早く娘を差し出せ!」
店の外で男の叫ぶ声がする。 その声に驚き、ガルシアは思わず切り身をテーブルに落としてしまう。
「もう六度目ですわね」
シエルがすかさず突っ込んだ。
「いちいち数えるなよ。で、外じゃ何が起こっているんだ?借金取りか?」
「借金の取立てぐらいなら、カルディアでもよくあることだ。放っておけ」
ちらりと見たところ、叫んだ男はこの国の兵士のようだ。 シェイドは黙々と食事を続けている。
カルディアにいたときの食欲不振ぶりからは考えられない様子に、エステリアは目を見張った。

「お前の娘には邪悪な霊が取り付いておる!大僧正様はそれを祓うと仰っているのだ!何故逆らう!?」
再び外から兵士の怒号が聞こえた。それと同時に店内に、兵士によって蹴り飛ばされた壮年の男が、転がり込んでくる。
店内が水を打ったように静まり返り、男に注目した。 壮年の男は兵士に平伏し、ひたすら懇願していた。
「どうか、どうか娘だけはお見逃しを!あの子には心に決めた伴侶がいるのです。来月にはその者との婚礼を控えている身なのです!」

「邪悪な霊?大僧正?なんだ?そりゃ」
聞き耳を立てていたガルシアの表情が険しくなる。
「その伴侶とやらが邪な霊を呼び寄せ、魂を汚し、低俗なものへと変えているのだ!わからぬか!」
店の入り口まで押しかけた兵士は男のわき腹を思いっきり蹴り上げる。

シェイドが無言で立ち上がった。
「シエル、今のうちに店主に代金を払っておけ。多めにだ」
「あ、はい。でも何故ですの?」
「今からここでひと悶着起こすからに決まっているだろう。迷惑料も足しておく必要がある」
「おいおい、放っておくんじゃなかったのか?」
「店の中で、ああも騒がれたら、客も迷惑だろう?」

シェイドは、床に倒れ込んだまま咽ていた壮年の男に静かに近づくと、ゆっくりと助け起こした。

「なんだ?貴様は異国の者か?」
兵士の問いかけに、シェイドは目も合わさず言った。
「見ればわかるだろ?それとも大僧正様とやらの手先は、その程度のことも尋ねなければわからない程、能がないのか?お前の主も随分と哀れなものだな」

「なんだと?貴様……」
その言葉に兵士の顔はみるみる赤くなっていく。

「シェイドの野郎……煽ってどうするよ……」
ガルシアが呆れたように呟く。
「仕方ありませんわ。あの毒舌と傲岸不遜な態度を取ったら、もはやシェイド様ではありませんわ。残るものは、顔の良さと、家柄と、素晴らしい剣術ぐらいです」

「毒舌取った方が、いいもんばかり残るんじゃねぇか?あいつの場合」

「……大丈夫かしら。シェイド」
緊張感のないガルシアと悠長に代金を支払いに行ったシエルを横目に、唯一まともにシェイドの心配をしているのは、エステリアのみであった。
今や、店内の客から注目の的となった兵士、壮年の男、シェイドの三人だが、周囲の者の表情は固く、兵士と『ひと悶着』を起こしているシェイドにはある種の期待を交えると同時に命知らずを嘲るような冷ややかな視線が注がれている。

「貴様!あのお方をも愚弄しおって!大僧正様に跪き、死を持って償え!」
兵士は腰に差していた刀を引き抜き、シェイドに襲いかかった。 シェイドはその一閃を避けると、兵士の背後に回り魔剣の柄を相手の背に押し付けた。

「貴様が俺に跪け」
冷たく言い放つ。

「へ?」
すると、兵士は腑抜けのような声を出し、その場に倒れこむ。
周囲の想像とは真逆の――それもあっけない兵士の敗北に店内の客達は信じられないという顔で互いの顔を見合わせると、一斉に沸いた。

「何をしたの?」
エステリアが駆け寄る。
「魔剣にこいつの精気を吸わせただけだ。死なない程度にな」

「ったく、よくそんな物騒なもんを持ち歩けるよな、お前」 ガルシアもエステリアに続いた。
「俺は普通の人間と違って特別製だからな。人一倍強くて、人一倍呪われている」
傲慢なこともさらりと言う。だが、それが嫌味に感じないのはどうしてだろう? エステリアは首を傾げた。

「お……の……れぇ……」
足下に倒れていた兵士が、呪うように呻いた。兵士はぎこちない手つきで胸元を探ると、首から下げていた呼子笛(ホイッスル)を取り出し、渾身の力を込めて吹き鳴らす。

「天罰を……受け……るが、い……い」
そこまで言って兵士は気を失った。

「どうした! 何事だ?」
笛の音を聞きつけたのか、いずこかに潜んでいた兵士の仲間が四、五人、店に駆けつける。
どうやら彼らは徒党を組んで、街を巡回しているようだ。 果たしてそれが、王命か、それとも彼らが心酔している『大僧正』とやらの命令かはわからない。
新たに現れた兵士達は、倒れこんだ仲間の姿を見るや、声を荒げた。

「貴様ら! よくも我等の同胞を!」

その様子を冷ややかに見ながら、シェイドが言う。
「ほらみろ、俺の言うとおり、金は前払いしておいて正解だったろ?」
「威張って言うな! なんか面倒なことになってるじゃねぇかよ!」
ガルシアが叫ぶ。

「やっぱり遠慮などせずに、こいつを殺しておけばよかったな」
気絶した兵士を軽く足蹴にすると、シェイドは肩を落とした。
「せめて笛を吹かれる前に、両手足を縛って、口には轡をしておくべきでしたわね」
シエルが呆れたように言った。だが、その表情は、何故か生き生きとしている。まるでこの展開を待ち望んでいたかのようだった。

「ちょ……ちょっと、シェイド、シエルさん!」
エステリアが二人を制止するも、それをガルシアが止める。
「お嬢ちゃん。この状況で、穏便に解決しようなんざ、無駄な努力もいいところだ」
兵士の仲間達は、誰もが取り付かれたような狂気に満ちた目をしている。話し合いに持ち込んだところで聞く耳など最初から持ち合わせてはいないだろう。

「うるさい。何度も吼えるな。自己紹介なんぞしなくても、貴様らが大僧正の飼い犬であることぐらい、嫌でもわかる」
「とにかく、ここで怒鳴り散らされてはお客様の迷惑ですわ。今言えることは、とりあえず……」
「表に出ろ」
シェイドが凄む。
「――ですわね」
シエルも同意した。
「大僧正様を敬うことも知らず、そしてその使徒たる我等に逆らうものは生きる価値もない! 死、あるのみだ! 不浄なる魂の持ち主よ! あの世で後悔するがいい!」
店の外に出ると、シェイドの四方を兵士の仲間達が取り囲み、一斉に抜刀する。
「さて……気絶に止めるか、皆殺しにするか……どちらにするかな?」
やる気のない声で、シェイドが魔剣に手をかける。

「これ以上、追手を増やさぬためには皆殺しが得策かもしれませんが、さすがに異国での刃傷沙汰はまずいですわ。神子様の評判にも関わります。ですからせいぜい――半殺しにとどめて置くのが肝要かと思いますわ」

「すでにこの時点で最悪な評判だと思うぞ」

「貴様! ふざけているのか!?」
あまりにも余裕に満ちた会話に、兵士の仲間の一人が激昂し、シェイドに斬りかかる。
が、刀を振り下ろすよりも早く、シェイドの魔剣が相手の肩を打った。 途端、糸が切れた操り人形の如く、兵士の一人が崩れ落ちる。
その一瞬の出来事に、兵士達は目を疑い、即座に叫んだ。

「貴様! 一体、何をした!? 妖術使いか!? それとも魔性の類か!?」

「人聞きの悪いことを言うな。あながち嘘でもないが……」
言いながら、次々と相手を打ち据える。

「すごい……」
あまりの早業に、エステリアは思わず嘆息した。

「あいつの喧嘩の強さは半端じゃねぇ。本当は魔剣なんざ使わなくても、拳一本で勝てるほどの腕っ節の持ち主だ。そのくせ、いつも涼しい顔をしてやがるから、なんか腹が立つな」

「男の嫉妬は醜いですわよ。ガルシア様」
何気ない会話をしている間に、シェイドが倒すべき相手は一人になっていた。

「残されたのは、お前だけだな」
シェイドがゆっくりと近づく。その様子は格好の獲物を前にした獣に等しい。
最後の標的にシェイドが魔剣を振り下ろそうとした刹那―― 思わぬ方向から分銅付きの鎖が飛び、シェイドの右足に巻きつく。
「人の皮を被った悪しき妖魔め! 地獄に落ちるがいい!」
鎖の持ち主は倒したはず兵士の一人であった。
その者は発狂したかのように、そう吼えると、鎖を引いた。
渾身の力を前に、シェイドは足を取られ、舌打ちする。
残された一人は、この好機に乗じて、シェイドに向って突進した。
崩れた体勢のまま、シェイドは振り下ろした魔剣を翻す。
魔剣は生者の命を好んで食らう。例え、致命傷を与えずとも、身体の一部に触れるだけでもその精気を吸い尽くす。加減次第で相手の命を奪うことも、昏睡状態にすることも可能なのだ。シエルからの忠告もあり、あくまでもシェイドが選んだのは後者だった。
シェイドの魔剣が、兵士の脇腹に触れようとした寸前、目の前が血飛沫に染まる。
「ぐっ……ふっ」
背後から兵士の腹を錫杖が貫いていた。
「そ……んな……」
大量の血を吐き、兵士が崩れ落ちる。その真後ろに、フード付きの外套を羽織った人物が立っていた。

「っがっ……!」
その者は有無を言わさず、すでに倒れた兵士達にとどめを刺していく。

「仮にも魔剣(ナイトメア)の使い手が、剣に魂を与えることに躊躇してどうする?それを使う以上は容赦などするな。それが使い手の心得というものだ」
呆気に取られているエステリア達を他所に、その者は錫杖に付いた血を振り払いながら言った。
目深に被ったフードの奥から聞こえたのは、威厳のある、女性の声だった。

「今のセイランで、兵士相手にここまで暴れた奴は初めてだ。丁度いい。逃げ道を教えてやる代わりに、手伝え」
あまりにも高圧的な喋り方に、ガルシアが反論した。
「なんだよ、お前は! 偉そうに! 大体、瀕死で動けない連中を殺して回る人間なんて信用できるか!」

「気にするな。この美しき都、セイランの行く末を思えばこその行動だ。人の道を踏み外し、腐れ外道の手先と化した兵隊など、もはや必要ない。それに、このままここに留まれば、お前達が殺人鬼として追われることになるぞ?それでもいいのか?」
ここまで言えば、ほとんど脅迫である。

「その男も連れて来い。手当てしてやる。ひとまずは私を信じてついて来い」
一行は互いの顔を見合わせた。元はといえば、痛めつけられたこの壮年の男を庇っての行動だったが、事態は思いもよらぬ方向へと発展してしまっている。
自分達の目的はただ一つ。賢者サクヤに目通りし、エステリアに洗礼を受けさせること。そのためにはいささか、遠回りになってしまうが、殺人犯としてこのまま手配されるわけにもいかない。四人の意見は一致した。

「しかたねぇ! おい、オッサン! 立てるか!?」
ガルシアは痛めつけられた壮年の男に肩を貸すと、駆け出した女の後を追った。
セイランの街は随分と入り組んでいる。民家の間を颯爽と通り抜け、人通りの少ない路地裏に入る。案内されるまま、突き進んだ先にあったものは――ただの塀だった。

「おい、行き止まりじゃねぇかよ。やっぱり、お前、俺達を騙しやがったな!」
ガルシアの言葉に、女は肩を落とし、大きな溜息をつく。

「まやかしを信ずる阿呆どもには、到底見えぬが、ここには結界が張ってある。この先に、私達の隠れ家がある」
女が手をかざし、塀に触れると、その部分が次第に薄くなり、丁度人が一人通れるほどの入り口が出現した。

「あんた、一体何者だ?」
武術の他、呪術にも長けている女に、シェイドが尋ねる。
その者は、シェイドの顔をしばらく見つめると、何かを確信したかのように、フードを取り払う。
フードの下から現れたのは、緑を帯びた艶やかな黒髪と、白磁のような肌、そして意思が強く、全てを見透かしたような瑠璃色の瞳を持った二十代前半の女性だった。

「自己紹介が遅れたな。私の名はサクヤ。この国で最も賢く、女帝の次に偉大でありがたい賢者だ。ついでに世界三大美女の一人と讃えられるほどに美しい。しかと覚えておけ」
シェイドに負けず劣らずの傲慢な態度で、一行の目当てである賢者は姿を現した。
思いもよらぬ出会いによって、いきなり目的に辿り着いた衝撃と、想像とはかけ離れた賢者の性格に、一行はただ呆然と立ち尽くしていた。
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