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EternalCurse

Story-86.出立‐U
カルディア壊滅の状況から、ようやく船が動き出すこともあってか、港は人で満ちていた。
おそらくは、家を失い、残った有り金を掻き集め、他国に住まう親類を頼って、船に乗るものも少なくは無いのだろう。
未だ混乱を極めるカルディアの状態からして、神子専用の船を用意できるはずもなく、エステリアもそんな彼らと同乗することとなった。
それでもエステリア一行には、船室でも特別な一角が宛がわれている。
そこには昨晩より、カルディア王家より与えられた旅支度一式が積み込まれ、必要な路銀も支給され、王妃からグランディア国王に当てられた書状なども用意されていた。
これは彼らが神子の一行である証であり、この書状を役人などに見せることによって、旅を、国王への目通りなどを円滑にするためのものであった。
船に乗り込む前、エステリアは、見送りに来た公爵夫妻に簡単に挨拶を済ませると、必要最低限の兵士に周囲を護られた王妃の方をじっと見つめた。
「あの……」
少し目線を下に落としながら、エステリアはゆっくりと口を開いた。
「貴方のこと……『お母さん』って呼ぶには、まだ、時間がかかると思います。もうしばらく、待っていてもらえますか?」
エステリアには、これが精一杯の言葉であった。相手がぎこちないものの、愛情を示そうとしてくれている気持ちは充分にわかる。だが、しかし自分自身もまた、それに素直に答えるだけの度量を持ち合わせていないのも事実だ。王妃は静かに頷くと、念を押すように、静かに語りかけた。
「忌み子のソレアは、小麦色の肌に亜麻色の髪、こげ茶色の瞳で、左目のすぐ下にほくろがあるわ。ノエルも同じ肌、髪と瞳の色の持ち主よ。イシスが『忌み子』と予言したのだから、どうか気をつけて。この二人のことはいつでも頭の隅に置いておいて」
「わかりました」
「道中……気をつけて……」
「……はい」
エステリアは短く答えると、踵を返し、乗船口を登り始めた。
「素直じゃないな、お前。だが、言葉の中に辛うじて『お母さん』と含ませたところは、評価してやろう」
エステリアの隣を行くサクヤが、軽くエステリアの頭を撫でる。エステリアははにかむように笑った。
「ガルシアお兄様」
同じく兄を見送りに来ていたエミリーが一歩前に歩み出た。
「ねぇお兄様」
「いつ帰ってこれるかはわからねぇぞ?」
話を切り出す前に、返されたエミリーは困惑の表情を浮かべた。
「いえ、そういうのじゃなくて」
「じゃあ、なんなんだ?」
口ごもるエミリーが、そっと呟いた。
「お兄様、ミレーユの仇は……必ずとってね」
その一言に一瞬、ガルシアの表情が強張る。
「あ、ああ」
複雑な表情で頷くと、ガルシアは妹の方を振り返ることなく、そのまま乗船する。シェイドは軽い溜息をつき後に続いた。
「ねぇ、シェイドのお友達さん?」
エミリーとは対照的な明るい声に、シェイドの足が止まる。ソニアだ。
「はい?」
今となっては当たり前のように『シェイドのお友達さん』で通ってしまっている。こんなことなら、何か偽名でも名乗っておくべきであったと、内心、シェイドは後悔した。
「うちの子がいない間は、貴方がエステリアを守ってね」
「……あ、はい」
ソニアには調子を崩されてしまうのか、シェイドの返事はどこか頼りない。
「うちの子が帰ってきたら、また顔を見せてね。あの子もきっと貴方に会いたいでしょうし?」
いくらなんでもそれは無理な相談だ――シェイドは、事情をわかっていながらもあえて惚けてみせる養母の姿に、苦笑しながら一礼する。これは養母のささやかな抵抗だ、と確信すると、乗船口を登っていった。




グランディアまでの船旅に、一行に寝室として宛がわれたのは二部屋で、一つはエステリアとサクヤに、もう一つはシェイドとガルシア、そしてシオン専用と振り分けられていた。
ごく一般的に『神子』とは『巫女』と同じく、神聖視されている。
エステリアとシェイドが今や夫婦間の契約を交わしているなど知る由もない、彼らからしてみれば、神子が異性と部屋を共にするなど、言語道断の話である。
本来ならば、神子は個室で、従者は別室に振り分けられるはずなのだが、エステリアがサクヤと同室にされたのは、どうやら彼女がシエルに代わる『侍女』と認識されてしまったらしい。
用意された寝室のベッドに腰を下ろしたエステリアは、同じく向いのベッドにいるサクヤに単刀直入に尋ねた。
エステリアはサクヤがこの扱いに不満を覚えているのではないかと、気になっていたのである。
年功もあることからか、サクヤは自尊心の強い女性である。まして元神子でもある。
そんな彼女への接し方、敬意を表す意味での距離の取り方は難しい――そう思い込んでいたエステリアであったが、
「そんな細かいことは気にするな。お前は神子で私達はいち従者に過ぎない。そもそもお前だけが貴族の賓客室に招かれ、寝台で眠る中、我々が野宿であったとしても、文句など言えるはずがない。そういうものだ」
意外にもサクヤの答えはあっさりとしていた。ほっと胸を撫で下ろす最中、サクヤは、
「私はともかく、あの男共が同室ということの方が気になる。妙な諍いが起こらねばいいが……いざとなれば、鬼神が止めに入るだろうが……」
とシェイドとガルシアの間に未だわずかに流れている微妙な雰囲気の方を懸念していた。
「一緒にいることで、少しは打ち解けてくれたらいいんですけど……」
「それは私達にも言えることだろう?」
痛いところを突かれ、エステリアは押し黙った。
「悪いが、実年齢の私から見れば、お前は孫みたいなもんだからな。付き合いにくいと思う気持ちも、わからんでもない」
言いながら、サクヤは寝台に横たわった。居心地の悪い、わずかな間が流れると共に、エステリアもサクヤに倣って横たわる。

「あの少し……聞いてもいいですか?」
「ん?」
エステリアの質問に、サクヤがこちら側を振り返る。完璧に整ったその顔には、それほど冷たさも刺々しさもなく、ただエステリアをじっと見つめている。
「あの……なんて言ったらいいのかわからないんですけど、カルディアでの戦いの後から、ずっとシェイドの様子が変なんです」
「具体的に変、とは?」
「えっと……その、普段のあの人とは考えられないような言葉を口にしたりする……というか」
「なんだ、あいつ、寝物語の代わりに甘い言葉でも囁いてきたか?」
図星である。エステリアは思わず、サクヤから視線を反らした。
「お前でよかった――とか、お前と出会えてよかったとか……なんていうか、普段のあの人からは想像もできない事ばかり言われて……」
「長らくあの姿でいる奴と、英雄の魂に毒され、頭に蛆でも湧くんだろう。本気にはしないことだ。うわ言と思って聞き流しておけ」
「そ、そんなものなんですか?」
「ああ、だからこそ、我に返ったときのあいつの反応が見ものだな」
ぽかんとして話を聞いているエステリアに、サクヤは、
寒気を覚える思いなら、経験済みだ――とも付け加えた。

「それでもあいつにしてみれば、充分に押さえ込んでいる方だと思うぞ。なまじお前が放置していたから、なお更だ。適度に仲良くはしておけ。でないと、路地裏で襲われる羽目になっても知らんぞ」
「それって……あの人、ずっと、発情期ってことですか?」
何気なく言ったつもりのエステリアであったが、その言葉にサクヤは膝を叩いて笑い出した。
「それはそうだろう。あいつにとっての全てはもはやお前だけになったのだから」
「……永遠に?」
「何か不安でもあるのか?」
「その……」
エステリアの脳裏にはミレーユの存在が過っていた。口ごもるエステリアを前に、サクヤは
「あいつが昔、どんな女と付き合っていようが、神子以外の女とは番うことはできん。逆らったところで、いずれは糧にしてしまう運命だ。仮に道から逸れようとあがいたとしても、最後はお前のところに戻ってくる」
まるでその心中を見透かしたかのように答えた。
「でも……あの人……それはとっくに自分の中では終わったことみたいに話していたけど……、そんなに簡単に割り切れるもの?」
「それが本能だから仕方がない。むしろ、昔の女に対する後悔などという念はあいつの中では薄れてしまっているはずだ。お前にしてもそうだろ?」
「え?」
「自分の夫に対して、独占欲が強くなるのも、昔の女に対して不安を覚えるのも、嫁の本能の一つだ。まぁ、これは神子に限らずどの夫婦も同じなんだが……」
「確かに……」
そこまで言うと、サクヤの方は瞼を閉じてしまった。
エステリアはふと、かつてサクヤが殺してしまったという始めの英雄について、聞いてみたい気もしたが、どう切り出して良いかわからなかった。
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