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EternalCurse

Story-79.会合
しんと静まり返った巨大な空洞の最奥で、天井を覆う岩の所々の合間から斜めに差し込んだ光が、その一面に広がった泉の表面を突き刺すように、降り注いでいた。
泉の上に数本生じた強い光の線は、まるで戦場で死した戦士の墓標代わりに立てた槍のようで、泉を眺めていたオディールは皮肉な笑みを浮かべると、黒鳥を模した兜を脱ぎ、片腕に抱えると、その傍らに繋がれた一頭の黒馬――いや、不浄を意味するニ角獣のたてがみを撫でた。
二角獣は、実に心地よさそうな表情で、薄暗い洞窟の中、わずかな光で淡く輝くオディールの髪に鼻を寄せた。
オディールがわずかに眉をしかめた……、と、そのとき――水面に波紋が浮かんだ。
それはゆっくりと、そして徐々にオディールの方へ向かって近づいてくる。
しかし、オディールは何も臆することはなく、勿論、その腰の剣に手をかけることもない。ただ、じっと泉の表面を見つめていると、波紋を立てていた『彼女』が水中から頭を出した。
ようやく足の着く位置に来たのだろう、『彼女』――セレスティアは、ゆっくりと泉から上がってきた。その透き通るように白く、均整のとれた肢体には、腰まで届く長い髪が水滴を滴らせ、絡み付いている。
オディールは何も言わぬまま、セレスティアに歩み寄ると、手にした薄絹でその身体を包み、今度は肌触りの良い厚手の布で余分な水分を拭き取っていく。それはまるで侍女さながらの手馴れた動作だった。
「本当に良く気が利くわね……私の可愛い黒鳥の騎士」
彼女――セレスティアは、傍らの女騎士に美しい微笑みを向けたが、オディールは、ただ黙々とセレスティアの身を整えることに専念している。
「泉の下を確かめてきたわ……」
唐突にセレスティアが言った。
「如何でした?」
淡々とした口調で、オディールが返す。勿論、手を休めてはいない。
セレスティアは軽く息をつくと、頭を振った。
「駄目ね……(わたし)の揺り篭は、まだ使い物にならないわ」
「では、これからどうなさいますか? カルディアの方では、貴方が密かに放った刺客……あの侯爵令嬢が、エステリアの抹殺に失敗したようですが?」
「あ、そう」
セレスティアは、侯爵令嬢の末路には一切の興味がない、といった口調であった。
オディールが首を傾げる中、セレスティアは続けた。
「解せないって顔ね。でも心配しなくていいのよ。次の駒を用意せずに、事を運ぶほど、私は馬鹿じゃないわ。私の手駒は決してただの使い捨てではないもの。いくらでも再生し、その全てが、この私の望みを叶えるためだけに動き出す」
言いながら、セレスティアは掌に、黒い炎を召喚した。
「貴方にこれを与えておくわ」
炎を掲げたセレスティアの手がオディールの顔に接近する。特に驚く様子もなく炎を見つめているオディールに、セレスティアがくすりと笑う。すると、黒い炎は何事もなかったかのように消失し、セレスティアの手には、ただの手札が五枚、握られていた。
オディールは恭しく、セレスティアの手から手札を受け取る。札には王と王妃、法王、そして騎士と道化が描かれていた。
「これは……?」
オディールが全てを飲み込んでしまうような漆黒の瞳で、探るようにしてセレスティアを見つめた。
「貴方に与える手駒よ。これから、あの中央大陸で英雄気取りでい王様を、懲らしめてやらなきゃならないんだもの……」
セレスティアはオディールの顎を軽く持ち上げながら、悠然と囁いた。
「貴方は私の影……ねぇ、それを使って面白いものを見せて頂戴……」
「かしこまりました。セレスティア。ところで、エステリアの方は如何なさいますか?」
「貴方にまかせるわ」
セレスティアの自信に満ちた声が、空洞の中にこだますると同時に、その背後で、水面が不気味に揺れていた。




翌日、強い日差しによってカルディアを覆い尽くした季節外れの雪は、ほとんど姿を消しつつあった。それでも外の風は未だ肌を刺すように冷たい。そんな中、エステリア一行は、サクヤによってブランシュール邸の一室に呼びつけられていた。
一行の他、ここに同席したのは、ブランシュール公爵を始め、マーレ王妃とシオンである。順次席についた彼らであったが、相変わらず、ガルシアとシェイドの、そしてエステリアと王妃の間に流れる空気は、ギクシャクとしている。付け足すならば、シェイドにおいては、公爵夫妻に対し正体を明かせぬもどかしさが、それに拍車をかけていた。
「まったく……息が詰まりそうだな」
この『会合』の主催者であるサクヤがさっそく悪態をつき、隣でシオンが苦笑する。
「で?一体これから、なんの『お話』があるっていうんだ? 姐さん?」
さっそく尋ねるガルシアに、
「なに、これからの行く先についての話し合いだ。この場には、我々が知りえない情報を知った者もいるんでな、この際だから、色々と聞いておく必要がある」
サクヤは肩をすくめながら、マーレ王妃に視線をやった。
「あと、お前のこれからについて、話し合う場でもある」
「はぁ? 俺の、これから?」
サクヤに言われて、ガルシアが頓狂な声をあげる。
「実際、現在の『神子』と『英雄』であるこいつら二人ならばいざ知れず、普通の人間であるお前にはまだ『選択肢』というものがある」
サクヤは続けた。
「もとより、私は私自身のケジメのために、こいつらに同伴するつもりだ。そもそも『神子と英雄』の世代が狂ってしまったのも私が原因だからな。こいつら二人は、神子と英雄という役目を担った以上、元よりこの世界の均衡を取り戻す必要がある。だが、お前には、わざわざ無理して、こいつら二人に付き合う必要はない。だから、これからのことは、お前自身に決めて欲しいと思っている」
真摯な眼差しを向けるサクヤの姿に、ガルシアは思わず黙してしまっていた。
「で? 一体、何から『話し合う』んだ?」
真っ先に口火を切ったのはシェイドである。
「そう、急かすな、この場にはもう一人足りぬ人物がいる。そいつを呼び出さぬことには、始まらん」
「足りない……人物?」
エステリアが首を傾げた。
「先代の神子がいる以上、足りてないのは勿論、『先代の英雄』ですよね? サクヤ?」
シオンの言葉に、サクヤが頷く。
「ヴァルハルト陛下を呼び出すってか!? 一体どうやって?」
思わずガルシアが身を乗り出した。
「なに、簡単だ。セレスティアと同じ方法を使えばいい」
サクヤに言われて、一同はテーブルの中央に水鏡が用意されていたことに初めて気づく。一同が一斉に水鏡へと視線を送る中、サクヤが手をかざす。
それと同時に水鏡がぼんやりとした光を放つ。鏡を通じて浮かび上がったのは、シェイドにとって、懐かしい祖国の父、ヴァルハルトの姿であった。
「ヴァ、ヴァルハルト陛下!」
ヴァルハルトを敬愛して止まないガルシアの目が爛々と光る。
「久しいな、ガルシア・クロフォード、息災か?」
ヴァルハルトの労いの言葉に、思わずガルシアの涙腺が緩む。ヴァルハルトは一同を見渡すと、
「そこに、異様なぐらいに若作りの糞婆がいるだろう?」
早速、昔なじみであるサクヤに対して、毒づいてみせた。
「貴様、私が側にいないことを良いことに、言いたい放題か」
勿論、サクヤの額には、絶世の美女には似つかわしくない、険しい皺が刻み込まれている。
「ほら、始った」
シオンが頭を抱えた。
「ジーク?」
ヴァルハルトは水鏡の向こう側から、息子の姿を確認したのだろう。今は、面影すら残らぬ姿の息子に対して、優しく声をかけた。当の本人であるシェイドの反応は父親に初めて見せる、妖魔の姿に、いささか困惑しているようであった。そんな息子の気持ちを汲み取ってか、ヴァルハルトは思わず苦笑する。
「なんというか、面と向かっているのが『かつての私』とはいえ、当時の私はここまで悩ましい面差しをしていたのかと思うと、首を傾げたくなるものだな。そなたもそうは思わぬか? エドガー?」
父親のその一言で、シェイドの表情が強張る。
この場にエドガーも同席していることを、あまり意識してなかったのだろう。シェイド自身、この屋敷で『客人』として扱われている以上は、ブランシュール夫妻には徹底して他人行儀を通していたわけだが、ヴァルハルトの問いかけがそれすらも一撃で粉砕してしまったから始末が悪い。
シェイドは背筋が凍る思いで、床に視線を落とした。
「いいえ、陛下の場合も中々の色男ぶりでしたぞ? 我々夫婦も随分と目の保養になったものです」
罰の悪そうなシェイドを傍らに、何食わぬ顔でエドガーが笑う。
「悩ましい面はしていたが、貴様は態度が気に食わんかった」
サクヤがすかさず反撃する。
「お前には何も訊いてはおらぬ。今も昔も変わらず、年甲斐もなく肌を見せたがる、若作りな婆め。少しは年齢というものを考えたらどうなのだ?」
どうやらサクヤを前にすると、ヴァルハルトは、感覚は勿論、現役時代の口調に戻ってしまうらしい。壮絶な毒舌をサクヤに返しつつ、
「これはマーレ王妃。相変わらずお美しいですな」
ヴァルハルトは、たまたま目に付いたマーレ王妃を賛辞する。
「貴様、いつからそんな世辞が言えるようになったんだ? 私への嫌がらせか?」
「嫌がらせとは心外だ。それこそマーレ王妃に失礼であろうが、クソ婆め」
意外なヴァルハルトの言葉や態度、そしてサクヤとの掛け合いを目の当たりにして、ガルシアはひたすら絶句している。
「この二人……現役時代からずっとこの調子らしいですよ」
シオンが『ご愁傷様です』とでも云わんばかりに、ガルシアに耳打ちする。ヴァルハルトは軽く咳払いをすると、シェイドに視線を向け、語り始めた。
「今、カルデイアは、大変な状況であると、耳にした。私自身が、そちらに向かいたいところだが、生憎、こちらはクローディアを失ったシュタイネル派の残党を押さえつけるのに、忙しい。そちらにはいずれ、私の文を持ったメルザヴィアの使者が来るはずだ。おそらくグランディアからも同じように使者が立ち寄るであろう」
「グランディアからの使者ならば、もうこの国に辿りついております」
使者としては最悪の人選ではあったが――と、シェイドは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「このカルデイアの壊滅状況に対して、お前はどう出る気だ?」
サクヤは尋ねた。
「カルデイアは、獅子の兄弟国。復興作業には尽力するつもりではあるが、もちろん、マーレ王妃の意見を尊重するのが筋であろう。しかしながら、いずれは新しい国王を据えねば、国として成り立つまい。カルディアには正式な後継者がおらぬ今、グランディアかメルザヴィアから次の王を出すしかないのだが……カルディアといえば、シェイド、そなたにとっても、第二の祖国といえよう。私は、いずれは、そなたに継いでもらっても良いと思っておる。マーレ王妃がよければ――の話だが」
ヴァルハルトのあまりにも唐突な申し入れに、シェイドは戸惑いを隠せずにいた。
「ですが、メルザヴィアは……?」
「メルザヴィアは、そなた達の間に生まれた子にでも継がせよう」
ヴァルハルトの言葉に、思わずエステリアが赤面する。
「そんなことを言わずに、今からでもソフィアに産んでもらえ。まだなんとか大丈夫な歳だろうに」
「こればかりは、神のみぞ知る問題だ」
きっぱりとそう言い切ると、ヴァルハルトは『他人の夫婦問題に口を出すな』とサクヤに釘を刺す。サクヤは肩をすくめると、仕切りなおすように言った。
「さて、新旧神子と英雄に、運命の双子の片割れ……と、役者は全部揃った。まずは私の身の上話と……そこにいる元英雄王の失敗談から始めようか……?」
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