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EternalCurse

Story-78.眠れぬ夜に……
一体、これで何度目の溜息だろうか――シェイドは、なかなか寝付けぬ苛立ちに、うんざりとした様子で、寝台の傍で柔らかい光を灯すランプに視線を移した。
元よりこの身体である限り、食欲や睡眠欲などという人間特有のものとは無縁なのだ。ならば酒の力にでも頼って、気分だけでも変えるべきか――とは思ってもみたものの、この屋敷には一応、『シェイドのお友達』ということで、滞在しているのである。いつもの如く、顔なじみの使用人を捕まえて調達させるわけにもいかない。いや、例え入手したとしても、食べ物の味が全くわからないのだ。それはソニアの手料理で痛感したばかりである。そもそも、人外の身体で酔えるかどうかも怪しい。真の意味で渇きを癒すことができるのであれば、人間の血肉なり魂なり食らうべきだが、今得たいものは決して満腹感ではない。安らぎだ。
シェイドはふと、メルザヴィアで暴走したナイトメアからの支配を逃れ、地下牢に監禁されたときの夜を思い出した。あの時は、面会に来たエステリアを早々に追い返し、ただ一人、闇に蝕まれる身体を一晩中、抱きすくめていた。そう、丁度今の状況とほとんど同じだ。
今思えば、あの時、城から隔離されたのは――確かにクローディアとの件もあり、喧嘩両成敗のような部分もあったが、ヴァルハルトは内心、散々、負の力を取り込んだシェイドの身体を気遣って、城内から遠ざけるよう命じたのだろう。
魔剣に支配された後の、いわゆる『病み上がりの王太子』を寝室に運んでしまったのでは、いつ、何時に、息子の正体が他者に知れ渡ることになるか、おそらく、気が気でなかったのだろう。
こんなときに、こんな離れた地で、父親のささやかな気持ちを知るなど、思いも寄らなかった。ヴァルハルトもまた、シェイドにとっては『先代』にあたるのだから、秘密を抱える苦労は重々承知していたのだ。
ただ前回と決定的に違うのは、どんなに朝が来ても、一人耐え抜いたとしても、この身体が自然と人型に戻ることはない。魔剣が元に戻らない限りは、シェイドの身体もまた永遠にこのままである。確かに、一時的には人の形を取ることができるものの、その状態は、あまりにも不安定すぎる。
それはレイチェルと対峙して、身をもってわかった。
「……まったく、厄介な身体だ、いや厄介な人生……か?」
シェイドがぽつりと洩らした。王族として生まれ、偉大なる英雄を父親に持ち、出生時より、何かといわくが付きまとっていたシェイドにとって、普遍的な幸せというものに対する憧れは、辛かった子供時代からの逃避でもあった。
その上、三年前より、英雄の――すなわち妖魔の力の継承してしまったのだ。
その事実は、彼の一生に暗い影を落とし、よりいっそう、ごく当たり前の未来を掴み取ろうとする意欲に拍車をかけていた。自分自身には、さほど未練などはない。
しかし、もしも他者を慈しむことができるなら、もっと良い方向に変われるような気がした。大巫女を務め、俗世とは縁のなかったエステリアにしても、そうだ。似た者同士のような気がした。
だが、シェイドにとって、どうでもいいものは、望まずとも簡単に手に入り、本当に欲しいものは、何一つ、触れることすら許されない。
力の全てを手放さなければ、近い将来、子供も――自分の新しい家族でさえ、得ることができないのだ。力を求め、誰よりも強くあることを求める者らは、シェイドを愚かと哂うだろう。
テオドールなどが良い例だ。彼らは、強い力を得る代わりに、失うものもまた大きいということすら気付かない。そんなことを考えていると、シェイドの頭にふと、ミレーユの顔が過ぎった。
自分と出会わなければ、別の人間と恋に落ちていれば、命を奪われずに済んだ、かつての恋人。
共に過ごした日々の思い出、そして彼女の人生をこの手で絶ってしまった自責の念……その時は、確かにあったはずなのに、かつての英雄の妄執が、それを拒んでいるのか、今となっては、何も思い出すことも、感じるこすらできない。なにやら整理のつかなくなってきた頭を、振り切るようにしてシェイドが寝返りを打つと、ゆっくりと、しかし軋んだ音を立てて、扉が開く音が聞こえた。
「誰だ?」
シェイドが半身を起こして、扉の先を見た――直後、小さく肩を落とした。エステリアだ。
「お前……まさか、迷って自分の部屋に戻れないから案内しろ、とか言い出すんじゃないだろうな?」
エステリアの顔色を見るなり、シェイドはこちらの身に降りかかってきそうな出来事を、推測がてら口にした。
「寒いのよ」
しかしエステリアは素っ気無く返し、足早にシェイドの寝台に近づくと、その隣に滑るようにもぐりこんだ。
「おい……」
「やっぱり先に人が入っていると暖かいわね」
眉根を寄せるシェイドに対し、エステリアは当たり前のように、身体を横たえている。思いも寄らぬエステリアの行動に、シェイドはふと頭に思い浮かんだことを、言葉にする。
「……お前、これは復讐か? それとも拷問のつもりか?」
「ええ。そんなところかしらね。勿論、『おあずけ』だから、変なことはしないでね」
エステリアは困り果てているシェイドの顔を見上げた。
「変に気を使って、あの人と私を引き合わせた仕返し。もう最悪」
「お前、そんなに自分の母親が憎いのか?」
エステリアはしばらく沈黙した後、唇の端を吊り上げた。
「……冗談よ。でも、あの人とは早々には仲直りはできないわね。私だって人間だもの。これまで引きずってきたものを早々に割り切ったり、吹っ切れたりすることなんてできないわ。本当は貴方から今まで受けてきた仕打ちへの仕返しと言ったところかしら? シオンさんの発案だけど」
洒落にならない――シェイドは喉まで出掛かった言葉を即座に飲み込んだ。
「一体、どういう神経でそんな仕返しを思いつくんだ?」
「手っ取り早く、貴方を懲らしめるには、これが一番なんですって」
「だったら、今すぐ俺が部屋を出る」
「どうして?」
悪気もなさそうに尋ねるエステリアの姿に、シェイドは絶望的に深い溜息をついた。
「前も言ったろ? 俺はこの身体でいるときは、頭がおかしくなるぐらいに、お前が可愛く思えて仕方がなくなるんだ」
シェイドの悲痛な一言に、エステリアは思わず噴出した。
「まったく……」
ここにきて、『してやった』とばかりのエステリアの表情が、何か癪に障るものがあったのか、シェイドは、しばし考え込むと、部屋を出ることを諦め、エステリアの隣に、そのまま寝そべった。しばらくの沈黙が続いた後、エステリアが口を開いた。
「どうしてセレスティアは、みすみす火刑に処されることを受け入れたのか――そういう話を、前、シエルとしたことがあるの……」
シェイドは黙したまま、ただ天井を見上げている。
「腑に落ちなかったのよ。神子って四大元素の力を駆使するんでしょう? その一つである火の力を操ることができるんだから、炎を避けることもできるはず。焼け死ぬのはおかしいってね」
エステリアは淡々と続けた。
「でも、あの人は言っていたわ。神子は自分の力を使って、他人を殺してでも生き延びたいと願ってしまったなら、その時点で、神子ではなく魔女となる、って。あの話は、本当だったのかしら? それとも、私を欺くための嘘だったのかしら?」
「どちらとも言い切れないな……。そもそも、あいつがシエルとして話したことは、信じない方が無難だぞ? 信憑性があるのは、あいつがセレスティアとしてお前を罵った言葉だけだ」
「言い得て妙ね。でも……どうしてあの人が、かつては希代の神子とまで言われた人が、他者を貶めるようなことをするようになったのか……本当にわからないの……」
「あいつが豹変した理由や原因は……俺にもわからない。俺達はあいつの生来の性格を知らないんだから、一概にどこで変わったのか――なんて語れるものでもないだろ?」
「それって……セレスティアが生まれつき、あの性格だったって言いたいの?」
「お前の母さんにしても、お前を守る為なら、どんな犠牲を払っても構わないというほどに、激しい一面を持っているだろ? 一応、セレスティアは双子の姉なんだから、そういう性質を持っていてもおかしくはない。セレスティアの場合は、堕ちるところまで堕ちて、その部分がより激しくなった――と思ったほうが正しいか。まぁ、三年前に起きた『セレスティアの悲劇』の詳細を知ることができれば、謎は解けるはずだが……ただ、一つ言えるのは、次代の神子を、それも自分の姪を陥れた上、破壊の限りを尽くすあいつにも――案外、打たれ弱い部分だってあるかもしれない」
「どういう意味?」
エステリアは首をシェイドの方へ傾ける。
「お前さ……ナイトメアの中に取り込まれたとき、自分のことを弱い人間だって言ってたろ?――俺だって、そうさ」
「どうしたのよ、急に」
「俺だって、本当は弱い人間なんだ」
「貴方は、誰もが羨むぐらいに強いと思うけど? 世界だって滅ぼしかねないぐらいに」
「強そうにでも見せておかなきゃ、心が折れるだろ? 俺が抱え込んでいるものは、早々、誰かに打ち明けられるような問題でもなかったし、打ち明けたからといって、どうにかなるようなものでもなかったな。せいぜい出来たことといえば、強がるぐらいだ。あいつにしても似たようなものかもしれない」「それって、自分の弱みを見せたくないから、他人を加虐するってこと?」
「なかなか良い線だ。強いて言うなら自分の心の弱さを認めたくないから、徹底的に相手を踏みにじっていないと気がすまない。それぐらい歪んでいるな、あいつの場合は」
シェイドの推測が当たっているのならば、セレスティアはその過激な行動とは裏腹に、繊細な心を過剰なまでに防衛しているということになる。
そこまで彼女を追い詰めるものとは一体なんなのだろうか――エステリアは色々と思いを巡らせていると、
「そんなことより、俺は一刻も早く、ナイトメアを再生して、元の身体に戻りたい」
エステリアに背を向けたまま、シェイドはセレスティアのことなど考えたくもない――といった調子で、不意に漏らした。
「子供の頃は……月や星を見上げるのは好きだった。それが嫌になったのは三年前からだ。月夜はいつも独りで、身を隠してじっと耐えなければならない、そんな時間がずっと苦痛だった。それがこれから延々と続くと思うと、気が狂いそうだ。それにこの身体だと、無駄にガルシアの怒りを買って、毎日命を狙われそうな気がするし、元の顔じゃないと、これまでのように他国で権力すら振りかざせない」
シェイドはうんざりとした口調で言った。
「あのねぇ……。ガルシアさんのことは、貴方も悪いわよ。わざわざ相手の癇に障るようなことを言い返さなきゃいいのよ」
「俺を目の当たりにして、やたら突っかかってくるのは、あいつの方だ。お前だって……俺を見てると、嫌なことばかり思い出すから、あまり好きじゃないだろ?」
「ええ、そうね。確かに貴方を見れば、セイランでいきなり口付けされたこととか、メルザヴィアで無理矢理手篭めにされたことぐらいしか思い出さないわね」
そしてエステリアは付け加えた。
「それから、カルディアでテオドールや亡者達から守ってもらったことと――至宝の間から助け出してくれたこともね」
シェイドは金色の瞳を大きく見開いた。
「貴方なんでしょう? 至宝の間で私が溺れていたとき、外から壁を壊して助けてくれたのは……」
「セレスティアが至宝欲しさにお前を助けたとは思わないのか?」
「確かに、セレスティアだったら、至宝欲しさに壁を打ち砕くかもしれないけど、私の命まで確実に助けてくれるわけがないわ。至宝さえ手に入ったら、その場で私を殺して奪い取った方が賢いもの。それをしなかったのは……そうね、あの人、私の内側に呼びかけてくることはできても、至宝の間そのものには、手出しできなかったんじゃないかしら? だとしたら、助けてくれそうなのは、貴方ぐらいだわ。今更だけど、思い起こしてみれば、貴方は、憎まれ口を叩きながらも、所々、助けてくれていたみたいだし……」
シェイドはただ、エステリアの話を黙って聞き入っていた。どうやらそのまま肯定するには、気恥ずかしいものでもあるのだろう。
「気が滅入りそうだったけど、真実を知って、それなりに覚悟ができたら、急に身体も楽になったわ。もう変な気だるさは感じない。力が落ち着いたってことかしら? 今日、貴方から色々、聞くまでは、私の中には確かに存在していたのよ? 私の『妄想』で出来た幻の赤子が」
「出来ないと知らされた瞬間に、妄念の塊は消滅した、か?」
「ええ。今日までその妄念の子には、死んで欲しいって願っていたもの……。世継ぎが必要な貴方には切実な問題でしょうけどね……」
「まったく……親子二代揃って、その件で悩まなくてはならない、なんて億劫だな」
「え?」
シェイドはやれやれ、といわんばかりに息を吐いた。
「父は……本来なら子供は望めなかった。暁の神子のおかげで、なんとか力の大半を手放すことはできたが、それでも、母が皇帝に連れ去られ、俺を身篭ったときには、おそらくは、色々と疑っただろうな。元々、子供は諦めていたらしいからな。サクヤが言うには、もし俺がヴァロア皇帝の息子だとしたら、ヴァルハルトに代わって受け継がれていく、闇の力に耐えられずに、腹の中で死んでいたらしい。それに耐える器を備えていたことは、良かれ悪かれヴァルハルトの子に違いないからだそうだ」
これまで悩んでいたのが、馬鹿馬鹿しくなるような話だ――シェイドはそう言った。
「つまり、妙な割合だったが、サクヤはヴァルハルトに降りかかる因果の大半を切り離すことに成功していたということだ。神子の力も、英雄の力も本来なら、二代続けて受け継ぐことは稀らしい。それでも俺に引き継がれたというのは、やはり永久の呪いの賜物だな」
「因果……永久の呪い……」
エステリアはふと、セイランでシオンより耳にした言葉を思い出した。暁の神子は、各地にかけられたその呪いを解きながら旅をしていたという。
「因縁、因果、呪いっていう奴は、後に『子孫』や『身内』に降りかかるから、そんな風に言うんだろ?」
「それでも、世界を救う手始めの第一歩が相手を押し倒すことにあるなんて、本当にどうかと思うわ」
エステリアの一言に、シェイドは思わず苦笑した。
「あの時は、気絶していてくれていたから、助かった。泣き叫びそうなお前を押さえつけるのは、気が進まない。かといって、逆に虜になられても困る」
「虜?」
「鈍感だな、お前。妖魔という種族は、人間を虜にするのが生業みたいなもんだぞ?」
エステリアは、気に入らないといった様子で眉をしかめた。
「その時のことは……仕方ないから許してあげる。私の初めての相手も、本気だった相手も同じ人だったから、多少は救いがあると思うことにしたわ。それに私にも落ち度があったんだから、お互い様ってことにしましょう。貴方だって義務とか使命感があるかもしれないけど、結局は良い思いだってしてるわけだし?」
「お前……なんか、急に偉そうになったな」
「当たり前じゃない。そのぐらいやらないと、食わせ物の貴方とは対等にやっていけないわよ。勿論、豹変した伯母ともだけど……」
エステリアは、真摯な面持ちで続けた。
「取り返すわよ、至宝は必ず。あの人が、至宝の力を悪用しようとしているのだったら尚更ね。神子として当然のことでしょう?」
「どういう心境の変化だ? お前……」
「何か目的を作っておかないと、それこそ、どうにかなりそうよ。このまま何も出来ずに、終わってしまうのは嫌よ。私は私。誰の言いなりでも、掌で躍るだけの人形じゃないんだから……まったく……」
エステリアは半ば諦めの入った口調で、毛布を引き上げた。
「そうか……」
「どうしたの? 反論しないなんて、貴方らしくないわね。貴方のことだから、絶対、私の言葉に、無謀だの愚の骨頂だの色々非難されると思ったのに……」
しかし、シェイドは、じっとエステリアを見つめると、ぽつりと洩らした。
「一緒にいれればそれでいい」
「え?」
どきりとした。まさか、シェイドがそう答えてくるとは、エステリアは露ほどにも思わなかった。
きっと普段の姿なら、口が裂けてもこんなことは言いそうにない。やはり持ち得た力が、強烈なまでに作用しているのだろう。エステリアもまた、シェイドの顔をまじまじと凝視した。
今のシェイドの顔は、何も知らぬままに妖魔と出会っていたときの顔と、心なしか違うような気がした。妖魔の艶やかな顔立ちと、シェイドの端正な顔立ちを丁度半分ずつ交えたような感じだ。
エステリアは、
「前にも言ったと思うけど、女装したときの貴方の顔、どこかで見たことがあると思ったの。今の顔が、まさにそれなのよ……やっと思い出したわ」
と、呟くと、照れ隠しのようにシェイドに背を向け、毛布の中へもぐりこんだ。
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