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EternalCurse |
Story-73.迫り来る魔手 |
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エステリアや養母ソニアと語り合った後――いいや、洗いざらい話したと言った方が正しい。その後シェイドの中に残っていたのは、ただの虚無感だった。とはいえ、このまま寝台でじっとしているわけにもいかない。滅びた魔剣を再生させ、一刻も早くセレスティアから神子の至宝を取り戻し、エステリアに与えなければならない。と、頭の中で色々と筋道を立ててみるものの、到底すぐには叶わぬものであることに、溜息をつく。 今、やるべきことは、最も重要なことは何か――再び考えを巡らせてみると、脳裏に浮かんだのは、ガルシアの顔だった。 彼はシェイドを――いいや妖魔を若き日に出会った好敵手、そしてミレーユの仇として、付け狙ってきたのだ。そんな彼が妖魔の正体を知った際に抱いた怒りは、エステリア以上に激しいものであることは、シェイド自身、充分、承知していた。 「まったく……あいつが若い頃に挑戦してきた妖魔は、俺じゃなくて父の方なんだぞ……」 シェイドはさらに重々しい溜息をついた。 理由はどうあれ、ミレーユを死に至らしめた事実は、認めざるを得ない。無防備のまま、ニ、三太刀浴びることになっても仕方がない。しかしながら、過去――それも『先代』の妖魔が彼と交わした約束までは、果たしてやるのは、正直、納得がいかない。 かといって、父、ヴァルハルトを敬愛する彼に、真相を教えるのも億劫であった。 それでも、やはりガルシアには一言詫びるべきだと、シェイドは思った。煩わしい長い銀髪を一つに束ね、寝台を降りようとした丁度その時、扉をノックする音が聞こえた。 「はい?」 次にこの部屋を訪れるのは、誰なのだろうか? サクヤ、もしくはガルシアか――微妙に逸る鼓動を落ち着かせながら、シェイドは扉を開ける。扉の外には、抜けるように色の白い少女が立っていた。ガルシアの妹、エミリーだ。 「あの……あ、ごめんなさい、部屋を間違えました。てっきり兄がいるものだと……」 扉の内側から聞こえた返事が、ガルシアのものではないとわかったエミリーは、慌てて詫びるべく、シェイドの姿を見上げた。その途端、 「うわぁ……綺麗な人!」 上擦った謝罪の声が、感嘆へと変わる。 「エミリー、外に出ても大丈夫なのか?」 「え?」 初対面の美しい男性に突然、尋ねられたエミリーは、実に不思議そうな面持ちで、シェイドのを顔を凝視した。ああ、そうだった、今、俺は『シェイド』ではなかったんだ――よく知る上官の妹の姿を目にして、おそらくは気が抜けてしまっていたのだろう、ついいつもの調子でエミリーに語りかけてしまったことをひたすら後悔した。 「はい。ここのところ、とても身体の調子がいいんです。ところで……私のことを知っているってことは、貴方は、兄と同じ軍の方ですか?」 「ええ、将軍にはいつもお世話になっております。いきなり失礼いたしました」 早速、エミリーの手前で出任せを述べ始めたこの口に、シェイドは内心、うんざりしていた。 「やっぱり!」 エミリーは早速両手を打ち合わせた。 「やっぱり、とは?」 「私の身体を案じて言葉をかけてくれるのは、大抵、シェイド様なんです。そのシェイド様と同じようなことを貴方が尋ねてこられたから、きっと貴方も兄と同じ軍の人で、私が病弱だってことも、兄から聞いていると思ったんです」 同じようなことを言うと言われても、本人なんだから仕方ないだろう――シェイドはそう心の中で呟きながらも、エミリーに笑いかけた。 「兄君をお探しなのですか?」 「ええ。確か、この近くの部屋に兄が向かったと聞いたんですけど……」 ドアの隙間から、シェイドのいた室内を覗き見るようにして、改めて兄がいないことを確認すると、エミリーは、ため息交じりに首を傾げる。 「兄君なら、先程こちらを出て行かれましたよ?」 「ありがとうございます。また探してみます」 「屋敷に帰られるのですか?」 「いいえ、兄と一緒に出かけるんです。外は雪が積もっているけど、こんなときじゃなきゃお墓参りができないから」 「外にはまだ屍鬼の残党も残っているかもしれません。まぁ、兄君とご一緒であれば、大丈夫とは思いますが――どうぞお気をつけて」 「ご丁寧に、ありがとうございます」 エミリーは、ドレスの裾を持ち上げると、優雅に一礼した。再び兄を捜す為に踵を返したエミリーの背に、シェイドが何気なく問いかける。 「クロフォード家縁の方の墓参りに行かれるのですか?」 よく、聞いてくれた――といわんばかりに、エミリーは満面の笑みで振り返ると、 「いいえ。友人の――ミレーユのお墓参りです。お墓の前で、もう一度誓いを立てるの。いつか絶対に敵は討ってあげるって……」 それとは知らずに、シェイドにとって最も残酷な言葉を突きつけた。 エミリーの姿が、廊下から消えた頃、シェイドもまた重い足取りで、部屋を出て階下へと降りて行った。 そして、このブランシュール公爵邸に、火急の知らせが入ったのも、この時であった。 「グランディアの大使が王宮を取仕切り始めている、だと?」 これから妹を連れ立って、屋敷を跡にしようかと、考えていた矢先、それを阻むように飛び込んできた王宮の使者からの一言に、ガルシアは唸り声を上げた。 執事を通して知らせを聞き、一堂が介するこの部屋に駆けつけた、エドガーは険しい顔をして顎鬚を撫でている。 「あの、これは一体、何事ですか?」 丁度、『長い散歩』から戻ってきたエステリアとシオンが、部屋を訪れる。その姿を見るや、王宮からの使者が顔を輝かせた。 「これは神子殿! 丁度良かった、どうぞこのカルディアをお救い下さい!」 「……ですから、一体、何があったんですか?」 エステリアは首を傾げ、改めて尋ねた。 「グランディアの大使が、城にやってきて、カルディアを乗っ取ろうとしているんだとよ」 王宮の使者に代わって唇を開いたのは、ガルシアであった。 「乗っ取る? 昨日の今日、カルディアが崩壊した矢先――随分と急がしいことですね」 飄々とした口調でシオンが言った。 他人事と思いやがって――と、言いたげな視線でガルシアが恨めしそうにシオンを見る傍ら、この場に居合わせたサクヤが、重い口を開いた。 「このカルディアには、メルザヴィアや、グランディアの大使を住まわせる館などはあるのか? それとも遠路遥々、あちら側から大使が訪れたのか?」 「獅子の兄弟の大使を住まわせる館なら、城下の区画に建っているはずだ」 サクヤの唐突な質問に対しての、ガルシアの答えは簡潔なものであった。 「しかしながら、随分と用意周到なことだな、そのグランディアの大使とやらは」 「用意周到?」 反芻するエステリアに、サクヤは溜息交じりに説明した。 「このカルディアが、荒廃して一体、何日が経った? たった二日だ。それにも関わらず、グランディアのこの手際の良さ、まるでカルディアが滅亡する日を心待ちにしていたとしか考えようが無い。おそらくは、このカルディアが滅亡の危機に瀕した際に、取るべき行動を、本国を通じて綿密に打ち合わせしていたのかもしれん」 そしてサクヤが付け加える。 「あながち上空でテオドールが叫んでいたことは、嘘ではないらしいな」 「グランディアが、このカルディアを攻め入ろうとしているっていう話か?」 「ああ。で、なければこの国にいるもう一つの大使……メルザヴィアの大使を出し抜いてまで、政を引き受けようなどすまいよ。おそらくメルザヴィアの大使の方は、ヴァルハルトの判断……もしくはあいつが直々にこの国を訪れるまで待つことだろう。あいつの部下達なら、おそらくは律儀なことだろうしな」 「で、私は一体、何をすればいいのですか?」 エステリアが訊いた。 「横着なグランディアの使者を追い払うんだよ」 「私が?」 「まぁ、仲介人としてお前も同伴した方がよさそうだな。さしずめ『 サクヤが言った。 「それに、今の状態で、獅子の兄弟国が諍いを起こすのは、得策ではない。それに乗じて、セレスティアが何かけしかけてくるかもしれん。とりあえず、城にはブランシュール公と、エステリア、ガルシアと私が行こう。異国の者代表として、その連中が妙なことを言い出さぬよう、見届ける義務がある」 「でしたら、私は屋敷に残ったほうが賢明ですね。皆さんが留守中に、ここを襲われたらひとたまりもありませんし?」 話がまとまりかけたところで、シオンが、口を挟む。 「ならば、お前はエミリーを診て、色々と薬湯や薬を処方してやってくれ」 サクヤの命に、シオンは忠実に頷く。しかし、 「お城に向かって大丈夫なのですか? お兄様はただでさえ将軍職を罷免され、謹慎処分を言い渡されていたんでしょう?」 大きな兄の背中に隠れていた、エミリーが言った。 「心配すんな。それなら妃殿下に頼んで、一時的に処分を撤回していただければ良いだけの話だ。それにカルディアが侵略されそうな状態の時に、誰が謹慎中だとか、どうとか言っている場合じゃねぇだろ?」 心配そう兄を見上げるエミリーの頭をガルシアの大きな手が撫でた。 ブランシュール公爵邸の中でも、使用人――それも下人とも呼ばれる者達が出入りする戸口の前で、レイチェルは歩みを止めた。侯爵邸から、堅く口止めし、密かに出してもらった馬車を途中で降り、雪道をここまで歩いて来れたことは、奇跡に等しい。 長時間、歩んだことで、腫れた足の痛みを堪え、どっと押し寄せる疲労感に息を弾ませませながら、レイチェルは纏った外套についた雪を振り払うと、悴む手で、戸口の扉を叩いた。 重い音を立てて、開かれた扉の先には、小間使いと思しき中年の女性が立っていた。 「これは……カヴァリエ侯女レイチェル様ではございませんか! これは一体?」 小間使いの女性は、本来、貴族が出入りするには相応しくないこの場所に、侯爵令嬢が訪れていることに、我が目を疑った。思わず大声を出しそうになった小間使いの女性の前で、レイチェルが静かな声で言った。 「静かにして下さいます? 誰にも気付かれたくないのです」 釘を刺すレイチェルの姿に、小間使いの女性は固唾を呑んだ。 正直、侯爵令嬢の気まぐれな来訪に驚くよりも、その外套の頭巾から覗いた瞳の方が、薄気味悪く思えたのだ。 「貴方にお願いがあるのです。密かにですが、王妃様に……いいえ、神子様に取り次いでいただけませんか?」 「え?」 小間使いの女性は、はっと我に返った。失礼とは承知の上で、レイチェルの顔を凝視する。 「早急に、神子様にお会いしたいのです。お願いです。ここから通して下さいな」 普段、身分の低い者には、見せぬような表情、そして声で、レイチェルは懇願した。しかし、女性は頑として頭を振った。 「できません……侯爵令嬢様ともあろうお方を、私達使用人が行き来する、このような場所から屋敷にお通しするなど! お父君であられるカヴァリエ侯爵様に知れたらなんとされます? どうか正門からお入り下さい。それならば執事を通して、神子様の元へ案内されるはずです」 丁重に断りを入れた小間使いの女性であったが、レイチェルは一歩も引かなかった。 「いいから、私を通しなさい」 突如として、態度を変えたレイチェルの額には、雪の日には似つかわしくないほどに、玉のような汗が浮かび上がっている。 「しかし、そのようなことを認めれば、私がブランシュール公……旦那様に叱られます!」 「私をここから神子の元へ連れて行くだけでいいと言っているのに、どうして言うことが聞けないの?」 「ですが!」 「聞き分けのない、下人が……」 レイチェルは苛立たしげに低く呟くと、懐から漆黒の刃を取り出した。 「ひっ……」 侯爵令嬢が手にした刃を目にした途端、小間使いの女性は小さな悲鳴をあげ、慌てて後ずさる。 レイチェルは、有無を言わさず、距離を詰めると、左手で女性の口を塞ぎ、勢いのまま右手の刃を女性の身体に沈めた。 肉にぶつかり、ずしりと重い感触と共に、急速に失われていく生命の、最後の鼓動をその手に捕らえた悦びに、レイチェルは笑った。 もうすぐだ。あの淫買の命をこの手で絶てば、身体と心を蝕む苦しみと引き換えに、さらなる高揚感を手に入れることだろう。 小間使いの身体から、刃を引き抜くと、レイチェルは扉の奥へと歩みを進めた。 |
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