|
|||||||
EternalCurse |
Story-72.慰めと殺意と…… |
|||||||
「あの世の……女王様って、もしかして、レンゲちゃんが、恐れていた黄泉の女王、ですか?」 大僧正ラゴウによって支配されていたセイランにおいて、女帝レンゲが鬼神の次に恐れていたのが、この『黄泉の女王』という存在であったことは、記憶に新しい。 「ご名答。さすがエステリアさん。察しがいいですね」 茶化すようにシオンが言った。 「魂が連なる花の中で蜜を吸う巨大な蝶――それこそが黄泉の女王。サクヤの本体です。ちなみに、その蝶をを自身の蜘蛛の巣で絡めとり、餌食にしようとしているのが、我が祖国セイランにおいて最大の妖、カグヤです。現役時代からサクヤとカグヤは犬猿の仲にして天敵。そもそも蝶と蜘蛛は、食われるもの、食うものという間柄。仲が悪くて当然です。サクヤが神子でなくなった後、カグヤと戦うことがありましたが、それこそ女王同士の頂上決戦ですよ。おっかない。何と言いますか、うちの蝶はそう簡単に食われてくれるような蝶ではありませんからねぇ」 そう話すシオンの紫色の瞳は、優しい色をたたえている。シオンもまた暁の神子には、色々と世話になったのだろう。 「あの人も、なるべく『この時代』で、自分の不始末にケリをつけたいんですよ。ただいくら現世で身体が若返ってしまうとはいえ、何も、あの世の女王と契約を結んでまで、この世に留まらずともいいのに」 シオンは苦笑した。 「とりあえず、全て見届けるまで、現世の肉体に無理をさせず、なおかつ魂も滅びたくはなかったんでしょうね」 「万が一、私の代で決着がつかないまま、サクヤの身体が消滅してしまったら、どうするつもりなのかしら?」 「そのときは自分の憑依となるべき人間を見つけて、それなりに動くんじゃないでしょうか? 私の祖国では、神降ろしなんて当たり前ですしね」 そして、シオンは静かに言った。 「私はね、エステリアさん……本当はサクヤを救って差し上げたいんです。わざわざ黄泉の女王なんて厄介ごとを背負わずに、普通の身体で生きていてもらいたい。今から普通に年をとれば、後六十年ぐらいは生きれるでしょう? まぁ私も長生きですから、付き合うことはできますし。セイラン王家はあの人がいないと、面白くないんですよ。怖いもの知らずのレンゲを容赦なく叱り飛ばすことができるのは、あの人ぐらいですしね」 「シオンさん……」 「泣き止んだところで、彼のことはどうですか? 少しは仲直りできそうですか?」 急に話題が切り替わったことに――それも今一番触れて欲しくない事柄になった途端、エステリアの表情が曇った。 「まだ……微妙です。私、あの人の気持ちが、考えが本当によくわからない……」 むっつりとした感じで、エステリアが答える。 「彼自身も、自分のことをどう説明していいか、わからないんでしょうね、きっと。初めてのことばかりでしょうし」 「初めてのことって……?」 「自分の厄介な身体のことについて、打ち明けるのが、ですよ」 早々、誰にでも言えることではないでしょう?――シオンが付け加えた。 「私と彼って、多少境遇が似ているところもあるんですが……私の場合は、『新しい人生』を送る羽目になった際、色々と世話を焼いてくれる仲間達がいましたから。でも彼には、ほとんど相談できるといった相手はいなかったんでしょう? 親戚といったら、野心の固まりのような、魔獣の国王陛下ですし、養父母においても、あまり傷つけたくはなかったでしょうし……理解を示してくれたのは、せいぜい王妃様、といったところでしょうか」 エステリアはカルディアを発つ前日から、シェイドとマーレの間に、なにか秘密を共有する者同士が醸し出す雰囲気を、いち早く感じ取っていた。当初は、シェイドが母親の情夫であるのか、とも疑ったものだ。今にして思えば、あの時、王妃は変化の日に差し掛かっているシェイドの身を、誰より案じていたのだろう。 「それに……私は、なんと言いますか……最終的に自分の意思で鬼に転生することを選びましたし、血の成せる技なのか、その力に慣れるのも早かった。けれど……彼の場合は、自分の意思とは関係なく、『目覚め』の日が来たのだと思うんです。おそらくは、彼が『英雄』の力を手にしたのは、ここニ、三年の間でしょう。セレスティアの目覚めと同時に……かもしれません」 「自分の意思とは関係なく?」 反芻するエステリアに、シオンが頷いた。 「セレスティアが神子として選ばれたとき、彼はまだ赤子に過ぎなかった。だからセレスティアは、彼が『自分と釣り合う年齢』に成長するまで、眠ることを決意した。神子と英雄――今は妖魔ですね……は表裏一体のようなもの。セレスティアが眠りから覚めれば、シェイドの中に眠っていた力もおのずと目覚める……といった具合です」 先程シェイドから話を聞いたとき、確か彼は言っていたはずだ。自分はよりにもよって、ミレーユの目の前で『その日』を迎えてしまった――と。 「オルフェレスとは、全ての闇を受け入れ……司る者。その力を使いこなすのは並大抵のことではないでしょう。それが呼び寄せた悲劇だって多少はあったと思いますよ?」 「大事な人を自分の手にかけた……って、言ってました。でもその人への想いや後悔は、何故か消え去ってしまった、とも」 「辛いでしょうが、彼は自分自身に色々と言い聞かせて、どうしようもない運命も苦い思い出も、自分なりに納得してやってきたんでしょうね」 ナイトメアの中で彼は、かつての恋人、ミレーユのことを『ただの糧に過ぎない』と言っていた。ミレーユとの恋は、『糧』とそれを『奪う者』という関係で無残な終焉を迎えた。シェイドが新たに用意された運命を受け入れるには、残酷ではあるが、失った女性はあくまでも『過去』であり、『糧』であると、そう自分に言い聞かさなければ、思い込まなければ、割り切ることができなかったのだろう。 「私は――自分の宿命を変えることができなかった」 不意にシオンが呟いた。 「前もお話しましたよね? 私はとても『死にたがり』であったと」 「ええ」 「私は……生まれてまもなく、両親の素性、そして自分の立場を知っていたから――後に鬼になるぐらいなら死んだ方がマシだとずっと思っていました。けれども私が死ぬにはある程度の条件があったんです」 口元に皮肉めいた笑みを浮かべたまま、シオンは続けた。 「人として与えられた一生を――天寿をまっとうできたのであれば……目覚めも知らぬまま、その身は朽ちます。けれども自刃や、命を奪われ場合、また、人としての命を誰かに分け与えた場合は……鬼特有の強烈な生存本能が反応してしまうのか、今度は鬼としての人生が始まります。城に居る鬼達は、私の目覚めをひたすら待っていました。現に私の命を狙って、無理矢理、覚醒を促そうとしていたぐらいです。ですから、私が人としての一生を難なく終えるのは、とても難しいことでした。私は鬼達の期待に答える気は毛頭なく……ただ人の魂と鬼の魂…それを同時に殺す方法を探していました」 「その貴方がどうして……?」 「先帝が……レンゲの母親が、妖の女王の憑代として扱われ……瀕死の状態だったから。だから、私は自分の人としての魂を彼女に分け与えました。そして今に至ります。暁の神子がよく言っていました。私は自分の性格が災いして、結局、自らが最も厭う宿命に従う羽目になる、と」 シオンは天を仰いだ。今は亡き妻の顔でも思い出しているのだろうか? 「私の命を分けたところで……先帝は数年後に死んでしまった。まぁ……その代わりにわがままな娘を遺してはくれましたが。今、思えば、彼女は自分に残された時間というのが、わかっていたのかもしれません」 シオンはまっすぐエステリアの顔を見つめた。 「私は自分が変えたいと思っていた宿命を捻じ曲げることすら叶わなかった。けれども、彼は……永遠に続く呪いを、たった二人の男女に課せられる運命を、自分の手で断ち切ろうとしています……ですから……」 シェイドを信じ、百歩譲って許してやって欲しい――と、彼は言いたいのだろう。エステリアは言葉を濁したシオンの思いを受け取った。 「何より、彼は貴方無しでは、生きて行けないんですよ。ですから、貴方は神子の特権を最大に駆使して彼を手なずければいいんです」 「神子の特権?」 「サクヤに言わせれば、永久なる闇をも支配する王者が、たった一人の女のために、それこそ狂いそうなほど恋慕ってくる。そんな男を足蹴に踏みにじるのが、神子としての醍醐味、なんとも最高の気分だそうですよ。ですから先代の妖魔こと、ヴァルハルト陛下も相当あの人に苛められたのではないでしょうか?」 「少し……歪んでませんか? それ」 エステリアが苦笑する。 「本当に……私にとってシオンさんは、薬箱ね……」 エステリアは、ガウンについた埃を払い、立ち上がった。 「私、あの人の『今の顔』も、嫌いではないんです」 言いながらシオンに微笑むエステリアの表情は、先程よりは明るい。 「なんなら、彼を少しだけ懲らしめる方法、お教えいたしましょうか?」 それに答えるように、シオンもまた微笑み返した。 * 城の崩壊と、国王テオドールの崩御、そして後継者であるアドリアの死――と、立て続けに悲劇に見舞われたカルディアは、一刻も早く、国を復興させたいところではあったが、季節外れの大雪によって、それを阻まれていた。 城の修復工事が遅れるとなれば、せめて国王不在の間の政を取仕切りたいところではあるが、それは三大公爵家によって行われるという。それは政の混乱と、諸侯らによる無用な謀反などを牽制するための苦肉の策ではあったが、ひどく落胆したのは、ここぞとばかりに、生き残った王妃の取り入り、家柄の強さというものを見せ付けておきたい野心家の貴族達だ。 それでも現時点で、王妃を除いて、三大公爵家よりも身分が上の者などいない。彼らは、内心、恨み言を呟きながらも、しばらくは屋敷に篭り、行動を慎むことに承諾した。勿論、カヴァリエ侯爵家もその一つである。 父、カヴァリエ侯爵が、まるで、どこぞの預言者が行っていた謹慎処分のようだ――とぼやきながらも、束の間の休息の最中、カルディアの復興後に侯爵家が取るべき態度、そして王宮での地位を不動のものとするために、策を練る傍ら、レイチェルは、鏡台に映った自分の顔を見つめながら、溜息をついた。 その表情は憔悴しきっており、目の下には美しい顔に似つかわしくない、クマが薄っすらと浮かんでいる。 ここ最近、レイチェルは眠れぬ夜を過ごしていた。シェイドと共にこの国に帰還したあの神子の存在や、世界の美姫とも称される公爵令嬢の名を騙る、哀れな醜女との不愉快なやり取りが、気味の悪い亡者の群れや、飛び交う死霊によって与えられた恐怖が、そして以前、リリスによって見せ付けられた真実の数々が、連日、気を高ぶらせているのだろうと、レイチェルは感じていた。 とりわけ、あの神子に対する憎悪は、日が発つにつれ、膨れ上がっていくばかりだった。まるで胸の内側で炎が燻っているようだった。その奇妙な痛みに、レイチェルは掻き毟るように、自身の胸に爪を突き立て、鏡台に蹲る。 何か、この痛みを鎮めるものはないだろうか?――いいや、そんな薬は、あるわけがないと知りながらも、レイチェルはおもむろに鏡台の引き出しを開け、中を漁った。 レイチェルが真先に目に付いたのは、リリスによって手元に戻ってきたあの黒い刃であった。 そうだ、この計り知れない痛みを和らげる方法ならある。そして、見苦しいほどにやつれた顔に、かつての輝きを取り戻すのだ。 レイチェルは鏡の中の自分の顔を、再び見つめた。 簡単だ。神子とは名ばかりの、あの淫売をこの世から消してしまえばいい。そう、あの時の子爵令嬢と同じように――。 黒い刃を手に取ったレイチェルの瞳に、悪魔めいた輝きが宿った。 |
|||||||
|