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EternalCurse

Story-71.傷心と慰めと……
「もう……一体、なんなのよ……」
信じていた者達から欺かれていた、しかも皆、互いの『秘密』を承知の上で、あえて黙認していたという事実は、確実にエステリアの心を、他人との係わり合いから遠ざけようとしていた。
怒りとも哀しみともつかない感情に振り回されるようにして、シェイドの部屋を出たエステリアは、階段を降りた後、屋敷の中でもとりわけ、人気のない一画へと入って行った。
目覚めたばかりの身体はだるく、足にはろくな力が入らない。歩き疲れたところで、行き止まりに差し掛かる。エステリアは壁に背を預けたかと思うと、そのままずるずると、床に座り込んだ。
充分に暖められた部屋とは違い、廊下は凍えるように寒い。
特に、長い髪をばっさりと切り落としてしまったことによって、露わになった首元がよく冷えた。
エステリアは小さくくしゃみをすると、ガウンの襟を詰め、微かに震える。
今は誰とも話したくはなかった。秘密主義の仲間達は勿論、必死に愛情を示そうとしている実の母親ともだ。
「なによ……シェイドもサクヤも、シエルも……、知っていて知らないふりなんて。そのくせ、私を試すだの、見極めるだの……ひどいわよ、みんなして。何も知らなかった私が、馬鹿みたいじゃない……」
一人で呟くエステリアの胸が痛む。急に込み上げてきた感情が、喉元を熱くしたかと思うと、唇が情けなく歪み、直後、大粒の涙が両頬を伝った。
エステリアは、誰にも聞こえないように、身体を丸めると、そのまま嗚咽した。
これから先、一体何を信じていけばいいのだろう。何を目的としていけばいいのだろう。
そう考える程に、これまでエステリアに与えられてきた仕打ちは、知らされた真相は、あまりにも酷であり、衝撃的なものであった。
これまで聖女として育てられてきたエステリアにとって、神子と妖魔が番うべき存在であるなど、その『契約』をもってようやく洗礼を終えるなどとは、想像がつくはずもない。しかし、そんな自分でも『辛うじて』神子となっているという。『一人前の神子』になり損ねたのは、シエル――セレスティアが神子の至宝を奪ったからだ。
怒涛のように通り過ぎた、ここ数日で、自分を取り巻く周囲の状況は一変してしまった。困惑、裏切りによる傷心、自己嫌悪がどす黒い雨雲となって、心の中を覆いつくし、涙の雨をしきりに降らす。
「そんなに泣いていたら、干からびてしまいますよ? あぁ、この寒さなら逆に凍ってしまうかな?」
不意にシオンの声が聞こえて、エステリアは顔を上げた。
いつの間に、ここに来たのだろう? それともつけられていたのだろうか? 涙を拭いながら、エステリアはゆっくりとこちらへ歩み寄るシオンの顔を見上げた。
「それにあんまり泣くと、次の日、目が腫れて大変ですよ? うちのレンゲがよく朝方、目を腫らしていたんです」
シオンの笑顔を目の当たりにすると、エステリアは不思議と心が落ち着くように思えた。
それが、鬼の王たる彼が持つ、力の効果によるものかは、わからない。
「レンゲちゃん、お元気ですか?」
恥ずかしそうに鼻を啜り、まだ目じりに残る涙を擦り、エステリアはシオンに尋ねた。
「ええ。弾けるぐらいに元気ですよ。最近は、ちょくちょく私の城にも遊びに来るようになって。色々と子鬼達に弄られています」
弄られている――といったところが、なんとも微笑ましい。
「なんだか、様子が目に浮かびます」
「騒がしいですよ。あの子が来るようになってから。間違えて他の鬼に食べられやしないか、心配になるときもありますけど……」
シオンは苦笑すると、あくまでもエステリアを気遣うような口調で語りかけた。
「その落ち込みようから察するに、どうやら全てのことを知ったようですね?」
エステリアは表情を少し曇らせると、そのまま頷いた。
「しかも、彼の説明があまりにも、直接的でその上、ぶっきらぼうで、偉そうで、泣かされたり、腹が立ったりしてませんか?」
「どうしてわかるんですか? もしかして外で聞いていたんですか? それとも覗いていたんじゃ……?」
「まさか、そんなことはありませんよ、セレスティアじゃあるまいし。ただ、私には、少しだけ先のことが見える力があっただけです」
言いながら、シオンはエステリアの横に、冷たい床に腰を下ろした。
「ずっと前……こうしてシオンさんと話したとき、私は既存の概念に捉われ過ぎていると忠告されましたよね? あの意味が、今になってようやくわかりました」
泣き笑いのような表情で、エステリアが話を続けた。
「でも、そんなことにも気づかずに、ずっと……悩んで振り回されて……。彼の正体を知るまで、彼から全部聞くまで……、ここに至るまで、私、妖魔の子供を身篭ったとまで、思っていました」
神子と英雄の――妖魔の間には、子は望めない。出来るとすれば、二人がこの因果から解き放たれたときだと、あの時、シェイドは話していた。
「そう思い込んでしまったのは、全部セレスティアが原因なんですって。私の首の後ろには、ずっと『本当の呪詛』がつけられていて、そのおかげで、見なくていいような幻影や悪夢にずっと苛まされていたなんて、馬鹿みたいでしょう?」
エステリアが再び身体を丸めた。
「でも……、どんな事情があっても、本当のことは、もっと早く教えて欲しかった……」
「エステリアさん……」
テオドールとの戦いの最中、ぎりぎりまで自身の正体を隠し通そうとしたシェイドと、未だ、神子としての自信に欠けていたエステリアの様子からして、二人がセイランを発った後に、執り行われた『聖婚』が、実に苦い思い出となっていることが、シオンには見てとれた。いいや、暗転する二人の未来ならば、元よりシオンが少しだけ持つ、先見の力によって知っていたという方が正しい。
だからこそ、彼らがセイランを訪れたときに、とりわけエステリアに対しては、神子と妖魔のあるべき姿を、全く異なる力が、相反する力が寄り添うことで得る力という形で説いていたのだが、エステリア自身が、マナの集落で、大巫女として育てられていたことが、裏目に出たらしい。
エステリアは頑なに、癒しを求めて、自ら歩み寄ろうとする闇を、拒んできたのだ。
「まぁ、強硬手段に出た彼も悪いとは思いますが、気づかなかった貴方も悪い――と、うちの姐御、いえ、サクヤならどちらも責めることでしょうが……」
シオンが難しそうに腕を組む。
「どうせ私は鈍いから……」
力の無い声で、エステリアが言った。
「何言ってるんですか。おっとりしている方が可愛らしいですよ? 貴方のそういうところに、彼も惚れているわけですし?」
慰めるようにして、シオンが言う。
「とはいえ、神子と英雄の魂と力を引き継ぐ貴方達二人の条件は、最初の時点では、ほとんど同じだったんですよ?」
「どういうことですか?」
「シェイドにしてもセイランに来た時点では、全ての力を持っていたわけではないんです。なんせ、彼の力の一部は、先代の英雄、ヴァルハルト王の中に残っていたんですから」
エステリアが怪訝そうに眉をひそめた。その話なら、つい先程シェイドからも聞かされたはずだ。
「だから、彼自身も、父親から全部の力を引き継ぐまで、自分が果す役割すらよくわかってなかったと思いますよ? それこそ周囲の言われるままに動いていたようなものです。受け継ぐべき力を別のところに残したまま、生まれてきたのだから、一部の力や記憶が欠けていたとしてもしょうがない。それは、貴方にも言えることです」
「私も?」
シオンはエステリアの目をまっすぐ見据えたまま、頷いた。
「本来、この世にあるべき神子は、セレスティアであるはずだった。けれども、人間が彼女を貶め、悲劇が起きて、貴方が次の神子として選ばれた。その際にも何か無理が生じたのでしょう、神子の力はどうも中途半端な形で貴方に引き継がれることになってしまった。貴方には神子が持つべき、勘などが、ごっそりと抜け落ちてしまっている。ということは、抜けてしまった残りの部分……特に神子としての『本能』のようなものは、セレスティアが持っている、ということになるんです。もしかしたら、セレスティアの神子への固執が、全ての力を他者に譲り渡すことを拒んだのかもしれません」
「神子への……固執?」
エステリアが訊き返した。
「どうしてセレスティアがシェイドに祝福を与えた後、長い眠りについたか、わかりますか? サクヤが身を隠した後、正式にセレスティアが神子として選ばれた際、ヴァルハルト王の力を受け継いだシェイドはまだ生まれたての赤子でした。だからセレスティアは眠りについたんです」
「それって……」
「赤子相手に『洗礼』なんて出来ませんよね? そうです。彼女は、シェイドが自分とつり合う青年になるまで、成長するのを待っていたんですよ。本来、彼女が神子となるために、生まれてきた英雄こそ、シェイドなんですから。メルザヴィアを訪れたセレスティアは、赤子のシェイドに、祝福を与えた後、こう言い残したそうですよ。『私を忘れないで』と。」
私を忘れないで――それは、メルザヴィアでリリスがシェイドに告げた言葉だ。そして自分がセレスティアであり、かつて祝福を与えた張本人であるということを、知らしめるための言葉だ。
セレスティアは、そこまでして待った相手――シェイドを欲したからこそ、神子に固執したのだろうか? 思いを巡らせるエステリアを他所に、シオンは話を続けた。

「サクヤに聞いたかどうかはわかりませんが、神子と英雄が繰り返す運命は、過去の時点で少しずつ狂い始めているんです」
そして、実に神妙な顔つきで、シオンは言った。
「サクヤは現役時代――、それこそ正真正銘の二十代の頃に、一度、自分の英雄を殺しているんです」
「殺すって……?」
「サクヤが愛した相手――当時のオルフェレスが、自分の力に飲まれてどうしようもなくなってしまったから。彼女は彼を殺した。神子にはその権利がありますからね。そしてサクヤは待ちました。次の英雄が生まれ、育つのを。それがヴァルハルト王です」
だからこそ、暁の神子サクヤとヴァルハルトの年齢は親子ほど離れているのだ。エステリアは一人納得していた。
「サクヤも、ヴァルハルト王が、自分とつりあう年齢になるまで、待ったってことですか? その……洗礼を執り行うために?」
「いいえ、ヴァルハルトが聖戦に赴いていた頃、彼は十九歳で、サクヤは四十路でしたが、英雄を失っても、サクヤは自身は神子の資格を失っていたわけじゃありませんからね。ヴァルハルトを相手に洗礼など執り行う必要はなかったそうです。ただ、神子の本能がありますから、ヴァルハルトに『恋』はしていたようですが」
「じゃあ、前に言っていた、サクヤが愛した人と恋した人っていうのは……」
「ええ。愛した人は、元々番うべきであった英雄、恋した人は、二人目の英雄、ヴァルハルトです」
「サクヤの英雄殺しによって、一度目の歪みが生じます。そして二度目の歪みは、二十年前の聖戦です。サクヤはヴァルハルトに宿る力を切り離そうと試みましたが、失敗に終わり、罰を受けました。英雄の力は中途半端に切り離され、一部はヴァルハルトの中に、残りは、報いであるかのようにヴァルハルトの息子、シェイドに受け継がれました。そして神子の力は、そのままセレスティアに受け継がれるはず、でしたが……」
「三度目の歪み――セレスティアの悲劇が起こったから、そこでまた狂ったと?」
「そのとおりです。神子の力もおそらくは不十分なまま、今度は、エステリアさんに受け継がれた。神子と英雄、そのどちらもが、中途半端な状態なのです。世界の均衡も崩れて当然ですね。
そしてどういうわけか、邪悪なセレスティアの存在も、それに拍車をかけている。これでもし、貴方達の中で、四度目の歪みが生じてしまうとしたら、それこそ世界は終わりです」
「私とセレスティアによって、四度目の歪みが生じる――と?」
「セレスティアが世界を破滅させるような行動に出ている以上、それは免れないことでしょう」
「破滅を望むほど、セレスティアはベアールによって火刑に処されたことが、屈辱だったと?」
エステリアは、メルザヴィアで、屍鬼として蘇ったベアールを目の当たりにしたシエルが、即座に炎の魔術で、葬ったときのことを思い出した。その行動から、今更ではあるが、シエルがベアールへ抱く憎悪は相当なものであったことが伺える。
「役目をまっとうすることができずに、神子でなくなった者の末路は、大抵が魔女だそうですよ――サクヤが言ってましたけど」
「サクヤも……? それじゃ、サクヤも、誰かの破滅を願ったりすることがあるんですか?」
「あの人は、魔女というよりは、今やあの世に君臨する女王様になってますからねぇ……」
急に逸れ始めた話題に、実に困ったような表情で、シオンは窓の外に見える雪景色に目をやった。
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