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EternalCurse

Story-70.すれ違い
「なんでわざわざ別室に集まる必要があるんだよ」
サクヤとシオンの前で、席に着いたガルシアが、早速悪態をついた。
「貴方が病人相手に、殴りかかっては困るからですよ」
隣に腰を下ろしたシオンが宥める。
「病人? 魔族でも病気になるのかよ」
「私だって、半分は鬼ですけど、風邪ぐらいは引きますから、彼も例外ではないでしょうね、きっと」
とぼけたような調子でシオンが言った。
「そうふて腐れるなよ。そもそも、あの侍女の正体がリリスだと教えたぐらいで、取り乱したお前のことだ。あの場で、あいつの口から真相を聞くのは、得策ではない」
「だったら、あんたが、その真相とやらを、こっちが理解できるまで説明してくれるっていうのかよ」
「お前が卒倒しないならば、心行くまで話してやろう」
サクヤは、ゆったりと椅子に背を預けると、一息に言った。
「一つの小さな歪みが、時が経つにつれ、後に大きな歪みとなった。その歪みが今、世界の均衡を崩している。それは何も今始まったことではない」
「ちゃんと、わかるように説明してくれるか? 姐さん?」
「つまり、過去に起こった一つの出来事――暁の神子の代で起こった出来事が、今となってはセレスティアや、シェイド、そしてエステリアに至るまでの運命を狂わせているということだ」
「一体、暁の神子の代で、何が起こったって言うんだよ。なんで暁の神子は、聖戦後失踪したんだ?」
もったいぶったサクヤの話し方に、ガルシアは苛立ちを募らせている。
「暁の神子も好き好んで失踪したわけじゃありませんよ? 姿を隠す羽目になってしまっただけです」
「なら、暁の神子は一体、どこにいるっていうんだよ! 過去に何か厄介事を引き起こしたっていうなら、とっとと出てきて、自分で解決するべきじゃねぇのか!?」
「何言ってるんですか? 暁の神子なら、いつも貴方達の側にいたじゃありませんか」
「どこに!」
「そこに」
シオンが指を差す方向にはサクヤが座っていた。
「はぁ!? なんの冗談だよ! そこの姐ちゃんは『賢者』のサクヤだろうが! それに『暁の神子サクヤ』は本当に生きているんだったら、六十は過ぎた婆さんだろ!?」
「――絶世の美女は不老不死というのが常識だということを知らんのか、貴様」
「馬鹿野郎! 本気で言ってんのか? 不老不死の女っていうのは大抵、魔女と決まってるんだよ!」
「だから、行き場を失った神子の末路は、魔女と相場が決まっている」
いつにも増して真剣なサクヤの表情に、ガルシアは思わず固唾を呑んだ。信じがたいことだが、どうやら冗談ではないらしい。
「本当に……あんたが、暁の神子サクヤだっていうのかよ……」
「ああ、それなら、私が保証しますよ、この方は正真正銘、暁の神子サクヤです。少々複雑なわけがあって、若い姿を保ってはいますけど」
「私のことなんぞ、どうでもいい。そんなことより、お前にとっての妖魔、オルフェレスとは一体どういうものなんだ?」
改めて尋ねられたガルシアは、呼吸を整えると、眉間に皺を寄せながら、答えた。
「あいつは、根っからの魔族で、闇を統べる王者。それからガキの頃、俺に最高の屈辱を与えてくれた相手で、ミレーユの仇。そしてあの不肖の部下の正体だ」
ガルシアの話を聞くや、サクヤは案の定――といった感じで、溜息をつくと、大真面目に言った。
「お前が子供の頃に出会ったオルフェレスは、不肖の部下……シェイドとは別人だ。お前に強さを見せ付け、いいや、魔物の襲撃から助けたと、あいつは言っていたな……。まぁいい、ともあれ、お前に宣戦布告したのは先代のオルフェレスの方だ」
「先代……だと?」
「つまりは、ヴァルハルトだ」
「……は!?」
予想もしなかった名を耳にして、ガルシアは一瞬停止したかと思うと、即座に、顎が抜けんばかりの様子で叫んだ。
「聖戦の折、オルフェレスの力を持っていたのはヴァルハルト、そして今その力を引き継いでいるのは息子のシェイドだ。『なんで英雄王が妖魔なのだ?』なんて無粋な質問をする前に答えてやろう。妖魔こそが、神子と共にあるべき従者――すなわち英雄だ」
打ちのめされたガルシアの思考は完全に固まってしまっている。

「お前の中で鮮烈な思い出となっている、その日、あの小僧は『変化の日』に差し掛かっていたんだろうよ。だから、身を隠すために森の方へ赴いた。その時たまたま稽古中だったお前を目にした。そして夜になって、妖魔となったあいつは、妖魔としての『飢え』や『渇き』に悲鳴を上げる身体を満たすために、狩りをしようとした。そこで魔物に襲われる人間を目にした。あいつは自分の手を汚さずに『獲物』を手に入れることができたはずなのに、そいつを助ける羽目になった。なぜならそいつは、昼間、自分が労った少年だったからだ。あの馬鹿は、やたらと規律や約束を重んじる。お前に『メルザヴィアに来い』と言ってしまった以上は、ここで死なせるわけにもいかない」

ガルシアの額から、じわじわと汗がにじみ出る。
「あいつは昔からそうだ。戦いを挑まれた以上は必ず受けてたつ性分だ。なんとも律儀な阿呆だ」
「あんた……どうして俺のガキの頃の思い出を、そんなに詳しく知っている?」
「メルザヴィアを去る前、ヴァルハルトから当時のことを聞いたからだ。あいつ、言っていたぞ。お前が『もう一つの約束』をど忘れしてくれていて助かるとな。それでも気になっていたようで、旅立つ前に、お前に念を押して尋ねていただろう?」
確かにメルザヴィアを発つ際、ヴァルハルトはなにやらガルシアに尋ねてきた。

そなたはもう、覚えてはおるまいか? そなたと森で出会ったときのことだが――と。

そして何かを確かめるかのように、その時の会話の内容を訊いていた。
その最中、目の前の賢者こと、暁の神子はしきりに笑っていたではないか。
「じゃあ二十年前、メルザヴィアでソフィア王妃を狙ったオルフェレスっていうのは……」
「あの馬鹿、聖戦に赴く前夜、これが最後になるかもしれないから、どうしても婚約者の顔が見たいとか言い出してな。あの姿で夜中、ソフィアの部屋に忍び込んだ。そこをたまたまメルザヴィアの兵士にでも見つかって、騒ぎになったんだろう。
私の元へと帰ってきたあいつはなんて言ったと思う? 命がけでソフィアの寝顔を見ることができたから、もう悔いは無い、と、平気な顔をして抜かしおる。覗くなんて姑息な真似をせず、いっそ手でもつけてこいと言ったんだが、それは絶対に結婚するまで嫌だという。なんというか、律儀もあそこまで来ると底抜けの馬鹿だな」

かつて旅を共にした暁の神子でありながら、容赦なくその相棒たる英雄をこき下ろす様を見て、ガルシアは頭を抱えた。
「ただ、ヴァルハルトは、薄々あの侍女の正体に気付いていたようだ。なんせシェイドが生まれた際に、セレスティアは祝福を与えるため、メルザヴィアを訪れていたからな。あの姿に見覚えがあったんだろう。ただ『どこかで会ったことがある』と尋ねても、相手は無反応だったが」
ガルシアは、ヴァルハルトに謁見した際、彼がその場を去ろうとするシエルを呼び止めた時のことを思い出していた。
「シエルは……セレスティアは一体、どうなっちまったんだ? どうしてあんな……」
「詳細はわからないが、あれは神子となるべくして、生まれた娘だ。最初からあんな性格ではなかったことだけは、確かだろう。どうやら『セレスティアの悲劇』を境に、変わったとしか言いようがない」
サクヤは足を組みなおした。
「まぁ、女の性格が豹変するのは、大抵、男絡みの問題が見え隠れするものなんだが……どうだかな」
そう言うと、床の方に視線を落とす。
「神子にしても英雄の方にしても、運命に逆らって、ただの人間と結ばれるのは、難しい。待っているのは幸福ではなく、悲劇しかない。あいつが昔愛したミレーユとやらも、その犠牲者だ」
「運命の犠牲者だというのか? ミレーユが? だから命を落としたと?」
ガルシアが、納得いかぬ様子で、サクヤを見つめた。
「なんだ? お前は、あいつが好き好んで、自分の女を殺した――と、本気で思っているのか?」
向き合ったまま、サクヤとガルシアの間に、またもや険悪な空気が流れ始めた。
「さて、私はちょっとエステリアさんの様子を見てきます」
しかし、そんな二人の仲介者としていたはずのシオンが、突然、席を立つ。
「どうした? あの神子が自刃するところでも見えたのか?」
平然とした表情で、縁起でもないことを言うサクヤの言葉に、ガルシアはぎくりとすると、思わずシオンの顔を凝視した。
こいつには、少しだけ先の未来を見る力がある――と、サクヤがすかさず補足する。
「まさか。ただ、そうですね……『夫』が打ち明けた真実に、どうやら相当、落ち込んでいるようです」
「あいつは、一体、自分の『嫁』に何を言ったんだ?」
シオンを見上げるサクヤの顔に、疲れの色が見え隠れする。
「まぁ、例えて言うなら、馬鹿正直に妻に浮気を告白した――ような……感じですかねぇ」
「よし、即刻赴いて、宥めて来い。とりあえず夫婦喧嘩だけは、なんとしてでも阻止しろ、いいな」
「わかっていますとも。それより、お二人の方こそ、他人の屋敷で喧嘩するのは止めてくださいね。ガルシアさん、一応、こんななりをしていますが、この人、本当は齢六十を超えたお婆なんです。どうかお手柔らかに……」
どうぞ、お願いします――と、丁寧に頼み込むシオンの姿に、少しだけ毒気を抜かれたガルシアは、小さく頷いた。
「誰が『お婆』だ、貴様。口を慎め」
むっつりとしたサクヤに、満面の笑みで答えると、シオンは静かに部屋を出て行った。




エステリアが部屋を去った後、入れ替わるようにして、シェイドの元へと訪れたのは、養母ことソニア・ブランシュール夫人であった。
「やっと目を覚ましたって聞いたわ。身体の具合はどうかしら?」
食事を載せた盆を持ったまま、ソニアが微笑んだ。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません……。ブランシュール夫人。なんとお礼を申し上げればよろしいか……」
夫人は何一つ真相を知らない。勿論、自分の正体すらも――そう思ったシェイドはソニアの前で、完全に他人のふりをして、深々と頭を下げた。
「迷惑だなんて! そんなことを思ったことは一度もないわ。貴方はうちのシェイドのお友達だもの……。身体が良くなるまでゆっくりしていって頂戴」
「お心遣い……ありがとうございます」
ソニアは微笑み、シェイドの寝台に歩み寄ると、椅子を引き寄せ、傍らに腰を下ろした。
「よかったら食べて頂戴。お腹、空いているでしょう? それから具合がいいのなら、お風呂にも入らないとね。まだお湯でのぼせてしまうなら、蒸し風呂もあるから……」
ソニアはカルディアがこのような状況でも、変わらず、他人の世話を焼きたがる性分のようだ。シェイドは、思わず苦笑した。
「まったく……シェイドは一体、どこに行ってしまったのかしら。お友達が大変だっていうのに……」
ブランシュール夫人は、そうぼやきながらシェイドに器を手渡す。シェイドは、受け取ったスープ皿に視線を落とすと、そのまま表情を強張らせた。皿には、湯気を立てたトマトスープがたっぷりと入っており、その上にこんがりと焼いたパンを千切って浮かべてある。
傍から見れば、ただのスープにすぎない。
けれども、これは、自分が患ったときに、必ずといっていいほど、ソニアが出す料理だ。
不意に罪悪感のようなものが込み上げ、シェイドは自らの鼓動が跳ね上がるのを感じた。
ソニアは既に……いや、いつから知っていたのだろうか? 自分の正体を――シェイドが怪訝そうに養母の顔を見つめた。。
「どうしたの? やっぱり熱くて食べれないかしら? それとも、トマトって嫌い?」
「いえ……そんなことはありません。頂きます」
言いながら、シェイドは一口、スープに唇をつけた。
「味は、大丈夫?」
「ええ。美味しいです」
味はほとんどしない。妖魔の身体でいる以上、人間としての食欲や味覚は失われてしまうのだ。それでもシェイドはソニアに微笑み、嘯いた。
「さっき、エステリアが怒って出て行っていたけど? 何かあったのかしら?」
ソニアが俯くシェイドの顔を、好奇心たっぷりに覗き込んだ。
「何か、辛いことでもあったの?」
「いえ……」
「じゃあ、どうしてそんな今にも泣きそうな顔をしているのかしら?」
やんわりと、ソニアが訊いた。
「あの……理由はどうあれ、意中の娘を、傷つけてしまって……つくづく、自分が嫌になります」
「まぁ、大変! 貴方、まさかエステリアが好きなの? うちの子と同じじゃない!」
ソニアが身を乗り出し、騒ぎ立てた。
「はぁ……」
やっぱり駄目だ――シェイドはつくづく思った。
実母ソフィアもそうではあるが、この養母ソニアを前にすると、どうしてか、いつもの調子を崩されてしまうのだ。
「でも好きな娘を傷つけるなんて、いけないことね。ああ、でもうちの息子も、そんなところがあるわ」
ソニアはシェイドに優しい眼差しを向けると、天井を仰いだ。
「エドガーとは随分と早く結婚したんだけど、なかなか子宝には恵まれなくてね。三十を少し過ぎた頃、ようやく子供を授かったの。男の子ではなかったけど。でもその子も、生まれて間もなく死んでしまった。それから数年、ずっと悲しみに暮れていたわ。気がつけば完全に子供は望めない年齢になっていた。その時よ、あの子がうちに来たの」
まるで昨日のことのよう――ソニアはそう付け加えた。
「あの子の父親が、突然この屋敷を訪れてね。『この子をしばらく我が子として育てて欲しい』って預けに来たの。本当にびっくりしたわ。だって、いきなり私に七歳の男の子の母親になれと言うんですもの!」
待望の子を……小さな娘を失ったばかりの傷心のソニアに、王族とはいえ、赤の他人の――それも物心つく年齢の子を預けるなど、父、ヴァルハルトも思い切ったことをしたものだ、とシェイドは思った。
「最初は本当に迷ったわ。その子の父親も、私の屋敷にしばらく滞在していた頃があったけど、それでもここまで幼い年ではなかったわ。どう育てていいかなんて、本当にわからなかった。でもその子はね、とても賢くて、物覚えもよかった。最初は無愛想だったけど、私が積極的に話しかけて、たくさんの手料理を振舞っていくうちに、笑ってくれるようになったのよ。それからしばらくして、いつも私の事を『ブランシュール夫人』って呼んでいたあの子が、ぎこちなさそうに『お母さんって呼んでもいい?』って言ってくれたの。勿論、今はあの子も大人だから『母上』って呼ぶのだけれど。でも当時の私は、その場で泣き崩れてしまってね。馬鹿みたいでしょう? ただ預かっているだけの子供なのに。いつかはご両親の元に帰さなくてはならない子だったのに」
ソニアは寂しげに息をついた。
「あの子には父親譲りの才能があったから、お城に上がってもすぐに伸し上がっていった。でもそれ以上の出世は望まなかった。ガルシアさんの副官という立場の方が、色々と動きやすいんだって。元々祖国での地位が高いから、あまり出世とか地位には興味ないのかもね」
シェイドは黙ってソニアの話を聞き入っている。
「でも、あるときを境に、あの子の様子がおかしくなってしまったの。月に一度、ううん、最初の頃は何度もあったけど、突然夜に出て行くって言い出すのよ。それも満月よ? 満月って闇の眷属の力が増す日だわ。魔物だっていつも以上に獰猛になっている。そんな日に出て行くなんて危険よ、無謀だわ。必死に止めたのに、聞いてくれなくて。ただ『大丈夫だから』の一点張り。丸一日、屋敷に帰ってこない日もあったわ。翌日部屋を見たら、黒い羽根がたくさん床に落ちていて。――あの子、傷ついた鴉でも飼っていたのかしら? それを帰しに行っていたのかしら?」

違う――と、今にも喉の奥から飛び出してしまいそうな言葉を、シェイドは必死に飲み込んだ。
まだ不安定であったあの頃――、否応なしに、変化を続けていた身体は煩わしく、かといって屋敷に居ても気を抜くことすらままならず、耐え難いものから逃れるように、その都度、窓から飛び出していた――というのが、本音だった。
「本当に馬鹿な子ね。下手に隠さずに、言ってくれればいいのに。あの子は、本当に不器用なの。でも可愛い息子よ……ああ、ごめんなさいね。私の話につき合わせちゃって……これじゃあ、ゆっくり食事ができなわね」
ソニアは、申し訳なさそうに言うと、立ち上がった。
「いいえ、とんでもない。本当に何から何まで、色々とありがとうございます。ブランシュール夫人」
シェイドは改めて礼を述べた。
「どうも貴方は、うちの息子の『友達』ということもあってか、なぜか似ているところがあるのよね。つい、話し込んじゃったわ。大好きな娘と、早く仲直りできるといいわね。ああ、でもそれだとシェイドがエステリアにふられてしまうわ……それはそれで困るわねぇ」
呑気な口調でぶつぶつと言いながら、ソニアは踵を返した。
ソニアの姿が扉の外へと消えた後、残されたシェイドが小さく呟く。
「本当に……ごめん、養母(かあ) さん……」
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