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EternalCurse

Story-66.目覚め
カルディア城が半壊し、死者の群れが埋め尽くしたあの日から、早くも二日が過ぎようとしていた。
テオドールと妖魔の戦い以来、外は未だに、しんしんと雪が降りしきっている。
曇った窓ガラスを撫でて、マーレは外の様子を見た。辺りは一面の銀世界だ。それはまるで蘇った哀れな死者を、再び土の中へと還す――弔いのようにも思えた。
マーレは部屋の暖炉の薪が爆ぜる音に、振り返ると、寝台に横たわる、娘の近くへと腰を下ろした。
マーレは娘の額に置かれた布に手を伸ばすと、水を含ませ、固く絞り、再びその額の上に戻す。
娘――エステリアはあの日から、ずっと眠り続けている。
長く続いた微熱もようやく引き始め、マーレは安心した。
ここはブランシュール公爵邸だ。国王テオドールを失った、今のカルディアは、混乱していた。
ただただ戸惑うばかりの国民には、リリスの裏切りによってテオドールは魔物と化し、アドリアはその犠牲となり、国王自身は、神子によって浄化された、と説明している。
これで国民が納得するかどうかはわからないが、カルディア城及び城下もまた、死者と死霊によって席捲されていたのだ。人々の記憶も曖昧なことだろう。
主を失ったカルディアのその後について、獅子の兄弟の国――グランディアとメルザヴィアからの達しが下るまでの間、しばらくはカルディアの三大公爵家が政を取り仕切ることになる。マーレにおいては、真相を知る人々の中で、『王家唯一の生き残りである彼女を、半ば瓦礫と化し、死者の腐肉と腐敗臭のこびりついたあの城に置くわけにもいかず、今、ブランシュール邸に急遽身を寄せることになった』ということで、口裏を合わせてある。

マーレはエステリアの寝顔を覗き込んだ。
こうして娘の寝顔を見つめていたのは、遠い昔のことである。
あの時は手の中にすっぽりと納まった娘も、今は立派な大人だ。
神子である以上は、あの妖魔の――いや、あの王太子の伴侶でもある。
あっという間に駆け抜けた、十六年間だった。
「そっちはどんな様子だ?」
サクヤが寝室へと入ってきた。
「随分、落ち着いてきました」
マーレは静かに言うと、エステリアの頬に張り付いた一房の髪を払い除ける。
「この子は、とても寒がりなのよ。きちんと身体を温めてあげないと、すぐにくしゃみばかりをして……でも、もう大人ですものね……」
マーレは寂しげに呟いた。
「大いなる片割れの海は、星を孕んで後、空と共に別れる……これが運命の双子として、イシスから私に与えられた予言です。私は、エステリアを産んで後、セレスティアや娘と死に別れると、ずっと思っていました。私に残された時間は少ないのだと、思って……、だから、来るべき日のために、できるだけ、あの子の側にいてやろうとした……、一日中、赤子だったあの子の寝顔を見つめて……。もう少し大きくなったら、一緒に薬草を摘みに行きましょうね、隣で、お菓子やパンを焼くお手伝いもしてちょうだい――と儚い希望を語って……でも、予言された別れは決して『死』ではなかった。『心の別離』だったんです……」
深い海色の瞳を少しだけ潤ませ、マーレは続けた。
「それでも不思議ね、ただテオドールを討ち、アドリアを殺し、カルディアを滅ぼしてやろうとだけ考えていたはずなのに。この子が城に来ると知って、この子の法衣を選ぶことになって、心の底でははしゃいでいたのよ。赤子だった頃のこの子の様子を必死に思い出していたわ。髪はどんな色だったか、目の色は、肌の色は、ってね。どの色の服を着せれば似合うか、旅をするのに窮屈ではないか考えて。仕立屋にはそれが異様に思えたのでしょうね。氷のような王妃とまで影で囁かれていたこの私だもの」
「母親なら普通の反応だろう? 少なくとも憎みあって別れたわけじゃないんだろう?」
「サクヤ、私はただこの子を産んだだけ、なのよ。だから……母親とは言えないわ」
マーレは物悲しげな表情で笑った。
「この子はきっと、私を憎んでいるでしょうね……」
マーレの手がエステリアの頬を撫でる。
「ごめんなさいね、貴方は、もっと幸せになっていいのに……」
言い終えると、マーレはそのまま立ち上がった。
「くれぐれも……娘のことは、頼みます。暁の神子、サクヤ」
「なんだ、知っていたのか」
「私とて、貴方と同じく、イシスによって予言をいただいた者の端くれです。一目見ればわかります」
マーレはサクヤに向かって深々とお辞儀をした。
「なら、言わせて貰うが、全てを悔いて死のう、なんて考えるなよ。失った時間の埋め合わせは、今始まったばかりだからな。まぁ、その前に、しばらくは悲劇の王妃として、カルディアの王座に座って色々とやらなくてはならないだろうが」
「はい……心得ておきます」
マーレはもう一度礼をすると、部屋を後にした。サクヤは今しがた、マーレが座っていた椅子にどっかりと腰を下ろすと、
「狸寝入りならもっと上手にやれよ、お前」
しかめ面で、エステリアに声をかけた。サクヤの声に答えるように、エステリアが瞼を開く。
「で、どこまで盗み聞きしてたんだ?」
「最初から……あの人が、色々触ってきたから、目が覚めた……」
エステリアは渇ききった唇を湿らせた。
「仮にも自分を産んだ親に対して、『あの人』なんて言うなよ」
「仕方ないでしょう? 今更……『お母さん』なんて呼べる?」
「気持ちはわからんでもない。とりあえず、飯でも食え」
サクヤはエステリアの身体を起こすと、傍らに置かれた盆に載った、蓋のついた器と木製のスプーンを手に取った。
「二日も何も食ってないんだ、胃も相当弱っていることだろう。がっつかなくていい様に、粥を用意してある。冷めないように蓋をしていて正解だったな」
サクヤが器の蓋を開けると、食欲を刺激するチーズの香りがした。
「ちゃんと自分の力で食えるか?」
「なんだか……サクヤ……、お母さんみたい……」
「そういう台詞は、本物の母親の方に言ってやれ」
俯くエステリアに、サクヤは器とスプーンを押し付けた。エステリアは、湯気をたてる粥をすくうとゆっくりと口の中に運んだ。その粥はふんだんにチーズが使われ、細かく刻まれた燻製肉とやはり、小さく切られたホウレン草が入っていた。それは、集落でもよく口にした味だった。
「こじつけのように、チクチクと言ってやるが、これはお前の母親が作ったものだ。残さず食えよ」
「わかっているわ、暁の神子様」
エステリアは素っ気無く返した。
「イマイチ、面白くない反応だな。少しは驚いたらどうだ?」
「もう、驚くなんて感情、擦り切れてなくなったわよ。この後に、ガルシアさんが、実は魔王の手先だった――なんて話になったとしても、傷つく気にもならないわ」
「上等だ。ならさっさと食え。後で髪を切ってやる。それから風呂に入って汗を流せ。着替えたら、お前よりも重症な奴の見舞いに行くんだな」
「重症な……奴?」
「シェイドのことだ。あいつの衰弱が……著しい」
サクヤは、重苦しい口調で言った。




エステリアは、食事を終え、一通りの身支度を整えると、サクヤと共に、シェイドが眠る賓客用の部屋へと向かった。
ブランシュール邸へ帰宅したとはいえ、シェイドは未だに『あの姿』のままである。
ブランシュール夫妻の手前、シェイドは、負傷した『彼の親しい同僚』ということになっているらしく、人間のシェイド自身は、城の復興、及び魔物の残党を討伐するために奔走し、屋敷に戻る見通しが立たない――と説明してあるらしい。果たしてどこまで誤魔化せるかはわからないが、ブランシュール夫妻は、突然押しかけたシェイド以外の一行の存在を、快く受け入れてくれた。

エステリアは扉を開けて、部屋の中に入ると、寝台の傍らに、シオンやガルシアの姿を見つけた。
「おお、お嬢ちゃん、目を覚ましたのか」
ガルシアがこちらへ振り向く。
「お加減は如何ですか? それにしても随分と髪をばっさりと切られましたね」
労いながら、シオンが言う。ナイトメアに捧げるために使ったとはいえ、あまりにも悲惨な状態であったエステリアの髪は、肩にかかる程度の長さで綺麗に切り揃えられていた。どうやらサクヤには散髪の才能もあるらしい。
「ええ、随分と軽くなったわ」
エステリアはそう答えると、寝台の中に眠る、美しい彫像のような妖魔の顔を見下ろした。
妖魔――シェイドは昏々と、静かな寝息を立てている。
「ずっと……この状態なんですか?」
エステリアがシオンを見上げた。
「ええ、彼は日頃からも自分を蝕む闇の力に耐えていたとは思うのですが、今回の戦いで、通常の数倍もの力を使いすぎたせいで、身体に必要以上の負担をかけてしまったようです」
「もとより、カルディアに着くまで保てるかどうかもわからなかった身だからな」
「どういうことですか?」
「私に聞くより、本人に聞いたほうがいいぞ?」
「でも……どうやれば、彼は目を覚ますの?」
俯くエステリアに、突然シオンが思いついたように言った。
「貴方が彼に口づけでもすれば、目を覚ますのでは?」
「……はぁ?」
エステリアが頓狂な声を上げる傍らで、突拍子もないシオンの提案に、ガルシアもまた叫んだ。
「ふざけんじゃねぇ! お前、自分が一体なに言ってんのか、わかっているのか? ああ?」
「そんなに怒らないで下さいよ、こちらの国にもありませんか? 聖なる女性や姫の口づけで呪いが解けたり、眠ったままの高貴な身分の人が目覚めたりするお伽話が。」
「お伽話って……お前なぁ!」
「でも、筋は通っているんですよ? 彼は日頃使わない力を使いすぎたがために、その影響を受けすぎて眠り続けているのです。元の姿にも戻れずに。そこで神子となるべくして旅をしているエステリアさんが、彼に口づけすることで、取り巻く闇を浄化――中和すれば目を覚ますかもしれない……ということです」
エステリアは少し考え込むと、おもむろに、血の気を失ったシェイドの唇に、自らの唇を押し付けた。いつにも増して妖魔の唇は氷のように冷たかった。
「っ……」
僅かながらシェイドが反応を示す。エステリアが唇を離すと、同時にシェイドがゆっくりと瞼を開ける。
「あ。本当にできたんですね。出任せで言ったのに」
シオンが目を見開く。ガルシアは絶句していたが、目覚めたばかりのシェイドは、ただ呆然と虚空を見つめていた。
「さて。やっと彼の弁明の時間が来たわけですが、私達は一旦、ここらで解散しませんか? 丁度お腹もすいたところですし?」
突如として、シオンがシェイドとエステリア以外、この場を去るように促した。
「いや、ちょっと、まておい、こら」
納得のいかないガルシアが食って掛かる。
「ほらほら、外に出て! お二人には積もる話もあるでしょうし?」
しかしシオンは物怖じせず、部屋に居残ろうとしたガルシアの背を押した。
一見、優男に見えても、本性は鬼である。見事な体躯を持つガルシアといえども、その力には敵わなかった。シェイドとエステリアの仲を取り持つために、気を利かせて部屋を出るよう促したシオンであったが、実際は、未だ気持ちの整理がつかぬガルシアとシェイドの衝突を懸念しているのだ。
色々と妖魔に対して複雑な思いを抱えるガルシアにとって、シェイドから直接事情を聞くのは得策ではない。それにシェイドは真実を語るにしても、今は、エステリアで手一杯のはずだ。ならばガルシアには第三者から――それも長い人生を生きて、達観した者に指導してもらうとしよう。シオンはあの賢者にその役目を委ねることにしたのだ。
無論、それがわからぬサクヤではない。サクヤはエステリアとシェイドを見つめると、
「お前達の場合、妙なところで、極端な溝ができてしまっているからな。いわば修復不能に近い壁。例えば、三日三晩に渡って情でも通じて、気持ちを確かめろ、と言ったところで、関係は戻らないだろうよ。ここはじっくりと話し合うんだな」
そう言い残して、部屋を去る。
周囲が立ち去った中、部屋に取り残された二人の間には、やたら緊張した空気が漂っていた。
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