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EternalCurse

Story-65.そして魔獣は灰塵と化す……
「魔剣――?」
突然、手に戻ってきた魔剣の姿に、シェイドは思わず息を呑んだ。

――健気ですね。貴方の『妻』は。なんだかんだと心が揺れ動きながらも、自分の髪を切って、そこに宿った力で魔剣をここまで届けるなんて……。

シオンの声が、心の中に響いた。シェイドが石畳を見下ろす。
そこはもはや魔剣の結界が解かれ、再び死者の群れが、エステリア達に襲いかかっていた。シオンを含め、ガルシア達が応戦している。
あの鬼神がいるのだから、まず心配はないと思ったが、それでも、これ以上テオドールとの戦いを長引かせるわけにもいかなかった。
「ふん、今更魔剣を持ち出そうとも、そなたが余に敵うはずがあるまい!」
テオドールが威勢よく吼えた。しかし、シェイドは何かを決意したかのように、ナイトメアの刀身をじっと見つめていた。
シェイドから発せられるただならぬ気配を、いち早く察したシオンが、再びシェイドの内に呼びかける。
――貴方、自分が置かれた状況をわかっているんですか? そんなことをしようものなら……。
「そのぐらい最初から覚悟の上だ。あいつの前に立ったときに、もう人の身体には別れを告げてきた」
独り言のようにシェイドは言うと、テオドールの前に詰め寄った。
「無駄だ、その魔剣の力も余が全て食らいつくしてくれる!」
「なら、力比べをしようか。伯父上」
シェイドは残忍な笑みを浮かべると、魔剣をテオドールの腹に深々と突き立てた。しかし、魔剣は、テオドールの魂を食らうことなく、逆にその力をテオドールに奪われていく。
「どうした? お前のその魔剣は、敵を確実に死に至らしめるのではなかったのか?」
テオドールが嘲笑う。
「俺の可愛い魔剣に、腐り果てた人間達の魂なんぞ食わせられるものか」
シェイドはそう答えると、魔剣を握り締めたまま、動じない。
「強がりを言いおって!」
テオドールは魔剣を通じて、シェイドの魔力をも吸収し始めた。
テオドールの身体がさらに肥大する。背中が割れ、新たに太い腕が生じる。闇の力によって蛇女の醜い顔が増殖し、三面となる。シェイドの魔力を手に入れ、テオドールはさらなる進化を遂げようとしていた。
「あいつ、何やってんだよ、相手はどんどん強くなっていくじゃねぇか!」
下で戦っていたガルシアが思わず叫ぶ。
「そう叫ぶなよ。ああなったら、あいつの勝ちだ」
「はあ!? 勝てるわけがねぇだろ! 膨れ続けるあの化け物に!」
狼狽するガルシアを他所にサクヤが曰くありげに微笑んだ。
魔剣を突き立てたシェイドの身体を、巨大なテオドールの手が捕らえた。
「愚かなり、魔剣を使おうとも、この様だ。闇の王の名が泣くなぁ。諦めるが良い。余はそなたを超え、神となった。このままそなたを握りつぶして、その血を啜ってくれよう!」
テオドールがシェイドの身体を握る手に力を込めた。シェイドが静かに瞼を閉じる。
ついに観念したか――まさにテオドールが勝ち誇ろうとした、その刹那――
テオドールの身体中に血管か浮き出る。いや、血管ではない、亀裂だ。
「何!?」
亀裂は全身を駆け巡り、テオドールの身体を壁土のように脆いものへと変えていく。
「何だ? これは一体!?」
混乱するテオドールを前にして、シェイドは、瞳を開けると、妖艶に微笑んだ。
「慣れぬものを食いすぎては、腹を壊しますよ? 伯父上?」
「どういうことだ! ジークハルト!」
テオドールの壊れた身体が、塵となって上空を舞う。
「あんたが耐え切れなくなるまで、俺の持つ闇の力を、魔剣を介して注ぎ込んでやっただけだ。俺が魔剣を使うとなれば、お前は喜んでこの力を奪おうと、食らいついてくるのはわかりきっていたからな」
「そんな馬鹿な……余は神となった、神をも凌ぐ存在となったのだ、このまま滅ぶなど……認めぬ! 認めぬぞ! そのようなこと!」
「あんたが俺に敵うわけがないだろう? 永久なる闇は、全部、俺の支配下にある。湧き出るその力は無限と言っていい。たかが死者の力を自在に操ったぐらいで、調子に乗られては困るな」
シェイドは冷たく言い放つと、更なる力をテオドールの中に注ぎ込む。
「余こそが……余こそが、この世を統べる……真の王者……」
恨みがましいテオドールの声が途切れた。
テオドールの身体が完全に、灰色に変じ、粉々に砕け散る。
と、同時に、シェイドがそれを見届けると、まるで役目を終えたように、ナイトメアが折れた。
相手の魂を奪うことなく、ただ、力を放出するためだけに使われたナイトメアにかかった負担は、大きい。こうなることは、覚悟していた。
「お前には……ずっと世話になったな、ナイトメア……」
失ったものは、何もナイトメアだけではなかった。しかし、それでもシェイドは、半分に折れた魔剣を手にしたまま、長年連れ添った魔剣に礼を述べ、柄に彫られた女神像に口付けた。

屍鬼を呼び寄せていた元凶たるテオドールを倒したのだ。
死霊も消え、屍鬼も自然と土に還るはずだ。
シェイドはエステリア達の方に視線を落とそうとした矢先――目にしてしまった。まだ崩れ落ちていないバルコニーで、今まさに、喉元に短剣を突き立てようとしている王妃の姿を。




全てが終った。
マーレはテオドールの残滓とも言える、灰塵が舞う中。満足そうに微笑んでいた。
自らのささやかな幸せを奪ったテオドールは倒され、愚かな愛妾どもの一人が産んだ娘、エステリアの命を狙おうとしたアドリアも、今や敵となった姉が力を貸したこともあって、この世にはいない。
夫の仇は討った、惜しむべきは、自らの復讐にかられたあまり、魔女の道を進む姉を止めることができなかったこと、そして、愛娘の今後を見守ることができないことだ。
この手を汚し、カルディアという国をここまで荒廃させておきながら、なんと浅ましい、そしておこがましい考えであろうか。マーレは自嘲的に笑った。
このカルディアに王妃として嫁いだときから、自らの最期は決めていた。さぁ、復讐劇に幕を引くときだ。マーレは銀の短剣を両手に構えた。
――さようなら……エステリア。ごめんなさい……。
マーレは瞼を閉じ、力強く、短剣を喉元に押し当てようとした、その時――、
黒い風が起こって、短剣を叩き落とし、いやその身さえも舞い上げたような気がした。




テオドールの死と共に、砂塵と化した周囲の屍鬼達よりも、一陣の風に運ばれ、消え行く死霊達よりも、エステリアはたった今、目の前に舞い降りてきた者に、驚きを隠せないでいた。
妖魔が――シェイドが、マーレ王妃を連れている。
驚いていたのは、マーレも同じだった。
自刃を阻まれ、エステリアの前にその身を下ろされている。王妃は戸惑いながら、傍らの妖魔を見つめて、呟いた。
「シェイド……!?」
その呼びかけに、エステリアが硬直する。王妃も既に知っていのだ。妖魔の正体がシェイドであることを。
「お願い……ここで私を死なせて……」
王妃は涙を零しながら、シェイドに訴えた。
「無茶を言わないで下さい。死なせていいのであれば、助けたりはしません……」
シェイドは頭を振った。
「俺は……、この国に来たときから、ずっと王妃様の苦悩を見てきました。だから『約束』を守ろうと思った。なのに……このまま終っていいはずがない」
しかし、王妃は半狂乱になって叫ぶ。
「私はこの子に顔向けなんてできないわ! 今更……母親面なんて……どうしてできるの?」
頭を垂れて泣く王妃を前に、エステリアはただ、呆然と立ち尽くしていた。
「王妃……様」
辛うじて出てきた一言は、その程度だ。あの玲瓏な王妃が、泣き崩れている。自分を捨てたはずの母親が目の前で何か喚いている。
「エステリア」
困惑したままのエステリアに、シェイドが呼びかけた。
「お前が、どんなに思っていようが、この人は――お前の……母親だ。だ、から……?」
言い終える前に、美しい妖魔の顔が苦悶する。
シェイドは胸を押さえると、その場に膝をつき、吐血した。
「まったく……どれだけ無茶をしてきたんですか? 貴方は……」
シオンがシェイドの背を摩る。
「どうして……?」
抑揚のない声で呟くエステリアに、サクヤが呆れたような口調で言った。
「こいつは、今までお前が受けるべき瘴気や闇を全部自分で引き受けてきたんだぞ? その上、お前が頑なにこいつを否定するから、一切の癒しすら貰えず――身体のほとんどを闇で蝕まれているようなもんだ。そして先程のテオドールとの戦いで、力を使いすぎたのが、まずかったな」
シェイドは忌々しそうに、口元についた血を手の甲で拭う。
「翼はたためますか? 少し目立ちすぎます」
シオンが言った。
シェイドは、言われなくとも、闇の精霊の寄せ集めともいえる翼すら、この状態で維持するのが辛いといった表情で、息を吐いた。シェイドの背から、黒い翼が蒸発する。
「エステリアさん。彼の髪を下ろしてあげて下さい」
「え?……あの?」
「このまま城下を歩いたのでは、耳の形で魔族だとばれてしまいます。ただ長い髪を解いて隠せば、『この闘いによる心労がたたって白髪になった哀れな青年』……あたりでまかりとおるかもしれません」
それでもエステリアは戸惑っている。
「怖がらなくても大丈夫。彼は噛み付いたりはしませんよ? それから怒るのも後回しです。本人だって自滅覚悟で秘密をバラしたわけですから」
「……お前は、……余計な一言が多すぎる」
「一生隠し通すぐらいの覚悟がない限りは、秘密なんて早く打ち明けたほうが身のためです。……そちらのお嬢さんの受け売りですが」
シオンがやんわり微笑む。
エステリアはシェイドの前に屈み込むと、その髪を束ねる紐を解いた。
滝のような銀髪が流れ落ちる。思わず見とれるエステリアの傍らで、よほど憔悴しきっていたのだろう、シェイドはエステリアと視線を合わせることなく、唇の端に、まだ乾かぬ血泡をつけたまま、意識を手放した。
「さて、ある程度は片付いたことですし、とりあえず、一度彼の屋敷に向かいましょう。勿論、エステリアさんもお母様も、ひっくるめて全員です。屋敷の方には少々迷惑をかけるかもしれませんが、皆さん、少しでも話し合う時間があったほうがよろしいでしょうし……なんせ彼もこのような状態ですしね」
シェイドを肩に抱えて立ち上がったシオンは、鬼神ではなく、いつもの亜麻色の髪と紫の瞳を持つ人間の青年に戻っていた。
丁度、その時――天から、はらはらと、無数の白い塵が舞い降りてきた。
一瞬、エステリアはそれが、砕け散ったテオドールの破片だと思った。しかし、その塵は、冷たく、肌の温もりに触れた途端、ただの雫と化した。
「雪……? どうして?」
エステリアは、不思議そうに空を見上げた。
「おそらくは、上空で起こした無茶な魔法合戦が、気候すら乱して、雪雲を呼んだんだろう……」
サクヤが答える。
「雪が降り出したのなら、尚更、急いだ方がいいですね。もしかしたら積もるかもしれません」
「わかりまし……た」
シオンに同意して立ち上がったエステリアは、ふいに視界がぐらつくのを感じた。
身体が熱く、気だるい。まるで魂ごとどこかに持っていかれるようだった。
エステリアの両脚から力が抜ける。いいや、身体全体から力が抜ける。
急に、何も考えることができなくなってしまったエステリアは、その場に倒れ込んだ。
「エステリア!?」
マーレが叫ぶ。サクヤはエステリアの身体を抱き起こすと、額に触れた。
「少し熱っぽいな、至宝の間とやらで、よほど酷い目に遭ったんだろう。その上、このざまだ。一段落したところで、一辺に疲れが襲ってきたんだろう」
安心しろ――と諭すサクヤの言葉に、マーレがほっと胸を撫で下ろした。
「それにしても、なんだかんだと言いながら、二人してバタバタ倒れるとは、仲が良いことだ」
シオンに担がれたシェイドと腕の中のエステリアの寝顔を交互に見つめながら、サクヤは笑った。
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