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EternalCurse

Story-63.魔獣対白と黒の魔神
「――これでいいんだろ?」
一瞬だけ巻き起こった黒と銀の嵐が収まった後、永久なる闇の支配者(オルフェレス)――となったシェイドは、吐き捨てるように言うと、バツの悪そうな表情でシオンを見た。
「はい。素直で結構。良くできました」
まるで幼子を相手にするような口調で、シオンがシェイドを宥め、サクヤが鼻で笑い、肩を落とした。「
ようやくお前も『不足の事態』に関して力を使う気になったか……。決心したのなら、お前達二人で徹底的に奴を潰せ。いいか、年寄りばかり、当てにするなよ」
傍目から見ても、二十代前半としか思えない美貌の賢者から出た『年寄り』という意外な言葉に、ガルシアが微かに眉を潜めた。
「ほらほら、そんな顔しない。さっさと片付けますよ?」
シオンがシェイドの背中を叩く。
その様子を上空から見ていたテオドールは、嘲笑した。大穴が開いたはずの蛇女の下半身は、さらに屍鬼をその身に取り込むことで、徐々に元の形を取り戻そうとしている。
「ほう……そなたも中々面白いものを見せてくれる、だが、どのような小細工をしようと今の余に敵うはずもあるまい」
「たかだか腐った死体を寄せ集めただけの、つぎはぎの身体で、何を偉そうに言っている?」
テオドールに挑戦的に答えるシェイドの口調は、姿は違えども、いつもと変わらない。エステリアは目を見張った。
「図体がでかい者に限って、やたら大口を叩くのは、どこの国でも共通しているようですね」
のんびりと言ったのはシオンの方だ。
「さて、そろそろ倒しに行きますか?」
シェイドは頷くと、ふわりと宙に舞う。シオンはそれに続くようにして、地面を蹴って高く跳躍すると、居館(パラス)の上に着地する。
「罰当たりな奴だな。お前が足蹴にしてる居館の中には礼拝堂があるんだぞ?」
シオンよりも少し高い位置からシェイドが苦言を呈した。
「少しは大目に見てくださいよ。そもそも、うちの王城の玉座の間を、壊滅状態にしてくれたのは誰でしたっけ?」
痛いところを突かれ、シェイドが眉をしかめた。しばしの沈黙の後、
「……余計なことをけしかけてくれたもんだな」
ふて腐れたかのように言う。
「それはお互い様でしょう? 貴方だって、セイランに来たときは私の正体を知るなり、色々とちくちく言ってくれたじゃありませんか」
「で、今度は俺の秘密にありつけたんで、しっかりと仕返ししたつもりか?」
「ありつけたというよりは、最初から知っていましたよ。貴方が『この時代の』オルフェレスであると」
シオンが微笑む。
「なにをごちゃごちゃと話している!?」
テオドールが吼えると、半ば形を取り戻した蛇女(ゴルゴン)の口から、無数の炎の塊が、まるで矢のように放たれた。
シオンが長刀を振りかざし、炎を弾く。シェイドは降り注ぐ炎の雨を避けながら、さらに上へ舞い上がると、蛇女の顔に目掛けて、黒い衝撃波を放つ。修復しかけていた、蛇女の顔面が再び崩壊する。
「まったく、貴方といいサクヤといい、敵とはいえ、女性に対して容赦がなさすぎですよ」
シオンが呆れるように言った。直後、今度はテオドールの尾と一体化している魔物が、アドリアによく似たそれが、大きく口を開き、負の波動を溜め込む。
魔物の視線は、確実にエステリアを捉えていた。
お前さえいなければ、死ぬがいい、エステリア――生前の恨みを、そして全ての憎しみを、その一撃に込めるようにして、魔物が上体を逸らす。
エステリアに向けて、その波動を放とうとした刹那、魔物の目前に、シオンが現れる。
馬鹿な、居館から跳躍してここまで来たというのか?――魔物が信じられないと言いたげに、目を見開いた。直後、その心臓に、鬼神の長刀が突き立てられる。
「どんな恨みがあるかはわかりませんが、貴方にエステリアさんを殺されては、困るんですよ」
シオンが薄っすら微笑むと、片手で長刀を引き抜きながら、もう片方の手で、アドリアの顔をした魔物の首を跳ね飛ばす。シオンは元の位置に着地しながらも、地面に向かって落ちる魔物の首に、青白い炎を浴びせた。魔物の首が、一瞬にして灰になる。
「ふん……小ざかしい真似を!」
テオドールは、死者達の群れをさらに取り込み始めた。
その瘴気に導かれるようにして、集まる屍鬼達を、突如、天を覆った黒雲から、黒い雷が矢のように降り注ぎ、打ち据える。
言葉にならない呻き声を上げ、屍鬼や死霊が苦悶し、恨みがましく、そして何かに恐怖するように、一所に視線を集めた。
「なに!?」
テオドールが屍鬼達の視線の先を辿ると、そこには、金色の瞳でその様子をじっと見下ろすシェイドの姿があった。
「俺に盾突く者は殺す」
シェイドはまるで王者のように高圧的な口調で言い切った。それも無理はない。彼こそが全ての闇を司る者、即ち、闇を統べる王なのだ。
「貴方ねぇ……そういうのを『危険思想』っていうのをご存知ですか?」
飄々と言いつつも、シオンの口元は笑っている。
「仕方ないだろう? 俺には、神子のように連中を浄化する術は持ち合わせていない。できるとしたら、奴ら以上の闇をもって、さらなる恐怖を与えて押し返すぐらいだ」
「まぁ、あの魔獣の力の源は、屍鬼や死霊にあることは明確ですからね。これ以上、巨大化させぬためにも、死者を無に帰した方が確実ですね」
「となれば、どちらかが死者を相手にして、どちらかがテオドールを倒さなければならないわけだが……」
「ならば、死霊の類は私が始末しましょう」
シオンが柔らかく微笑んだ。言うが早いか、軽く手を払うと、死者の群れに向けて青白い炎――鬼火が放たれる。
「だてに黄泉の国への門を管理しているわけではありませんからね、往生際の悪い死者には『焼き』を入れるのが一番です」
鬼火は次々と、屍鬼らの身に燃え移り、広がっていく。シオンは、続けざまに城下にいる死者に向けても鬼火を放つ。
「おい、お前、城はおろか街まで燃やし尽くす気じゃないだろうな?」
シェイドが顔をしかめる。
「大丈夫ですよ。生きている人間は燃えませんから。それに、街まで灰にしたら、帰りに観光できなくなるでしょう?」
シオンの言うとおり、鬼火は『死者にのみ』纏わりつき、朽ちた身を焼き払っては、消える。
「あんた、少し呑気すぎやしないか?」
「他国に来たなら、必ず女帝陛下と四神、そして偉大なる賢者様には土産を買ってくるように――とりわけ女性陣には、美貌を保つ秘薬をよろしく……と決め事がありましてね。まぁ、そんなことを決めたのはあそこで、一休みしているうちの賢者様ですが」
シオンはそこまで言い終えると、シェイドに早くテオドールを倒すよう、促した。



エステリア達を食らいつくそうと、取り囲んでいた屍鬼や死霊が、ナイトメアが突き立てられた石畳に踏み入ろうとした途端、火花を上げて消滅する。蘇った死者の魂を食らい、魔剣は脈動を繰り返した。
しかし、そのようなことを気に止める様子もなく、遠くの戦況を見守りながら、サクヤが呟いた。
「金と銀、白と黒……なかなか見栄えがいいな」
しかし、サクヤの言葉に誰も反応を示すことはなかった。それもそのはずである。
シエルこそがリリスであり、悲劇の神子、セレスティア。
そしてシェイドが、あの妖魔――永久なる闇の支配者、オルフェレス。次々と明らかになる衝撃の事実に、エステリアやガルシアは、ただ呆然とするしかできなかったのだ。

「どうしてあの人が、あんな……」
ようやくエステリアが口を開いた。しかし、顔面は蒼白なまま、声を震わせる。シエルの裏切り、そしてその正体以上に、今回の一件は、確実にエステリアを打ちのめしていた。

彼に求婚されたメルザヴィアでの夜、エステリアの清い身体は、妖魔によって陵辱された。その時に根付いた忌々しい種の芽吹きを恐れながら、妖魔を憎みながら、ここまで来たのだ。
あまりにも過酷な条件の数々に、死を覚悟していたとき、弱りきったエステリアに愛を囁いて、身体を開かせたのは、他でもない、彼――シェイドである。
そのシェイドが妖魔?――この身を犯したのも、孕ませたのも、そして抱いたのも全てシェイド自身で、自分はただ、その掌の上で踊っていたに過ぎないというのか……。
もう、わけがわからなかった。彼の行動理念がわからない、彼の真意がわからない。
今度は信じてくれるか?――彼はそう呟いた。
ここまでの仕打ちをしておきながら、一体彼の何を信じろというのだ。
シエルの件にしても、そうだ、彼は最初から全てを知っていたという。知っていて、みすみすシエルに騙されるのを放っておいたのだ。
怒りとも、憎しみとも……哀しみとも言えない感情が、エステリアの中で増幅する。まるで心が引き裂かれそうだった。自分も一度、テオドールに取り込まれてしまおうものならば、すぐさまその怨嗟を煉獄の炎に変えて、吐き出してしまうに違いない。
そんなエステリアの顔を伺いながら、サクヤが語りかけた。
「今の今まで一緒にいて、本当に何も気付かなかったのか? だから賭けにも惨敗するんだ」
案の定非難されたエステリアであったが、この時ばかりは、軽く受け流す気にはならなかった。
堪えていたものを爆発させて、サクヤに食って掛かろうとしたのだが、
「早い段階であいつの正体に気付いていれば、何も初夜の床で、あんな無残な思いをせずともよかったのに」
その八つ当たりを見越して、先手を打ったサクヤの言葉に、一気に勢いを削がれる。
「初夜……って……」
まさかサクヤにまであの醜態を覗き見されていたのだろうか? 羞恥にエステリアの鼓動が跳ね上がる。
「メルザヴィアの夜、お前を蝶で誘ったのも、術を使って手足の自由を奪い、縛り付けたのもこの私。要するに私があいつの共犯者だったということだ」
どうだ、参ったか――サクヤはまるでそう言いたげに踏ん反り返ると、話を続けた。
「言ったはずだ。私がお前に与える洗礼は、もうないと。あの時点でお前は、あいつとの契約を済ませたんだ。セレスティアに至宝を奪われたとはいえ、『聖婚』を終えたのだから、お前が神子となっていることには、変わりない」
「何を言っているの? 全然わからない」
「まぁ、各々諸事情を抱えているわけだ。全てを語り明かすには、時間が足りん。今は辛抱してもらえるか? そこで眉間に皺を寄せている元将軍閣下もだ」
サクヤが仏頂面のガルシアを見上げた。
「俺はガキの頃、あの妖魔と約束した。いつか妖魔を倒すと心に決めた。それと相俟ってあいつはミレーユの仇になった。あいつは……シェイドは一体何なんだ、いつから生きている? こっちは考えただけで頭がおかしくなりそうだ。悪いが、ちょっとやそっとの話じゃ、絶対に納得しねぇぜ?」
念を押すようにガルシアが言った。その眼差しも口調も限りなく冷たい。勿論、その程度のことでサクヤが臆するはずもなかったが。
「まぁ、この危機を脱することができれば、納得いくまで説明してやるさ。そのためには一刻も早くあの魔獣を倒さなくてはならないわけだが……」
言いながら、サクヤは魔獣が浮かぶ空に視線を移した。
そこには群がる屍鬼を青き炎で一掃する……そして醜く膨れ上がった魔獣と、熾烈に戦いを繰り広げる白と黒の魔神の姿があった。死者を焼く炎が燻る音、地を打ち据える黒い雷の音、テオドールが放つ波動が城を粉砕する音全てが入り混じり、轟音と化している。
「まさに人間様の付け入る空間じゃないってわけだ。あいつら二人だけで、世界なんか簡単に滅ぼせるんじゃないのか?」
感心するようでいて、ガルシアの口調にはどこか皮肉が混じっている。
「その気になればな」
サクヤが素っ気無く言った。
「万が一、あの白と黒の化け物が、敵味方に分かれて、本気で戦ったらどうなる?」
「獅子と虎の闘いのようなものだ。負けず嫌い同士が壮絶に闘った末、ほぼ、共倒れ……といったとこか。そしてこの世に在る、ありとあらゆる生命は無に帰る。」
見てみたいとは思わないか?――サクヤが冗談っぽくガルシアに話を振るが、ガルシアは鼻を鳴らしただけで、そのまま視線を逸らした。サクヤが仕方ないといった調子で、肩を落とす。
「まぁ、お互い、『人』であることに依存しすぎているから……全てを出し切ることはないだろうよ」
サクヤは付け加えるように言った。
「人であること……に?」
エステリアがぽつりと呟く。
「そこにこだわっているから、肝心な時に力を出しそびれているんだ。ラゴウ戦にしても、先程のセレスティアに対しても、さっさと本来の力を発揮していれば、一瞬でカタはついたはずだ。それができずに回りくどい手段をとってしまうのが、あいつの悪い癖。特にお前の手前だと、それが顕著に現れる。となれば、考えられることはただ一つ、あいつは自分の正体(そのこと)が原因で昔の女によほどこっぴどく振られた思い出でもあるんだろう」
昔の女――その言葉にエステリアが敏感に反応する。すぐに脳裏に浮かんだのは、ミレーユの姿だった。
「お前は、自分が思い描いている『神子』の概念に縛られすぎている。自分の伴侶を信じなくてどうする?」
サクヤはそう諭したが、エステリアは口を固く結んだままであった。
「そう、ふて腐れるなよ。むくれた女の面なんぞ、見苦しいことこの上ない。男にだけ尻尾を振る女も、必要以上に己を卑下する女もだ。妬まず、僻まず、凛として、時には優雅に、そして己の信念と慈愛と美しさを兼ね備え、この世の誰もが憧れるような、格好いい女になれよ、エステリア」
つまりは私がいい手本だ――茶化すように言いながら、サクヤは立ち上がった。未だ自分の正体が伝説の……暁の神子であることを知らぬ二人を、手のかかる我が子のように見つめながら……。
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