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EternalCurse

Story-62.降臨-永久なる闇の支配者
死者の群れがカルディア城に向かって押し寄せる。腐敗臭と崩れた肉片を撒き散らし、早くも城壁を這い上がり、テオドールの元へと向かう屍鬼(アンデッド)達がいる。
屍鬼達は、テオドールに近づく寸前で、黒煙となり、吸収され、次々とその身に取り込まれていく。
それに伴って肥大した身体に、上空にいる魔獣、テオドールが満足気に笑う。辛うじて、テオドールに取り込まれることのなかった、屍鬼や死霊は、こぞって生者であるエステリア達に襲いかかってくる。
「畜生! カルディア中が死者の都と化そうとしてるこの時に、この城の兵士どもは一体、なにしてんだ!」
屍鬼を一刀両断しながら、ガルシアが叫んだ。
「まともな神経が働くならば、愛国心を掲げて応戦しているだろうが……そういった連中は皆謹慎処分になっているからな、期待はできない」
シェイドが魔剣で死霊を切り裂く。
「ったく、俺はすぐさま屋敷に帰って、家族を守りたいっていうのによ!」
「止めておけ、この化け物に満ちた城を抜け出すことすら私達には、ままならないんだぞ?」
屍鬼の眉間を錫杖で打ち砕きながら、サクヤが言った。
「てっとり早く、この死者の群れの動きを止めたいのなら、あの魔獣を倒すことだな。あいつが生きている限り、奴らはこぞってここを目指すだろう」
「つまり、この死体の山の目的はテオドール陛下との融合ってことか?」
「ああ、そうだ。この死者の軍団は、テオドールが呼び寄せていると言っていい。中には道中で生きた人間に襲いかかるような奴もいるようだが……」
シェイドが答えながら魔剣を振りかざした。魔剣から放たれた衝撃波が、屍鬼の腐敗した身を粉々にする。
「いつまで呆けているつもりだ。気持ちはわからんでもないが、状況を考えろ。悲しみに暮れている暇があったら、お前も手伝え」
サクヤが厳しい面持ちでエステリアを一瞥する。
「でも……私にはそんな力はもうありません」
蚊の鳴くような声で、エステリアは言った。
「自分の力すら使いこなせていないのか? お前は」
サクヤは失望したように、エステリアに背を向け、向かってくる屍鬼を薙ぎ払う。
「とりあえず、城を出るべきか、この場でテオドールを倒すかが問題だな」
シェイドが言った。
「城を出るのは得策ではないな。階下にも屍鬼どもはいるだろう。なにより、降りた途端にあの魔獣が尻尾で城を打ち据えようものなら、それこそ私達は瓦礫の下敷きだ」
真剣な面持ちでサクヤが答える。
「不本意ながら、下から上がってくる連中を片付けながら、俺達はテオドールも倒さなければならないってわけだ」
「倒すってどうやるんだよ、相手は空中にいるんだぞ!?」
これまでガルシアは何百、何千という魔物を倒してきた。中には空を飛ぶものもいたが、ここまで巨大な魔獣ではなかった。不可能だ――ガルシアが叫んだ。直後、回廊から階下へと続く扉が、弾け飛び、そこから再び死者の群れが押し寄せてきた。
シェイド、ガルシア、サクヤの三人はエステリアを守るようにして背を向け、円陣になる。溢れ出た屍鬼達が、一同を取り囲む。不安定に揺れ動く死者の群れは、まるで生者であるエステリア達を、死の世界へ、冥府へと手招きしているようにも思えた。
「おい、こういうのを人生最大の危機って言うんじゃねぇか?」
ガルシアが隣のシェイドに語りかけた。
「たかだか屍鬼、如きが千匹相手にするぐらいで、弱音を吐くなよ。腐っている分、生きている人間より脆くて倒しやすいだろう?」
「相変わらずの自信家だな、テメェはよ。いつまで体力が続くか、こればかりはわかんねぇんだぞ?」
「俺の場合は、体力というよりは、魔剣の機嫌次第だな」
シェイドが魔剣に赤い瘴気を(くゆ)らせ、そのまま向かってくる敵を切り裂いた。
「シェイド……?」
エステリアがシェイドの横顔を見つめた。シェイドの肌色は青白く、また息も荒い。魔剣の力を使っているためか、強気な口調とは裏腹に、随分と困憊している様子であった。
このままではシェイドの方が持たない――エステリアが心配する一方、
「しかし……いつまでもこんな状態では、いかんだろう?」
サクヤもそれを察知したのか、煩わしそうに前に歩み出た。
サクヤの姿を目にするなり、テオドールの下半身に形を成したユリアーナの巨大な顔が、凄まじい雄叫びを上げ、上半身のテオドールの意思を無視するかのように、サクヤの前へと降りてくる。生前の恨みもあってか、ユリアーナの顔をした巨大な蛇女(ゴルゴン)はサクヤに向かって牙を剥く。その傍らで、テオドールの尾についた、アドリアの面影が残る魔物はエステリアを睨みつけると、甲高い声で吼えた。
「おい、エステリア、あの尻尾にいる雌蛇はどうやら、お前が大嫌い――なんだそうだ」
面白おかしそうに、サクヤが背後のエステリアに話しかけた。
「姐さん、あんた、魔物の言葉までわかるのかよ」
ガルシアが訊いた。
「わかるか、そんなもん。ただ雰囲気からして、相手が何を云わんとしているかぐらいは伝わるものだ」
「じゃあ、さっきから涎垂らして、あんたを食おうとしている目の前の醜女は、一体、何て言ってるんだ?」
「相変わらずの美貌を誇る私が、憎くて、羨ましくてしょうがないと言っているようだ、ついでにこんなに醜い化け物に成り果てた自分を殺して欲しいともな」
「嘘をつけ」
即座にシェイドが返す。
テオドールの下半身、ユリアーナの顔をした蛇女(ゴルゴン)は、シェイドの姿を見つけると、醜い顔をさらに歪め、鋭い牙と舌を見せながら威嚇した。髪の代わりに生えた蛇も、同時に鎌首をもたげる。
「お前のことも殺したいぐらい憎いと言っているぞ? シェイド?」
サクヤの言葉にシェイドは軽く肩を落とした。
「悪かったな、サクヤ、どうやらあんたの言うことは正しいみたいだ」
その通りだ、お前を殺してやる、ジークハルト――まるでそう言っているかのように、蛇女が犬のように何度も唸り声を上げる。
「そう喚くな。小じわが増えるぞ?」
サクヤは吐き捨てるように言うと、錫杖を構えた。
「お前の面だけは、見ているこっちが胸糞悪くなる。次に会ったら、粉々に吹き飛ばしてやろうと思っていたところだ」
サクヤが錫杖を手に、短く詠唱した直後、小さな光が錫杖の先へと収束し、やがて膨れ上がる。
爆発した光の束は、サクヤを中心に、八方へと広がっていく。その八つの光は、まるでそれぞれの意思を有した大蛇のようにも思えた。巨大な光はその方向にいた死霊や屍鬼を一瞬にして消滅させながら、突き進む。眩い光が消え失せた後に、残ったのは、巨大な顔に大穴を空けられ、もがくユリアーナと、運良く光の道から反れた場所にいた死者の群れである。サクヤは錫杖を手にしたまま、その場に崩れ落ちた。
「おい、姐さん!」
駆け寄ったガルシアは、はっとなった。サクヤはびっしりと額に汗を浮かべ、肩で荒い息を吐いている。その唇からは、一切、血の気が失せていた。
「大丈夫かよ、一体、何やらかしたんだ?」
「昔殺した、八頭龍(オロチ)を召喚した……だが、やはり若い頃と違って、『大物』を召喚するには、かなりきついものがあるな……」
八頭龍(オロチ)?」
多頭龍(ヒュドラ)の一種だ。かつてセイランを脅かした巨大な魔物……使役すれば面倒臭いものを一掃するにはもってこいだ。だが……全部、消滅させることは、叶わなかったか……せめて後、一発食らわせれば、戦況は随分と変わったんだがな……」
八頭龍を連続して召喚することは難しい――サクヤは言った。その衰弱ぶりを見ればそれぐらい理解できる。おそらくは自力で立つこともままならないのだろう。
「だが、安心しろ、私が使い物にならずとも、とっておきの『あいつ』も同時に召喚している」
「え?」
サクヤは一体、何を召喚したのか、エステリアがそう思った直後――
「全く……貴方も相当人使いが荒いですね。私が抜けた隙に、セイランが襲撃でも受けたらどうするんです?」
懐かしい声が、ガルシア達の背後から響いた。一同が一斉に振り返る。そこには白い外套と甲冑を纏う、あのセイランの鬼神が立っていた。
「お前が抜けた穴ぐらい、四神とお前直下の鬼達が埋めてくれるだろう? そのための連中だ」
「それはごもっともですが、何も人がせっかく娘と遊んでいるときに、呼び出すこともないでしょうに」
鬼神――ことシオンは盛大に肩を落とした。
「私がお前を召喚するぐらいだ、状況ぐらいもうわかるだろう?」
「あ〜、なるほど、空中戦ってわけですね」
呑気な口調でシオンがテオドールを見上げた。
「しかし、サクヤ、貴方も酷いことをしますね。魔物とはいえ、女性の顔に大穴を空けるなんて」
「女の敵は女だぞ?」
相変わらずのサクヤの態度に、シオンは笑った。
「で、ここまでの貴方達の人数と、意外に追い詰められている様子を見る限り、ようやく『彼女』が本性を現した――ってことですかね?」

「おい……まさか、オメェまで『全てお見通し』で、(だんま)りしてたクチなのか?」

(だんま)りもなにも……元々彼女は、妙な気配の持ち主でしたし、随分とわかりやすい言葉遊びをしていたじゃないですか? そう……彼女の名前はCiel Teas(シエル・ティース)――」

シオンは手にした長刀の柄で、石畳にシエルの名を綴る。

「この名前を、並べ替えたら……Celestia(セレスティア)でしょう?」

ガルシアはシオンが『言葉遊び』と称したその事実に、ただ唖然としている。

「ついでに言いますと、セレスティアとは、マナの言葉で『天空』を意味します。そしてシエルというのは、確か、カルディア語で『空』という意味ではありませんでしたか?」
シオンがシェイドに視線を送る。
「随分と異国の語学に精通したセイラン人だな、あんた」
「若い頃に、そこのサクヤから色々と仕込まれましたからね」
相変わらずの柔らかな微笑を見せると、シオンはサクヤの方へ振り返る。
「で、私を遠路遥々この地に、呼び出された私は、あの魔獣を倒せばいいのですね?」
「ああ、とっとと片付けてくれ」
サクヤが頷いた。
「おい、兄ちゃん、あんたあの魔獣と互角に渡り合えるのかよ!」
一概に鬼神とはいえども、傍から見ればシオンはどう見ても優男である。今回の敵はあの猪ことラゴウとは体格も力も格段に上であり、相手が上空にいる以上、または無限に死者を呼び寄せる以上、ガルシア達も援護することができない。前回とはまるっきり条件が違うのだ。思わずガルシアが叫んだ。

「それぐらい朝飯前ですよ。我が祖国セイランには、あれよりも大きくて空を自在に飛びまわる厄介な妖がたくさんいますから……ただ、手っ取り早く始末するには、一人よりも二人がかりの方が、いいですよね?」
シオンはシェイドをじっと見つめた。
「私もそう思うぞ。最も、私に力が残っているのであれば、四神の一人でも追加して、援護してやりたいところだが、お前達にしても、祖国の一大事に、あまり異国人の力など借りたくはないだろう?」
サクヤが呼吸を整えながら言った。

「いい加減、貴方も、もうわかっているんでしょう? 自分が『呪われた者』ではなく、神子同様に『力を受け継ぐ者』であることに。そろそろ『本気』になったらいかがですか? 貴方さえ本気になれば、あの程度の魔獣を倒すことぐらい簡単でしょうに」
「…………」
シオンの言葉にシェイドは黙したままである。
「シェイド?」
伺うようにエステリアがシェイドの顔を覗き込む。
「ここまで瘴気に満ちた場所で平静を保つのは、まず無理というものだ。それに、お前だって、神子が手に入らない今、自分の身体が限界に近づいていることぐらい、わかっているんだろう? 私も他人のことは言えないが、お前、ひどく憔悴しきっているぞ?」
サクヤが続けた。
「自分の嫁が生きるか死ぬかというときに、何もしない夫は嫌われるぞ。いや、離縁は確実だな」
「私もそう思います。まったくもってけしからん夫ですね、貴方は。これ以上の被害を食い止めるためにも、ここぞというときには本領発揮するべきですよ?」
いきなりシェイドに向けられた非難の言葉に、一体、この二人は何を言っているのだろう?――エステリアはシオンとサクヤの顔を交互に見た。
「やっぱり……これ以上は無理か……」
シェイドは、溜息を吐きながら、何かを決意したかのように呟くと、おもむろに魔剣を石畳に突き立てた。
「ここから動かなければ、ひとまず安全だ。魔剣の結界がお前達を亡者から退けてくれる……」
いきなり魔剣を手放したシェイドにガルシアが尋ねる。
「ちょっと待て。結界が守ってくれるって言っても、魔剣を失ったら、オメェはどうやって戦うんだよ?」
「俺は……本当は、剣が無くても戦える」
シェイドは静かに言った。
「くれぐれもエステリアを頼む」
シェイドはガルシアに念を押すように言うと、エステリアの身体を抱きしめた。
「大丈夫だ、お前を死なせはしないさ……」
「シェイド? どうしたの……?」
不安げにこちらを見上げる、エステリアの言葉を遮るように、シェイドは呟いた。
「なぁ、エステリア……今度は――信じてくれるか?」
「今度は……って?」
エステリアは首を傾げた。
「安心しろ。お前は……神子の資格も力も失っているわけじゃない」
シェイドは身体を離すと、エステリアの頬を撫でる。
「え?」
エステリアが目を見開いた。
「質問も文句も全部後回しだ。後で、どう責められようが構わない。あの化け物は俺が……俺達で倒す。お前達を必ず生かして帰すと約束するよ……だから――」
何かを言いかけて、シェイドは俯くと、数歩下がりエステリアと距離を取った。
「お前とこの身体で、こうして向き合うのは、もう、最後かもしれないな」
その時のシェイドの表情は、エステリアにとって、ひどく物悲しいものに思えた。濡れるように輝く黒曜石の瞳が、微かに揺れている。
エステリアに言い残すと、シェイドは意識を集中するかのように瞳を閉じた。


それは一瞬の出来事だった。
突如、巻き起こった一陣の風に乗り、宙には無数の黒い羽根が舞い散っている。その中から現れた銀糸の髪が一際目を引いた。髪の合間に見えた尖った耳朶は、その者が魔性の類であることを物語っている。ゆっくりと開いた瞼から覗く蟲惑的な黄金の瞳は、今もなお、エステリアの心を捉えて放さぬ魔力を秘めている。
そこにはもう『シェイド』の姿はなかった。代わりにあの忌まわしい『妖魔』がエステリアの目の前に立っている。
「オ……ル、フェレス……」
エステリアが言うよりも早く、ガルシアがその名を口にした。しかしその唇は驚愕と、どうしようもない怒りと失望に戦慄いてた。
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