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EternalCurse

Story-61.再臨-悲劇の神子
その時のエステリアは、凍てついた表情で、ただ、宙に浮かぶ妖艶な美女を見上げていた。
つい、先程までその美女の名はシエル・ティースといった。エステリア自身が最も信頼できる侍女でもあった。今の彼女は、エステリアを髣髴とさせる背格好、そして玲瓏たる王妃、マーレによく似た面差をしていた。それは当然である。セレスティアとは、マーレの双子の姉、そしてエステリアにとっては伯母にあたるのだ。
しかし、彼女は三年前、グランディアにて火刑に処されたはずではなかったのだろうか?
なにより神子であるはずのセレスティアが、どうして預言者リリスとして、幾度となくエステリア達の行く手を阻んだのか、そして今もなお、物々しい雰囲気を携えて、こうして立ちはだかるのか、それすらもわからない。
「神子の……セレスティア、だと?」
ようやく口を開いたのは、ガルシアだった。
「お前、サクヤから何にも聞いてなかったのか?」
シェイドがガルシアを軽く一瞥する。
「俺があの姐さんから聞いたのは、シエルが……あいつがリリスだってことだけだ……」
「わかっていたなら、さっさと殺せばよかったものを……」
悔しそうに唇を噛むガルシアの傍らで、シェイドが忌々しげに呟く。
「できるわけがないでしょう? ガルシア様はとってもお優しいお方ですもの」
シエルの口調でセレスティアが言った。そんなセレスティアをガルシアが睨みつける。セレスティアは、ただ優艶に笑った。
「散々な目に遭った挙句、信じていた人間に、最後の最後で裏切られる気分はどう? エステリア?」
「どうして……どうしてこんな酷いことをするの? どうして貴方がリリスなの? 私……貴方のこと、信じていたのに……シエル……」
やっと、その侍女の名を、呼び捨てにできるほど、親密になれたというのに。
しかし、セレスティアは芝居がかったように、肩を落とした。
「何を今更言っているのよ。私が人質に取られているとわかっていながら、貴方は私の事など忘れ、シェイドとよろしくやっていたじゃない」
セレスティアが何を云わんとしているのか、それぐらいはすぐに理解できる。
エステリアは何一つ答えることができず、ただ恥辱に身を震わせると、今にも泣きそうな顔で、セレスティアを見つめた。
「でも、私は楽しかったわよ? エステリア。私の掌の上で踊り続ける貴方を見て。苦しみ続ける貴方の顔を見ることができて……」
そこまで言うと、セレスティアは、魔方陣の中に捕らわれたまま、もがき続けるテオドールに視線を移した。
「約束どおり、貴方をここから出してあげるわ、テオドール。心行くまで力を奮って、この国を破壊すればいい」
シエル、いやセレスティアが指を弾く。すると、テオドールを縛っていた魔法陣が、火花を散らす。テオドールは、まるで幾重にも巻かれた鎖を引きちぎるようにして、上へ、上へと向かう。
床の下に沈められていたはずの、下半身が徐々に露わになっていく。それに伴って、主塔全体に、地響きがした。渇いた音を立てながら、壁に亀裂が走っていく。セレスティアは、虚空より二本の角を有した漆黒の馬を召喚すると、それに跨った。エステリアはその幻獣に見覚えがあった。そう、いつかの夢で見た、ニ角獣(バイコーン)だ。
「さようなら、私の可愛い(エステリア)。楽しかったわよ。こうも簡単に騙されてくれて……」
言いながら、セレスティアは二角獣と共に、空気に溶け込むようにして、その場を去った。
その間にもテオドールは、円柱のように太い腕を伸ばし、天井を突き破ろうとしている。
土埃が舞い、脆くなった天井の一部が欠け、床に落ちてくる。
ただ硬直しているエステリアと、目の前の光景に身体をすくませたガルシアを、現実に引き戻すかのような一喝がその場に響く。
「早くこっちに来い! このままだとテオドールが飛び出したときの衝撃で、天井が崩壊する。押し潰される前にここから離れるぞ!」
サクヤだった。
サクヤは扉の外からそう叫ぶと、急いで主塔を脱出するように三人を促した。主塔を抜け出した彼らは、城壁上の回廊……それも少し離れたところで、塔の様子を見守っていた。主塔から聞こえる地鳴りの音が酷くなる。もうじきテオドールはあの中から抜け出すことだろう。
「その様子だと、目的は失敗。セレスティアにまんまとしてやられたようだな」
サクヤはガルシアを見つめた。
「あんた……シエルがリリスだって俺に話したよな。あいつがその上、セレスティアだった、なんて話は聞いてねぇぞ!」
「余計な情報を与えれば、お前がより混乱するから、教えなかったんだ。私達に残された道は二つに一つ。これまでお前達を欺いてきたあの侍女を殺して、万事丸く治めるか、否か。そしてその際、至宝を守りきるか奪われるかのどちらかだ。それ以外のことは考える必要はない」
「至宝は奪われちまったよ、あいつは、妙な黒馬に乗って、どっかに消えちまった」
「だろうな」
最初から期待はしていない、サクヤはそんな口ぶりだった。
「気にいらねぇんだったら、最初からあんたがあいつを始末しに行けばよかったんじゃないか?」
「詳細を知らないお前だからこそ、私は奴の元に送り込んだ。もしも、あいつの正体を知る私が主塔の中に入ってこようものならば、セレスティアは下手な芝居なんぞ打たず、すぐさま実力行使にでるだろうよ。情に訴えかけやすいお前だからこそ、話にほだされるふりをして、再会を喜ぶ素振りを見せて、あの女をそのまま刺し殺せと言ったんだがな」
「この期に及んで口喧嘩は止めろ。そう簡単にセレスティアを殺すことなんてできないさ」
シェイドの声がサクヤとガルシアの間に割って入った。
「セレスティアを、殺す……?」
感情のない声で、エステリアが呟く。
「シエルはリリスであり、かつての神子セレスティアだ。だが、あいつが今、邪悪な魔女であることぐらい、これまでのことから考えれば、お前にだってわかるだろう?」
諭すようにシェイドが言った。
「貴方は……シエルがセレスティアだって……最初から知っていたの?」
「ああ」
シェイドが頷く。
「ずっと……シエルを殺そうって思っていたの?」
「四六時中、お前と一緒にいなければ、すぐにでも殺していた」
残酷な答えがシェイドから返ってくる。
「とはいえ、お前が現れるまでのあいつは、ずっと『普通』を装っていた。本性が見え隠れし始めたのは、お前との旅が始まってから。あいつが狙っていたのは、至宝か、それともお前の命か……それがはっきりとするまで、様子を見ていた。そして最終的にあいつは俺達にけしかけてきた」
「どうして……どうしてシエルは、そんなことを……」
「ただ、これだけは言える、あいつは……セレスティアは俺にとって、お前にとっても敵だ」
その直後、凄まじい轟音が聞こえた。ついに主塔の天井が崩壊し、シェイドらの目の前でむせ返るような土煙と粉塵が舞いあがる。その煙を突き抜けるようにして、巨大な黒い物体が、上空に現れた。




「初めまして、私のエステリア。私がお母さんよ……」
傍らに眠る生まれたての娘にかけた言葉は、昨日のことのように覚えている。いいや、それ以外、鮮烈に残っている記憶がないと言った方が正しい。
政略結婚ではなく、愛した夫との間に生まれた娘の存在は、何よりの宝物であり、至福の喜びであった。
しかし、セレスティアと共に『運命の双子』と称されるマーレが、預言者イシスによって、受けた神託は、残酷にも姉や娘との別離を意味するものであった。何よりも喜ばしく、誇らしいその日に、このようなことを思い出したくはないのだが、もしも、死が片割れである姉や何よりも大切な娘を別つのであれば、限られた時間の中で、娘と共に過ごしたいというのが、マーレの願いであった。

何より、娘と一緒に過ごす時間は、毎日が新鮮で楽しく、喜びに満ちていた。眠る我が子をずっと見つめていたり、その頬を優しく突いてみたり、湯桶につけたとき、湯の温かさ、その心地よさに娘が見せる緩んだ顔の愛らしさといったら、たまらない。この気持ちをどうすれば伝えることができるだろう。開いた瞳は藍玉(アクアマリン)にも似て、どこまでも澄み渡り、自分よりもずっと明るい金髪は、本当に星の光のようだ。(エステリア)という名をつけて良かったと思う。
この子は一体、どんな娘に育つのだろう。それまで、私は生きているだろうか?
そう思いながらも、一日、一日をマーレは大事に過ごしてきた。
そんなある日――
「どうしたの? またお腹が減ったの?」
先程、乳を与えたばかりだというのに、火が付いたように泣き出したエステリアの様子に、マーレは只ならぬ胸騒ぎを覚えた。間もなくして、森を越えて、カルディア国王率いる軍隊が、集落に向かって進撃していることを知った。一族も必死に抵抗したが、敵うはずもなく、中でも勇敢な戦士であった、マーレの夫はテオドールの投げた槍によって討ち取られたという。
マーレには、愛する夫の死に涙し、嘆く暇すら与えられてはいなかった。
テオドールの目的は、他でもない自分だという。一体、何故? とマーレは自問自答を繰り返した。導き出した答えは一つだった。
テオドールは自分が『運命の双子』と言われることに、なんらかの価値を見出しているのだ。そうとしか考えようがなかった。テオドールに従わなければ、一族はこのまま皆殺しにされることだろう。男は八つ裂きにされ、女は下卑た兵士達の慰みものにされてしまう。子供達は奴隷として売られ、赤子は玩具同様、面白半分に、地面に叩き付けられることだろう。勿論、娘も殺される。
母なる海(マーレ)として(エステリア)を世に送り出す役目を仰せつかったマーレにとって、エステリアを失うことだけは、なんとしても避けたかった。
ならば素直にテオドールの元に出向くしかない。マーレはまだ年端もいかぬ侍女にエステリアを預けると、外に出た。
集落の中央に、テオドールはいる。残忍な笑みを浮かべ、馬上からこちらを見下ろしていた。
「そなたが、この集落の大巫女、そして運命の双子たるセレスティアの妹、マーレか?」
テオドールは訊いた。しかし、マーレは異様な威圧感を放つテオドールに、臆することなく、むしろそれを侮蔑するように冷たい視線を投げかけ、薄っすらと笑った。
「いつまでこの私を待たせる気なのかしら? 私は貴方が迎えに来る日を、こんなにも待ち焦がれていたというのに。ねぇ、テオドール?」
「なんだと?」
マーレはその場で(うそぶ)いた。この一言で、生き残った集落の人間の間に、どよめきが走る。そんな馬鹿な、大巫女が一族を売ったのか? そんな視線がマーレに痛いほど突き刺さる。例え、一族の裏切り者と言われようと、一族を、娘を守る為だ。娘さえ生きていてくれれば、それでいい。
「だって、私と貴方との出会いはかねてより予言されていたんですもの。預言者イシスによって」
マーレは甘く囁いた。勿論、これは出任せである。しかし、あながち嘘ともいえない。なぜなら、テオドールとの出会いはともかく、マーレと娘との別離自体は既に予言されていたことだから。
テオドールは歓喜し、マーレを城へと連れ帰った。
いつか真実を突き止めよう、この集落の襲撃には、必ず何か裏があるはずだ。こうなることを仕向けた人間がいるはずだ――このときからマーレの胸に怨嗟の炎が宿った。利用できるものは手駒として利用し、随分と手も汚してきた。そんなとき、死んだはずの姉、セレスティアと再会した。
しかし、姉、セレスティアは以前とは確実に様子が違った。姉はマーレの復讐に喜んで手を貸してくれた。テオドールを破滅へと追いやり、栄華を極めるカルディアを滅ぼすことに賛同してくれた。自らもグランディアで火刑に処されたこともあってか、セレスティア自身、獅子の兄弟が治める国を快くは思ってないのだろう、と思った。
しかし、もはやセレスティアは魔女と化している。後に下った予言によれば、自らがこの世に送り出した愛娘こそが、エステリアこそがこの時代にあるべき神子なのだ。
ならば、その妨げとなるものは、排除しよう。奇しくも最終的に、エステリアの前に立ちはだかる事になったのが、実の姉というのが、皮肉なものだったが。

どことも知れぬ場所に打ち捨てられていたユリアーナの遺体が、そして今目の前にあるアドリアの遺体が、只ならぬ気配に反応を示す。遺体はどす黒い煙に変じると、窓の外へ、封印を解かれたテオドールの巨体に、吸い寄せられていく。それだけではない。城の外にも異変を感じた。
マーレは、静かにこの場を去ると、城のバルコニーに出た。
「いよいよ、始ったのね……」
マーレは空を見上げると、呟いた。
カルディア城の上空に飛び出したテオドールの下半身は、髪の代わりに蛇が生えた、醜い蛇女(ゴルゴン)の巨体が連なっていた。その凄まじい妄執がテオドールに取り込まれた際に反応したのか、ゴルゴンの顔はあのユリアーナのものであり、その長い尾の先には、納得のいかぬ死を迎えたアドリアの姿を成した魔物が繋がっていた。
テオドールに呼応するように、カルディアの墓地から、またマナの集落へと繋がる森からも黒い気が立ち昇り、暗雲を呼ぶ。湿った土塊(つちくれ)の中から、腐敗の進んだ骸が、白骨が蘇り、命ある者への嫉妬と生への渇望、そして生前、残した怨念と悔恨に、独特の呻き声を上げた。生ぬるい風が吹き、異臭が漂う。その風に乗るように、死霊(レイス)が飛び交う。
カルディア王国が死者に支配されようとしている今、マーレは不思議なぐらいに、落ち着いていた。
そうだとも、これが自分の望んでいたことだ。
森から押し寄せる亡者の中に、亡き夫もいるのだろうか?
マーレは今でも愛しい、亡き夫に思いを馳せた。しかし、まだ死ぬわけにはいかない。巨大な魔物と化したあの男が生きている時点で、自らの命を絶てば、アドリアのように黒煙となって、テオドールの一部となり、必ず娘の妨げになってしまうことだろう。

死ぬのはせめて――全てが終った後だ。
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