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EternalCurse

Story-60.その胸に宿すは怨嗟の炎
今度ばかりは、さしずめアドリアも、衝撃のあまりに表情を失った。何がどうなっているのかわからず、アドリアは無意識のうちに、リリスに視線を移す。
「これは約束なのよ、アドリア王女。私はただ、王妃悲願の復讐劇に手を貸しただけ。そうカルディア王家を滅ぼすお手伝いをしていただけよ?」
「王家を……滅……ぼす?」
首を傾げるアドリアの前でリリスが焚き付けるように言い放つ。
「さぁ、マーレ。思う存分、やってちょうだい。感謝しなさいね。アドリアを殺すだけの大義名分を作ってあげたのは、この私なんだから」
「ええ、貴方には感謝しているわ、リリス。けれども次に会うときは、お互い敵同士だわね」
リリスは口元に笑みを浮かべると、空気に溶け込むようにして姿を消した。マーレはサーベルの切っ先を、アドリアの細い顎へと突きつける。
「お前がリリスの言葉に惑わされることなく、エステリアを亡き者にしようなんて思わなければ、命だけは助けてあげたかもしれないわね――ううん、でもやっぱり許せない。お前はあのろくでもない女どもの娘だもの」
「言葉の意味がわからないわ、お母様……?」
しかし、マーレは冷たい眼差しでアドリアを見つめた。それは、物分りの悪い娘を見下すような視線だった。
「だから、言ってるでしょう? 貴方は私の娘ではないのよ? アドリア」
マーレが天井を仰ぐ。
「私が愛しいのは、私の娘――エステリアただ一人だけ」
アドリアにとって、最も耳にしたくない言葉が、王妃の口から語られる。そんな馬鹿なことがあってなるものか。アドリアは狼狽した。そうだとも、きっと王妃はリリスの術中にかかり、操られているのだ。つい先日で、そう……生まれてこの日に至るまで、ずっと王妃は自分に言い聞かせてきたではないか。私の愛しい娘は、アドリア、貴方だけよ――と。
「そんな……そんなことって……」
「お前の残忍な性格は父親に似たのね。そして権力への固執は、本当の『母親』にそっくりね」
「本当の……母親?」
マーレは深い溜息をついた。
「私がこの城に王妃として迎えられる前――テオドールは、『ある者』にそそのかされ、神の力を手にする儀式の存在を知った。その折、多くの愛妾を抱えたけれど、それでも彼の欲望を満たす者などいなかった。『ある者』はテオドールにさらに囁いたそうよ、集落でひっそりと暮らしていた……運命の双子である私を手に入れろ、と。そうすれば望みは叶う、と」
それはマーレが寝物語のついでにテオドール本人から聞き出した話だった。
「けれども『ある者』はテオドールに進言する傍らで、愛妾達には、別の話を吹き込んでいたの。おそらくは、『王妃の座を狙う卑しい異教徒の女がいる』とでも唆されたのでしょうね、愛妾どもは、嫉妬に狂い、私の集落を襲撃するよう、テオドールに願い出た。もとより、力ずくでも私を手に入れようとしていたテオドールは愛妾どもの要求を飲んだわ。そんな愚かな愛妾どもの一人にお前の母親もいた」
「愛妾……」
自分の母親は正妃マーレではなく、どこの馬の骨ともわからない、卑しい愛妾の一人に過ぎないというのか? さらなる衝撃がアドリアを打ちのめす。
「テオドールは、このカルディアにとって異端であるとして、私の一族を弾圧したわ。そのときの戦で、エステリアの父親も死んでしまったわ。残ったのは、年老いた者達と、女、子供だけ。運命の双子として生まれた私にかせられた予言……それは娘との別れ。ようやくその意味がわかった。私は……まだ親の顔もわからぬあの子と一族を捨て、テオドールの元へと嫁いだ。そうでなければ、後に次代の神子という運命を担ったあの子を守ることも、できなかったわ。勿論、あの男が抱えていた多くの愛妾達は、反発した。私の事を異端の魔女と叫んで、決して王妃として迎え入れてはいけないと、訴え、刑に処すようあの男に願い出た。しばらくして、私が王妃となることが決定的となり、その愛妾達も全て城から追い出されてしまった。お前の母親は私を逆恨みしていたわ。当時、あの男の子を宿したばかりだったから」
当時、テオドールには正妃がおらず、カルディア城に抱えられていた愛妾達は、こぞってその妃の座を争っていた。例え庶子といえども、テオドールの子を身篭れば、それだけで妃の座に近づくと、そう信じて。しかし、その夢すらマーレの出現によって潰え、さらには城まで出る羽目になったのだ。愛妾達が口を揃えて、この異端の女を討ち取るよう懇願したにも関わらず、テオドールにその願いは通じなかった。身篭ったまま城を負われた愛妾においては、マーレに抱いた恨みは計り知れない。
「だから、私はそれを利用した。同じようにあの男の子を身篭った振りをして。お前の母親がどこかで人知れず子供を産むのを待った。案の定、お前の母親は赤子であったお前を連れて、密かに城に乗り込んできたわ――己の破滅を呪って。そして私を殺しにね」
マーレはその唇に妖艶な笑みを浮かべた。
「愚かな女だった……。産後間もない身で、刃をふるって――そして私に負け、死ぬ羽目になった。お前の母親は惨めな負け犬ね。そして私は赤子であったお前を取り上げ、我が子として育てた……でも、十四年間一緒にいて、お前に愛情を抱いたことなど――、一度も無い」
それを聞いたアドリアの身体は小刻みに震えている。
「あの愛妾達が『あの者』にまんまと踊らされ、テオドールに進言しなければ、私の夫は死なずに済んだ。この世で最も愛しい人との間に出来た、あの子を手放さずに済んだ……」
「だったら! お父様やその愛妾を唆した者を恨めばよろしいでしょう!?」
「それだけじゃ、気が晴れないから、お前を殺すと言ってるんじゃない? 何よりお前は私の娘の命を狙った。カルディアにあの子が来た際、すぐさま暗殺しようとしたでしょう? だから貴方に生きる価値なんてない。死んで当然なのよ。どうしてわからないの?」
もはや狂っているのだろうか? 淡々と言う王妃にアドリアは底知れぬ恐怖を感じた。
「獅子の兄弟が作った国なんて、ろくなものじゃないわ。グランディアは私から姉を、カルディアは私から夫と、娘とのささやかな幸せすら奪ったわ。だから、滅びてしまえばいい」
マーレは目を伏せた。
「私が娘のエステリアにしてあげられることは、少しでもあの子の妨げとなる者を排除することぐらいよ。たとえ、あの子に憎まれていたとしても」
マーレはサーベルを構え直した。
「ねぇ、アドリア。話はもういいでしょう? やっとこのときが来たのよ。早く貴方を殺させて頂戴」
いやいや、と涙目で首を振るアドリアの心臓に、マーレは有無を言わせず深々と剣を沈めた。
「あの子を捨てて、戦利品としてカルディアへ来たときから、私が欲したのは、テオドールとアドリア、お前の命だけ」
絶望に打ちひしがれた表情のまま、アドリアはしばし痙攣すると、そのまま動かなくなった。
「仇の一人は討ったわ。もう少しよ。あの男の最期を見届けたなら――すぐに貴方の元へ行くわ……」
マーレは血に濡れたサーベルをアドリアの胸から静かに引き抜くと、今は無き夫に語りかけた。



主塔の前で、打ち据えられる金属の音が鳴り響く。これで何合目になるのだろう。確実に心臓を狙ったサクヤの一突きを、オディールの二刀が絡めとり、突き放す。サクヤの首を胴から切り離そうと、オディールの猛攻が続く。刃が首を掠めたと思いきや、その寸前でサクヤが錫杖で受け止めた。
「残念……もう少しで仕留めるところだったのに」
「首から上は、狙うだけ無駄だぞ。どんな攻撃が来ようとも、必ずかわす」
「あら、どうして?」
「野暮な事を尋ねるなよ。私が一番大事にしているのは、見てくれだ」
「じゃあ、貴方は私にとって、切り刻み甲斐があるってことね……」
オディールが直後、サクヤに切り込む。サクヤはオディールの二刀の間に錫杖を滑り込ませるようにして、首を狙う。錫杖の先がオディールの兜に当たり、渇いた音を立てる。
「他人には狙っても無駄だと言っておいて、貴方自身は、私の首を狙うというの?」
納得いかないという様子でオディールが呟く。しかし、サクヤは悠然と言い放った。
「自分の顔を傷つけられるのは嫌でも、他の女の面をぶん殴るのは爽快だと思わないか?」
「……同感よ」
オディールは右手の長剣と左手の短剣を交差させるようにして、構え直す。刹那、睨みあっていたはずのオディールが、そしてサクヤが弾かれるように顔を上げた。城から、特にこの主塔から発せられる邪気とは違う、もっと禍々しい瘴気が、城中に立ち込めようとしている。その異変に、何かを察知したのかオディールは、おもむろに剣を鞘にしまう。
「貴方との勝負はお預けね……」
それだけ言い残すと、すぐさまその場を退いた。
無防備になった主塔の入口に残されたサクヤは一瞬、呆気にとられていたが、無駄な勝負で消耗せずに済んだサクヤは、この瘴気の持ち主に幾分か感謝した。
まもなく、この瘴気の持ち主は、この主塔へと辿り着く事だろう。
「あの馬鹿、怒り狂う気持ちはわからんでもないが、少しばかりやりすぎだ」
サクヤは一息吐きながら、呟いた。




ガルシアと共に主塔の中へと、飛び込んだエステリアは、すぐさまその中にいるはずのシエルの姿を捜した。
「シエル? シエル……どこにいるの!?」
主塔の中は薄暗く、壁には気味の悪い文字が、そして床には大きな魔方陣が記され、微かな光を放っている。シエルはその魔方陣の片隅に、うなだれるようにして座り込んでいた。シエルの装いは侍女のものではなく、黒い薄絹でできた衣を纏っている。それはまるで、これから生贄にでも捧げられるような衣装だ。
「エステリア……様?」
憔悴しきったシエルの目に、徐々に輝きが戻っていく。
「エステリア様……!」
シエルは立ち上がると、エステリアの元へと駆け寄った。
「エステリア様……、ああ、エステリア様、よくぞご無事で……」
目尻に涙を浮かべながら、シエルはエステリアに抱きついた。エステリアもまた、それを受け止め、シエルの背を撫でる。
「ごめんね……本当にごめん。でも助けに来たから……至宝もちゃんと取ってきたから……」
感極まったエステリアの声が震える。ガルシアは何も言わず、緊張の面持ちで二人の様子を見守っていた。

「――よ……こ……せ……」
どこからともなく、呻くような男の声が聞こえた。
突如、床に施された魔法陣が脈動し、赤紫色の妖しい光を放つ。
「何だ!?」
ガルシアが剣を構えた直後、魔方陣の中心から、黒い火柱が上がった。再会するのも束の間、エステリアとシエルも驚いて、その光景に眼を見張る。黒い火柱は天井に向けて膨れ上がり、徐々に人型を成していく。
「おい……なんだよ、これ……」
魔方陣の上には巨大な男の上半身があった。見事な体躯の所々を、鱗に覆われたそれは――テオドールの顔をしていた。
「テオドール……陛下?」
恐る恐るエステリアが、魔方陣から抜け出した『それ』に訊いた。何よりエステリアよりも表情を強張らせていたのはガルシアの方である。そんな彼らを他所に、まるで陽炎のような身体を揺らめかせながら、『それ』は答えた。
「よくぞ……参った。神子よ、さすがはマーレの娘よ……」
テオドールの顔を持つ、『それ』はにやりと笑った。その唇の合間からは鋭い牙が覗く。
「陛下……私は……」
神子ではない、と。至宝を返上しにきたのだ、と答えようとしたにも関わらず、エステリアはテオドールの顔をした巨大な魔物の姿に恐怖したのか、思わず口ごもった。
「どうした神子よ、さぁ、早くその至宝の力を余のために使え!」
どのような経緯を辿ってそうなったのかはわからないが、半ば魔物と化したテオドールは声を荒げた。
「どうして……どうしてこんなことに……陛下!」
ガルシアが悲痛な叫び声を上げる。
「全てはリリスのお陰といったところか。彼の者のおかげで余は神にも等しい力を手にした。だが、まだまだ足りぬ。余が完全な神としてこの世に降臨するためには、神子の至宝の力が必要なのだ、さぁ……神子よ、至宝の力を解放し、余に与えよ!」
ただひたすら力を求めるテオドールの姿に、エステリアは思わず後ろ手に至宝を隠した。
「神子よ……余の言う事が聞けぬというのか? ならば、いっそ、至宝を……いや、至宝ごとそなたを食らってくれようか……」
テオドールが狂気の笑みを口元に浮かべる。
「エステリア様、絶対にテオドール陛下に至宝を渡してはなりません!」
即座にシエルが言った。
「力を手にしたと言っても、所詮はまやかしの力。それゆえにテオドールは、この魔方陣に縛り付けられているのです。至宝の力を開放してはなりません。エステリア様、悪の権化となったテオドールを、このまま討ち取るのです」
シエルはエステリアにしがみついて懇願する。
「討ち取るって……どうやって?」
エステリアが戸惑いを見せる傍ら、テオドールはシエルの言葉に顔色を変えると、その上体を怒りに震わせ、叫んだ。

「話が違うぞ!リリス!」

この場に居るはずのない預言者の名を叫んだテオドールの姿に、皆が沈黙した。テオドールの視線の先にいる人物は、ただ一人だった。それはエステリアでもなく、ガルシアでもない……。

「シエ……ル?」
エステリアはシエルを凝視した。
「一体、何の事を言っていますの?」
シエルがテオドールの方へと振り返る。
「この後に及んで、余を謀るか! そなたは申したはずだ! 至宝の力を持ってすれば、余は神の力を手にすると! なにより貴様は余の間者として、こやつらの旅の供をすると、申したではないか。よもやそれを忘れたわけではあるまいな!」
テオドールが叫ぶ傍ら、シエルは声を押し殺すように笑った。それはまるで背筋が凍るような笑い声だった。

「嘘でしょう……シエル……?」
シエルがリリス?――あまりのことで呆然となるエステリアだったが、直後、
「今すぐそいつから離れろ! エステリア! そいつが魔女だ!」
この場に駆け込んだシェイドが叫ぶ。それよりも早く、シエルはエステリアを突き飛ばし、その手から至宝を取り上げると、距離を取るように、その身を宙に浮かせた。
「まったく……どいつもこいつも、うるさいのよ。特にテオドール、貴方の声……まるで犬が吼えているようで耳に発つわ」
宙に浮かんだシエルは、テオドールよりも高い位置へと上昇していく。
「リリス、なんて人間は最初からいないわ。だって、あれは私の傀儡、私が作り出した幻術だもの。復讐を果そうとしている妹が心細くならないように、幻術の身体をこの城に残していただけ」
シエルは、これまで見たことがないほどに、妖艶に笑うと、エステリアを見下ろした。
「貴方がこの城に初めて来た日、やっと見つけることができたの――この至宝の在り処を。だから誓った、必ず手に入れると。どんな手段を使っても。貴方にもその時の声が聞こえていたかもしれないわね」
それにはエステリアにも身に覚えがあった。
やっと、見つけた。必ず手に入れる――。
カルディアに来たあの日、エステリアの脳裏に響いた、男とも女ともわからぬあの声は、妖魔のものではなかったのか……。
「だからずっと待っていたの。この時を。あの結界を破り、これを持ち運べるのは、エステリア、貴方だけだったから」
シエルは恍惚とした表情で、手にした額環を見つめた。
「言ったはずよ、エステリア……貴方に、最後の絶望をあげるって……」
シエルは冷たい笑みを浮かべると、至宝――額環を身につけた。白銀の額環が瞬時に黒金へ変り、埋め込まれた四つ宝石が、邪悪な色に染まる。それと同時にシエルの金髪が、一瞬にして腰の長さまで伸びる。どことなくエステリアにも似た容姿となったシエルが、悠然と言った。

「リリスもシエルも最初からこの世にはいない。そう……私こそが、本来この世にあるべき神子――セレスティア」

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