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EternalCurse

Story-59.再会
「……子殿……! 神子殿!」
誰かに肩を揺すられ、エステリアはようやく意識を取り戻した。ゆっくりと瞼を開いた直後に、入ってきた日差しは眩しい。
「ここは……どこ? 天国……? それとも地獄? 変ね、地獄なのにこんなに明るいなんて……」
虚ろな眼差しのまま呟くエステリアの前で兵士が言った。
「なにを仰っているのですか? ここはカルディア城、小離宮の庭ですよ?」
「小離宮の……?」
気がつけば、至宝の間で別れたはずの兵士達が、自分を取り囲み、心配そうにこちらを見下ろしている。エステリアは、と、ある疑問を口にした。
「私……どうして生きているの?」
確かに自分はあの至宝の間で溺れていたはずだ。その証拠に、今もエステリアの髪も法衣もびっしょりと濡れている。
「まだ寝ぼけておいでですか? 神子殿。それに、何が起きたか知りたいのは、こちらの方です」
言いながら、兵士の一人がエステリアに毛布をかけ、髪を拭くためのタオルを手渡す。
「神子殿が至宝の間へと赴かれた後、小塔がまるで崩れ落ちるかのような音を耳にしましてね。本来ならば、地下水路への入口で、神子殿の帰りを待っておらねばならなかったのですが、つい敵襲と思い、小塔がよく見える、この庭に駆けつけたところ……、ずぶ濡れの神子殿が、庭の木にもたれるようにして眠っていた、というわけです」
あの暗闇の中、呼吸することすらままならず、そのまま意識を失ったエステリアにとっては、どこか釈然としないものがあったが、現にこうして自分の身が、小離宮の庭にある以上、兵士達の話に納得せざるを得なかった。
「ああ、よかった。神子殿が無事で……」
近くの兵士達がこぞって胸を撫で下ろす。
「貴方達はリリスに従う者なのでしょう? どうして私の無事を喜ぶの?」
なんの感情もない声でエステリアが訊いた。これまでの非情な行いからして、リリスがエステリア一行らに敵意を抱いていることぐらい、一目瞭然である。今回にしても、シエルを人質にとり、受難の道であるとわかっていながら、エステリアを至宝の間へと向かわせた。
その真意こそ定かではないが、彼女がエステリアの不幸を望んでいることだけは確かだ。これで至宝を手に無事生還したとあっては、リリスにしてみれば面白いわけがない。
そんな彼女に付き従う者達でさえ、おそらくは自分を快くは思っていないのだろう、とエステリアは卑屈な考えではあるが、そう感じていた。なにより、これまでシェイドやガルシアに仕えていたはず兵士達の態度の急変ぶりが、そう物語っているような気がしたのだ。
しかし、兵士達は互いの顔を見合わせると、まるで何かの目を気にするようにして、小声で語り始めた。
「神子殿。何も全ての人間が、リリスに心からの忠誠を誓っているわけではないのです。これだけは誤解しないでいただきたい」
「本当は……嫌々ながらに従っている、と?」
憔悴しきった表情でエステリアは尋ねた。その手には、今でも、しっかりと神子の額環が握られている。
「我々は神子である貴方に、リリスの傀儡と成り果てております、テオドール陛下を救っていただきたいのです。そして、悪しき支配者、リリスを討ち取って欲しいのです。このまま得体の知れぬオディールとかいう女騎士に、軍を任せてはおけません。軍には、これまでのように、ガルシア将軍や、シェイド副将軍に、取り仕切っていただきたい……」
握り締めた拳を震わせながら、兵士は言った。
「リリスを討ち取るのは、私の役目ではないわ……それでも、貴方達は力ある者に頼るより術はないのね……」
立場の弱い者が、力の強い者の後ろで守られようとするのは、至極当然のことだ。ガルシアやシェイドが軍での地位を罷免された今となっては、リリスに従うのが、一番賢い選択といえよう。
そのために、非道な行いをすることになっても、己の身を、そして家族や大切な人を守るためには、致し方ないことだ。中には、リリスに忠誠を誓うことによって、地位と権力を得たことに、充分、満足している者もいるかもしれないが。しかし、彼らは、屈辱的にリリスに仕える傍らで、彼女を倒すだけの者が出現するのを心待ちにしている。とりわけ『神子』という存在は、彼らにとって心の拠り所であったのかもしれない。

「でも……残念だけど、私は貴方達の期待の全てに添えることはできないわ。私は、自分の大切な人をリリスの手から助け出すことで、手一杯なの……」
申し訳なさそうに答えるエステリアの姿に、兵士達は目を伏せた。無論、エステリアも彼らの望みを叶えてやりたいとは思っていたが、もはや神子でない自分には、それすらも、ままならない。ある程度、身体から零れ落ちる、雫を拭い去ると、エステリアは言った。
「さぁ、至宝は手に入れたわ。私をテオドール陛下の元へ連れて行って下さい」





エステリアが兵士達に導かれ、辿り着いた、テオドールが静養するという離宮とは、静寂が満ち、閑散とした主塔(ベルクフリート)であった。
城壁上にある回廊を通り、そこに主塔の入口まで辿り着いたエステリアを待っていたのは、黒い甲冑に身を包んだ女騎士だ。
「神子殿をお連れしました。オディール殿」
エステリアを連れ立った兵士の一人が、恭しく頭を下げる。
「ごくろう」
オディールはそれだけ言うと、兵士達に、すぐさまここを立ち去るように命じた。兵士達が一人残らず、この場から去ったのを確認して、
「貴方が、エステリア?」
オディールは尋ねると、じっとエステリアを見つめた。エステリアは頷き、オディールを見つめ返した。とはいえ、兜のお陰でその表情を見ることはできない。
「貴方が、このカルディアの全軍を任されているというオディールですか?」
「ええ」
「変わった名前ですね。黒鳥の騎士(オディール)なんて……」
「私が名乗っているわけではありません。私が好んで、この黒鳥を模した甲冑を身に纏っているから、そのまま黒鳥の騎士と呼ばれることになったのです」
「そう、じゃあ、貴方の本当の名はきっと違うのね」
ものの答え方からして、さほど悪い女性には見えなかったが、所詮は、リリスが呼び寄せた騎士だ。どうせ曰くつきなのだろう。しかし、今は、シエルを救い出すが先決であるエステリアには、そんなことはもうどうでもよかった。シエルがリリスの手にかかり、酷い目に、恐ろしい目に遭わされていなければいいのだが……それだけが気がかりだ。この先にテオドールはいる。おそらくシエルもここに捉えられているような気がした。
オディールに言われるがまま、主塔の中へ入ろうと、一歩踏み出した矢先――
「お嬢ちゃん!」
エステリアが来た道順とは別方向から、ガルシアとサクヤが現れた。
「相変わらず威勢がよろしいことで。謹慎の身であるにも関わらず、堂々と城に侵入するなんて、これ以上立場を悪くして良いのですか? ガルシア元将軍?」
「お前とは初対面なはずだが? 現、カルディア将軍さんよ!」
「いいえ。貴方のことは、よく存じておりますよ」
オディールが唇に笑みを浮かべる。
「けっ、どうせリリスの野郎から、色々と情報を仕入れただけだろうが」
ガルシアがバスタードソードを構えた。
「さぁ、そこを退いてもらおうか。お嬢ちゃん一人でテオドール陛下に会わせるわけにはいかねぇ」
「ガルシアさん……?」
エステリアが足を止めたまま訊く。
「神子殿、早く中へ。テオドール陛下は貴方を心待ちしているのです。この者達は私が始末致しましょう」
「ちょっと……始末するなんて止めて!」
「エステリア、貴方の方こそ、私やこの者達に構っていていいの? 貴方の侍女は今頃……」
オディールが云わんとしていることは、エステリアにも理解できる。エステリアは至宝を手にしたまま、主塔の扉と、ガルシア達を交互に見た。
「やれやれ、一番厄介な奴ほど、香で眠らせることができなかったのが皮肉だな」
ようやくサクヤが口を開き、錫杖を構える。
オディールもまたその甲冑と同じく、漆黒の剣を抜いた。
「さて、二対一なわけだが、お前、わかっているだろうな?」
サクヤがガルシアをちらりと見た。
「ああ、この際だから卑怯だぁ、なんだぁ、言っている場合じゃねぇ、ってことだろ?」
「そうだとも、要するに、『勝てば』問題ないんだ」
ガルシアはサクヤの答えに、口元を緩めると、剣を掲げ、オディールに向かって突進した。一瞬遅れて、サクヤもそれに続く。迎え撃つオディールもまた、剣を振りかぶる。
しかし、先にオディールの剣を受け止めたのは、サクヤであった。
オディールの目の前に、もはやガルシアの姿はない。
「行くぞ、お嬢ちゃん!」
オディールを急襲するふりをして、ガルシアはエステリアの元へ駆け寄ると、その身を守るようにして、主塔の中へ入っていく。その様子を横目で見たオディールが舌打ちする。
「余所見をするなよ」
すかさずオディールのあばらに、サクヤの右膝が入る。
「っ……」
オディールは思わずよろめき、すぐさまサクヤから距離を取った。
「不服そうだな。誰も錫杖だけを使って攻撃する、なんて言ってないだろ? それだけの甲冑を着込んでいるんだ。さほど効いてないだろ?」
サクヤの言葉に、オディールは鼻で笑った。
「なるほど、ガルシアが囮で、私の相手……本命は貴方、というわけですか」
「ああ。あの娘に付き添うのは、私よりもあの男の方が適任だったからな」
「私にはわかりませんね。どうしてあのような弱々しい娘を、皆がこぞって守ろうとするのか……」
言いながら、オディールは左手で、背中に背負った鞘から短剣を抜く。
「二刀流か……。まぁ、いい。女同士の喧嘩っていうのは、派手な方が面白い」
サクヤは好戦的な笑みを浮かべると、早速、オディールに向かって踏み込んだ。


括り殺され、その場に投げ捨てられたユリアーナの死体を目にしたリリスは、やれやれとばかりに肩を落とし、平然と佇むアドリアに声をかけた。
「あらあら、もう始末してしまったの? 王女様?」
しかしアドリアは不思議そうな顔をして、リリスに訊き返した。
「だって、身の程知らずが、あまりにもうるさいんだもの。鬱陶しいからちょっと黙らせただけ。なに? いけなかった?」
「いいえ。ただ、もう少し面白いものを見せてくれるのだと思って、彼女をこの地に呼び寄せたのだけど……結局は何も事を起こさぬまま……最期までつまらない女でしたわね」
ユリアーナの死体を一瞥すると、リリスはアドリアを真っ直ぐに見つめた。
「エステリアが至宝を手にしたようです」
「本当?」
アドリアが表情を輝かせた。リリスが静かに頷く。
「もうまもなくすれば、この城内に姿を現すでしょう。王女様、どうぞ今からご案内する場所で、お待ち下さい」
リリスが促し、早速、歩き出す。アドリアはその後に続いた。
「ついに、私がお父様に認められる日が来たのね?」
「ええ。きっとテオドール陛下も、喜ばれることでしょう。我が子が神子となることこそ、何よりの誉れですもの」
アドリアに背を向けたまま、答えるリリスは形の良い唇を吊り上げ、笑った。



リリスが案内した部屋には、甲冑や槍が立てかけられ、壁にはずらりと無数の剣が掲げられていた。ここは、いわゆるカルディアの武器庫である。てっきり父が身を隠す主塔(ベルクフリート)に向かうものと思っていたアドリアにとって、これは心外であったが、なるほど、ここにエステリアを呼び寄せて、始末すればいいということか――と、すぐさま、納得した。
一通り、辺りを見回すと、その視線の先に、純白のドレスを纏った女性が立っていた。マーレ王妃である。
「お母様! お母様もいらしたのね?」
そう、アドリアにとって唯一無二の味方、アドリアと同じく、エステリアを必要としない者……それが母であった。つまりは母もエステリアの最期を見届けるつもりなのだ。アドリアは先を行くリリスを小走りに追い抜くと、嬉しそうにマーレの前に立った。
「私、絶対に神子になるわ。そしてお父様にも私の価値を知っていただくの。このカルディアには私が必要であることを……」
嬉しそうに話すアドリアであったが、マーレ王妃の表情は硬い。
「お母様……? どうされたの? 私が次の神子になってこの国の……お父様のお役に立つのよ? 嬉しくないの?」
アドリアは首を傾げた。直後、リリスの高笑いが部屋中にこだまする。
「リリス……どうしたのよ?」
アドリアは驚き、リリスの方へと振り返った。
「残念だったわね、至宝を手に入れようとも、エステリアを殺そうとも、貴方は神子になんかなれないのよ、アドリア王女様」
「どうして!?」
アドリアが声を荒げるのに対し、リリスは悠然と言った。
「神子として選ばれるには、貴方には霊力の欠片もなく、力を受け入れるだけの器もない。なにより王女様、貴方は全てにおいて、穢れきっているのよ」
リリスの言葉に愕然とするアドリアだったが、その刹那、焼け付くような痛みが、鎖骨から胸の辺りを走った。
「っ……」
この一瞬で、一体何が起こったのか理解できず、アドリアはただ、恐る恐る、痛む胸元を見た。いつの間にか、鎖骨から胸までの皮膚がぱっくりと避け、(おびだた)しいほどの血がドレスを濡らしている。
「ひぃっ……!」
アドリアは思わず、情けない悲鳴を上げた。
そのまま、母親に助けを求めようと、視線をやった矢先、母が手にしたものを見て、言葉を失う。
母、マーレの手には、おそらくは壁に掛けられていたものを取ったのだろう、一振りのサーベルが握られていた。その剣先は、うっすらと血に濡れている。即座にアドリアは、自分の胸を切り裂いたものの正体を悟った。
「何をなさるの!? お母様!」
アドリアは悲痛な声で叫んだ。しかしマーレは眉一つ動かそうとはせず、ただ、
「あら……外したわね」
と、不思議そうに呟くと、今度はアドリアの右足の腱を切り裂く。
「いやあっ!」
アドリアは痛みに叫び声をあげ、そのまま尻餅をついたかと思うと、床を転げまわった。
「……これで歩けないわね、簡単に逃げることすらままならないわ、アドリア」
「どうして……お母様……」
右足を押さえ、生汗を浮かべながら、アドリアは王妃を見上げた。
「何をするの……って今言ったわね。決まっているじゃない、貴方を殺すのよ、アドリア」
マーレは感情のない声で言った。
「は?」
母親の只ならぬ様子に、混乱しつつも、危険を悟ったのか、両手を使ってじりじりと後退するアドリアの元へ、王妃は、サーベルの刃先を床に引きずりながらゆっくりと近づいてきた。
「気でもお触れになったの? お母様!」
「いいえ、私は正気よ? アドリア」
「だったらどうして私を殺そうとされるの!」
喘ぐように叫ぶ娘の姿を目にしても、マーレは表情を変えずにきっぱりと言った。
「だって……血の繋がらない娘なんて、愛せるわけがないでしょう?」
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