Back * Top * Next
EternalCurse

Story-57.至宝の間
王宮からの使者達によって、至宝の間へと続く入口の前に送り届けられたエステリアは、愕然としたままその場に立ち尽くした。
至宝の間とは、勿論、神子の至宝を時が来るまで奉納する間であるはずだ。おそらくは霊験あらたかな場所であると想像していたにも関わらず、その入口とやらは、どう見ても、古びた地下水路へと続くものであった。
「この先に、本当に『至宝の間』があるというのですか?」
疑わしそうにエステリアが呟く。
「はい。話によれば、至宝の間は、この地下水路の奥にあるそうです」
エステリアの周りに恭しく膝をついた兵士の一人が、答えた。
「仮にも神子の至宝を、こんなじめじめしたところに祀るなんて、いい度胸ね」
何気ないエステリアのその一言に戦慄が走る。先程エステリアの質問に答えた兵士は、慌てて弁明した。
「お、お怒りなのはわかりますが、神子殿。この中に至宝を祀るようにと仰せになったのは、紛れもないテオドール陛下であります。至宝の間へは神子殿以外には立ち入れぬ結界が張られておりまして……故に我らも一度たりとも、踏み入れたことはございませんので、なにとぞご理解下さい」
「あ、そう。とりあえず不都合な事は、全部、陛下に擦りたいってわけ?」
エステリアは冷ややかにその兵士に視線を移した。
「ど、どうか、どうかお怒りを鎮めてください、神子殿」
「……怒るわよ。こっちはただでさえ、私の大切な侍女を人質に取られているのよ?」
不快感を露わにするエステリアの姿に、兵士達はますます萎縮した。
「それで、私はこの地下水路をどう進めばいいわけ?」
「き、聞くところによれば、この中にある通路ではなく、水の道筋を……水が流れる元を辿れば、そこに至宝の間があると、リリス様が……」
「なぁに? それってこの私に法衣をずぶ濡れにして、水の中を歩けって言っているの?」
自分でも不思議なぐらいに、いや考えられないぐらいに、高圧的な態度であると、エステリアは思った。しかし兵士達の前で、くよくよとした素振りを見せるわけにはいかない。既に神子ではないと、悟らせてはならない。そんな思いが、自然と『はったり』を言わせているのだろう。
そう思っていた矢先、兵士が恭しく松明を差し出した。エステリアは溜息をつきながら、その松明を受け取る。要するにこの松明を持って、水路を突き進め、ということだろう。
「貴方達は、これからどうするの? 私が帰ってくるまでここで待ち続けるわけ?」
「はい。我々は神子殿が至宝を取ってこられた後、テオドール陛下の元へと案内する役目がありますので」
最悪だ――とエステリアは心底思った。と、同時にせめて至宝を手にするまで、待ち受ける兵士の元へと戻ってくるときまで、後に天罰を受けようとも、この命が在ることを祈った。

古びた扉が開かれ、兵士達に見送られながら、エステリアは松明を手に、階段を下りる。
そこは、迷宮のように入り組んだ通路であり、おそらくは王族の避難経路、いざというときの抜け道として作られたのだろう。
つまりこの通路は、城のいくつかの部屋に繋がっているということになる。しかし、エステリアが向かうべき場所は、そこではない。至宝の間だ。先程の兵士が言うには至宝の間は『水の道筋』を辿った先にあるという。エステリアは仕方なく、水路の中へ、足を踏み入れた。
その刹那――

どう……か……気をつけて……エス、テリア様……。
懐かしい侍女の声が、一瞬脳裏を過ぎったような気がした。
「シエル?」
エステリアは思わず辺りを見回したが、そこにはエステリア以外、誰も居るはずがなかった。
エステリアは覚悟を決めたように息を吐くと、足元に気をつけながら、ゆっくりと歩みを進めた。





「さてと、いよいよエステリアが至宝の間へと向かったわね。早いところ至宝を取ってきてくれないかしら?」
リリスが用意した水鏡の中に映った光景を目にしながら、アドリアは嬉しそうに呟いた。同じく傍らでその水鏡を覗き込むユリアーナは、膨れっ面で、アドリアに不満を述べる。
「ちょっと、アドリア! こんなものはどうでもいいから、ジークハルトの様子を見せて頂戴」
「どうして今更、ジークハルトの様子なんて見なくてはならないのよ」
「だって、あの王冠泥棒がこの国で、地位を奪われて意気消沈する様が見たいのよ!」
しかし、アドリアは頭を振った。
「軍での地位が無くなったところで、彼が落ち込むとは到底思えないわ。彼は誇り高い人だもの

「アドリア! 貴方はどうしてそうジークハルトの肩を持つの! あの男は私にとって、王冠を阻んだ上、家族の仇なのよ!? 八つ裂きにしても飽き足らないわ!」
ユリアーナは苛立たしげにそう叫ぶと、アドリアの手を力いっぱい掴む。
「ジーク、ジークって、さっきからうるさいのよ!」
眉間に皺を寄せ、煩わしそうにアドリアはユリアーナの手を振り解いた。
「いいこと? 貴方にとってジークハルトは貴方よりも麗しくて憎い男かもしれないけれども、私にとっては、私を楽しませてくれる逸材なの。彼を生かすのも殺すのも私の自由だわ。それを決めるのは、ユリアーナ、貴方の役目じゃなくてよ?」
「でも!」
反論しようとしたユリアーナに対し、アドリアは言葉を遮ると、
「ああ、もういいわ。言葉の通じない人間とは、話す気にもならない。お前達、この鬱陶しい女を始末して頂戴」
近くの兵士に、己が従兄弟に対する処遇とは思えぬほどの、非情な命令を下した。アドリアの合図によって、すぐさま、兵士達が駆け寄り、ユリアーナの身を取り押さえる。
「ちょっと、アドリア! これは一体……!?」
あまりにも突然のことに狼狽するユリアーナを捨て置き、アドリアは薄っすらと微笑んだ。
「これは一体……って、妙なことを尋ねるのね。この兵士達に貴方を殺してもらうのよ」
言いながら、アドリアは兵士達に視線を移した。
「お前達も楽しんでいいわよ――と、言いたいところだけど、こんな醜女じゃ相手にする気すら失せるわよね。『慰め』にも『はけ口』にすらならないわ。さっさと殺して、野原にでも捨てておいて頂戴」
「アドリア、アドリア!」
「カルディア王女の私を簡単に呼び捨てにしないでくれる? こっちは貴方みたいな醜い豚と従兄弟というだけで、気分が萎えるっていうのに……」
「この私を、醜いですって!?」
ユリアーナの言葉に、アドリアは芝居がかったように盛大な溜息をついてみせた。
「まだわからないの? お前が『メルザヴィアの奇跡』なんて呼ばれているのは、お前のどうしようもない母親が作り出した幻想よ。あの世で飽きるまで鏡を見て確かめることね」
「なんですって……お前、よく、も……ひっ、ぐっ、ぎゃっ……」
まるで家畜が縊り殺されるかのように、首元を粗末な縄で締め付けられ、ユリアーナはあっさりと果てた。
「変な叫び声。殺される豚でもこんな妙な鳴き声はあげないわよ? って、もう貴方には聞こえてないんでしょうね、ユリアーナ?」
嬉しそうにアドリアが見下ろしたユリアーナの最期の形相は、恨みがましく醜悪なものであった。」





ついてない人生だったと、我ながらに思う。一人、水路を進みながら、エステリアは物思いに耽っていた。
エステリアにとって、祖母にあたる女性は、集落の大巫女ではなかったが、『運命の双子』を産み落とすという宿命を背負った人だったと、人伝に聞いた。
祖母の名はクロエといった。クロエはセレスティアとマーレを産むと同時に亡くなってしまったらしい。それでも祖母は過酷な運命から逃げ出すことはなかった。代わりに生まれてきた双子は、生まれながらにして、片や次代の神子、方や次期大巫女としての役目を背負っていた。集落でも同胞からの尊敬を集める傍ら、彼女達は心無い者達から、『母殺し』とも囁かれていたそうだ。結局、セレスティアは殺され、マーレもまた大巫女の座を投げ出し、一族を裏切ってテオドールの元へと嫁いだ。
エステリアは家族の顔を知らずに育った。母の顔すら今になって、初めて知った。そして異父妹の顔も。
父はテオドールが、集落に攻め入った際に、命を落としたという。ナイトメアに取り込まれた際、父と思しき青年を目にしたが、もしかしたら、自分が思い描いた理想の幻だったのかもしれない。
エステリアには、母親から受ける愛情や、家族愛や兄弟愛といったものが全くわからなかった。
それでも集落の大巫女は、他人を平等に慈しんだとしても、それ以上の深い愛情を、個人に注いではならないという掟があった。もしも、愛する者と結ばれ、子を儲けたいというのであれば、大巫女の座を退き、次に選ばれし者へと譲らなければならない。もとより、神以外の者に恋焦がれた時点で、大巫女の霊力は大幅に失われてしまう。子を産めば尚更だ。
エステリアを産んだ後も、霊力の大半が失われたとはいえ、大巫女を続けていたマーレは、運命の双子であるがゆえ、特別であったのか、異例といってもいい。
しかし、エステリアは、婚姻や出産などというものとは無縁でありたいと、心底思っていた。生涯、神以外の誰も愛することはないだろうと、誓っていたエステリアにとって、愛されることも愛することも知らないこの感情は、大巫女としては好都合であった。きっと誰に恋することもないだろう、と信じきっていた。人として当然の感情も押し殺し、女性としての幸せすら掴めぬまま、無用な愛など知らぬままに、一生を終えることになろうとも、それでいいと、納得していた矢先、今度は神子として選ばれたという。
なんと受難の尽きない一生だろうか、と心底思った。妖魔に陵辱されてからは尚更である。ただ、それでも世間知らずであった自分にとって、ガルシアやシエルは、集落の同胞とはまた違う、外の世界の人間と接することの楽しさや素晴らしさを教えてくれた気がする。そして、シェイドにおいても、色々と振り回されたようにも思えるが、エステリアにとって、最終的に安らぎを得る場所であったのも事実だ。心地よく圧し掛かる体重や、絡まる腕、交わる吐息、温かい肌、甘い痛みと、交わる程に刻み付けられる罪の意識は今でも鮮明に思い出すことができる。ただ、愛欲に生きたことだけが、唯一満たされた瞬間だったと、思えることが、悲しかった。
そのことによって、聖女と言われた自分も、所詮はただの女に過ぎないことを痛感した。
期待に胸を膨らませ、地下水路の外で待ち受ける兵士達には、ああ言ったものの、この先、至宝の間で、何が起こるかは、想像できない。神子でない者が、その間に踏み入れた場合、必ずや天罰が下るという。正直、心の中は不安で一杯だった。
もしも、この身が天罰によって朽ちたとしても、魂という形でも存在できるのであれば、どんな手段であれ、シエルを救い出したいと思う。
「最低ね……」
地下水路に、女の声が響いた。この声には聞き覚えがある。
背筋が凍るようなこの声の持ち主は――リリスだ。
「自分だけが幸せであれば、それでいいの? 仮にも貴方に尽くしてくれた侍女が、人質として捕らえられているというのに……、その隙をついて、男と睦みあうなんて……所詮、貴方もただの堕落した牝犬にすぎないのね、エステリア」
「今更、私のことはなんと言われようとも構わないわ」
「あら気丈なことね。じゃあ、このことを貴方の侍女に洗いざらい話してあげましょうか? 神子は貴方のことなど一切頭になく、男に現を抜かしている……と」
リリスの言葉に、エステリアは固く口を閉ざした。確かに、シェイドと睦みあったとき、完全にシエルのことが頭になかったのは事実だ。それをシエルが知ったならば、きっと彼女は自分を軽蔑し、激しい憎しみを覚えることだろう。
「いい子ね、エステリア。私に逆らわない方が賢明よ。なぜなら、貴方の侍女を生かすも殺すも、いいえ、死よりも辛い苦痛を与えてあげるのも、私の意志次第なんだから、そう、例えばテオドール陛下の快復を願うための生贄に捧げるとか……」
「やめて! シエルは関係ないでしょう!」
誰もいない水路に、エステリアの声がこだました。
「貴方、ここまで他人の人生を狂わせて、気持ちを弄んで、一体、何が楽しいの?」
「他人を弄ぶことが駄目なら、貴方ならいいわけ?」
エステリアはリリスの声に答えることはしなかった。ただ、自分一人のために、関係ない者達までもが、巻き込まれることだけは、どうしても我慢ならなかった。その心を見透かしたように、
「じゃあ、貴方に最後の絶望を教えてあげるわ」
リリスが言う。
その直後、
「っ……」
胃のそこから込み上げてくる不快感にエステリアは口元を押さえた。あまりにも突然のことに、危うく松明を取り落とすところだった。
異様なほどに脈打つ下腹、そこに宿る温もり、心なしか張り始めた胸……どう、現実から逃げようとも、もはや認めざるを得なかった。この腹には確実に、妖魔の子がいるということを……。
そしてその成長が人よりも早いということを。
「本当に馬鹿な子ね。せいぜい絶望に打ちひしがれて、苦しむがいいわ」
耳を塞ぎたくなるほどの、リリスの高笑いがこの場に反響する。
エステリアは、不快感に涙を浮かべたまま、ただ、呼吸を整えることしかできなかった。
Back * Top * Next