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EternalCurse

Story-52.密談-T
「ああ、シェイド、無事に帰ってきてくれたのね!」
屋敷に辿り着くなり、ブランシュール公爵夫人ことソニアは、力いっぱいシェイドに抱きついた。
「止めて下さい、母上。もう子供じゃないんですから……」
やんわりと言いながら、ソニアの身体を退けるシェイドは屈託なく笑う。先程の悪魔のような表情が嘘のようだった。ソニアはシェイドの後ろに、エステリアの姿を見つけると、益々表情を輝かせた。
「あら、エステリアも一緒じゃないの! またここに連れて来るなんて、シェイドったら! 貴方、やっぱりこの娘をお嫁さんにするつもりなのね!?」
普段ならば、この養母の突拍子もない発想に『どうしてそういう話になるんです? 母上』という反応を示すシェイドであったが、このときは、少々違った。
「ええ。一応、『正式』に申し込んではいるんですが――」
「あら、もしかして、シェイド……ふられちゃったの? まぁ、エステリア、貴方ったら、おとなしそうな顔をして度胸があるわねぇ、一国の王子様をふるなんて」
正式に――という表現から、エステリアも養子の素性を既に知っていることを理解したのだろう。ソニアは、解釈としては微妙なものがあるが、思わずエステリアに感心した。
「あの……別に断ったわけではないんですけど……」
エステリアは小さく答える。その返事を聞くや、ソニアはいきなりエステリアの両手を握り締めた。
「じゃあ、この子のお嫁さんになってくれるのね? ありがとう、エステリア、愛してるわ。この子がミレーユを失って、どうなるかと思ったけど、貴方なら大丈夫、きっといいお嫁さんになるわ」
「いえ、そういうわけでもないけど――」
「気が早すぎますよ、母上……ある程度落ち着くまで、返事は尋ねないことにしています」
半ば呆れた様子でシェイドが呟く。
「そうなの。残念ね。さぁ、早く座って頂戴な。エドガーも呼んでくるわ。積もる話はそれからしましょう」
ソニアはシェイドとエステリアに着席を促すと、夫を呼ぶべく、部屋を退出した。


程なくして、ソニアに連れられて、ブランシュール公爵こと、エドガー・ブランシュールが、食卓で待つ、エステリア達の前に姿を現した。
どっかりと椅子に着席するエドガー・ブランシュールは、五十代半ばであるにも関わらず、頭髪と顎に蓄えた鬚は、雪のように白い。しかし、それが公爵として、そして剣聖としての貫禄をより一掃、醸し出していた。
「よく、ご無事に帰還されましたな。神子殿、そして殿下」
エステリアとシェイドの顔を交互に見ながら、エドガーは言った。
シェイドは何を今更――とでも言いたげな表情をすると、
「父上、ここにきてまで私の事を殿下呼ばわりするのは止めてください。つい最近まで祖国でそう呼ばれ続けて、いい加減、うんざりしていたところなのですよ?」
と、一言断りを入れて、ようやく話を切り出した。
「ところで、テオドール陛下がなにやら一大事と聞き及びましたが? 一体、何事で?」
「神子殿がこの地を発たれてまもなくです。陛下が病に倒れたという知らせが、カルディア中に広まりましてな。側近――とはいえ、預言者リリスから聞いた話だそうですが、陛下の病は重症で完治するためには、神子の力が必要なのだとか。陛下は誰も寄せ付けぬよう、離宮にて療養中とのことです」
エドガーが答えた直後、続いてエステリアが何やら、いても立ってもいられぬ様子で、尋ねる。
「あの――陛下がお倒れになったことは、シェイドやガルシアさんが、このカルディアの軍で地位を失ったことと、何か関係があるのでしょうか?」
エドガーは顎鬚をゆっくりと撫で下ろしながら、エステリアを諭すように言った。
「陛下が病に臥せっておられる以上、カルディアの軍隊を指揮するのは、本来ならばガルシア将軍の役目なのですが、その将軍ですら、神子と同行してしまったため不在。と、なれば誰かが代わりにカルディアの軍隊の指揮を取る必要がある、と考えるのが自然です。そこで預言者リリスはオディールという女騎士に、カルディアの全軍の指揮権を与えました」
「でも! その女騎士はあくまでも、ガルシアさんの代理として存在するのでしょう? ガルシアさんは、もうカルディアに帰ってきたんだから、将軍の地位を返してもらってもいいはずなのに、どうして任を解かれることになるんですか?」
納得できぬエステリアが反論する。
「お前の旅に同行しろという命令が、陛下から下された時点で、俺達は左遷を言い渡されたようなもんなんだ」
「え?」
思わずエステリアはシェイドを凝視した。
「左遷と言ったらお前に失礼だな。要するに神子専属の護衛職に変わったと考えてもらっていい。だから俺やガルシアも、カルディアの軍隊での地位を失うかもしれないと、覚悟はしていた。しかし、まぁ、本当に達しがくるとはな……」
「ガルシアさん、覚悟してたの?」
「ああ。だからカルディアを発つ前の日に、自棄酒を飲んで、泥酔していたろう?」
「あの……じゃあ、シエルは? もしかして、シエルも……」
「シエルも、お前に同行した時点で、王宮での職は失っているはずだ」
「そんな……」
初めて出会ったあの時、シエルは神子の侍女として仕えることを誇らしげに語っていた。しかし、それと同時に王宮に仕える侍女という役職を失ってしまったのだ。
それでも旅の道中、シエルは忠実に、エステリアによく尽くしてくれた。そんな彼女の期待に答えることなく、エステリアは神子の洗礼を受ける前に、妖魔によって穢されてしまった。その時は、色々と励ましてくれたシエルであったが、もはや王宮にも居場所がなく、その上、神子でもない者に仕えていた彼女の心は、先行きに対する不安しかなかったことだろう。エステリアは小さく震えた。
「しかしながら――」
エドガーが咳払いをしながら、シェイドとエステリアの話に割って入った。
「殿下、もといシェイドはご自身の罷免は当然のように受け取っていますが、私の率直な考えを申しますと、リリスには現段階で、ガルシア将軍や貴方に復帰されては困る理由があったのではないでしょうか?」
「じゃあ……公爵様は、ガルシアさん達の罷免は、あくまでもリリスの都合によるもので、国を出た時点で決まっていたものではないと、お考えなのですね?」
「考えすぎといわれるかもしれませんが、私はそう思っておりますよ」
あくまでも予測にしか過ぎませんが――エドガーは淡々と続けた。
「正直、最近の預言者リリスの行動には、目に余るものがあります。以前、リリスはここまで政に口出しすることなどありませんでしたからね。そこで、神子の付き添いを終えたガルシア将軍やシェイドが、カルディアに帰ってくる。勿論、貴方がたは、そこでカルディアの情勢を知り、その不満も耳に入れるわけですから、そこで自然と打倒リリスという流れが出来ても不思議ではありません。いいえ、あの血の気の多い、ガルシア将軍のことですから、陛下とリリスの癒着を懸念して、必ずやリリスを倒すでしょう」
「あの、ガルシアさんが、ですか?」
いつも陽気なガルシアからは想像しがたいものがあるのだが、エドガーは、確信を持って頷いた。
「神子殿。ガルシア将軍は、ああは見えても軍隊を指揮する実力は確かですぞ? まぁ、その情の深さというか仲間思いが祟って、うちのシェイド諸共に、数回、死にかけたこともあるようですが――」
エドガーが苦笑する。
「ならリリスは、自分の保身のために、ガルシアさんやシェイドの地位を奪ったということですか?」
「……おそらくは。なんらかの目的のためでしょう」
「俺はてっきり、帰還した途端に、国がエステリア派とアドリア派の二つに別れていると思っていましたよ」
今度はシェイドが語り始め、
「ああ、なるほど」
エドガーが理解を示す。
「あの……私と、アドリア王女が何?」
「テオドール陛下の直系であるアドリア王女と、その異父姉であり、運命の双子たるマーレ王妃の血を引いた上、次代を担う神子であるエステリア、どちらがカルディアの後継者に相応しいかという問題で、ごねているだろうと思っていたんだ」
「それはさすがにありえないでしょう? 私、カルディアの血なんて引いてないもの」
「だが、マーレ王妃がいる以上、お前は俺の従兄弟でもあるんだぞ?」
「だからって、私が後継者に選ばれることなんてあるわけがないわ」
しかし、エドガーがそれを否定した。
「いいえ、テオドール陛下が貴方と養子縁組し、王女に据えたあと、そのまま王妃として娶れば、それもおおいに考えられます」
「娶る……って――?」
エステリアはあまりの衝撃にぽかんと口を開けたまま、固まった。
「言葉の通りだ。マーレ王妃とアドリア王女を追い出し、神子となったお前を、事実上、王女か王妃に据えれば、神子の名の元に権力を振りかざし、世界を牛耳ることができるだろう? 俺でも思いつくぐらいだから、あのテオドール陛下がそれを考えぬはずがない。そして、それにいち早く気付いた貴族らが、さっそくエステリア派擁立に向けて動き出す――と踏んでいたが、陛下自身が倒れたから、幸か不幸か、それどころじゃなくなったようだな」
シェイドは息をつくと、本題に入る。
「父上、裏切り者の我が同僚カイルによると、テオドール陛下は至宝を得た神子の力なくしての快復はないと聞き及びました。連中はどうしてもエステリアに神子の至宝を取ってこさせようと必死のようですが?」
「ふむ。本来、神子の至宝は、カルディア、グランディア、メルザヴィアの三国で預かることになっておりました。しかしながら、グランディアが『セレスティアの悲劇』を招いてからというものの、彼の国はそれを預かる権限すら失い、代わってカルディアが、至宝の『本体』とグランディアにあった、その一部を預かることになりました。このことは、既に神子殿もご存知でしょうか?」
「はい」
「神子の至宝とは、本体である額環(サークレット)と、地水火水の四大元素の源たる宝珠四つで成り立っているそうです」
神子の至宝そのものが、額環であるとは初耳であったが、宝珠の一部は既に手に入れているため、エステリアは頷いた。
「その宝珠の二つは、メルザヴィアで賜りました」
ソフィア王妃の額飾りと首飾りに使われていた小さな青と緑の宝石こそが至宝の一部だ。一応、エステリアはその二つを装飾から取り外し、今も預かっている。
「このカルディアでは、神子の至宝は、額環に地と火の宝珠を埋め込んだ状態で、至宝の間に奉納されています」
「至宝の間……?」
エステリアが訊き返した。
「私も名前だけは聞いたことがあるのですが、それが城のどの位置に存在しているかは、さすがにわかりません。しかし、至宝の間には、奉納の際に結界が張られており、神子以外の者が、至宝に手を出せば、必ずや神罰が下るといわれております」
「神罰、とは?」
「神子でない者は不浄とされ、そのまま結界によって浄化されるそうです。または至宝を手にした途端に、仕掛けられた罠、もしくはなんらかの力が働いて、その狼藉者を殺すのだとか……」
「どの道、神子以外の人間が、至宝を取りに行こうものならば、必ず死ぬということですね?」
念を押すように、シェイドが尋ねた。
「そうです」
相槌を打つエドガーは、正真正銘の神子ならば、そのような事態には陥ることはないだろうと、付け加えて、エステリアを見つめたが、
「必ず……死ぬ……」
エステリアはその視線にも気付く事なく、ただ『神罰』と『死』という言葉に心の中を支配されたまま、呆然としていた。
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