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EternalCurse

Story-51.勅命
「やっぱ、あの『賑やかし』がいないと、寂しいもんだな」
カルディアに向かう道中、揺られる馬車の中で、ガルシアが呟いた。
「ええ」
心ここにあらず――といった表情でエステリアが返事をする。
「お嬢ちゃん、気持ちはわかんねぇでもないが、あんまり落ち込むなよ? そんなにやつれちまって……大丈夫か? あれ以降、あんまり食事もしてねぇみてぇだし、ちゃんと寝てるか? お嬢ちゃんがぶっ倒れたんじゃ、元も子もねぇぞ」
「ありがとう、ガルシアさん。でも大丈夫」
メルザヴィアから長い船旅を終えて、このカルディアの地を踏むに至るまでの間、シエルが口にした言葉が、エステリアの心を支配していた。

――シェイドに心を許してはいけない。彼はテオドールの甥だ。そのテオドールは、あの預言者リリスに心酔している……そしてシェイドは、自分の意思でなくとも、テオドールの命によって、リリスに従っているのかもしれない……。

そんな馬鹿な話があるだろうか。エステリアが小さく息をついた。
ナイトメアの中に入り込んだとき、エステリアはシェイドの内面の一部分を垣間見た。あの時、妖魔は魔剣の暴走に伴って、他の人間達も同様に、闇に捕らわれているはずだと言っていた。
ガルシアには、それが一瞬のことで何もわからなかったようだが、もしかしたら、シエルはナイトメアの闇に冒され、何か恐ろしいものを――あるいはシェイドの別の一面を見てしまったのかもしれないし、魔剣の作った悪夢に捕らわれてしまったのかもしれない。
それが原因でシエルは動揺をきたしてしまったのではないのだろうか?――今ならばそう答え、不安を訴える彼女を宥めることができたのに、肝心なシエルは、もう傍らにはいない。

エステリアは一つずつ、考え直してみることにした。
リリスはシェイドを神子が聖戦へ赴くために伴う『英雄』であると、予言した。
その予言すら、怪しいとシエルは言っていたが、かつてセレスティアも、暁の神子の後継者となるべく、眠りにつく前、生まれたばかりのシェイドに祝福を与え、『英雄』として認めたという。確かヴァルハルトも、シェイドが生まれた際に、息子が自分と同じ運命を背負っていることを確信したと話していた。ならば、シェイドは本物の『英雄』であるはずだ。
おそらくリリスは、そういった既出の話をどこかで耳にしていたのではないだろうか? それを自分の予言としてテオドールに伝えただけではないのか――少なくともシェイド自身は『本物』だと、エステリアは思っている。
ただ気になるのは、テオドールとシェイドがどこまで密接な関係であるか、ということなのだが、カルディアを発ち、このメルザヴィアを訪れ真実が明るみになるまで、シェイドは自分をヴァロア皇帝の落胤だと思い込んでいた。
そんな彼があの時点で血縁関係は皆無と信じている伯父のテオドールに協力するはずがないし、テオドール自身もまた、得体の知れぬ素性の彼に、必要以上の期待や価値を見出すはずがない。
下手をすればメルザヴィアでの親子関係以上に、テオドールとシェイドは疎遠だったのでは――とも考えられる。
ただし、テオドールが既にリリスの傀儡と成り果てていた場合は、少し話が違ってくる。リリスがなんらかの目的を果すために、テオドールの口を通してシェイドを操っているのだとしたら?
それでもシェイドのあの性格からしてみれば、裏でリリスが糸を引く命令などに従うわけがない。
いざとなれば、魔剣の力を使ってでも、抵抗をみせることだろう。それでも従わざるを得ない理由があるとしたら、シェイドはブランシュール夫妻を人質に取られているのかもしれない。シエルを奪われた今の自分のように。

例えば少しでも、シェイドが命令に背く行動を取ろうものならば、リリスはなんらかの形で彼に報いを与えるはずだ。もしも、メルザヴィアでの魔剣の暴走が、その報復の一つだったとしたら……? やはり、シェイドとリリスは繋がっているのだろうか?――どんなにこじつけと言われようと、エステリアはシェイドのことだけは、どうしても信じていたいと思っていた。しかし、そんな気持ちすら嘲笑うように、考えれば考えるほど、シエルの言葉が正しいように思えてくる。
なにより決定的だったのは、最後に見た、あのシェイドの冷笑だ。エステリアの脳裏に焼きついた、あのぞっとするような冷たい笑みが、エステリアの中にある微かな望みさえ打消し、どうしようもない不安をかき立てていた。
「感傷に浸っているような暇は、俺達にはもう残されていないぞ?」
悩みの種である張本人の声によって、エステリアの意識は現実に引き戻された。と、同時に馬車までもが急停止する。
一行の馬車は、カルディアの城下町から、平民と貴族階級を隔てる外郭を抜け、ようやくブランシュール邸などの、大貴族らの屋敷が連なる一画へと辿り着いたばかりだった。無論、城門まではまだ程遠い。
「どうやら、お出迎えのようだな」
魔剣を片手にシェイドが呟き、馬車を降りる。馬の嘶きと蹄、そして甲冑や馬具の音が、次第に近づいてくる。
「まぁ、予想通りの展開だな。あの預言者リリスとやらが、なんの問題も起こさずに、私達をただで城に通すわけがない」
サクヤもシェイドに続いた。
「おいおい、またメルザヴィアみたいに城目前で足止めかよ」
ガルシアも肩を落とし、渋々馬車を降りた。勿論、エステリアもそれに倣う。
外に出ると、目の前には重苦しい空気を纏った騎士達十数人が、馬車の行く手を阻むように、隊列を作っていた。
「よくご無事に帰還されましたね」
その隊列の中央にいた(はしばみ)色の長い髪を束ねた騎士が、エステリア達一行を馬上から見下ろしながら言った。その騎士を目にした途端に、ガルシアの形相が険しくなる。「上官を見下ろしながらご挨拶とは、テメェも随分、偉くなったもんだな? ああ? カイル」そう、エステリアやサクヤには面識がなかったが、この(はしばみ)色の髪を持つ騎士は、紛れもない、ガルシアの本隊とは別に設けられた第二騎士団を預かるカイルだ。
そんな彼の無礼な態度を遺憾に思ったのは、勿論ガルシアだけではない。
「まるで罪人でも捕らえるように物々しいものだな、カイル。お前の騎士団は、いつから検問の真似事までやるようになったんだ?」
同じくカイルと共にガルシアの副将という立場であるシェイドも、痛烈な皮肉を浴びせる。しかし、カイルは二人からの批難にも、物怖じすることなく淡々と続けた。
「なんと批難されようとも、私は動じることなどありません。貴方達には用はないのです。ただ、速やかに神子殿をこちらに引き渡していただきたい。これはリリス様の命令でもあり、またテオドール陛下の意思でもあります」
カイルの要求を耳にした直後、シェイドは静かに腰の魔剣に視線を落とした。




「ついに、帰ってきたってわけね」
エステリア一行の帰還の知らせを耳にしたアドリアは、豪奢な寝台に寝そべったまま、言った。
無論、これは独り言ではない。アドリアの傍らには、幻影ではあるがリリスの姿があった。
「お前は、言ったわよね。私の王位継承権を脅かされたくなければ、私が神子になればいいと」
「ええ。テオドール陛下は、ご自分にとって最も『役に立つ』人間を必要とされていますもの」
リリスは頷いた。
アドリアは反動をつけて上体を起こすと、皮肉交じりの表情で肩を落とした。

「力ある人間しか信用しない――と言った方が正しいわね。我が子であっても、私がエステリアよりも劣るのであれば、問答無用で斬り捨てるに決まってるわ。そのためにも、神子となったエステリアを殺し、力を奪えとお前は教えてくれた。けれど、万が一、エステリアが神子の資格を失っていた場合はどうなるの? 神子の力は一体どこにいくの?」

それは随分と鋭い質問だった。
「何故、そのようなことを思われますか?」
「だって、お母様も『お気に入り』のシェイドと一緒に旅をしているのよ? 同衾しないって保障がどこにあるの?」
早熟な王女の答えに、リリスは笑った。
「先程の問いかけですが――エステリアが万が一、人間と交わって神子としての資格を失った場合、神子の力はエステリアの身体を離れ、次の神子が現れるまで彷徨い続けることでしょう。その際、神子とは密接な関係にある『至宝』を身につけていれば、神子の力は自然とその持ち主に呼び寄せられるはず――」
「つまり、お異父姉(ねぇ)様が、神子の資格を失っていた場合、至宝を取り上げて身につけ、その後、私に力が宿るのを待てばいいのね。逆に、お異父姉様が立派な神子となっていた場合は、至宝を私が手に入れた直後に殺してしまえば、その場で神子の力は私に移るってわけね? だからお前は、エステリアがカルディアに来たとき、すぐには殺すなと言ったんでしょう? 神子の洗礼を受けるまで手を出すな、と。至宝の一部を集めて、この地に運んでくるまで利用しろと」

「さすがはアドリア様、飲み込みが早いこと。そういうところはお父様によく似ていらっしゃいますわ」
「そのお父様だけど、お加減はいかが?」
「今しばらく――といった具合でございますわ」
「お父様は世界を、いいえ、この世を統べるには、あと少しかかるってところかしら?」
「ええ、そしてその時こそ、陛下の傍らに立つのは、アドリア様、貴方であることをお忘れなく」
「勿論よ、楽しみだわ」
アドリアは頷くと、再び寝台に身を沈めた。





「ふざけんな!」
ガルシアの大喝がその場に響き渡る。
「いいか! 俺達はリリスから陛下の一大事を知って、急ぎ帰還したんだぞ? 陛下をお救いするためには、どうしてもこの神子さんが、城に眠る至宝を取ってくる必要があるって聞かされてな! それを帰還早々、問答無用で俺達を取り囲んだ挙句、『速やかに神子を引き渡せ』だぁ? テメェ、何様のつもりだ!」
「聞かされて――じゃない。人質まで取った上、協力の返答次第で殺すとまで言われたんだ。あれは立派な脅迫だ」
サクヤが歩み出た。
「ですから、その神子殿の力をお借りするために、こちらに渡せと言っているのです。神子殿を至宝の間まで導き、また至宝を手にした後、陛下の元へ送り届けることが我々の役目です。残念ですが、貴方達ではありません」

煩わしそうに答えるカイルの態度に、ガルシアは益々激昂した。
「テメェ、カイル! 誰に向かってそんな寝ぼけたことを言ってやがる?」
しかし、カイルは何も動じなかった。
「ガルシア様、シェイド様、お二方には屋敷での謹慎が命じられています。一刻も早く、ご自分の屋敷にお引取り下さい」
「謹慎、だぁ!?」
ガルシアが頓狂な声を上げる傍ら、カイルはこれこそ切り札といわんばかりに、続けた。
「残念ですが、ガルシア様。貴方は既に将軍の地位を罷免されております。今現在、カルディアの全軍を取り仕切っているのは、黒鳥の騎士(オディール)です」
将軍職を罷免――その一言で、威勢のよかったガルシアの顔から血の気が引く。
黒鳥の騎士(オディール)?」
シェイドが首を傾げた。
「はい。預言者リリス様が貴方に成り代わるように、呼び寄せた女騎士です。勿論テオドール陛下も彼女を快くお迎えされました」
「なるほど、リリスが絡んだ人選か、ところでこいつが将軍職を奪われた、となると当然のことだが俺も軍での地位を失っている――ということになるな」
ええ――カイルが静かに頷いた。
「へっ、つまり、オディールとかいう女の忠実な僕と化したテメェだけが、のうのうと地位を守っているというわけか」
恨みがましくガルシアが言った。
「神子の件は抜きにして、個人的にテオドール陛下へのお目通りを願いたいが、それすらも取り次いではもらえないのか?」
隣のガルシアは気にも止めず、シェイドが問いかけた。しかし、カイルは頭を振った。
「残念ながら、それはできません。何より、オディール様が承知されないことでしょう」
「オディールなんぞに用はない。俺はテオドール陛下に会いたいと言ってるんだ」
「できないものはできません。勿論、貴方の本来の身分は承知の上でお断りを入れているのですよ。メルザヴィア王太子、ジークハルト殿下」
カイルが改まった。しかし、かつての同僚にまで素性が知れていたところで、シェイドは特に驚くような様子もなく、ただ、カイルを哀れむような眼差しで見つめると、再び問いかけた。
「カイル、お前……誰を人質に取られている? 親か? それとも兄弟か? あるいは絶対服従の条件に、意中の女でも与えてやると、約束されたのか?」
カイルはどの問いかけにも答えない。シェイドは肩を落とした。
「わかった。条件に従おう。ただし、今すぐエステリアをそちらに渡すわけにはいかない」
「それでは条件に従う、とは言えないのでは?」
カイルが眉間に皺を寄せた。
「とりわけ神子は、お前達が崇拝するリリス様とやらの妨害にあった上、シエルまで人質に取られたせいで、心身共に憔悴しきっている。このままでは得意の霊術すらままならない状態だ。今夜ぐらい休みを取らせてもらっても罰は当たらないと思うが?それに、神子の力をもってすれば、テオドール陛下もすぐに快方へと向かうはずだ。ここは焦らずに一日だけ猶予をくれないか?」
その話に、周囲の騎士達は顔を見合わせた。カイル自身も少々、困惑した様子を見せる。

「ただでさえ、分が悪すぎる条件を飲まされているんだ。俺達は、別に逃げも隠れもしないさ。神子はこちらで丁重にもてなすと誓おう。そして、必ず明日には約束どおりに神子をそちらに預けよう」
「……わかりました。そちらの条件を受け入れましょう。今日一日は、旅の疲れを癒してください。明日、ブランシュール邸に神子を迎えに行きます。お忘れなく」
カイルが渋々、シェイドの要求を聞き入れた。

「ならば、私はクロフォード邸の方で世話になることにする」
話の切れ目に、突如としてサクヤが切り出した。
「貴方は?」
「セイラン国の賢者サクヤ――こいつの婚約者だ」
言いながら、サクヤが軽くガルシアの肩を叩く。
「なっ!ちょ、姐さん、お前……!」
「何を今更照れる必要がある? 私達はセイランで知り合い、共によく伴侶となることを誓った身だ。婚約者の私が、近い将来、夫となるお前と一緒にいて、何がおかしいというのだ? 問題はないだろう?」
「はぁ……」
勿論、これがサクヤの出任せであると、カイルは知る由もない。一体、何の意図があってサクヤがこのようなことを言い出したのか、今ひとつ読めないガルシアは何度も瞬きをしている。

「ところで、ブランシュール夫妻は勿論、クロフォード邸の人間は無事だろうな?」
続けざまにシェイドも尋ねる。そう、シェイドとガルシアの地位が剥奪され、謹慎が言い渡される動きは、一行がこの地を発ち、帰還するよりも前からあったはずだ。ならば屋敷には既に、城から派遣された兵士達が見張りについている可能性が高い。となれば彼らが屋敷内の人間に危害を加えていないとも言い切れない。
「はい」
カイルは頷いた。
「ならいい。万が一、夫妻を拷問にでもかけていたら、ただじゃおかない。そういうことだ、エステリア、馬車の中へ。ガルシアとサクヤをクロフォード邸に送ったあと、一緒にブランシュール邸に帰ろう」
「わかったわ……」
シェイドに促されてエステリアは踵を返す。
「ほら! 帰るぞ、婚約者!」
「お、おう……」
サクヤやガルシア、そしてシェイドもそれに続く。
カイルは彼らが馬車に向かって引き返す姿を見守りながら、深々と一礼した。
「ガルシア様、シェイド様、一日伸びたとはいえ、よく城からの勅命に従って下さいました」
「よく従ってくれた、だと?」
その言葉に、シェイドが急に立ち止まると、鼻で笑った。
「勘違いするなよ、従うわけじゃない、俺はお前達が始めた馬鹿げた遊びに『付き合ってやって』いるんだよ」
全てを見下すような眼差しでカイルと、目の前にいる『敵』の全てを睨みつけた。
「俺はお前達を――いや、この国の人間どもをいつでも皆殺しにすることができるからな。いいか、俺がこの場で魔剣を抜かないだけでも命拾いしたと、感謝するんだな」
その一言で、周囲の空気は凍り付き、隊列を組んだ騎士達の顔色が変わる。
シェイドは心の奥底に残虐な一面も兼ね備えており、とりわけ敵と判断した相手に関しては容赦がない。かつての上官のそういった性格を知らぬものなど、この場にはいない。
シェイドはこの状況を楽しむように、続けた。
「お前達は俺達の大切な人間を人質に取って、図に乗っているようだが、俺にしてみれば国王を含め民の全てまでもが俺の人質だ。必要ならば、いつだってそいつらの命を盾に宣戦布告をしてやるよ。覚悟しておけ」
カイルの顔から完全に血の気が失せ、その唇が戦慄いている。
殺戮を楽しもうとするシェイドの美しくも残忍な笑顔は、カイルの他、ここに居合わせたエステリアやガルシアにもある種の恐怖心を植え付けた。
「やれやれ、どうも獅子の兄弟の血筋の持ち主は、自ら立てた盟約に反して、戦好きらしいな」
唯一、何事にも動じることなく、平然と馬車に乗り込んだのは、かつての神子にして賢者であるサクヤだけであった。
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