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EternalCurse

Story-50.疑心
その頃、ユリアーナはシュタイネル公爵邸の自室で、鏡台の前に座り、自慢の髪を何度も櫛で梳いていた。明日には哀れな弟、イザークの葬儀がしめやかに、そして、国王一家の葬儀も同時に執り行われることだろう。
その後、控えているのは『メルザヴィア女王』としての即位式だ。イザークにはいささか申し訳ないが、メルザヴィアきっての、いや世界に名立たる美しき女王が誕生するのだ。愚昧なる国民は神々しいばかりに美しいこの姿を目にすれば、たちどころにその場にひれ伏すことだろう。
ユリアーナは入念に顔の手入れを始めた。王室御用達しの商人が献上してきた美顔水とやらを手に取った、まさにその時――
「早くお逃げ下さいな。ユリアーナ様、ここは危険だわ」
目の前の鏡にリリスの姿が映し出された。
「お前! 一体、こんな時間に何の用なの!? 不躾にも程があるわ!」
突如として、鏡の中にあったはずの自分の『美しい顔』が消え失せたことに、よほど腹が立ったのだろう。ユリアーナは不満気に、唇を尖らせた。
「用も何も、貴方のお母様がお亡くなりになったの。そう、国王一家の『罠』にかかってね……」
「なんですって!?」
ユリアーナはリリスが告げたその一言に、思わず手にした美顔水の瓶を床に落とした。瓶から零れた化粧水が豪奢な絨毯に、徐々に染みを作っていく。
「う、う……嘘よ! お母様が亡くなるはずがないわ! だってお前が秘策を授けたのでしょう?」
「そうよ。でもその秘策を、貴方のお母様は、誤った使い方をしたから返り討ちにあったのよ……あれほど私が忠告したのに、ご子息を亡くした悲しみと怒りで我を忘れてしまったのね」
リリスは、さもそれが真実であるかのように、続けた。

「イザーク様を亡き者にした犯人は、貴方の天敵であるジークハルトよ。その後、彼は貴方のお母様まで殺したの。そして全ての罪を、シュタイネル家とその一派に擦り付けるつもりよ? 明日には、きっと城から沢山の兵士が、唯一、生き残った貴方を捕らえにくるかもね。下手をすれば、お家はおとり潰し、貴方はきっと、国王一家に謀反を企てたという罪で、処刑されるわ」
そこまで聞き終えたユリアーナは、あんぐりと口を開けたまま、恐怖に身を震わせていた。

「カルディアにいらっしゃいな、公女様」
リリスが甘く囁く。
「カルディアに!?」
「伯父上であるテオドール陛下ならば、見るも無残に陥れられた……『美しい姪御』の貴方に、きっと協力してくれるはずよ」
「でも、ジークハルトだって、カルディアに帰るのよ!?」
ユリアーナの質問に、リリスは芝居がかったように頭を振った。
「公女様、よく考えてみて。ジークハルトが厚かましくも『王太子』として振舞えるのは、このメルザヴィアでのみよ? カルディアでの彼は、公爵家の養子、そして一介の騎士に過ぎないの。本来の身分を公にしていない以上、ここほどには、幅を利かせることはできないわ――それから……」
リリスは諭すように言った。
「貴方のお母様からの『遺言』よ。貴方にはどんな手段を使ってでも生き延びて欲しいんですって」
「お母様が……」
ユリアーナの唇が戦慄いた。目が血走ったかと思うと、次第に涙が湧き出てくる。
直後――ユリアーナは部屋の外の空気が一転したことに気付いた。屋敷の使用人達が慌しそうに廊下を駆ける足音が聞こえる。シュタイネル邸に火急の知らせが入ったようだ。やはり、リリスの言った通り、母は無念のうちに死を遂げたのだろう。
カルディアへ向かわねば――ユリアーナは確信を得ると同時に、目の前のリリスによって弟が、そして母が命を絶たれたことすら知らぬまま、決意を固めた。



部屋に戻ったエステリアはすぐさま寝台へ歩み寄り、そのまま仰向けに倒れこんだ。
「まぁ、どうされましたの? いつものエステリア様らしくありませんわね。はしたない」
思わずシエルが笑う。
「何だろう、ずっと気分が悪いのよ」
エステリアは、ひどい倦怠感と、微熱のような感覚、胃の底から湧き上がってくるような不快感をシエルに訴えた。そして、そこから思い当たる、一抹の不安を続けて口にする。
「もしかしたら本当に、妖魔の子供が出来たのかもしれないわね……わからないけど……」
今にも泣きそうな顔で、下腹を手でなぞるエステリアを宥めるようにシエルが言った。
「そんな……いくらなんでも昨日の今日で、はっきりするわけではありませんわ」
「普通の人間が相手だったら、三月は経たないとわからないけど、私の相手は妖魔よ?」
異種族間での交接によって身篭った場合のことなど、エステリアは勿論、シエルすら知る由もない。
人間のように十月十日を経て生まれることもあれば、何ヶ月もしないうちに、臨月を迎えてしまうのかもしれない。
「本当に、どうしよう……」
神子の資格を失って、のこのこと集落に帰れるはずがない。ましてや、魔物の子を身篭っている女など、受け入れてくれるはずがない。
「もしかしたら、その気分の悪さは、魔剣の瘴気に冒されていた影響では?」
「だと、いいんだけど……でも、やっぱり――怖い。子供には可哀想だけど……薬が必要だわ」
望んでもない相手との間に出来た、人ならざる子など愛せるわけがない。セイランでは、異種族である鬼と人間との間に生まれた鬼神や、その鬼神と先代女帝との間に生まれたレンゲという存在も知ったが、それでも彼らの両親達は、望んで子を成した、ごく稀な例なのだ。例え、胎内(なか)にいる頃は、母性本能のままに愛せても、生まれた途端にあっさりと捨てることだってある。現に、自分もそうされて育ってきたのではないか。そして自らもまた、非情な母親と同じ道を繰り返そうとしているのだ。産んで捨てるぐらいなら、最初から産まないほうが、自分にも子供にとっても幸せというものだ。
「せめて相手がシェイド(あの人)だったら……あの人は、喜んでくれるかしらね」
「エステリア様……」
悲痛な面持ちで、シエルが見つめる。
「そのことですが、シェイド様には、あまり心を許されない方がよろしいかと……」
「どうして?」
エステリアが顔を上げた。
「あのお方をお慕いされているエステリア様には、申し上げにくいことなのですが、どうもシェイド様の行動には何か引っかかる――不審な点が多すぎるのです」
「例えば?」
「例える必要などありません。全てが不審と言っているのです。あのお方は、リリスとなにかしら繋がっているような気がしてなりません。セイランを後にしてからは特にそうです。と、同時にシェイド様と賢者様との癒着ぶりにも、少々眉をしかめたくなることがありますが……」
「そんなわけないでしょう?」
いきなりなんて事を言うのだろう?――仮にもリリスはシェイドの魔剣を暴走させて、陥れたのだ。そんな二人が結託するはずがない。エステリアはシエルの話を否定した。
「確かに他人を不幸に陥れること生きがいとしているようなリリスと、シェイド様には表向きは共通するものがないのかもしれません。けれど、シェイド様はテオドール国王の甥ですわ。そしてテオドール陛下はリリスに心酔しています。エステリア様、シェイド様が貴方の『英雄』だと予言し、一介の侍女や将軍であった私達まで旅に同行させたのは、他でもないリリスですわ。彼女の神託には、エステリア様が受けた預言者イシスの神託とは違い、どうにも信憑性に欠けるのです」
「もしかしたら、リリスもイシス様の神託を知っていて、それを、そのままシェイドに教えたのかも……だって、一応シェイドは、セレスティアからも祝福を受けたんでしょう? 赤子の時に……」
「私を忘れないで」
「え?」
「リリスがあの場から去るとき、シェイド様に向かって呟いた言葉ですわ。まるで合言葉のように、シェイド様と自分の仲を――根底では深く繋がっている事を忘れぬよう、念押すようでした。」
「考えすぎだわ」
「ああ見えても、あのお方は……シェイド様は食わせもの。芝居は上手ですわよ。よくよく考えてみれば、エステリア様に婚約を迫ったことにしても、おかしな話です。穢れなき聖女でなければならないエステリア様を動揺させて、その日の夜に、エステリア様は妖魔からひどい仕打ちを受ける羽目になりました。もしかしたら、シェイド様がエステリア様を妖魔に捧げたのではないでしょうか? そしてエステリア様に関わらず、ミレーユ様もそうして殺されたのでは?」
「そんな……」
「ミレーユ様を妖魔に捧げ、その結果シェイド様が何かを得ていたのだとしたら? シェイド様がミレーユ様の死を望んでいたのだとしたら? あのお方がミレーユ様の敵討ちに消極的な事にも頷けます。そして事が起こる前、エステリア様に婚約を申し込んだのは、これから妖魔に捧げることへの罪滅ぼしだったとしたら?」
シエルはエステリアに切実に訴える。
「エステリア様に降りかかる度重なる不運には、あのお方とリリスが一枚噛んでいるような気がしてならないのです。何故か……とても不安なのです。例え、シェイド様それが意思でなくとも、リリスを通じたテオドール陛下の命によって、あのお方は動いている……目的どおりに無理やり動かされている可能性もあります。ゆめゆめ、気を抜かぬように、お気をつけ下さい」
「……わかったわ。貴方の言う事は……いつだって、正しいものね」
釈然としないまま、エステリアはシエルの言葉を胸に留めて頷くと、そのまま床についた。


翌日、城内の地下室でソルヴェーグ侯爵の遺体とベアールの亡骸を納めていた棺が発見され、シュタイネル一派の目論見が明らかにされた。罪の意識に苛まされ、自刃したとされるクローディアの懐には、なぜか『遺書』が忍ばせてあり、国王一家への謀反、息子を失った悲しみ、そして己の罪を悔いた……とりわけ王太子に対しての謝罪文が(したた)められていた。全てはシュタイネル派、そして首謀者クローディアによる犯行と断定されたため、そのことによりシェイドは無事、地下牢から釈放された。
出立の前に、ヴァルハルトによって、謁見の間に呼び寄せられたエステリア一行は、事の顛末を聞かされ、呆気に取られていた。無論、当事者であったシェイドは、涼しい顔をして佇んでいたが。
エステリアは訝しげにシェイドを見上げた。
どう考えても、あのクローディアが罪を悔いて自刃するなど、あの性格からして想像もできない。クローディアはきっと誰かに殺されたのだろう。国王一派にとって都合良く見つかったという遺書も、おそらくは偽者だ。エステリアはふと、先日のシェイドの様子を思い出した。
あの時、シェイドは妙な疑いをかけられる前に牢を離れるよう、エステリアを促した。
もしやシェイドはクローディアが殺されることを、既に知っていたのでは――?
そして自らが動かなくとも、クローディアに手を下せる誰かがいたのでは?――そんな考えが頭をよぎる。
シェイドを信用してはいけない――エステリアの心の中に、シエルの言葉が蘇る。
「では、父上。至宝は賜りました。我らはこれにて、カルディアに帰還いたします」
エステリアの不安も他所に、シェイドはヴァルハルトに手短な挨拶を済ませている。
「気をつけて行くのだぞ」
「もっとゆっくりしていってくれればいいのに……」
ソフィアが名残惜しそうに、シェイドを見つめた。
「そうわがままを言うものではないぞ、ソフィア。いずれジークハルトはこの国に帰ってくる日もこよう……ところで、ガルシア・クロフォード」
突然、名を呼ばれ、ガルシアが弾かれたように顔を上げた。
「はい?」
「そなたはもう、覚えてはおるまいか? そなたと森で出会ったときのことだが……」
「はい。あの時、助けていただいたことならば鮮明に覚えていますが、それが何か?」
「いや、その後、そなたと交わした話なのだが……覚えているか?」
「はぁ……」
若き日の英雄王との邂逅に、浮かれて忘れてしまっている記憶もあるかもしれない。
首を傾げて記憶を辿り、唸り続けるガルシアをヴァルハルトが制した。
「いや、他愛もない会話であったが、忘れているのなら構わないのだ。またいずれ、話すときもこよう」
ガルシアの後ろではサクヤが笑っている。
「何がおかしいんだよ? 姐さん?」
「なんでもない。その事なら、ここに呼ばれる少し前に、ヴァルハルト王から聞いたんだが……いつかお前に教えてやるよ」
「いつかじゃなくって、今教えろよ! 大体賢者が勿体ぶっていいと思ってるのかよ!」
ガルシアとサクヤのやり取りが続く中、ソフィアがそっとエステリアに語りかけた。
「エステリア」
「あ、はい。王妃様」
「数日前の夜だったわ。私は確かに、遠くで女の子の悲鳴を耳にしたの。直感で、私はそれが貴方のものだと思ったわ……。貴方に譲るまで、私は至宝の一部が埋め込まれた装飾品をつけていたから、きっと、貴方の心の苦しみを感じ取ってしまったのね。貴方は神子様だから、色々と辛いことがあると思うの。いつか、その業から解き放れたときは、またこの国に来て頂戴。できれば、その時にでもジークのお嫁さんになってくれれば、嬉しいわ」
悲鳴とはもしかしたら、妖魔との一件のことを指しているのかもしれない――そう思いつつも、ほとんどブランシュール夫人と変わらぬ王妃の発想に、エステリアが目を丸くした。隣にいるヴァルハルトにおいては、やんわりと微笑むソフィアを横目で見ながら、眉を潜めている。どうやら最後の最後で話が脱線してしまったことに、呆れているようだ。

「では、父上、母上。行って参ります」
「ジークハルト。そなたが背負った業は、そなた自身の力で終らせよ。どんな手段を使おうとも、だ」
「かしこまりました」
国王夫妻にシェイドは一礼すると、踵を返した。この親子間で交わされた話の意図が今ひとつ掴めぬまま、エステリア達も慌ててそれに続いた。




イザークとその母クローディア、そしてソルヴェーグ侯爵やドリーセン伯爵の葬儀が行われていることもあってか、エステリア一行は、城からの盛大な見送りに断りを入れ、ひっそりと城門を出た。
ここから近くの港まで馬車を使って向かい、船に乗り込んでカルディアに帰還する予定だ。
外に待たせた馬車に、一行が乗り込もうとした矢先――
「待ちくたびれたわ、やっとカルディアに帰ってくるのね……」
天から、聞き覚えのある声が降ってきた。と同時にメルザヴィア城の上空に、不穏な空気と暗雲が発ち込める。エステリア達は空を見上げると、そこには半分透けた巨大なリリスの幻影が映し出されていた。
「リリス! またテメェか!」
ガルシアが空に向かって声を張り上げる。
「そんなに吼えないでもこちらには聞こえているわよ? ガルシア将軍。そんなことよりも早く帰ってきてくれないかしら?」
「テメェ、散々邪魔しておきながら、よくもいけしゃあしゃあと、そんなことが言えるな!」
「だって……今カルディアでは大変なことになっているのよ? 貴方達になんとかテオドール陛下をお救いして欲しいのよ」
「なに!? 陛下が?」
これにはガルシアも顔を強張らせた。
「そうよ。陛下をお救いするには、神子の力が必要なの。『完全な』至宝を得た神子の力がね」
「完全な至宝……」
反芻するエステリアに、リリスが語りかけた。
「そうよ、エステリア。貴方には、カルディア城内でも『神子の資格を持つ者』にしか入れない場所に眠るという、至宝を取ってきていただきたいの。早くカルディアに帰って来てくれないかしら?」

エステリアは背筋が凍るような思いでその話を聞いていた。リリスはまるでエステリアの『現状』をわかっていて、そのような無理難題を持ちかけているようにも思えたのだ。
「今度は何を企んでやがるんだ? テメェ」
「あら。失礼ね。私は陛下のために言っているのよ。それが信用できないというのなら……そうね、強硬手段を使わせてもらおうかしら?」
幻影のリリスが、おもむろに手を掲げると、地面の一部から闇が噴出した。
「ちょっと! なんですのよ、これ!」
その闇に足を絡め取られたシエルが叫ぶ。
「貴方達が、いいえ……その神子がやる気を起こすまで、この侍女を人質として預からせてもらうわよ」
「この卑怯ものが!」
ガルシアが罵るも、リリスは全く聞き入れていない。
「この娘は貴方にとって大切な侍女でしょう? 勿論、助けてあげたいわよね? エステリア?」
「止めて! シエルを放して! 人質なんて取らないで、直接、私を連れて行けばいいでしょう?」
エステリアが反論する。
「貴方、一人だと……逃げ出してしまう可能性があるわ。だって、貴方、テオドール陛下をはじめ、マーレ王妃やアドリア王女が嫌いなんでしょう? 国王陛下の一大事を聞かされたところで、それほど親身にはならないはずよ? 貴方に本気を出させるためには、これぐらいやらなきゃだめね」
言葉に詰まるエステリアを含め、リリスはこの場にいる全員に語りかけた。
「私に協力するか否か――せいぜい、カルディアに着くまで考えることね。それまでこの侍女は預かるわ。私の頼みを聞いてくれれば、この侍女に何も手出ししないと保障しましょう。だたし、聞き入れない場合は命がないと思いなさい」
そこまで言い終えると、空に映し出されていたリリスの幻影が、あっという間に消えていく。
代わりに、シエルに纏わりつく闇の勢いが増し、まるで触手のように動くと、全身を絡め取った。
「シエル!」
ガルシアが剣を抜き、闇を払い除けようとするが、剣の切っ先は虚しく空を斬るのみだった。
シエルは苦悶しながらも、シェイドの方に振り返ると、軽く睨みながら何かを呟いた。

「……私が、邪魔になりましたのね?」

どうしてか、エステリアには、この時のシエルの声が、はっきりと聞き取ることができた。
それを最後に、シエルの身体が闇に飲まれて行く。
シエルの残した言葉に、エステリアは反射的にシェイドを見つめると、そのまま言葉を失った。

虚空へと消えいくシエルを、シェイドは冷たい微笑を湛えたまま、見守っていたのである。
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