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EternalCurse

Story-49.静寂
鉄格子の中、寝台に腰を下ろし、冷たい石の壁に背を預けたまま、シェイドはただ虚空を見つめていた。こうも静かだと、色々と頭を巡らせることができる。
せめて格子窓でもついていれば、夜空でも眺めながら、物思いに耽ることもできるのに――シェイドは壁を見上げてみたが、生憎、ここは地下牢である。そんな気の利いたものが取り付けられているはずがない。
自業自得だな――シェイドは肩を落とすと、自嘲的に笑った。
暴走するナイトメアを食い止めることすらままならず、その後は身体を支配されて、周囲に多大な迷惑をかけたのだ。その責任を問われるのは至極当然である。
やはり父は厳しい人だとつくづく思った。本来ならば、このような事態に陥ったとき、親としての情が出て、息子可愛さにせいぜい別室にて軟禁という手段にでるはずだ。しかし、ヴァルハルトはそのような生半可な決断はせず、実の息子を、容赦なく罪人として扱った。
無論、クローディアとシュタイネル一派にも、同じような沙汰が下っているとは思うが、万が一、シェイドが『自分の意思』によって、国王夫妻への謀反を企てようものならば、ヴァルハルトは間違いなく実子の死刑を決断するのだろう。
徹底して私情を挟まない父親の姿勢には、つくづく感心する――シェイドは思った。
とはいえ、ここに繋がれているのは、シェイドただ一人である。牢の中にしても、慌てて埃が落とされ、囚人にはあまり似つかわしくないような柔らかい寝台と、毛布が用意されている。牢獄全体にしても、誰もが想像しているであろう、じめじめと薄暗い地下牢の印象を、払拭するほどの明りが灯され、周囲は煌々としていた。これは、いわゆる国王派である衛兵達からの心遣い、もしくはボリスたっての懇願が成し得た結果なのだろう。
しかし、こうも明るくされては満足に眠れないではないか――シェイドは苦笑した。
それでも堅苦しい城内に比べれば、やたら開放的に思えた。ようやく、安息を得たと感じた場所が牢屋というのが、なんとも皮肉だったが。
シェイドは、自らの心を鎮めるように深呼吸をして瞼を閉じ、静寂に耳を傾け、このまま誰も訪れることがなく、夜が明けることを、ひたすら願った。しかし、それを阻むかのように、訪問者はすぐに現れた。
「シェイド、大丈夫?」
エステリアである。
「よく、ここに入れてもらえたな。一応、見張り番がいたはずだが?」
「王太子殿下のことが心配だから、様子を見せて下さいってお願いしたら、あっさり通してくれたわ」
鉄格子の向こう側からエステリアが平然とした顔で言った。
「……全然、見張りになってないじゃないか」
「ええ。ところで……身体の方は、大丈夫?」
「どうしてそんなことを聞く?」
「だって、貴方、いつもより顔色が優れない気がしたから……」
目の前にいるシェイドの顔色は、まるで幽鬼のように青白く見える。周りの話によると、シェイドは自分を救うために、大量の瘴気を体内に取り入れたのだという。きっとその影響が出ているに違いない。エステリアは心配そうに格子の先にいるシェイドを見つめた。
「別に。俺はいつだって、こんな顔色だぞ?」
「そうかしら……」
また、強がっちゃって――エステリアは心の奥底で呟いた。ナイトメアに取り込まれたあの時、映し出された過去によって、シェイドの内面を一部垣間見たからだ。
やっぱり、一人ぼっちは嫌だ――そう言いながらブランシュール夫人にしがみついた幼いシェイドの姿がとりわけ印象に残っている。あれから十数年が経ち、大人になったとはいえ、子供の頃に味わった孤独感は消えないものではないのだろうか?――そう思うと、何故かシェイドを放っておいてはいけないような気がした。とはいえ、エステリアには気の利いたことさえ言えず、しばしの沈黙が流れた。
「どうしたんだ? 何か話があって来たんじゃないのか? それともガルシアから俺が落ち込んでないか見て来るように言われたか?」
先に語りかけたのはシェイドの方だった。
「ごめんなさい。話したいことなら色々あったと思うんだけど……なかなか考えがまとまらなくて。あ、でもやっぱり、貴方は陛下の子供だって、つくづく思った。髪や目の色は、お父様に似ていなくても、性格はそのまま譲り受けている気がするわ」
「そうか? ヴァルハルトの方が、俺の数倍は堅物だと思うぞ」
「貴方がナイトメアに取り付かれていたときだったと思うけど、王妃様を罵倒する公爵夫人に陛下が怒って叫んでいたの。『その口を引き裂いてやる』って。物騒な話だけど、セイランでラゴウに対して怒りをぶつけたときの貴方と同じ言葉だわ」
「あの人がそんなことを言ったのか」
「お父さんに対して『あの人』なんて言わないの!」
おそらくは、国王を父と呼ぶことに慣れてないのだろうシェイドを、母親のような口調でたしなめながら、エステリアは話を続けた。
「随分前の話になるけど、セイランでね、女帝陛下(むすめ)が母親と同じ言葉を口にしたから、驚いたってあの鬼神さんが言っていたわ。やっぱり血って争えないのね」
シェイドはただ黙ってエステリアの話に耳を傾けている。エステリアは意を決し、自分にとって最も気がかりであったことを、恐る恐る尋ねた。
「ねぇ、シェイド……貴方がナイトメアの中に捕らわれていたとき……貴方の魂は一体どこにいたの?」
シェイドの魂はどこかで閉じこもっていたとはいえ、過去の思い出を次々と映し出すほどに、心とは密接にある空間にいたのだ。ナイトメアの中での妖魔との会話を、どこかで聞いていた、もしくは心の中に直接、流れ込んでしまったとしたら? シェイドは既に知っているのかもしれない――自分がもはや神子の資格すら持っていないということに。
「お前の方が、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
不安げな眼差しをこちらへ向けるエステリアを気にかけながらも、シェイドは答えた。
「俺は――限りがないほどの闇の中で眠ってた」
「そう……やっぱりナイトメアの中で眠っていたのね、安心したわ」
どうやらシェイドには、あの妖魔とのやり取りが聴こえてなかったようだ。
「ずっとそこにいたのに、まったく気づかなかったのか?」
「ええ……ごめんなさい。貴方の気配が感じ取れなかったから」
聖女としての力を失ったのだから、それは仕方がないことだ――エステリアはその現実を改めて受け止めた。
「至宝の一部は、大事にしろよ」
「ええ」
カルディアに帰ったら、その『至宝の一部』をテオドールに献上しようと思うの――と、正直に言えるはずもなく、エステリアはただ頷いて見せた。本人は決して認めないが、シェイドが心身共に疲れ果てているであろう、この状況で、そんな話を切り出すほど、無粋ではない。
「わかったらそんな悲しい顔をするなよ。……お前、闇の中から俺を救ってくれたろ?」
しかしエステリアは頭を振った。
「私は……ただ、自分がやれることをやっただけよ。これからだってずっとそう。最後まで、役目は果すつもり」
「お前、なんか変わったな」
「そう?」
「前よりも、打たれ強くなったんじゃないか?」
「かもしれないわね」
「じゃあ、話はもう終わりだ。お前は、早くここから出て行け」
「はぁ?」急に話を切り上げ、追い出しにかかるシェイドに、エステリアはつい目を丸くした。誤解のないように、シェイドは続けた。
「なんだかんだ言っても、城内は今、俺とクローディアの問題で騒然となっているはずだ。そんな時に俺と会っていたなんてことになると、後々面倒になるぞ。特にシュタイネル派の連中の手口は卑怯だ。己が保身のためなら、他人を陥れることなんて、気にもしない。下手をすれば、お前にまで国王暗殺への嫌疑がかけられることになる。なるべく人目につかないようにして、部屋に戻ったらすぐに寝ることだな」
「ああ、そういうことね」
「少し、落ち着いたら……色々、話そうな。お前には……伝えなきゃならないことが沢山ある」
「私も。……ねぇ、今回のこと、心配しなくても大丈夫だって思っていてもいいわよね?」
「ああ。多分、なんとかなるさ」
「わかったわ。おやすみなさい。シェイド……」
エステリアは悲しげに微笑むと、鉄格子から離れた。
「エステリア」
立ち去ろうとした矢先、急に呼び止められ、エステリアが振り返る。
「なに?」
「……ありがとうな」
素っ気無い口調で礼を言ったシェイドは、案の定、照れ隠しのためか、こちらを見ようとはしない。
エステリアは笑いを噛み殺しながら、その場を後にした。


「……っ」
エステリアが去った直後、シェイドはじわじわと身体中を巡り始めた『毒』に苦悶の表情を浮かべた。それもそのはず、ヴァルハルトから魔剣を介して譲り受けた『因果』と、エステリアを蝕んでいた瘴気を吸い取り、自らの身体に移し変えたことを考えれば、これは仕方のないことだ。
そう、望まぬ力なら、いつも簡単に手にすることはできた。しかし本当に欲しかったものは、掌にすくった砂のように、指の隙間から零れ落ちてすぐになくなってしまう。
ミレーユがそうだった。もしかしたら、エステリアさえも――そんな不安が頭を過ぎる。足下からゆっくりと泥濘に沈んでいくような、奇妙な不快感に、シェイドは瞳を閉じて、蹲ると、物陰に向かって話しかけた。
「いつから盗み聞きが趣味になったんだ? サクヤ」
「人聞きが悪いな。私はただ、二十年ぶりに戦友と再会した後に、もののついでにここに立ち寄ったら、あの娘が先客として居た。お前達の仲に割って入るほど、私は無粋ではない。それにしても随分と色気のない話だったな」
やれやれと言いたげに、サクヤが姿を現す。
「で、あんたはどうやってここに入ってきたんだ? 壁でもすり抜けてきたか?」
「なに、あの神子と同じさ。見張りの兵に微笑んで『通してくれ』と言っただけだ。いやはや、国王派の兵士の女を見る目は正しいな」
「見張り番としては最悪どころか失格だ」
うんざりと天井を仰ぎながら、シェイドが言った。
「で、二十年ぶりに父に会って、何を話してきたんだ?」
「話をしたというよりは、散々批難した上に、跪かせてやったと言った方が正しいな。いや、実に爽快だったぞ。何せ、現役神子時代の戦歴において、二千八百五十三勝無敗の私が、唯一調伏できなかった化け物こそがお前の親父、ヴァルハルトだったからな。あの筋金入りの堅物め、今の私を目にしても、なびくことなく、嫁一筋と見える。ああいったところは『小僧時代』から何一つ変わってないな」
「ああ。その『嫁一筋』といった鉄壁の精神のおかげで、子供の頃は俺の居場所がなくて苦労した」
サクヤは『なるほど』と苦笑すると、改めて問いかけた。
「なぜ躊躇した?」
唐突なサクヤの質問に、シェイドが眉を潜める。
「お前ほどの人間が、魔剣(ナイトメア)如きの闇に取り込まれるはずはない。隙を突かれたとはいえ、お前、わざと魔剣に身体を明け渡したな?」
「なんだ。やっぱり元、伝説の神子様には、お見通しだったってわけだ」
シェイドが観念するように肩をすくめた。
「強いて言うなら、母親のためだ。魔剣に抗って、必要以上の闇を身体に取り込んだ上、万が一俺が勝った場合は、もっと悲惨な結末が待っている。俺はこれ以上あの人達を苦しめるわけにはいかないからな。だから身体は魔剣にくれてやった。もしものことがあれば、ヴァルハルトが俺を仕留めるに決まってる。ヴァルハルトも魔剣の弱点を知っているはずだからな、なのに――なかなか思うようにはならないもんだな」
「それが親心というものだろう。あの妖精の目の前で息子を刺し殺して見ろ、発狂するぞ」
「妖精?」
「お前の母親のことだ。昔、ヴァルハルトが当時婚約者だったソフィアのことを『あんたと違って、雪の妖精のような女性』だと言っていた。この惚気英雄が、絶対に泣かしてやると何度思ったことか……」
「いかにもあの人らしいな」
はにかむように笑うと、シェイドは呟いた。
「エステリア……」
「あの娘がどうかしたのか?」
「俺は……ナイトメアの中で、あいつに呼びかけた。だがあいつは俺の魂の居場所すらわからなかった。声すら届いてない。あいつはどうも既存の概念に――目に映るものだけにとらわれ過ぎているんじゃないか?」
「あの神子――エステリアは、もはや使い物にならんぞ。それから、お前、わかっているんだろ?あいつは、もう……」
「わかっているさ。どんなに『普通』を装っていても、その気配だけは、変える事はできない」
そこまで言うと、シェイドは再び襲ってきた苦痛に顔を歪めた。
「あれほどの闇を取り込んでしまったんだから、お前の身体が悲鳴を上げるのは、当然といえば当然だ。全ては一つの因果より始まる。それは永遠の呪いとも言える。全てを受け継いだお前にならば、全てを思い出して、己の使命と運命も理解できるはずだ。ただ、お前が因果に縛られている限り、お前自身が呪われている限りは、その症状は永遠に付きまとう。今でもそうだ。人としての食欲や睡眠欲が消え失せる代わりに、真逆の飢えと乾きに襲われて、苦しいんだろ? 血に飢えきった獣みたいに、狂いそうになるほど、人が殺したくてしょうがなくなるんだろ? ラゴウと戦った後もそうだが、毎度、耐え忍ぶお前には、敬意を表するよ」
サクヤはそこまで言うと、懐から、小刀を取り出し、自らの手首を傷つけた。たちどころに白絹の肌から赤い線が滲み出す。その手首を格子の隙間からシェイドに向けて差し出した。
「傷の事なら気にするな、すぐに癒える。お前の身体を鎮めてやろう。飲むがいい。昔の私ならば、身命を賭してでもお前を救おうとしただろう。だが、今となってはその力すらない。浄化の術すら使えない。それでも、かつて神子を務めた女の特殊な血だ。気休めにはなる」
床に滴る血を目で追いながらも、シェイドは頭を振った。
「気持ちはありがたいが、断る」
「ならば、ここを抜け出して、適当な人間を、気が済むまで惨殺してくるか? この状況では、それこそ、お前の立場が悪くなるだけだぞ?」
「耐えてみせるさ」
「可愛くない。本当に心底可愛くないな、お前達親子は」
呆れるようにサクヤが肩を落とした。
「だったら、耐え切ってみせろ。変な騒ぎは起こすなよ」
「ああ。だから、出て行くときに明りを消しておいてくれないか。ついでに見張り番の兵には、外からしっかり鍵をかけてくれるように、あんたから言っておいてくれ」
「わかった。絶世の美女最強の微笑みで、見張り番を落としてやろう」
サクヤは頷くと、続けた。
「……お前も、『澱んだ空に輝けぬ星』の宿命を見極めたのなら、そろそろ覚悟はしておくことだ」
「ああ。で、あんたはこれからどうするんだ? 俺達と一緒にカルディアについてくるか?」
「気がかりなことは沢山あるんだ。それに、お前達と一緒にいると、私の追う――『邪眼(イービルアイズ)』にも会えるような気がする」
「なんだ、自分の用のついでについてくるのか?」
「失礼なことを言うな。要は責任の問題だ。終り無き螺旋である神子の歴史を途中で狂わせたのは、私と言っても過言ではないからな」
言いながら、サクヤは牢の灯りを消していく。
「じゃあな。親父似の鉄壁の精神力で、毒に耐えて、明日にでも私を感心させてくれ」
一つ一つ、消え行く灯りと、遠ざかるサクヤの足音、それに伴って広がる闇を感じながら、シェイドはじっと瞳を閉じた。
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