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EternalCurse

Story-48.報いと再
あの憎き小倅が、正真正銘、メルザヴィアの王太子であっただと? そんな馬鹿な話があるか、あっていいはずがない――己の胸中で、何度もそう繰り返しながら、クローディアはかつて王族であった頃に知らされていた、秘密の抜け道を通り、シュタイネル邸への帰宅を急いだ。
以前から計画はしていた、国王一家の暗殺計画はあえなく失敗に終った。しかも王太子と国王ヴァルハルトが実の親子であるということを、自らの手で証明するという、最悪の形で、だ。

まずい、このままではまずい、何とか手を打たねば――。
何一つ目的も果せず、ただ、自分一人が愛する息子を、そして全てを失う結果となった。しかし、イザークの死だけは、己の身が、どんな窮地に立たされようとも、納得できないものがある。イザークは病死ではない、謀殺されたのだ。その考えだけは、頑として譲ることはできなかった。
やはり、イザークを密かに殺したのは王太子で間違いない。あの魔剣の真の力を目にしたからこそ、クローディアは今一度、確信することができた。その心の奥底に、再び激しい復讐への炎が宿る。
王太子の他にも憎しみの対象として、クローディアはあの賢者と預言者の存在を瞼に浮かべた。

「どいつもこいつも、わけのわからぬ理屈で、あの小倅を徹底的に守りおって……。あのような話で王太子の血筋の正統性を訴えたところで、誰が信じるというのだ」
計画が失敗した上に、予想外であったベアールの復活によって、あの時は何も考えることができなかったが、少しだけ冷静さを取り戻したクローディアは、自らが最も苦手とする魔術や呪術を知り尽くした者達に、上手く言いくるめられたことが、今になって腹立たしく思えてきた。しかし今更それを城に訴えたところで、何もできるはずがない。あの場から逃げ出したことで、己が負けを認めたのも同然だった。裏を返せばあの王太子を『本物の後継者』と認めたということにもなる。


己が地位を守る為に、イザークを亡き者にした王太子の非情の行為――せめてこれを理由に、イザークの弔い合戦ができれば……クローディアは考えを巡らせた。
シュタイネル派の兵力を集めれば、それも不可能ではない。いっそ、ヴァルハルトに恨みを抱く、ヴァロアの残党と手を組み、この秘密の通路を教え、城を攻め落としてくれようか。その後、娘ユリアーナをこの国の女王に据える。悪くはない話だ。すぐに屋敷に帰った後、シュタイネル派の筆頭であるソルヴェーグ侯に話を持ちかけてみよう。クローディアが不敵に笑った。
しかし、

……お前の屈折した根性と、兄への歪んだ愛情が、勝手な妄想を作り出し、長きに渡ってこの親子を苦しめてきたことが、まだわからないのか?
サクヤの言葉が、クローディアの脳裏をふと過ぎる。
確かに自分は、ヴァルハルトを敬愛していた。だからといってソフィアに兄を取られたという思いから、王妃を憎んだわけではないし、人柄そのものはむしろ気に入っていた方だ。常に戦に身を投じていた兄を癒すには、似合いの女だと思っていたぐらいだ。そう――血統さえ良ければ。どこの種とも知れぬ庶子でさえなければ。そして、ヴァロアにさらわれたその年に、男子を産まなければ。

「小娘が……小ざかしい!」
クローディアは壁を拳で思い切り叩いた。
「あら、あの賢者の言っていたことは、正しいと思うけれど? 好きだったんでしょう? 英雄王が。兄という存在以上に」
聞き覚えのある艶のある声に、クローディアが顔を上げる。目の前にはあの預言者が立っていた。
「リリス! あの場を逃げておきながら、よくもおめおめと姿を現せたものだな!」
しかしリリスは肩をすくめた。
「心外だわ。計画失敗に終ったのは、全て貴方の責任よ? あのナイトメアの力をもって王太子を支配した後、二人きりになった国王夫妻を狙えば確実に仕留めることができたはず。それなのに貴方ったら、あんな宴の間で、それも大勢の賓客を前に、堂々と暗殺宣言をするんですもの。これじゃあ上手くいくわけがないわ。その場に居合わせた人間、全てを口封じに消すならばいいでしょうけど。明日になれば、城内、いいえ国中、国王一家暗殺を企てた貴方の話で持ちきりね」
淡々と言われクローディアは返す言葉がなかった。
「私だって、こんな話を貴方にしにきたのではないわ。貴方に聞きたいことがあるのよ。ねぇ、誰が、ベアールの遺体を使えと言ったの?」
その声の中には、静かな怒りが入り混じっていた。しかし、クローディアは少しも悪びれる様子はなく、平然とした態度で言い返した。
「あれは元々、お前に出会う前に雇っていた呪術師が、国王夫妻を亡き者にする呪詛の媒体として、調達せよと言ったものだ。その後、お前が私の前に現れた。どことも知れぬ呪術者よりも、テオドール兄上の側近であるお前を、私は信じた。奇しくも、あの遺体が城に届いた日、お前が私に例の策を授けた。その後、あの遺体は何事にも使われることなく安置していたが、まさか動き出すとは、思ってもみなかったが……ふん、どちらにせよ、呪術師の策も、お前の策もろくなものではなかったな。信じた私が馬鹿だった」
あくまでも己が非を認めず、詰めの甘さを棚に上げ、全ての罪を他人に擦りつけようとするクローディアの姿勢に、リリスは芝居がかった素振りで溜息をついた。
「ねぇ、クローディア。全てを丸く収める方法、教えましょうか?」
「なんだと?」
反応するよりも早く、クローディアの目の前に、短剣が浮かび上がる。
「貴方にそれを授けるわ。どうか受け取って、クローディア」
「今度は一体、何だというのだ?」
宙に浮かぶ短剣を手にした途端、クローディアの両腕が硬直する。直後、クローディアの両腕は、自らの意志に反して、ひとりでに動き出し、短剣を構えなおした。短剣の切っ先は、他でもない、クローディア自身の心臓を狙っている。
「貴様、リリスっ、一体何を!?」
悲鳴にも似た声でクローディアが叫ぶ。
「あら。わからないの? 貴方が死ねば、全て丸く納まることじゃない」
しかし、リリスは淡々と言った。
「何故だ! 何故私が死なねばならぬっ!」
無情にも迫り来る刃から逃れようと、クローディアは全身を使ってもがいた。
「往生際が悪いわよ」
リリスがうんざりとした様子で指を弾くと、クローディアの両腕は命じられるまま、その胸に勢いよく短剣を沈めた。
「ぐっ……あっ……」
胸を貫いた短剣を握り締めたまま、クローディアは血泡を吹いて、その場に倒れこんだ。リリスは薄っすらと笑みを浮かべ、クローディアを見下ろした。
「最期に教えてあげましょうか? 貴方の大事な坊やを殺したのは、この私」
「ど……う、し……て」
息を切らしながら、こちらを見上げるクローディアの横顔を、踵で踏みにじりながら、リリスは呟いた。
「私、身の程知らずの人間って、大嫌い」
「イ……ザー……ク」
それがクローディアの最期の言葉となった。
目を見開いたまま息絶えた彼女の頬には、一筋の涙が伝っていた。リリスはクローディアの亡骸を煩わしそうに爪先で蹴り上げると、
「さぁ、残ったあの雌豚(ユリアーナ)は、どうしてあげようかしら……」
次の標的の元へと向かった。

クローディアと、今回の騒動に加担しているであろう、シュタイネル派の人間を一斉に召し取るように命じ、また実の息子である王太子も、重要な関係者として、牢に拘束することになったヴァルハルトは、玉座に座ったまま、深い溜息をついた。勿論、部屋には誰もいない。ソフィアも無用な心配をせぬよう宥めてから、寝室へと下がらせてある。

血族間での争いほど、虚しいものはない。
それは三年前、セレスティアの悲劇後、僭王ベアールとそれを討ち取ったグランディアの王太子――現国王ルドルフ・アルダス・マクシミリアン・グランディアの戦で嫌というほどに思い知らされた。
そのベアールにしても、五年前に長兄ギルバートを暗殺したと、噂されている。
そして今度は末妹クローディアが、自分と妻、そして息子の命を狙った。
近年、獅子の兄弟の国内で頻発する諍いは、まるで一族にかけられた呪いのようにも思えた。
今のところ、そのようなことに巻き込まれていないのは、カルディアを統治する兄テオドールのみなのだが、そちらの動向も気がかりなものがある。
テオドールはかつてマナの集落を、武力を持って制圧し、『運命の双子』たる片割れのマーレを王妃として娶った。そしてマーレが集落に残した娘、エステリアが次代の神子に選ばれたと知るや、恨まれていることを承知で、尽力し、このメルザヴィアまで遣わしたというではないか。

兄の真意は何か?――ヴァルハルトは眉間に皺をよせ、思いを巡らせた。
何より最も気味が悪いのは、兄お抱えの『預言者』とやらの存在だ。ただでさえ気性の荒いクローディアを煽り、ナイトメアを暴走させ、興醒めしようものならば、すぐにその場を消え去った。
あの預言者は、一体何を企んでいるのだろうか。そしてテオドールはどこまで預言者の『意のまま』に操られているのだろうか。その具合によっては
「兄上とも戦になる、か――?」
ヴァルハルトが一人、呟く。このまま息子と神子の一行をカルディアに返してはならない気がした。しかしカルディアには神子の持つ至宝の『本体』と、セレスティアの悲劇後にグランディアから徴収した『至宝の一部』が存在する。神子の証として、必ずそれだけは手に入れなくてはならない。
玉座の肘掛に頬杖をついたまま、ヴァルハルトはしばし考えた。

「一人で悩んだところでどうにもならんぞ。聖戦へ向かうのは、もはやお前ではない。息子の方だ」
恐れ多くも一国の国王を『お前』呼ばわりする女の存在ならば、記憶に新しい。神子の一行の中にいた、『彼女』を置いて他にないだろう。ヴァルハルトはゆっくりと顔を上げ、正面に立っているサクヤに声をかけた。
「これは、セイランの賢者殿。いつの間に入ってきたのだ? せめて事前に声をかけてくれれば、酒肴でも運ばせて、迎えてくれたものを」
サクヤは気味が悪いものでも見たかのような表情で、ヴァルハルトに言った。
「どうしようもない堅物のお前にも、そんな気の利いたことが言えるようになったか。年月の流れとは実に偉大だな。しかし、お前はソフィア一筋ではなかったのか?」
「は?」
この美しい娘はいきなり何を言い出すのだろうか?――そう言いたげにヴァルハルトが首を傾げた。
サクヤは、腰に手を当てたまま軽く息をつくと、玉座のヴァルハルトに向かって、歩みを進めた。
「若い頃のあんたが、本当に『絶世の美女』だったというのなら、俺はソフィアとの婚約を破棄して、すぐさまあんたを娶ってやるよ。賭けてもいい――」
「なに?」
ヴァルハルトが眉を潜めた。サクヤは玉座の手前まで近づくと、少々、怒りの含んだ瞳でヴァルハルトを見下ろし、低く言った。
「これは二十年前、お前が私に言った台詞だ。思い出したか、このクソガキ」
これがヴァルハルトへのトドメとなった。
一連の言葉を耳にしたヴァルハルトが、稲妻に撃たれたかのように驚いて、サクヤを見上げた。誰もが敬愛してやまない英雄王の唇が、衝撃とある種の『恐怖』に戦慄いている。

「……サ、ク……ヤ?」
そう、今ヴァルハルトの眼前に立っているのは、サクヤである。しかし、この場合は少々意味が違った。
「お前! 暁の神子サクヤか!」
ヴァルハルトが玉座から身を乗り出して声を張り上げた。サクヤがフン、と鼻を鳴らす。
「なんだ、その若い姿は!? 聖戦からもう二十年が経ったんだぞ? 本当のお前は六十を過ぎた婆さんのはずだ! さては若さと美貌に執着するあまり、魔物に魂を売り渡して魔女にでもなったか! 大体、お前! 聖戦が終った後、一体どこにいた!」
怒涛のように押し寄せるヴァルハルトの言葉に、サクヤはげんなりと肩を落とした。

「なんだ、貴様のその年柄に合わぬ喋り方は、あの生意気なクソガキ時代と変わらんではないか」
「ここには誰もいない、構うものか。それにこればかりは仕方ないだろう? そもそもあんたのその偉そうな口調が、自然と俺に移ったんだからな」
「で、その口調を聞いて子供時代を過ごしたシェイドもまた感化された、か。どおりで、容姿はともかく、あいつがところどころお前を彷彿とさせるわけだ」
「城内では、息子と似ているなどと言われたためしがないぞ?」
「近親との禁忌の交わりによって出来た子が、無事に生まれてくる可能性は極めて低い。なによりあの魔剣の懐き方といい、好いた女の趣味といい、あのクソ生意気な性格といい、お前の息子以外の何物でもない。お前の城の連中の目は相当な節穴だな」

「そろそろ質問に答えろ。どうしてそのような姿で生きているんだ?」
「知識豊富、才能豊かで、なおかつ最高の美貌を誇るこの私が、そう易々と死んでいいわけがなかろう」
「美人は薄命と、昔から言うと思うが?」
ヴァルハルトがからかうように言った。
「ごく一般的な美人はすぐに死ぬかもしれんが、絶世がつくと、話は違って当然だ」
「あんたのその自信過剰で、ふてぶてしい態度は、二十年前と何一つ変わらないな」
「私は事実を述べているだけだ。それがどうした?」
緑がかった黒髪を指で梳きながら、なんなく返す。
「そういうことを平気な顔をして自分で言うな」
「お前の嫁は可愛いな。正直お前には勿体無い」
「ああ、あんたと違ってな」
ああ言えば、必ずこう切り返してくる――サクヤはその懐かしいやり取りをしばし楽しんだ後、大真面目に語りだした。

「二十年前の聖戦で、私はお前にかかった呪いを無理やり切り離して、浄化しようとした。結局、その試みは失敗し、私は神子の力を失い、代わりに因果を背負ってしまった。そして、お前の身体――左肩には、一部の呪いが残ってしまった。ここまでぐらいはお前も覚えているだろう? そしてあの日を境に、私の身体は年を重ねるどころか、一年ずつ若返っている。つまりは時を逆行して生きていく羽目になった。おかげで、普通なら二十年は年を取っていなければならぬところを、二十代まで遡ったというわけだ」
「では、これからお前はどうなる?」
「このまま現世に止まれば、いずれは消滅する。それがあの時に私にかけられた呪い――というよりは咎だな。だが……そう簡単に死んでなるものか。それを食い止める手ならば、色々あった」
「手?」
ヴァルハルトは嫌な予感がした。
「お前、神子時代の私が、召喚術に長けていたことは覚えているだろう?」
「ああ。あんたは神や精霊、悪魔にいたるまで調伏して召喚する術を持っていたな」
「神子の力を失って、その腕が少々落ちたものの、私は己の身体の異変を知ってすぐさま、ある者を召喚したんだ」
「何を?」
「セイランで死者の魂を管理する者、黄泉――いわゆるあの世という世界を掌握する女王だ」
ヴァルハルトは思わず絶句した。なんでよりにもよって、そのような者を? とも思った。

「まぁ、なんとも都合がいいというか、ちょうどその女王も、身体が朽ちかけていてな。そろそろ新しいものが欲しいといったところだった」
「あんた、まさかその女王を食い殺したんじゃないだろうな」
貴様、人をなんだと思っている?――サクヤはそう言った後、話を続けた。
「神霊力は失ったものの、それでも私の身体は、凄まじい力を受け入れるだけの役割は果せる。器としては最高だろう? 私でいいなら、この身体を快く進呈してやろうと、女王に持ちかけた」
「あんた、それが人に物を頼む態度か?」
「いやいや、女王は快く契約してくれたぞ。だから今の私の『本体』は黄泉にある。おかげで、現世で私の身体が傷つくことはない。とはいえ、現世に留まり過ぎれば、若返ってしまうから長居は無用なんだが、契約のおかげで、最終的に魂そのものが消滅することだけは免れる」
「なかなかやる……じゃないか」
ここまでやってのければ、もはや神の領域といっても過言ではない。ヴァルハルトはかつての『相棒』であった神子の思い切りのよさに、嘆息した。
「当たり前だ、私を誰だと思っている? 今でも語り草になっている伝説の神子の一人だぞ? 昔、お前にも話して聞かせたとは思うが、納得いかぬ死を迎える羽目になった人間が見せる、生への執着ほど、恐ろしいものはない。それに私には、色々と現世に用があってな。簡単に去るわけにはいかん」
「まだ追っているのか? あの者を」
何かを思い出したように、ヴァルハルトは尋ねた。
「ああ。一瞬、お前の息子が、私の捜し人かと思ったんだが、違った」
サクヤが頭を振った。
「ただし、お前の息子に関してこれだけは言える。『始まりの神子』と『最後の英雄』の力は本来、血によって受け継がれるものではない。親子二代で神子や英雄となるのは異例のことだ。しかし、あの呪いは、やはりお前の人生に影を落としたばかりか、息子にまでその因縁を引き継がせたようだ。そして、今日、お前に残っていた一部の呪いを、ナイトメアを介してシェイドが引き受けた。ということは――」
サクヤの瞳が微かに揺れる。
「息子は私の代わりに、全ての因果を背負ってしまった……ということだな。そして、サクヤ……お前も」
「そうだな。お前自身が背負っていたものは、私という犠牲のもとに、ほとんど無くなっていたのも同然だ。苦難はあれども立派な息子と家庭を手にいれることができたんだから、少しは感謝しろよ」
悲痛な面持ちで、こちらを見つめるヴァルハルトを、サクヤは宥めるように言った。
「冗談だ。そこまで恩を着せようなんて、思ってはいない。今ここにいるのも、ただ、お前が昔、散々疑っていた私の若かりし頃の美女ぶりを、見せ付けてやりたかっただけだ。そんな顔をするなよ。本当なら六十を過ぎた婆になるところが、若返る事ができたんだ。それはそれで私は満足している」

サクヤの言葉にヴァルハルとははにかむように笑った。
「……驚いた。本当に、美女だったとはな」
「当たり前だ。現役時代の私は、それこそ『セイランの宝石』と呼ばれた女だからな。さて、お前は自分で振った『賭け』に負けたわけだが……」
意地悪そうに話かけるサクヤに、ヴァルハルトは思わず固唾を飲んだ。
「今更あの奥方と離縁してもらうわけにもいかん。罰の代わりといっては何だが、これで許してやろう」
言いながらサクヤは貴族令嬢のように、ヴァルハルトの前に右手を伸ばした。
「本当に、こんなことで許してくれるのか?」
サクヤが賭けの代償として求めるものを察したヴァルハルトは、玉座から立ち上がると、その場に跪いた。目の前に差し出された手に、軽く接吻してみせる。
「可愛げもなく、気位も高いお前を、いつか跪かせることだけが、昔から私の夢だった」
サクヤはまるで戦に勝利したような笑みを顔に浮かべながら、言った。
「あんた……相変わらず変態だな」
ヴァルハルトが苦笑する。
「お前の息子からも、同じことを言われた。血は争えんな。さて、下手に動けぬお前の代わりに、あいつの様子でも見てくるとしよう」
「すまないな――サクヤ」
言うが早いか、サクヤはすぐさま踵を返した。
「お前がこの世に留まっているうちに、いつかのように、飲み比べをしよう」
「やるだけ無駄だぞ? どうせ負けるのはお前だ。メルザヴィアの酒蔵を空にしたくなければ、止めておくんだな」
こちらに背を向けたまま、サクヤが断りを入れる。いつになく若々しい、かつての神子の後姿を見つめながら、ヴァルハルトは今一度、サクヤに声をかけた。
「ありがとう、お前には本当に感謝している」
憎まれ口に代わって述べられた礼に、サクヤは驚いて振り向いた。そして、しばらくヴァルハルトを見つめると、花のように美しく笑った。

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