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EternalCurse

Story-47.悪夢の終焉
これまで止まっていた時が、一気に流れ出すかのように、我に返ったシェイドが眼を見開いた。母の胸を貫いたかに思えた剣の切っ先は、その前に立ちはだかったヴァルハルトの左肩を貫いていた。いや肩ではない。正確には左肩から漆黒の何かが突き出している。
それはまるで翼のようにも、黒水晶の結晶体(クラスター)のようにも思えた。それがナイトメアの剣をしっかりと受け止めている。
剣は微かに震えると、その黒い物体を吸収した。ナイトメアの鼓動がその場に響き、次の瞬間、古くなった殻を脱ぎ捨てるように、鎧状のナイトメアがずるりと、シェイドの身体を離れ、本来の剣の形を取り戻してその手の中に納まった。ナイトメアから切り離された真珠のように小さな魔石が、乾いた音を立てて落ちると、床を転がっていく。
ヴァルハルトはナイトメアによって吸収され、消耗した左肩を抑えながら、その場に膝をつく。
「これは……聖戦の折、私が残してしまった『呪い』の一部が具現化したもの。妙に疼くと思っていたら、どうやらナイトメアの暴走に反応したらしい……」
息を切らせながらもヴァルハルトは話を続けた。
「それ故に、その因果がお前の身を蝕んでいる。ナイトメアを通じて全てを引き受けてしまったお前ならば、いずれ、この意味がわかるときが来る」
「陛下……」
シェイドが呟く。
「おい! お嬢ちゃん、しっかりしろ!」
「エステリア様! エステリア様! 目を覚まして下さい!」
後ろでガルシアとシエルの悲痛な声が響く。
振り返ると、そこには、ぐったりと瞼を閉じたエステリアが、ガルシアの腕の中で揺すり起こされている。
「エステリア!」
シェイドは慌ててエステリアの元へ駆け寄った。
「お嬢ちゃん……オメェを止めるために、抱きついて、何か光ったかと思ったら、次に俺が目にしたときには、この有様だ。あの一瞬の間に、一体何があったんだ?」
ガルシアの言葉は、エステリアがナイトメアの闇の中へ誘われた際、周囲の時間も同様に止まっていたことを物語っていた。
「まったく……『慣れぬ力』を使うからそんなことになるんだ」
サクヤが言った。
「なに言ってんだ? 姐ちゃん? 闇を浄化するのは、このお嬢ちゃんの得意技じゃねぇか? なぁ?」
「え? ええ……そうですわね」
ぎこちないシエルの返事に、ガルシアは首を傾げる。
「ガルシア、エステリアをこっちへ……」
「一体、何をする気だ?」
「エステリアを闇の底から連れ戻す」
「はぁ?」
全く意味がわからない――ガルシアはそう言いたげであったが、黙ってシェイドにエステリアの身体を預けた。昏々と眠り続けるエステリアの顔をシェイドはじっと見つめた。
魔剣を手にしたまま、エステリアの左手を取る。魔剣の猫目石と指輪の猫目石を重ね合わせると、そのままエステリアの唇に口付けを落とした。
「なっ! ちょっ……オメェ、コノヤロ!」
ガルシアが言葉にならない叫びをあげる中、エステリアの身体からは、ゆっくりと赤い妖気が立ち昇り始めた。妖気は指輪へ流れ、魔剣の猫目石を伝い、周囲が見守る中、シェイドの身体へと移っていった。



エステリアの意識は、今も深い闇の中を彷徨っていた。
あれからどれだけの時間が経ったのだろう?――と、辺りを見回したところで、何も変わるわけがない。後は闇の流れに身を委ね、深遠へと落ちるまでだ。ゆっくりと落下していく中、闇の一部にぽっかりと、光が灯る。
そこに映し出されたのは、エステリアがよく知る――故郷の集落へと続く森だ。しかし、心なしか、そこは今とは様子が違う気がした。
もしや、テオドールに焼き払われる以前の森なのだろうか?――エステリアは訝しげに眉を潜め、光の中に映し出された森を眺めていた。
これは、ナイトメアの記憶なのだろうか?――確か、シェイドは子供の頃、集落の森付近で、自分を見かけたと言っていたが、しかしあまりにも雰囲気が違いすぎる。
ならばこれはヴァルハルトが魔剣を所持していた頃の記憶なのだろうか。ヴァルハルトは一時期、ブランシュール邸に滞在していたという。しかし、その際、集落の付近まで訪れたという話など、エステリア自身、聞いたことがない。そもそも集落にいた頃は、世相にはてんで疎かったではないか。伯母であるセレスティアの死ですら、詳細は何一つ教えては貰えなかった。伝えなかったという方が正しいのだろう。現在集落は、あのカルディアの傘下にあるというのにだ。
シェイドとヴァルハルトどちら側の記憶とも当てはまらないとなれば、この光景はナイトメアが自分に見せている悪夢の一つなのだろう。
じっとその光景を見つめていると、大木の裏側に、もたれかかる様にして座る女性の姿に気付いた。
こちらからは顔が見えないが、マナの民族衣装を見れば、同胞であることがすぐにわかる。女性は一向に動く気配を見せなかった。おそらくは、この優しい木漏れ日の中で眠っているのだろう。

ただし、これはナイトメアが見せる悪夢だ。この先、何が起きてもおかしくはない。
しかし、例え、あの女性が振り返ったときに顔が無くとも、あるいは魔物に変じて襲いかかる幻影を見せ付けられたとしても、不思議とエステリアは驚く気にもならなかった。
平凡であったはずの日常が、集落を出て以来一転し、怒涛の日々を送っている。そのことが、結果的に自分の神経を図太くしてしまったのだろうと、エステリアはその時に初めて思った。

「またこんなところで居眠りして……」
いつの間にか、女性の前に青年が立っている。
まるで収穫前の小麦のように明るい髪が特徴の青年は、柔和な表情で女性の前に手を差し伸べた。
「ごめんなさい。最近、ずっとこの調子なの」
眠い目を擦りながら、女性は臨月の近い大きなお腹を抱え、ゆっくりと身を起こした。
なるほど、夫婦なのか、しかしこんな青年の顔を集落で見たことがない。一体何者なのだろうか。エステリアは考え込んでいると、
「一体、どっちだろうね?」
青年が女性のお腹に視線を落としながら尋ねた。
「きっと女の子よ。わかるの……なんとなく」
女性の方が答える。
「名前はどうする?」
「もう決めているの。女の子だったら――エステリア」
「ああ、(エステリア)――か。可愛らしい名前だね」
え?――突然、出された自分の名前に、エステリアの鼓動が跳ね上がった。
「さぁ、集落まで帰ろう、身体に障るよ――マーレ」
女性の名を耳にした時、エステリアは何かに頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。
間違いない、あの女性は――自分の母親で、カルディアの王妃。そして傍らにいる青年は……初めて見た父親だ。裏切り者で非情な王妃の顔しか知らないエステリアは、マーレの姿を凝視した。
しかし、どんなに見つめても、若き母親の顔はこちらからは見えず、目に映るのは、ただ夫に支えられてこの場を去っていく後ろ姿のみだ。一体どんな顔をして父と話をしているのだろう?
本当に、自分の誕生を喜んでくれているのだろうか?
そう思っている内に、目が霞んでくる。次第に意識まで遠退いてくる。

ああ、夢でもいいから、せめて母の胎内にいたときまでは、愛されていたのだと信じていたい――。
憎しみと期待と後悔。そして本当は、自分も愛されたいという願望。
ありとあらゆる感情が胸の内で渦巻く。
止めどなく溢れる涙を拭おうとしたとき――、エステリアは『現実』で目を覚ました。


目覚めたエステリアの視界に、真っ先に映ったのは、心配そうにこちらを覗き込む、シェイドの顔だった。そして次にはガルシアや、シエルの安堵の溜息が聞こえた。
「なんて顔してるんだ? 悲しい夢でも見たのか?」
「ええ……最高の悪夢だったわ」
目尻に残った涙を拭いながら、エステリアは答えた。
その際に、ナイトメアによってつけられた腕の傷も、ドレスに飛び散ったはずの血痕も、闇の世界から帰還した途端に、消えていることに気付く。
そんな馬鹿な。確かにナイトメアから傷つけられたはずなのに……痛みも感じたのに――エステリアは己の目を疑った。
自分が気を失っている間に、誰かが癒しの術を使っていたとしたら?――しかし、それでも服に付着した染みまで消せるはずがない。
だとしたら、あの闇の空間は、心と身体を切り離した――そう、精神と密接な世界だったのかもしれない。エステリアはそう確信した。

「オメェ、一体、何をやってお嬢ちゃんを起こしたんだよ」
ガルシアが不思議そうに尋ねる。
「エステリアを蝕んでいたナイトメアの瘴気を、魔剣を経由して俺の方へ移しただけだ」
「あの、ヴァルハルト陛下は? 王妃様は……無事?」
「ああ……お前のお陰で、二人を殺さずに済んだ」
頷くシェイドに、ヴァルハルトがゆっくりと口を開いた。
「……ソフィアの実父はヴァロア皇帝アイザックだ」
「はい……」
シェイドはそう答えると、俯いた。この英雄王の口から、事実を伝えられるのはやはり辛いものがあるのだろう。
「それでも、そなたの黒髪と黒い瞳は、ヴァロアの『祖父』から譲り受けたものなのだろうと、私は今でも思っている。何より、そなたが生まれたとき、確信した。そなたも私と同じ運命と魂を引き継いでしまったことを。そなたは私の息子だ。他人がどう囁こうと、私は今でもそう信じている」
シェイドは黙ってヴァルハルトの言葉に耳を傾けている。しかし、その沈黙をすぐに破ったのは、クローディアの血を吐くような叫び声だった。

「よくもおめおめとそんな戯言を吐けるものだな! ヴァルハルト! 最も汚らわしい血と、最も忌わしい生を受けたこの小倅に、どこまで情をかけるつもりだ!? それとも皇帝と姦通したその女を守れなかったことへの、後ろめたさゆえの言葉か!」
「いい加減にしろ、吼えぬことを知らぬ馬鹿犬が」
業を煮やしたサクヤが、クローディアに凄みを利かせた。
「母子揃って救いようがないぐらいの馬鹿な女だな、貴様は。血の繋がった親子であるこいつらに、いつまでそんな世迷言を抜かす気だ?」
その一言に、周囲が一斉にサクヤへ視線を注いだ。サクヤは構わず続ける。

「ナイトメアは、血の臭いに敏感だ。お前も見ていただろう? ヴァルハルトとシェイドが流した血の臭いを嗅ぎつけて、奴は戸惑った。本来、ナイトメアが『持ち主』を見間違うことはまずない。それでも迷う事があれば、理由はただ一つ、かつての持ち主と現在の持ち主、どちらからも『同じ血の臭い』がしたからだ。奇しくもお前が暴走させた魔剣が、こいつらの血縁関係を……実の親子であることを証明したということだな」
言い終えたサクヤはボリスの方を見た。
「そういうわけだ、ご老体。国王一家を信じて正解だったな」
ボリスは、すぐさまサクヤに答えを返すことができなかった。ただ溢れんばかりの涙を目尻に溜めて何度も頷いている。
そのボリスとは対照的に、クローディアは、予想外の真相のあまり、表情を引きつらせていた。

これは嘘だ。信用してなるものか、都合のいい作り話に決まっている。そのようなこと断じてあるわけがない。あの黒髪の男は王太子の名を騙る、薄汚い敵国の落とし種だ。それも近親者との交わりによって実った、最も忌むべき存在ではないか。イザークを奪った張本人ではないか。
自分自身をそうして納得させながら、クローディアはサクヤを指差し、高々と叫んだ。
「世迷言を! たかが魔物が血迷ったぐらいで、その習性から親子関係を証明できただと? そんな話を誰が信じるというのだ!」
「その魔物の力に頼って、国王一家を殺そうとしたのはどこのどいつだ? いいか、私は仮にもセイランの賢者だぞ? 一国を揺るがすかもしれん事柄に、嘘なんぞ吐くわけがない。いい加減に認めたらどうだ。お前の屈折した根性と、兄への歪んだ愛情が、勝手な妄想を作り出し、長きに渡ってこの親子を苦しめてきたことが、まだわからないのか?」

何も言い返せぬまま、クローディアは助けを求めるように、リリスを見上げた。
「あら、そう。本当の親子なの? ちっとも面白くないわね」
リリスはただそう呟くと、ナイトメアの身体から取り出された魔石を、自分の方へと引き寄せた。国王一家惨殺まではいかずとも、暴走したナイトメアは充分に、リリス本来の目的を果すだけの働きはしてくれた。リリスは満足気な笑みを口元に湛えた。
その直後、咽かえるほどの腐敗臭が、その場に漂った。
エステリアや周囲の者達は、思わず手で自らの鼻と口を覆う。その腐敗臭が強くなる中、びちゃびちゃと、何かが滴る音が近づいてくる。
「お……ノォ…レ……、よくも……よく、も……!」
声にならぬ声で呻き、腐った肉と臓物の破片を撒き散らし、蛆がわいた身体を引きずりながら、『それ』は姿を現した。
「お……ノォ……れぇ……、テオ……ドールめ、ヴァルハル……トめ……余を、見下し……おっテェ……」
「ベアール……兄、上……どうして……」
これまで威勢のよかったクローディアが、目の前に現れた屍鬼(ゾンビ)の姿に、恐怖に顔を歪め、その場に崩れ落ちた。
「兄上?」
ヴァルハルトにおいては、哀れみとも、侮蔑ともいえぬ表情を浮かべている。
「状況を察するに、無念のうちに死した肉体に、未完成のままの術式が施してある。おそらくはナイトメアの瘴気に反応して、動き出した……と言ったところか。なるほど、今回の一件に限らず、ナイトメアを使わずとも、その他の手段で国王一家を呪い殺そうとしていたのか。目に見える魔物の習性は信じれずとも、目に見えぬ下手糞な呪いの力は信じるのか?」
腰を抜かしたクローディアを横目にサクヤが痛烈に批難した。
「ちが……違う! 違う! これは……こんなはずでは……!」
しかしクローディアは必死にそれを否定した。
今にも千切れそうな首を回し、ベアールはシェイドの姿を見つけると、
「憎き……、我が……甥、ル、ドルフ……そなた、如きに……我が、王座は……渡サヌ……!」
呪いを吐くかのように言った。
「人違いだ。あいつと俺は似ても似つかない」
シェイドがそう答えたものの、既にベアールの興味は別のところにあった。
「おお……そなたは……セレ……スティ……ア!」
屍鬼となったベアールがエステリアの方を見ながら、突如興奮して叫んだ。
「おいおい、まさかお嬢ちゃんにセレスティアの面影でも見たんじゃねぇだろうな! 僭王陛下さんよ!」
ガルシアが剣を向けて皮肉るも、ベアールは聞く耳を持たず、腐った瞼をさらに見開き、口からは涎ともなんともつかぬ液体を滴らせている。
「そなたも……ソナタさえも……余を、受け、入れぬ! 余を、馬……鹿に、しおっ……て! 許さぬ! 火刑に処そうとも……未来永劫、呪って、くれ……る、わ!」
ベアールは両手を伸ばし、勢いのまま、エステリアの方へ駆け寄ってくる。シェイドが舌打ちすると共に、元の『相棒』に戻った魔剣を構える。しかしそれよりも先に、シエルが立ちはだかり、得意の火の魔術をベアールに向けて放った。強烈な火柱が大理石の床を走り、ベアールを直撃する。
「お……お、お……ノォ……れぇ……セレ、スティアめぇ……またも余に……逆らう……か」
炎に焼かれ、のたうちながらもベアールは、生前の恨み言を吐き続けた。
「まだ言ってるのかよ、この愚鈍王が。シエル、徹底的に火葬しちまえ」
「言われなくともわかっておりますわ。生ける屍は焼き殺すに限りますもの」
言いながらシエルは、ベアールの身体に火の玉を次々と放った。それによって、ただでさえ腐敗の進んでいるベアールの身体がぼろぼろと崩れていく。
「我が、恨み……、死して、なお……尽き、ぬ……!」
炎の塊を受けたベアールの身体が弾け、その肉片が、エステリアに向かって飛んでくる。
「いやっ!」
エステリアは反射的に手をかざした。途端、手に触れるよりも前に、ベアールの肉片が、一瞬にして灰塵と化した。
「エステリア様……?」
ベアールの二度目の死を見届けたシエルが、驚いて振り返る。
たった今、エステリアの中で働いたものは、浄化の力ではない。
明らかに破壊の――負の力だ。妖魔と契約して堕ちたことによって、癒しや浄化といった、これまでの霊力が逆転し、破滅を呼び起こす力に変わってしまったということか。エステリアは、自分の掌を凝視した。
「さぁ、もう面白そうなことはなさそうね。私はお暇するわ」
リリスが笑った。
「待て! リリス、このままで良いというのか!」
クローディアが、すがるように言った。
「ねぇ、クローディア。愚鈍王ベアールは、王太子殿下を前にして、グランディア王ルドルフと見間違ったわよね? これってナイトメアの時と同じじゃないかしら? あんな屍鬼でも、この王太子を獅子の兄弟の血族と本能で感じ取ったのよ? これじゃあ、国王と王太子の親子関係を認めるより他はないわね。貴方の負けね、クローディア、観念なさい。さすがに私も、正統な血筋を守るメルザヴィア王家に、勝手な思い込みで謀反を企てようとした貴方には、これ以上協力できないわ」
リリスはクローディアをやんわりと諭すと、さらに高く舞いあがった。
「そんなっ! リリス、逃げるのか!」
喚くクローディアを捨て置き、リリスはシェイドを見下ろした。
「ねぇ、シェイド。これだけは言っておくわ――私を忘れないで」
艶っぽく言うと、リリスはいつものことながら、そのまま空気に溶け込むようにして消えていく。
「おのれ!」
行き場を失ったクローディアは、おもむろに立ち上がると、身体をふらつかせながらも、逃げるようにこの会場を後にした。


ナイトメアの脅威と、クローディア、リリス、そして屍鬼のベアールが去った後、静寂だけが、この場に残った。そんな中――
「殿下! ああ、殿下! やはりこのボリスの目は確かでしたぞ! 殿下こそが、メルザヴィア王家の正統な後継者! ヴァルハルト陛下と妃殿下の御子なのですぞ!」
堰を切ったように、ボリスが語りかける。
「シェイド……?」
エステリアがシェイドの顔を覗き込む。しかしシェイドはバツが悪そうに、俯くばかりだ。
「シェイド・ジークハルト・ソレイアード・メルザヴィア」
改めて長々とした本名をヴァルハルトに述べられ、シェイドが顔を上げた。
「シェイド・ジークハルト・ソレイアード・メルザヴィア……そなたが、戯れが過ぎるといった名前の一つは、ソフィアではなく、私が贈ったものだ。闇こそが、過去の因縁より私とお前を繋ぎ、お前自身を守るものだからな」
「は?」
シェイドがぽかんと口を開けた。
「ソフィアがそなたに贈った名は、ソレイアード。ソフィアの祖国の言葉で、『雲間から差す一条の光』という意味だそうだ」
そうであろう?――ヴァルハルトに見つめられたソフィアが黙って頷く。
「貴方には、私のせいで……苦悩ばかりが待ち受けているかもしれないけれど、この方の息子として恥じぬような道を歩いて欲しかったから」
ソフィアが呟く。
「ジークハルトという名は、二人で考えた名だ。それを長いだの、慣れぬだの、煩わしいだのと、平気で言いおって。この親不孝ものが」
ヴァルハルトは左肩を摩りながら、寂しそうに続けた。
「そして、そなたは……いつの頃からか……私の事を、『陛下』としか呼んでくれなくなった……メルザヴィアを出て以来、送り続けた文にも決して、父とは綴ることもなかった」
「シェイド……」
何かを促すようにエステリアが見つめる。
「……申し訳ありませんでした。……父上」
気恥ずかしそうに、シェイドがヴァルハルトに答える。ヴァルハルトは満足気に頷いた。
「さて、約束の至宝を、神子殿に授けねばならんな……ソフィア、その額飾りと首飾りをこちらへ」
「……はい」
言われるがまま、ソフィアは装飾類を外すと、ヴァルハルトに手渡した。
「この緑の宝石と青い宝石が、神子殿の至宝の一部だ。それぞれが風と水の元素を司っている。子を産んで以来、ずっと不安を訴えてきたソフィアに、安らぎをと、次代の神子が現れるまではこうして預かってきたが……」
「それは……もう私には必要ありません。今度は……貴方がずっと守ってくださるのでしょう?」
大真面目にソフィアに言われ、至宝の一部を神子に譲り渡していたヴァルハルトが硬直した。
「あ……ああ」
ヴァルハルトは辛うじて頷く。
「もしや、英雄王は今更ながらに照れているのか?」
呆れたようにサクヤが言った。
「何を言うか、美しき娘御よ、陛下はソフィア様に対してはいつもこのような状態ですぞ?」
「余計な事を言うな、ボリス」
ヴァルハルトが釘を刺した。
丁度その時、会場内で起こった事態の収束に気付いたのか、再び衛兵らが、この場に駆けつけた。
衛兵達は、国王一家の無事に胸を撫で下ろし、ある者は、シェイドに取り付いたナイトメアによって一時的に精気を吸われ、倒れた例の兵士達を揺すり起こした。

「……そろそろ、命じねばならぬまいな、ジークハルト」
その様子を見ながら、ヴァルハルトが呟いた。
「聡いお前ならば、もうわかっていような。唯一の持ち主でありながら、みすみす魔剣を支配されたこと、そして暴走した魔剣に操られたとはいえ、このような騒ぎを起こした罪は、問わねばならぬ。無論、クローディアもだ。それゆえに一度、そなたを拘束せねばならぬ」
「そんな!」
エステリアが悲痛な声をあげた。
「いいんだ。エステリア……私は父上の言葉に従います」
しかしシェイドがそれを静止する。ヴァルハルトは一度呼吸を整えると、衛兵達に命じた。
「クローディアには追って沙汰を出す。皆の者、ジークハルトを拘束せよ」
衛兵達は一瞬、わけがわからずに顔を見合わせ、戸惑っていた。
「気兼ねする必要はない。この身を捕らえよ。そしてそなたらの持つ枷で、この手を繋ぐがいい。私は父上の意思に従おう」
王太子として、シェイドが改めて衛兵達に強く命じた。
元より国王派である衛兵達は、唇を噛みしめると、シェイドの両腕に枷を取り付け、地下牢へと連れ立った。
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