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EternalCurse

Story-44.闇の騎士(ダーク・ナイト)
ソルヴェーグ侯は、忌々しげに、地下に安置された、ベアールの棺を見つめていた。
ただでさえ、大枚を叩き、呪術師を雇ってクローディアに取り入り、知恵を授けたにも関わらず、結局はそれといった術式も施さずに、呪術師を追い払う羽目になった。
これまでシュタイネル派の筆頭貴族として、クローディアのために尽力してきたソルヴェーグであったが、肝心の主人は、実の兄に付き従う、得体の知れぬ預言者から授けられた策を重宝した。
一体、自分が用意した手段に、何の不手際があるというのだろうか。力ある者が秘密裏に呪術師、妖術師を雇い、政敵を殺すのは、裏の社会では至極当然なのだ。恐れる必要など何もない。
しかし、あの公爵夫人が、物事の判断において、最も大事にするものは、『固い絆』よりも『血の繋がり』であることは確かだ。結局、公爵夫人にとって、自分はただの臣下の一人に過ぎないのだ。
今後、王太子が起こす惨劇によって、国王一家が亡き者とされた暁には、メルザヴィア王家の宰相という地位を公爵夫人は約束してくれたが、それさえも、肝心な王が――国王となるはずだったイザークが亡くなったのではもはや意味がない。
クローディアが悲しみに暮れ、狂気に捕らわれたまま、イザークの寝室を退出した後、ソルヴェーグ侯は、シュタイネル派の仲間らと共に、ひっそりと会合を開いていた。
その話の中で、次の王座に就けるべきは、あの公女を置いて他ないという意見が多数出たのだが、同時に懸念の声も上がった。子供であったイザークが王位に就いたのであれば、母子共々、傀儡として扱うことが容易く思われた。クローディアの息子への溺愛ぶりは凄まじいからだ。
それに比べ、なまじ政に興味を示し、多少の知識と、何より自己顕示欲の強すぎるあの醜女はいささか扱い辛い。女王気取りになったあの馬鹿娘を、諌めようとし、下手に逆らえば、権力にものを言わせて、とんでもない処罰を下すことだろう。己が保身のためならば、ある事ない事を、さも真実のように喚き、母親に泣きつくに決まっている。考えただけで、頭が痛くなる話だ。
それほどにイザークの死は、シュタイネル派にとって、大打撃であった。
それによって、シュタイネル派から、急に国王派へと寝返ろうとしている者も少なくはない。
そう、国王が今宵主催した宴に、何食わぬ顔をして出席するという噂の、あのドリーセン伯爵のように。
こんなことなら、有無を言わさずに国王一家を呪い殺し、イザークを寝床から引きずりだしてでも、王座に据えておくべきだった。
そしてこの国で確固たる地位を築いた後に、イザークがまた臥せようが、死のうが関係ない。その頃には、自分はこの王宮を動かすほどの権力と信頼、そして威厳を手に入れているはずだからだ。このメルザヴィアに、宰相のソルヴェーグなくして、陽は昇らぬと言わせるほどになっていれば、後に王座に座るあの醜女も黙らせることができるだろう。いや、なにもあの醜女を無理に女王にせずとも、才覚あるソルヴェーグこそ、国王に相応しいと推す者達も出てくるかもしれない。
そんな夢さえ、今となっては、ただの塵と化しまった。
この場に残っているのは、未だ冷静さを取り戻せずに、己の身の振り方に迷う自分と、気味の悪い愚鈍王の遺骸だ。
「役立たずめ!」
ソルヴェーグ侯は、思い切りベアールの棺を蹴り上げた。その衝撃に棺の蓋が大きくずれ動く。
しかし、それを自らの手で正すなど、おぞましく、できるはずもない。
腸の煮える思いで背を向け、大きく息を吐いたソルヴェーグ侯であったが、彼は気付かなかった。
自らの背後で、棺が蠢いたことを。
ナイトメアが発した尋常ならぬ闇の気配が、ここにまで立ち込めた事を、平凡な人間であるソルヴェーグ侯には感じるとることができなかったのだ。
棺の中から、腐敗しきった手がゆっくり伸びたかと思うと、その場にいたソルヴェーグ侯の首をへし折った。


「シェイド!」
エステリアの悲鳴も虚しく、倒れたシェイドの身体の上で蠢いていたナイトメアが、その衣服を黒一色へと染め上げていく。一度形を失ったナイトメアは、シェイドを蝕みながら、自らの身体を組み立て、今度は液状から漆黒の硬質な物体へと姿を変えていく。ナイトメアは一瞬、動きを止めたかと思うと、変態を終えたことを知らせるかのように脈動した。
「シェイド……?」
ナイトメアの鼓動に突き動かされるように、シェイドがゆらりと立ち上がる。
シェイドの全身はナイトメアが形成する鎧に覆われていた。ナイトメアの鎧は、悪魔の如く禍々しい形状で、右手の籠手の部分からは剣と一体化している。胸の部分には、魔剣であった時のナイトメアの名残とも思える、あの赤い猫目石が埋め込まれていた。シェイドが虚ろな表情で、ゆっくりと目を開ける。シェイドの黒曜石のような瞳は、ナイトメアと同じく、血の色に染まっていた。
「なんだよ……あれは!」
「殿下!?」
ガルシアとボリスが叫ぶ。
「鎧状のあれが、ナイトメアの第二の姿だ」
おそらく衛兵から無理やり奪ったと思われる槍を手にしたサクヤが、言いながら近づいてきた。
「黒い……悪魔……」
闇に捕らわれた騎士――と、形容するに相応しいシェイドの姿を目にしたソフィアが、狼狽する。
「王妃様……?」
ソフィアの隣でエステリアが伺うように顔を覗き込んだ。ソフィアは返事もせず、ただ自らの身体を強く抱きしめて、必死に震えを抑えている。
「あら、王妃様。その様子だと、この形態のナイトメアを見るのは、初めてではなさそうね」
ほんの一部の人間にしか、知り得るはずのない記憶を、あの預言者は知っている。
ソフィアはまるで、心の奥底に深く沈めてきたものを、無理やり抉り取られるような思いで、リリスを見上げた。リリスの口元からは、笑みが零れている。
「ナイトメアがあの小倅を取り込んだか! これは、面白い」
これまでの様子を見ていたクローディアが狂喜し、そしてシェイドを指差すと、高らかに命じた。
「殺し合え! そして国王と王妃を惨殺した後、自らの命を断つがいい!」
表情を失ったシェイドが、クローディアの声に反応を示した。
のろのろと顔を上げ、標的をヴァルハルトに定めると、有無を言わさず突進し、剣を振りかざす。
ヴァルハルトの剣とナイトメアの剣がぶつかり、二合、三合と打ち合わせた後、鍔迫り合いになる。

「なるほど。やはりエドガーに預けて正解だったな。筋はいい」
今は正気でなくとも、手ごたえのある剣士に育った息子に向かって、ヴァルハルトは呟いた。
シェイドが目を見開くと、ナイトメアの鎧から妖気がゆらゆらと立ち昇る。
「やべぇ! 陛下、シェイドから離れて下さい!」
魔剣には触れた者の命を奪うだけではなく、真空や、衝撃波さえも繰り出す力があったはずだ――発せられた妖気から、その前兆を感じ取ったガルシアが、即座に叫んだ。
直後、シェイドの背後から、槍を手にしたサクヤが襲いかかる。
サクヤは咄嗟に振り返ったシェイドの脇腹を一撃すると、すぐさま距離を取った。同じく、その隙にシェイドから離れたヴァルハルトが、ちらりと隣のサクヤを見た。サクヤが軽く溜息をつく。
「そう批難するような目で見てくれるな。あのまま鍔迫り合いを続けていたら、お前の身体は吹き飛ばされていたんだぞ? シェイドの肉体を介したナイトメアの眼力でな」
「気を悪くしたならばすまない。何分、敵の背中から討ち取るような勝負をしたことはないからな。驚いたのだ。しかし助けてくれたことには、感謝する」
「私は必要であれば、背後からでも堂々と襲撃する。騎士ではないからな」
ヴァルハルトとは視線を合わせぬまま、サクヤは槍を構えた。
「ええい! 何をしている! 早く国王と王妃を討ち取れ!」
クローディアが声を荒げる。
「あのナイトメア、なんとかしなきゃ……」
エステリアが呟いた。
「ですが、シェイド様を元に戻すには、ナイトメアを身体から引き離す必要がありますわ。一体、どうするおつもりで?」
シエルが重々しく尋ねる。
「よくわからないけど……。あのナイトメアは怒りに支配されているんでしょう? それを鎮めることができれば、もしかしたら……ナイトメアはシェイドから離れて、いつもの魔剣の姿に戻ってくれるかもしれない」
――と、なると必要になってくるのは、浄化の力である。一か八か、エステリアは自らの左手を見つめながら、念じてみた。しかし、以前、確かに手にしていたはずの霊力が、まったく湧き起こってこない。
やっぱり、もう無理なんだ――エステリアは掌を握り締め、落胆した。
「お止めくだされ、殿下! 殿下が剣を向けた相手が誰か、おわかりか!? 父君なのですぞ!」
堪らず、ボリスが喘ぐように言った。
「泣き落としで訴えかけたところで、わかるわけがないでしょう? 彼の身体を突き動かしているのは、彼の意思ではなくて、ナイトメアの意思なのよ?」
嘲笑うリリスを他所に、シェイドがボリスの方へ向き直り、駆け出した。すかさずガルシアがボリスの前を遮り、シェイドの剣を受け止める。
「さっきと違って、飛んで逃げねぇ分、ましだな!」
「お主! 無茶をするでない!」
「下がっていろよ!爺ちゃん!あんたを殺したとなっちゃあ、こいつが正気に戻ったとき、自殺しかねねぇからな!」
打ち合わせた剣が早速腐食しはじめたにも関わらず、それでもガルシアはシェイドの剣をじりじりと押し返している。しかし、この時、ナイトメアに支配されたシェイドの顔を間近で見たガルシアは言葉を失った。
セイランで暴走したときも、今のように酷い瘴気と、赤い妖気を身体中に纏わりつかせていたシェイドであったが、それでもあの時の彼には意識があり、表情もあった。
今のシェイドには全く感情というものが見当たらない。まるで人形のように無表情で、その瞳は、何も映しておらず、ナイトメアの怒りのみを投影して、深紅に染まっている。ガルシアが唇を噛みしめる。
「おい、シェイド! 自分の魔剣に簡単に乗っ取られやがって! テメェはもっと根性ある奴かと思っていたのによ、情けねぇ! 悔しかったら自力で元に戻りやがれ!」
ガルシアが叫び、一息に勝負をつけようとした直後、風を切るような音が聞こえた。同時に目を見開いたシェイドの体勢が、ぐらついた。その背中には、深々と矢が刺さっていた。
「陛下! ご無事ですか!?」
気がつけば、開いたままの扉の向こうに衛兵達数人の姿があった。おそらくは、この騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。衛兵達は、会場に突入すると、王太子その人とは知らずに、黒い悪魔のような騎士に矢を放った。
「馬鹿! 止めろ、こいつは……!」
ガルシアが衛兵達を制止する。
しかし、不意打ちであった先程とは違い、放たれた矢は、シェイドに命中することなく、その目前でただの消炭と化した。シェイドの背に刺さっていたはずの矢も同様に、鎧の放つ瘴気に負け、脆くも崩れ去る。シェイドがゆっくりと衛兵らの方へ振り返る。剣と同化した右手には、ナイトメアの妖気が集中していた。
「いかん! 早くそこから逃げよ!」
先程のガルシアのように、今度はヴァルハルトが衛兵達に向かって注意を促す。しかし、彼らがその意味を理解するよりも早く、シェイドが右手を振りかざした。瘴気の塊が床を走り、衛兵達の身体を突き抜ける。ナイトメアの瘴気をまともに受けた彼らは、手にした武器を落とし、次々とその場に倒れこむ。
「なっ……」
一瞬の出来事に、ガルシアが愕然とする。
「ちょっと待って……」
エステリアは、すぐさま衛兵達の側に駆け寄り、屈みこんでその息を確かめた。
「よかった……この人達、まだ生きているわ。瘴気に冒されているけど……」
「そうか……」
ガルシアが安堵の息を洩らす。ナイトメアに操られているとはいえ、シェイドが国王夫妻や忠実な老臣、そして祖国の兵士達を手にかけるという最悪の事態だけは、避けなくてはならない。
一刻も早く、ナイトメアからシェイドを開放しなくては――ガルシアは頭を巡らせた。
そもそも、シェイドはあの人型であったナイトメアと、互角まではいかないが、それなりに渡り合っていたはずである。触れた者の生命力を奪うナイトメアの力すら、持ち主であるシェイドには通用しなかった。それにも関わらず、ナイトメアはシェイドが怯んだ際に身体を乗っ取ることに成功した。

どうしてシェイドはナイトメアに隙を見せたのだろう?――確か、あの時、シェイドの真横でリリスが何か耳打ちしていた。
だとすれば、導き出せる答えは一つしかない。
「てめぇ、リリス! シェイドに妙な術をかけて意識を奪いやがったな!」
ガルシアは再び宙で状況を見守るリリスを見上げた。
「あら。術なんてかけてないわよ? 私は、彼に真実を教えてあげただけ」
リリスは笑いながら、黒い錫杖の柄で王妃を指した。
「王妃の実父が、ヴァロア皇帝だってことをね」
リリスのその一言で、その場の空気が凍りついた。周囲の視線が一斉にソフィア王妃へと注がれる。

「ソフィア王妃のお父様が……ヴァロア皇帝?」
思わずシエルがソフィアを凝視した。元より雪のように白いソフィアの顔がさらに蒼白になっている。
「ソフィア王妃の父親がヴァロア皇帝ってことは……あいつ、まさか……」
ガルシアは悲痛な面持ちでシェイドを見つめた。
自分が近親相姦の末に生まれたという事実は、シェイドを打ちのめすには充分過ぎたのだ。
「そう……彼は絶望してしまったのよ。だから、自らナイトメアの中に閉じこもってしまったの。彼の意識をまるごと取り込んだナイトメアは、彼自身が憎む者を殺しつくすまで、暴れるわね」
「あいつが、憎む者?」
「例えば……そうね。こんなにも呪われた自分を産み落とした、母親なんかは格好の餌食でしょうね」
「戯れを申すな! あれは私とソフィアの子だ。ヴァロア皇帝の子であるはずがない!」
ヴァルハルトが声を荒げた。
「本当にそうなの? 髪の色、瞳の色、どれをとっても貴方に一つも似てないのに? ヴァルハルト陛下、貴方だって、本当はずっと疑ってきたのでしょう? シェイドのことを……」
「貴様……」
殺気立った獣と同じような目で、リリスを睨み、反論しようとしたヴァルハルトを、
「もう止めて下さい、ヴァルハルト……」
ソフィアが制止した。その瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっている。
「そう…その方の言うとおりです」
ソフィアはゆっくりと、前に出た。
「私は、さる貴族の庶子としてこの世に生を受け、まもなく里親の元へと出されました。私の母親は……アイザックが皇太子時代に愛した恋人でした」
エステリアが、シエルが、そしてガルシアやボリスが、改めて王妃の顔を見つめた。サクヤは黙って話に耳を傾け、ヴァルハルトは悔しそうに、目を伏せる。
「ヴァロアに捉えられたあの日……アイザックは私に向かって言いました。『お前は私が昔、愛した女によく似ている』と。そう……それはきっと、私の母のことです。私は子供の頃から、自分がヴァロア皇帝の庶子であると、知っていました。けれど、アイザックは、母が私を産んだことを知らなかった。私の罪は、己の意思とは関係なく、実父と姦通したこと…父親が定かでない子を生んだにも関わらず、陛下の情けにすがって今日のこの日まで生きてきた事ですわ」
ここまで聞いたクローディアから、狂人めいた笑い声が零れた。
「はっ……ははは……なんてことなの。なんて愉快な結末なの! 父と娘とで、親子で姦通した上、子供まで産んだなんて! 犬畜生にも劣る行為! 恥を知れ!」
「黙れ、クローディア。次にそのようなことを言えば、その口、引き裂いてくれる」
ヴァルハルトがクローディアを一喝した。ソフィアは一歩、一歩、踏み出しながら話を続けた。
「ヴァルハルト……貴方は私を責めようともせず、私を労わり、愛してくださいました。でも、貴方が優しくすればするほど、私の心は、惨めさのあまりに醜く歪んでいくのがわかりました」
ソフィアが、シェイドに向かって歩みを進めていく。
「シェイド、今の貴方に、私の声が届いているかはわからないけれど……さぁ、私を殺して下さい。陛下に顔向けできぬ、罪深い私を。それで、少しでも貴方の気が済むのなら」
ソフィアはシェイドの近くまで来ると、立ち止まり、瞳を閉じた。
「そして……共に滅びましょう」
自ら命を捧げようとする人間の気配に、ナイトメアが敏感に反応したのだろう。魔剣の意思に突き動かされるようにシェイドは剣を構えると、ソフィアをめがけて突進した。
「だめっ! シェイド!」
ほとんど無意識のうちにエステリアは立ち上がり、シェイドを止めようと駆け出していた。
「ソフィア!」
危険に晒された妻を救うべく、ヴァルハルトも同時に走り出す。
「っ……!」
しかし、ヴァルハルトは剣を落とし、左肩を押さえると、苦痛に顔を歪めた。またも過去の古傷が熱を持つように痛み、脈打つ。剣を拾っている暇などない。ヴァルハルトはそのままソフィアの元へ向かう。
シェイドの剣の切っ先が確実にソフィアの心臓を貫こうとした、その時、
「止めて、シェイド!」
まるで後ろから抱きつくように、エステリアがシェイドの身体に手を回した。
ナイトメアの鎧に手が触れた瞬間、あの魔剣の分身とも言える左手の指輪が赤い光を放った。
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