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EternalCurse |
Story-43.怒れる死の翼 | |||||||
派手な轟音が響き渡ると共に、崩れ落ちた天井の一部が、床に叩きつけられ、その衝撃から、粉塵が舞い上がる。あまりにも一瞬の出来事に周囲の貴族らは思わず呆気に取られ、立ちつくしていたが、天井に開いた大穴を見上げ、ようやく事態を飲み込めた途端に、場内は騒然となった。 王妃とエステリアを降り注ぐ木屑と硝子の破片から咄嗟に庇って覆い被さったヴァルハルトとシェイドは、身体の至る所に切り傷を負い、血を滲ませていた。 「ヴァルハルト!」 「案ずるな。大事はない」 ゆっくり身を起こしたヴァルハルトは、言いながら頬を伝った血を拭った。 「シェイド、大丈夫?」 「ああ。このぐらい平気だ」 エステリアに無用な心配をさせまいと、そう答えたシェイドであるが、思ったよりも傷は深く、抑えた左腕からは、止めどなく血が流れている。 「待って、今……」 治してあげるから――そう言おうとしてシェイドの傷口に触れようとしたエステリアは、はっとなって伸ばした手を引っ込めた。 もう癒しの術は使えない。そんな力はどこにもない――そのことを思い出したのだ。 エステリアはドレスの袖の一部を引き裂くと、止血のためにシェイドの左腕に巻きつけた。こんなときに、癒しの術を使わないことを、怪しく思われたかもしれない。エステリアはシェイドと目を合わせることができなかった。 「すまないな」 怪訝そうにエステリアを見つめ、シェイドは手短に礼を述べた。 「ガルシアとシエルは無事か?」 「おう。運良くかすり傷程度で済んだぜ」 「私も、ガルシア様の後ろに隠れたおかげで、それといった怪我はしておりませんわ」 「後ろに隠れた、じゃねぇだろ! お前、俺を盾代わりに突き飛ばしたじゃねぇか!」 「気のせいですわよ。きっと。それに、今は呑気に話をしている場合ではありませんわ」 シエルがそう言った直後、 「何よ! あれは!?」 「ひぃっ! 化け物!」 貴婦人達が次々と悲鳴をあげる。 彼らが指差す方向を見上げると、黒い塊のようなものが中央のシャンデリアの周りを旋回している。黒い塊は周囲の視線に気付いたのか、ぴたりと空中で動きを止めた。 それは漆黒の身体と翼を持つ女性だった。彼女が魔物であることは、すぐに見て取れた。 実に面妖だったのは、その背から生えた翼の形だ。片方は悪魔の、そしてもう片方は天使のような形をしている。この魔物の姿を目にするや、人間達は新たな悲鳴と共に、慌てて正面の出口に向かって走りだした。黒い魔物は、そんな人間達をぐるりと見回した。 魔物の双眸は血よりも赤く、禍々しい光を湛えている。 赤い妖光を纏う、死の翼を持った黒い女神――そう例えるに相応しい魔物を前にした、ヴァルハルトとシェイドは表情を強張らせ、ほぼ同時に呟いた。 「ナイトメア……」 「はぁ!? あれが、あの魔剣だっていうのかよ!?」 「ああ。どういうわけか、形態を変えている上、正気でもないらしい」 「正気じゃないって、どういうことだ?」 「剣が人型となって、この会場に突入した時点で、普通とは言えないだろ? この国に帰ってきてから、あいつの様子がおかしいとは思っていたが……まさか、こうくるとはな」 シェイドはガルシアに答えながらも、すかさず近習から、武器を受け取った。 勿論、これは魔剣ではなく、ごく一般的な普通の剣だ。肝心な魔剣があのような状態で、まして、人間に危害を加える恐れがある以上は、これでなんとか取り押さえるしかない。 「お前も一応、使うか? バスタードソードに比べれば、玩具みたいに思えるかもしれんが……」 「おう。あんなに出口に向かって人が集中していたんじゃ、部屋に剣を取りに帰ることはできねぇからな」 そう言いながら、ガルシアは恭しく差し出された剣を手にしたのだが、 「おい、こんなもんで斬りかかった日には、剣の方が折れちまうぞ!?」 そのあまりの軽さに、愕然とした。 ヴァルハルトは、会場の混乱を防ぐため、衛兵らに、逃げ惑う賓客を誘導するよう指示している。 「よいか、客が全て会場出たのを確認したら、すぐに外から扉を閉めよ。あの魔物を決して外に出してはならぬ。あの魔物の羽ばたき一つで、多くのメルザヴィア人の命が失われると思え」 とはいえ、例えこの会場に、人型となったナイトメアを閉じ込めようとしたところで、大穴の開いた天井から外に出られては、元も子もない。 なんとかこちらで引き付け、食い止めねば――決意したヴァルハルトは、傍らにいる妻やエステリア達の方に向き直る。 「神子殿。ソフィア、ここは危険だ。今のうちに逃げなさい」 「でも、ヴァルハルト。貴方はどうなさるの?」 「私は……ここに残って、あの魔剣をどうにかせねばなるまい」 ヴァルハルトがそう呟いた直後だった。 「そうだとも! ここからお前達を生きて帰すわけにはいかぬ!」 その声は、賓客達のけたたましい足音の中でも高らかに響いた。 柱の影から、クローディアが姿を現す。しかし、目を血走らせ、髪の毛を振り乱したその姿は、いつもの賢夫人ぶりからは、明らかにかけ離れていた。 「全部だ、全部殺してしまえ。憤怒に満ちたナイトメアよ!」 クローディアの叫びに呼応するように、ナイトメアは咆哮をあげると、翼を翻し、出口の扉の前に立ちはだかった。逃げ道を魔物によって封鎖された賓客達が、再び悲鳴をあげる。 間近で目にした魔物の姿にある者は腰を抜かし、ある者は必死に神への祈りの言葉を唱えている。 「しかし、貴族とは実に情けない連中だな。酒も弱ければ、まともな口説き文句一つも言えぬ。その上、このような事態であるにも関わらず、婦人を守るどころか、我先に逃げようとしている。一体、どういう教育がされているんだろうな?」 サクヤは彼らを冷ややかに一瞥すると、近くの窓に椅子を投げ入れ、硝子をうち割った。 「ここは一階だぞ?わざわざ正式な出口を通らずとも、いざとなれば、窓を叩き割って出ればいい」 そんなこともわからないのか?――サクヤは溜息をつくと、ヴァルハルトの方を見た。 「背に腹は変えられん。王家を取り巻く大事な『貴族様』の命に比べれば、窓の一枚や、二枚は安いもんだろ?」 一応、本人は詫びを入れているつもりなのだが、一国の国王に対してこの口のきき方である。さすがのヴァルハルトも苦笑せざるを得なかった。 「おい。男ども! せいぜい、意中の女が硝子の破片で怪我をせんように、守ってやれ」 サクヤの一喝に気を取られていた衛兵が剣の鞘を使って、余分な硝子を払い落とすと、他の男達も貴婦人の手を取り、先に外へと逃がす。 出口の扉付近から、窓に向かって次々と踵を返す、賓客の中に、シュタイネル派であったはずの伯爵の姿を見つけたクローディアが、鬼のような形相で、怒鳴り声をあげた。 「おのれ、ドリーセン伯爵! 裏切りおったな、この売国奴め! 行け、ナイトメア! 奴を殺せ!」 命じられるまま、ナイトメアが飛び立つ。禍々しい力を持つ魔獣の手が、恨みの標的とされ、恐怖に立ち竦むドリーセン伯爵の肩に触れた。 ドリーセン伯爵は叫ぶ間もなく、一瞬にして、その生命力の全てを奪われ、あっけなく絶命した。 土色に変色した伯爵の死体が、床に転がる。敵に寝返った裏切り者の、哀れな末路に満足したクローディアの高笑いが部屋中にこだまする。 「イザーク、ああイザーク。もう寂しくはないわ。このメルザヴィアの忠臣達の命を刈り取り、お前と一緒に連れ立たせてあげよう。それが母様からのせめてもの手向け……さぁ、次に殺されたいのは誰だ!」 今やクローディアの瞳は狂気に満ちて、血に飢えた獣の如く、爛々と輝いている。 「いい加減になされよ! シュタイネル公爵夫人! これは反逆ぞ!」 毅然とした態度でボリスがナイトメアの前に歩み出る。 「やめろ、ボリス! ナイトメアから離れろ! 殺されるぞ!」 シェイドがボリスの元へと駆けつける。 「皆の者! 一刻も早くここから逃げるのだ! ボリス、早まったことはするな!」 ヴァルハルトも、ボリスを庇うようにして、ナイトメアの前に立ちはだかった。 「丁度いい、王太子! お前から始末してやろう!」 クローディアが叫んだ。 「俺の魔剣をこんな風にしたのは、あんたの仕業か?」 シェイドが問いかけるも、 「その禍々しい魔剣の力を使って、私の可愛いイザークを取り殺したのはどこのどいつだ!」 クローディアからは全く見当違いな答えが返ってくる。突然、最愛の息子を失った彼女は、完全に普段の冷静さを失っていた。暴走したナイトメアを連れ立って、夜会を襲撃すること自体が、本来の『計画』から逸脱し、己の立場を危うくすることすら気付かない。もはやクローディアにとって、メルザヴィアの王権、真の後継者のことなど、どうでもいいのだろう。ただ、ひたすら、己の身に降りかかった悲劇を他人になすりつけ、イザークの仇を討つことのみに、執念を燃やしているのだ。 「本当は笑っているのだろう!? 私がイザークを失ったことを! 嬉しいのだろう? これでお前は王座に最も近い者となったのだから!」 「あんたがいちいち心配しなくても、俺は王座なんて、最初から望んではいない」 「嘘をつくな! 卑しいヴァロア皇帝の落とし種の分際で! お前の身体に流れるその卑しい血が野心を抱かせぬはずがない!」 心無いクローディアの叫びに、ソフィアが目を伏せ、小さく身体を震わせた。 「さぁ、殺せ! ナイトメア!」 しかし、先程までクローディアの命令に忠実に従っていたナイトメアがふと、動きを止めた。 何かを確かめるように、ヴァルハルトとシェイドの顔を交互に見ている。かつての魔剣の持ち主と現在の持ち主を前にして、戸惑っているのだろうか。 「何を血迷っている! 王太子を殺せ!」 業を煮やしたクローディアが吼える。 躊躇するナイトメアに、問答無用に斬りかかったのは、ヴァルハルトだった。 かつて英雄として讃えられたその腕から繰り出される、剣戟は凄まじく、ナイトメアに攻撃する隙を与えない。ナイトメアは、一度、宙に舞い上がると、体勢を立て直し、そのままヴァルハルトに向かって滑空した。ヴァルハルトが、身構える。勢いのついたナイトメアをぎりぎりのところにまで引き付け、剣を払い上げる。 この一撃で、確実にナイトメアは切伏せられる――その場に居合わせた誰もが、そう思っていた。 無論、ヴァルハルト本人も、だ。 しかし、剣がナイトメアを捉えたと思われた瞬間、その姿が忽然とヴァルハルトの視界から消えた。 「なに!?」 ヴァルハルトが叫んだ直後、背後から大きな影が覆い被さった。 「しまった!」 ナイトメアは、ヴァルハルトに正面から襲いかかる『ふり』をして、直前で体勢を変え、背後に回ったのだ。振り返ったヴァルハルトに、ナイトメアが、大きく腕を振り下ろした。その鋭い爪が、剣を払い上げたままのヴァルハルトの顔面から胸を引き裂いたかに思われた、その時、シェイドはヴァルハルトを突き飛ばし、ナイトメアの攻撃を剣で受け止めた。 「どこで狂ったかは知らないが、汚くも背後から襲いかかるとは、随分お前もつまらない奴に成り下がったもんだな……!」 シェイドの言葉に挑発されたのか、ナイトメアが唸り声を上げ、剣を握り締めた。 ナイトメアはその力をもって、握った部分から徐々にシェイドの剣を腐食させていく。ナイトメアに押されながら、シェイドが内心舌打ちした。剣を折られるのは時間の問題だ。しかし、今退くわけにはいかなかった。 「血の繋がりもない父親を何故庇う!? 媚びへつらって、恩を売って、王位につけてもらいたいのか!」 「人のやる事成す事を王座と結び付ける、あんたのその発想力には、つくづく脱帽させられるな。咄嗟に打算で動けるほど俺は起用じゃない」 クローディアに言い返しながら、シェイドはヴァルハルトの方を見た。 「ヴァルハルトが死んだら、母親が悲しむ、それだけだ」 「ふん、綺麗事を!」 「あら。随分とてこずっているようね、公爵夫人」 醜く顔を歪めるクローディアの上から声がかかる。虚空にひずみが生じ、その中からリリスが姿を現した。それと同時にナイトメアもまた、シェイドの剣を手放し、一旦身を引くように、舞い上がる。 「これも全部、お前の仕業か……リリス」 宙に浮かぶリリスをシェイドが睨みつける。 「リリス? 彼の者が兄上の預言者、か?」 立ち上がったヴァルアハルトが、噂に聞く兄、テオドール直属の預言者の姿を見上げた。 「一体、ナイトメアに何をした!?」 腐食した剣を忌々しそうに見ながら、シェイドが言った。 「あら、私は王家の将来を憂いた、妹君にほんの少しの力を貸したてあげただけよ?」 それが、どうかしたの?――リリスはまるで、自分には一切、非がないような素振りで話した。 「このメルザヴィアには、ナイトメアを狂わせるだけの闇の気が満ちている。でもその原因を作ったのは、ヴァルハルト陛下。貴方であることはご存知かしら?」 ナイトメアが、大きく羽ばたき、その力が真空の刃となって、襲う。ヴァルハルトとシェイドは、その場から飛び退き、ガルシアも、ボリスを庇いながら避ける。ナイトメアは、すぐさまシェイドに詰め寄り、手刀を打ち込もうとした。シェイドがナイトメアの手首を掴んでそれを阻止する。ナイトメアは、自由が利くもう片方の手で攻撃しようともがいた。それをシェイドが剣で貫く。 「なるほど、ナイトメアに直接触れても、やっぱり『持ち主』なら死ぬ事はないのね」 リリスがせせら笑う。 「シェイド、貴方だってこの国に来てから、魔剣の様子がおかしいことに、感づいていたんでしょう? それはかつての持ち主が、この国で抱いた疑念と失意に憎悪といった、醜い感情に、過剰に反応していたからよ」 言いながら、面白そうにヴァルハルトの方を見下ろした。 「ナイトメアの力は、持ち主の感情に大きく左右される。過去と現在の持ち主が同時に存在するこの国では、混乱するのも必至だわ。そんな状態のナイトメアに、そう、ヴァルハルト、貴方がヴァロア帝国を滅ぼしたときに、彼の地に残してきた怒り――その気を吸わせた魔石を、この剣に与えたの。まさに怒れる死の翼ね。本当にナイトメアには憤怒こそが相応しい」 その瞬間、ナイトメアの片手を貫いていたシェイドの剣が、脆くも崩れ去った。 殴りかかろうとするナイトメアの手を、今度は素手で受け止める。圧倒的に不利な力と力の押し合いになった。シェイドがじりじりと後退する。ナイトメアの長い爪が、組み合った手の甲に食い込み、血が流れる。 「ねぇ、シェイド。貴方……知ってる? それとも、とっくに気づいているのかしら?」 リリスは競り合うシェイドの真横に舞い降りると、その耳元で囁いた。 「ヴァロア皇帝が、それと知らず自分の『実の娘』であった貴方の母親を辱めたことに」 シェイドが目を見開く。思わず手の力が緩んだ。その隙を狙って、ナイトメアの身体から無数の槍にも似た闇が飛び出し、シェイドの身体を貫いた。いや、それだけではない。人型であったはずのナイトメアが液状に姿を変え、シェイドに覆い被さるようにして侵食する。 身体に纏わりつく、異様な不快感にシェイドは崩れ落ち、その意識を手放した。 |
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