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EternalCurse

Story-42.凶星
「イザーク! イザーク! しっかりおし!」
シュタイネル邸に戻ったクローディアは、すぐさまイザークの部屋へと駆け込んだ。
イザークの寝台の周りには、突然の訃報に駆けつけた、いわゆるシュタイネル派の諸侯らが、そして使用人達が集い、沈痛な面持ちでクローディアの帰りを待ち侘びていた。
クローディアはそんな彼らを押し退け、寝台まで歩み寄ると、
「イザーク! 眠ってはなりませぬ! お前こそが、このメルザヴィア王家を継ぐ正当な血筋の持ち主、だから目を開けるのです! この母の声が聞こえぬか?!」
冷たくなった我が子の身体を何度も揺さぶる。しかし、どんなに呼びかけようとも、永久の眠りについたイザークの瞳が再び開かれることはない。クローディアはイザークの手を取ったまま、寝台に顔を埋めるようにして嗚咽した。
「イザーク……一体、どうして……どうしてこんなことに……」
クローディアの後に続いて入ってきたユリアーナは覚束ない足取りで、寝台まで辿り着くと、力を無くしてその場に膝をついた。
「あの……奥様、お嬢様……」
絶望に打ちひしがれたシュタイネル母娘が言葉を無くして佇む傍らで、後ろに控えていた使用人の一人が、意を決して、主人達の前に歩み出る。
使用人はゆっくりと口を開いた。
「一つだけ……不思議なことがございます。私がイザーク様の薬をお持ちして、このお部屋に入ったとき……何故か、部屋の窓が全て開いておりました。そして、寝台には……亡くなられたイザーク様のお姿がありました」
使用人が遠まわしに言わんとしたことを察したユリアーナは、怒りに全身を震わせ、声を荒げた。
「まさか…まさか何者かがこの部屋に侵入して、イザークを亡き者にしたとでもいうの!?」
ユリアーナは立ち上がると、使用人に詰め寄った。凄みをきかせるユリアーナの姿に、使用人はただ怯えるようにして小さく頷いた。
「その可能性は充分にあると思われます」
使用人に続いて、執事が目尻に浮かんだものを拭いながら言った。
「奥様とお嬢様が王宮に向かわれた後、奥様方と入れ替わるようにして、王宮からの使者がこのシュタイネル邸を訪れました。今宵、城で開かれる夜会の招待状を持って。丁度その頃、私達はイザーク様の変わり果てたお姿を見つけ、屋敷内は騒然としておりました。今思えば、あの使者はイザーク様の死を確かめるために、屋敷を訪れたのではないのでしょうか……」
執事の言葉にクローディアは過敏に反応を示すと、シーツを握り締め、呻いた。
「夜会……? イザークがこのような目に遭ったというのに、国王は宴を開く、と?」
「はい」
執事は話を続けた。
「招待状を渡してきたものの、使者はやたら性急に返事を要求してきました。無論、使者にはイザーク様のことは伏せ、夜会の出席についてはお断り致しましたが……そもそも今宵開く宴の招待状を、当日に送りつけるなど、不躾でございます」
そうだ、どんな宴であろうと招待する以上は、数日前に知らせを入れることが常識である。
だとすれば、今日のこの日に屋敷を訪れ、出欠を伺いたてた王宮の使者の行動は、あまりにも不自然すぎる。
「なるほど……そういうこと……か……」
クローディアは血が滲むほどに唇を噛みしめ、呪うように言った。
「おのれ……おのれ、ジークハルトめ……国王夫妻め! 己が地位の危うさに、己が醜聞を揉み消すためだけに、イザークを亡き者にせんと企んだか!」
そうだ、そう違いない。
とりわけあの小倅が持つ魔剣は、触れただけで相手の命を奪うというではないか――隙を見計らって部屋に侵入したのは、紛れもない、あの小倅だ。そして魔剣の力を使い、イザークの命を奪い取った後、密かに王宮へと戻ったのだろう。
何よりあの小倅と神子の一行に出くわしたとき、奴は言った。
至宝さえ手に入れば、この国を出て行く……と。
いつになく涼しげな表情で、心にもないことを抜かしおるわ――とその時、クローディアは思った。
しかし奴は知っていたのだ、もはやイザークがこの世の者ではないということを。
国に留まり、王座を死守せずとも、もう自分の地位を脅かす者はいないからだ。ならばあの台詞は、まさに己が地位を不動のものとした勝者の『余裕』から、発せられたものだといえよう。
そして兄である国王は、イザークの死を嘲笑うかのように、悲観するシュタイネル邸に、場違いな宴の招待状を送りつけてきた。
王宮の使者の突然の来訪は、執事の指摘する通り、随分と不可解な点が多い。
となれば使者の真の目的は、公爵家の『偵察』だったと考えていいだろう。
「我が兄でありながら、なんたる仕打ち! 悪魔め! 血の繋がらぬあの小倅を使って、イザークを殺し、己が名誉を守ったかと思えば、今宵はイザークの死を祝っての宴を開くというのか! 許せぬ!」
クローディアは目を血走らせ、半狂乱になって叫んだ。
「そうだ……許すものか、必ずや、イザークの仇をとってくれるわ」
丁度いい、今宵の宴を血と惨劇で彩ってやろう――クローディアは懐から、リリスより受け取った魔石を取り出した。
狙うは国王夫妻とジークハルト――クローディアは恨みを込めて魔石を握り締めたかと思うと、すぐさま掌を開いた。そこには魔石の姿はなく、代わりに黒い翅を持った小さな虫がいた。
「行け、私からイザークを奪った愚か者どもを、血祭りにあげてくるのだ」
クローディアの願いに答えるように、翅虫は、その手から音を立てず、ふらふらと飛び立った。



その夜、王太子の帰還を祝い、神子へ至宝を譲渡することを目的とした宴は、予定通り、執り行われた。
ソフィア王妃は、一人、窓に映る満天の星空を見上げ、溜息をついた。
「このような祝宴の日に、溜息とは……何か嫌なことでもあったのか?」
宴に参加した貴族らに、一通りの挨拶を終え、こちらに戻ってきたヴァルハルトが尋ねた。
「少し……思い出しておりましたの。そう……あの時も、こんな星の夜でしたわ」
「あの時……とは?」
ヴァルハルトが首を傾げる。
「貴方が神子と共に聖戦に向かわれた日の夜です。貴方との婚礼を目前にして、屋敷に閉じこもるだけで、何のお役にも立てない私は、ただ、ひたすら夜の星達に、貴方の無事を……祈っておりましたの。その時、空では見たこともないほどの、沢山の星が流れていきました。私は、貴方にもしものことがあったのでは? と思って……ひたすら泣いていたの……」
ヴァルハルトは黙ってソフィアの話の続きを聞いている。
「でも、それは私の杞憂に終りました。貴方は無事に生還した。でも私は……あの時の空の色とどうしようもない胸騒ぎを忘れることができませんでした。今日の空も……どことなく、それに似ていて……」
ヴァルハルトは軽く息をつくと、不安を訴えるソフィアの頭を撫でた。これは二人が婚約しているときからのヴァルハルトの癖でもある。
「まったく……そなたは本当に心配性だな」
しかし、妻のそんなおっとりとしたところが、心底、愛しいと思う。そして守らねば――とも。
ソフィアは急に赤らんだ顔を背け、話を逸らすように尋ねた。
「あの……義妹(いもうと)の姿が見えませんが……」
義妹とは勿論、クローディアのことである。
ヴァルハルトは、うんざりとした表情で天を仰いだ。

「あれはなにかと、問題を巻き起こす。正直、招待状を送りたくはなかったのだが、声をかけねば、それはそれで、侮辱だの、故意に嫌がらせをしただのと、喚き散らすのが目に見えているのでな。最後まで迷ったが、今朝方、使者を送って、急ぎ返事をさせた。クローディアは今宵の夜会を欠席するそうだ。執事が断りを入れてきた」

「そうですか……」
正直、あの義妹が公式の場に姿を現すと、いつものことだが、生きた心地がしない。
そして飼い主同様に、こちらに向かって侮蔑の視線を注ぐ、シュタイネル一派にしてもだ。
ソフィアは内心、ほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ?あれは?」
ヴァルハルトがふと目を細めた。いつの間にか、会場の隅には大きな人だかりが出来ている。
人だかりの中心にいるのは、勿論、サクヤであった。
メルザヴィアの名立たる貴族らが、あろうことか、神子の従者でもある女性に一斉に群がり、我先にと質問を投げかけては、そのグラスに酒を注ぎ、なんとか口説き落とそうと必死になっているではないか。しかし、貴族達の思いとは裏腹に、サクヤの方は、どれだけのグラスを煽ろうとも、一向に酔い潰れる気配がない。相手にも同じだけの酒を飲ませ、ことごとく『返り討ち』にしている。
その様子に、ヴァルハルトは苦笑した。
「あの女性が気になりますの? ヴァルハルト」
「いや、昔の知り合いに、あれぐらいの大酒飲みがいたことを思い出してな」
遠目に映る美女を視線に捕らえたまま、ヴァルハルトは言った。
ソフィアは寂しげに微笑むと、ぽつりと呟く。
「側室を迎えたいのでしたら、どうか私のことは気になさらないで下さい」
ヴァルハルトは、弾かれるようにしてソフィアを凝視した。
「そなたは酔っているのか?」
「いいえ。ですが……」
ソフィアは申し訳なさそうに俯いた。
国王や貴族階級の人間が、正妻の他に愛妾を持つことが当然である中、一人の愛妾も持たぬ、ヴァルハルトは国王としては異例といってもいい。
それは、ヴァロアでの一件によって、地に落ちつつあった妻の、『王妃』としての名誉を守る為の気遣いであると、ソフィアは薄々感じていた。
側室を持ち、その女性との間に子を成せば、『王妃の過ち』と『王太子の疑惑の出生』を認めることになる。それを懸念しているのだろう。
しかし、英雄王とはいえ、やはり人間の男であることには変わりない。あのように若く、美しく、そして自信に満ちた女性を前にして、目移りしない方がおかしいというものだ。
もしも、夫が側室を――自身の血を引く子の誕生を求めているのなら、とても寂しいことだが、認めようと、ソフィアは思っていた。
内心、そうなれば、肩の荷が下りるような気がした。
ただ、息子のジークハルトに、自分同様に、肩身の狭い思いをさせてしまうことが、気がかりであったが……。
しかし、ヴァルハルトは、ゆっくりと頭を振る。
「馬鹿なことを。このメルザヴィアには、既に嫡出の王太子がいるというのに、今更、どうして側室なんぞ迎える必用があろうか? それに……」
言葉の途中で、ヴァルハルトは突然、左肩を押さえ、顔を歪めた。
「あなた?どうなされたの?」
「いや、なんでもない。昔の古傷が、疼いただけだ」
気にする事はない――余計な心配をかけぬよう、諭すように王妃に言った、丁度その時、挨拶のためか、神子とサクヤ以外の一行を伴ったシェイドが、こちらに向かってくる。

「シェイド……」
気を利かせたつもりで、ヴァルハルトは息子を俗称で呼ぶと、シェイドは怪訝そうに眉を潜め、
「これまでどおり、ジークハルトで結構です」
と、返した。
相変わらずの息子の様子に、ヴァルハルトは少しばかり肩を落とした。
「ジークと呼んでも、シェイドと呼んでも、そなたは良い顔をせぬではないか。それとも、それほど己の名前が嫌いなのか?」
シェイドは、言うべきかどうか、迷いつつも、答えた。
「私に名を下さった母上には、申し訳ないとは思いますが……少し、悪ふざけが過ぎますかと」
我が子に、よりにもよって『闇の精霊』などという意味合いの名を送るなど、笑い話にもならない。
不満を述べるシェイドに、ヴァルハルトは
「そなたは本当に難儀な性格だな」
苦笑して呟いた。エステリアを含めた周りは、相変わらず噛みあわない親子の会話に、終始、穏やかではない表情を見せている。
「話は変わりますが……陛下もお気づきでしょうか? シュタイネル一派で、この宴に出席しているのは、ドリーセン伯爵のみです。イザークの急逝がよほどこたえたのでしょう。今更ですが、こちら側に寝返るつもりなのかもしれません」
シェイドの話に、ヴァルハルトとソフィアの表情が一変する。
「イザークが……急逝?」
ヴァルハルトが今一度聞き返した。
「は?陛下のお耳には入っていらっしゃらなかったのですか?」
今度はシェイドが信じられないような表情をする。
「あちらの小間使いの話によれば、今朝方イザークは亡くなったようです。クローディア叔母上も、そのことを知ったのは、王宮に出向かれてからのようでして、知らせを聞くなり、急ぎ屋敷の方へ戻られましたが?」
「では、こちらからシュタイネル邸に宴の知らせを送った頃には、もう……」
「可哀想に……まだ幼いのに」
ソフィアが言葉に詰まる。
「それから陛下。神子の至宝の件ですが……」
隣にいるエステリアに視線を移しながら、シェイドが続けた。しかし、
「そう急かしてくれるな。至宝の一部は必ずくれてやる。どうしてそなたは、至宝を手に入れ、すぐにこの国から出て行こうとするのだ? 長年、離れ離れになっていたお前との距離を縮めるだけの時間を、私にはくれんのか?」
全てを言い終えるよりも前にヴァルハルトから、話を打ち切られてしまう。
シェイドはあまり面白くなさそうな顔をすると、エステリアに詫びを入れた。
「悪いな。エステリア」
「あ、いいのよ。私は。至宝のことは後回しでも」
どの道、そんなものを貰ったところで、何の意味も持たないのだから――その言葉を胸に秘め、エステリアは薄く笑った。
「そういや、お前、魔剣はどうなった?なんか調子がどうのって言ってたろ?」
ようやく話の間に入る隙を見つけたガルシアがシェイドの耳元で囁く。
「ああ。相変わらず不機嫌だから、部屋に置いてきた。ここのところ、血を吸わせてないからかな?」
「置いてきたって……お前なぁ」
「問題ないだろ? あんな物騒なもの、盗む物好きはいないさ。あれを手に取った途端、死ぬということは、この国の人間なら、重々承知しているさ」
シェイドが皮肉めいた笑みを唇に浮かべたとき、
「ねぇ……ヴァルハルト、見て」
急にソフィアが窓の外を指差した。ヴァルハルトと一行はそれにつられるようにして、一斉に夜空を見上げる。
「空に、赤い……星が……」
王妃の言葉通り、空には不自然なほどに、赤い星が二つ、瞬いていた。
いや、星ではない――ヴァルハルトとシェイドがそう気付いた刹那、黒く蠢く『何か』が流星の如き勢いで天井を打ち破り、宴の間に侵入した。
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