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EternalCurse

Story-41.その母子の悲劇
「おお!お嬢ちゃん、こんなところにいたのか!」
廊下中にガルシアの溌剌とした声が、響き渡った。
「……恥ずかしい奴」
片手を大きく振りながら、近づいてくるガルシアに目をやり、シェイドがうんざりと呟く。
ガルシアはシエルとサクヤを伴っており、この二人も夜会に備えて試着させられたのか、エステリアと同様にドレス姿である。
シエルは、あくまでもエステリアの『引き立て役』としてドレスの型を選んだこともあってか、それほど華美ではなく、淡い紫の生地に銀糸で刺繍がされたものを纏っていたが、それだけでも充分に美しく、(かもじ)をつけて髪を結い上げようものならば、どこかの貴族令嬢と見間違えてもおかしくはない。

「まったく……どうして他所の国は、こうも息苦しい衣装ばかりを好むんだ?」
ぼやくサクヤの方はというと、鮮やかなほどに赤いドレスで、胸の周りには、ドレスと同じ赤い絹であしらわれたいくつもの薔薇の花が縫い付けられ、彼女の持つ黒緑の髪と白い肌をより鮮烈に印象付けている。こうして見てみると、まるでサクヤそのものが大輪の薔薇のように思えてくる。
嬋娟(せんけん)たる美女とはまさにこのことである、とエステリアは嘆息した。
サクヤに見とれているエステリアの前に、ガルシアは立ち止まると、首を傾げながら尋ねた。

「なんか……お嬢ちゃん、いつもと違って見えねぇか?」
その言葉に、エステリアの鼓動が一瞬、ぎくりと跳ね上がる。
「どう……違って見えるの?」
「その…なんだ?こういうのも変だけどよ、前よりずっと、色気があるというか……なんというか」
ガルシアはエステリアに抱いた違和感を、ぎこちない言葉で表現する。
「まぁ、肌艶も良くて当然だろうな」
既に事情を見抜いているサクヤが強烈な皮肉を浴びせた。
美しいだけではない、棘を持つ彼女はやはり『薔薇』のようだと、エステリアはつくづく思った。
すると、
「きっとドレスをお召しですから、目新しいだけですわ」
すかさずシエルが受け流す。
サクヤとシエルそしてエステリアとの間に流れる異様な空気に、ガルシアは、わけがわからずに瞬きをした。
「なんて間抜けな顔をしているんだ?あっちを見ろ、怪物親子のお出ましだ」
サクヤの一声に、一同は振り返ると、そこにはユリアーナを連れたクローディアが、悠然とした物腰でこちらに向かってくる。
「これは、これは、ジークハルト王太子殿下。このようなところで女人を侍らせているとは。剣の修行……と、長らく城を留守にしていた間に、色の道まで学ばれたか」
クローディアの第一声は、相変わらず敵意に満ちている。シェイドは煩わしそうに、
「私もそろそろ身を固めなければならぬ年頃ですので」
と答えた。
こういうときのシェイドは、全く別人に見える――エステリアが思っている傍らで、虎の威を借る狐の如く、『向かう所敵なし』の母親の後ろに控えたユリアーナは、劣勢のシェイドを目の当たりにして、勝ち誇ったように底意地の悪い笑みを浮かべていたが、サクヤの姿を目にするなり、その表情は一変して険しくなる。
「お母様、あの女ですわ」
ユリアーナはサクヤを睨みながら母に耳打ちした。
元よりクローディアはこの憎き甥に――いや、甥と呼ぶのも汚らわしい王冠泥棒である小倅に、そして連れ立つ卑しい者共に、一矢報いてやろうと近づいたときから、一番目に付いたのが、他でもないサクヤであった。
この女が愛娘を侮辱したのか――検分するような眼差しを向けるクローディアと、恨みを込めたユリアーナの視線が一斉にサクヤに降り注ぐ。しかしサクヤはこの親子に物怖じすることなく、
何か文句でも?と言いたげな表情で、じっと睨み返してくる。
なるほど、美しい女だ――とクローディアは思った。
その佇まいは揺ぎない自信に満ちており、瞳には思慮深く、また意思の強い光が宿っている。
このように派手な赤いドレスを纏っていても、決して下品ではなく、むしろ醸し出しているのは、女王のような威厳と品格だ。クローディアはサクヤの姿にかつて、『美姫』の名をほしいままにしていた自分の姿を重ねた。これが相手では、愛娘が負けて当然だと、内心クローディアは思った。

イザークとは違い、娘であるユリアーナが自分に似ても似つかない容姿の持ち主――とりわけ器量の悪さにおいては、重々承知しているつもりだ。だからこそ、クローディアは誰も認めることのないユリアーナの『美貌』を一人で賛辞し続けた。
娘の欠点を補うためにも、教養、作法に至るまで、徹底的な教育も施した。
真実から目を逸らした母親のこの行いを、他人は愚かと嘲笑うだろう。
しかし、生憎、王家に最も近い血を持つシュタイネル公爵家に逆らう貴族などほとんどいない。そのことにより、クローディアの行動はますます加速して、延いては娘のことを『メルザヴィアの奇跡』と称し、あろうことか、ほとんど虚言であるその噂を他国にまで広めるに至った。
全てはこの哀れな娘を守ろうとすればこそ強くなれたようなものだ。
正直、今回の件にしても、娘を愚弄したのはたいした女ではあるまいと、さて、どうして罵倒、平伏させてくれようかと、勝手に想像を巡らせていたぐらいだ。
しかし、実際は違った。こうして誰にも引けを取らぬ美女を、かつての自分を彷彿とさせる者を前にすれば、嫌でも現実を思い知らされてしまう。
あろうことか、この女は話次第では開戦すら辞さないという度胸の持ち主というではないか。

必ず、娘を冒涜した罪は償わせてくれる――と誓ったにも関わらず、この女を前にした途端、その独特の覇気にのみこまれそうになる。
クローディアは生まれて初めて味わうような歯痒さに、唇を噛みしめた。

「よくもこの(わたくし)に、あれほどの無礼を働いておいて、のこのこと顔を出す事ができるわね。まぁ、今日は『似合いもしない』ドレスを着ているところ、ようやく常識を学んだようね」
母親の代わりに火蓋を切ったのは、娘の方だった。
「あまりわけのわからない因縁をつけないでくれ。のこのこと歩いてきたのは、そちらの方だろう?」
視線も合わさず、サクヤが返す。
「相変わらず口の利き方だけは、わからないようね。この売女(ばいた)が。そんなものを着て、宮廷の男達の気を引こうなんて思っているんじゃないでしょうね?」

「やれやれ……ドレスを着なければ娼婦と罵り、着たら着たで男漁りでもする気か、と言いがかりをつける。支離滅裂だな。悪いが、こんな息苦しいものを纏わずとも、男どもは勝手に私の前に跪く。お前みたいな喋る猪豚がどんなに着飾ろうとも、到底はできん真似だろうがな」

以前ユリアーナから『醜女』呼ばわりされたことを相当根に持っているのだろう。意地になるサクヤを止める術は、誰も知らない。
「おい、殿下。やばいことになる前に、姐さんを止めろ。今日は『援軍』が同伴してるんだぜ?さすがにこの間みたいにはいかねぇだろ!」
ガルシアが小声で言う。
「まったく、女の喧嘩は恐ろしいな」
当の殿下は他人事のように答える。
「お母様!」
ユリアーナは早速『援軍』に加勢を申し込むように、叫び散らした。クローディアは我に返ると、扇で王太子を指し、痛烈に非難した。
「ジークハルト!いくら王族への『横暴が許される』神子とはいえ、その従者までもが『飼い主』と同様の振る舞いをするとは何事です!いくらそなたが心許した『犬』達でも、言っていい事と悪い事があります。仮にも公爵令嬢を前にして、なんたる侮辱!我が屋敷でこのような事を申したならば、すぐさま斬り捨ててくれるものを!不愉快です。ただちにこの者達を率いて、私達の前から去りなさい!」
クローディアはとりわけ、この王太子に対しては容赦がない。
そうだ。リリスの策によって、イザークが王冠を戴く日は近い。ヴァルハルトもソフィアも、そしてこの王太子も、じきに死ぬ――しかもその命運は、全て自分が握っているのだ。何も臆することはないではないか。
強気の姿勢を崩さぬクローディアの八つ当たりの矛先となったシェイドは、
さっそく来たか――と言わんばかりに、軽く肩をすくめた。
「ご心配なく。叔母上。神子の至宝さえ賜れば、俺はすぐにでもこの城を発つつもりです」
叔母の執拗な言いがかりが煩わしくて言ったわけではない。それは事実だった。この城にはもはや、未練はない。ただこれまで迷惑をかけてきた両親や、自分を贔屓してくれたあの老臣には、自分がこの地を去った後も、どうか健やかに過ごしてもらいたいと、心から思う。
「お前如きから、『叔母』と呼ばれるだけでも、怖気が走るわ」
クローディアは吐き捨てるように言った。
これほどの中傷を受けても、特に反論する様子ではないシェイドに成り代わるようにして、サクヤが冷たく言い放つ。
「娘が娘なら、親も親だな。ありのままの現実をどうして受け止めることができんのか、理解しかねる。過去の栄光と失った地位に縋ってのみ、輝くような生き様は、実に見苦しいものだ」
前回の公女に続いて、その母親をも非難するサクヤに、ガルシアは思わず固唾を飲んだ。
そもそもこの公爵夫人を、国家の再生を願う革命家さながらに駆り立てているものは、現国王一家への憎悪と怨嗟、そして凄まじいまでの過去への妄執である。兄弟の中でただ一人、理不尽にも王族を外れて、命じられるままに降嫁し、国王の臣下となったことは、気位の高いクローディアを深く傷つけた。その上、正統な王家の血を持たぬ偽りの王太子に頭を下げなくてはならない現実を、これほど恨みがましく思ったことはない。
獅子の兄弟として名を馳せたあの頃の権力があったならば、未だ降嫁せず王家に居座ることができたならば、愚かな兄王ヴァルハルトに成り代わり、自分が女王としてこのメルザヴィアを正しい国家へと導くものを――と、後悔したところで、何も変わらないのだが、そう思わずにはいられない。
心苦しい己の胸の内をサクヤから無様であると一蹴され、クローディアの身体が屈辱に打ち震えた。クローディアは目の前にいる傲岸不遜な美貌の悪魔に、何か一言くれてやろうと口を開きかけた、丁度そのとき、
「クローディア様!クローディア様!大変です。今しがた、屋敷より知らせが……」
血相を変えたシュタイネル家の小間使いが、慌しくこちらに駆けてくる。
「何事です?!騒々しい!」
振り切るように、クローディアが叫ぶ。
小間使いはシュタイネル家にとって怨敵である王太子の手前、クローディアの顔色を伺うようにして立ち止まった。
「用件はなんです?」
クローディアは苛立たしげに小間使いに問いかけた。小間使いは、意を決したように深呼吸すると、「先程、執事がイザーク様のお部屋に訪れたところ……イザーク様が……イザーク様がお亡くなりになっていたそうです」
イザークの急逝を伝えた。
「……は?」
クローディアが、小間使いの言葉に理解を示すには、しばしの時間を要した。
「今、なんと申した?」
今一度小間使いに伺う。
「イザーク様が、お亡くなりになりました」
小間使いは沈痛な面持ちで、答えた。
「イザーク…が……死んだ?死んだ……と?」
そんな馬鹿なことがあるものか――クローディアの顔色が一瞬にして蝋のように白くなる。
息子は確かに生きていたはずだ。早朝、息子の安否を気遣い、自ら部屋に出向いて健やかな寝顔を目にしたのだから、間違いない。まさか、自分が部屋から去った直後にでも、容態が急変したとでもいうのだろうか?
「イザーク……私のイザーク……!」
もはや王太子一行には目もくれず、何度も我が子の名を繰り返しながら、血相を変えて走り出した。「お前という男は、どこまでこの国に……この私の家族に不幸を呼べば気が済むの!」
ユリアーナは弟を失った衝撃に身体を震わせながらも、王太子に向かって暴言を吐くと、母親の後に続いた。シュタイネル家の小間使いは、バツが悪そうに王太子らの方を見ると、一応、一礼をして見せ、その場を去る。そんなシュタイネル親子の姿を苦々しげに見送りながら、
「あのように、人の姿を借りた悪鬼のような親子でも、身内のことになると、少しはまともになるようですわね」
シエルが呟く。
「どこまで愚かで惨めな親子だ?身の程を知り、慎ましやかに生きていればいいものを、出すぎた真似をするから神罰を被るというもの……」
サクヤにおいてはあの親子の不幸を当然のものだと、言う。
「英雄には英雄の、凡人には凡人の役割というものがある。己が役目を素直に受け入れ、まっとうすれば良いものを、下手に高みを望むからこうなる。夢は見るためだけにあるものだ。己の力量にも見合わぬ夢を、叶えようとすることこそ、傲慢というもの。奴らはそれを、身をもって知り、苦しめばいい」
「そんな言い方って……」
サクヤのあまりの言い草に、エステリアが反論する。しかしサクヤはいつにも増して、冷ややかな目でエステリアを見下ろすと、
「お前もいい加減に目を覚ましたらどうだ?奴らに生半可な優しさをかける必要はない。全ては自業自得、哀悼の意を述べるにも至らぬ連中だ。少なくとも『今のお前』には、寛容な心など無意味なものだろう?お前に似合うのは、激情だけだ」
釘を刺すように言って、踵を返した。
「人の姿を借りた悪鬼か――なまじ本物の魔物よりも、性質が悪いよな。確かあいつも……ミレーユもそういった連中に随分と苦しめられていたな」
言い得て妙だと、ようやく口を開いたガルシアは、微かに反応を示したシェイドをちらりと見ると、続けた。
「丁度ミレーユが死ぬ前ぐらいだったか――あいつ、すごい人間不信に陥っていてよ。相談に乗ってやったことがあるんだ。あいつは宮廷の……自分よりも身分の高いお嬢さん達からの嫉妬を一身に受けていたし、その上、親友の裏切りにでも遭ったんだろうな。人間が怖い、信じられないと言っていた。人は時として魔物になる事が在りえるのか?……って具合に、あいつは怯えながら尋ねてきた。良くも悪くも、人の心は変幻自在だ。どんなことがきっかけになるかはわからないが、場合によっては神様にも、それこそ人の面をした悪魔にもなっちまう。あの夫人にしたって、俺達の前では傍若無人で、王太子にとっては鬼畜同然のおばさんかもしれないが、今亡くなった息子の前では、それこそ聖母さながらだったと思うぜ?要は相手が敵か味方かでそれが左右されるもんだ。あのときのミレーユには、そんなろくでなしどものことは気にするな、わけのわからない悪魔がいたって、同時にそいつらを一掃するぐらいの強い味方もついているだろ?って言って聞かせたが……結局、あいつは『本物』の悪魔に連れて行かれちまった……」
「あの…もしかしてガルシアさんは……ミレーユさんの事、好きだったの?」
恐る恐る尋ねたエステリアに、ガルシアは苦笑した。
「お嬢ちゃん、ミレーユの元恋人がいる前で、そんな質問はよしてくれ。ミレーユは……そうだな。俺の妹の良い友達だった。俺の妹は、少し身体が弱くてよ。あいつはそんな妹を気遣って、よく遊びに来てくれていた。そりゃ、もう珍しい花やら、お菓子に、妹が喜びそうな小物を沢山抱えてな。ミレーユのお陰で、妹も少しずつ、健康を取り戻しつつあった。けれど、あいつが死んで……妹は嘆き悲しんで……また、臥せることが多くなってよ。妹からは是が非でもミレーユの仇を取ってくれとせがまれた。俺は、あの妖魔とガキの頃に交わした約束も踏まえて、あいつの仇をとると決めたんだ」
一呼吸置いて、ガルシアはシェイドに語りかけた。
「絶対にあいつを倒すぞ?」
「ああ…」
シェイドは、腰の魔剣に再び微かな違和感を抱きつつも、静かに頷いた。
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