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EternalCurse

Story-39.決意
「穢された……?妖魔に?」
これまでの経緯を知り、シエルは愕然とした。全てを話し終えて、ただ抜け殻のような表情でそこに佇むエステリアに、なんと言葉をかけていいものか、しばらく迷った後、恐る恐る顔を覗き込んだ。
「あの……エステリア様?」
「違う……」
伺いを立てるシエルとエステリアの声が、ほぼ同時に重なった。
エステリアは急に目を見開くと、シエルの腕を強く掴み、
「違う!違うの!私の身体の中に、ううん、私の心の中には何かが居るのよ!その何かが……誰かが私の心を、身体を意のままに操って、突き動かしているのよ……」
一息で言い切った。
あんな淫らな生き物が自分であるはずがない――取り乱すエステリアの身体をシエルはしっかり抱きしめ、落ち着かせるように何度も、背を撫でた。
「エステリア様……どうか心を鎮めて下さい。大丈夫ですよ。もう妖魔も襲ってはきません……」
自らの不注意から、神子の資格を失ってしまったにも関わらず、侍女はエステリアを責め立てることはせず、必死に宥めようとしている。それに比べて自分は、なんと愚かで不甲斐ないのだろう。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
悔し涙を浮かべて、ただ謝ることしかできないエステリアの耳元で、シエルは静かに囁いた。
「旅は……このまま続けましょう。エステリア様」
思いがけないその言葉に、エステリアは顔を上げ、じっとシエルを見つめたかと思うと、すぐに俯いた。
「できるわけないわ。だって、私は……もう神子ではないのよ?」
妖魔と交わったその時から、身体の内側で、何か著しい変化が起ころうとしている。まるで毒に蝕まれていくようなその不快感に、エステリアは先程から苛まされていた。この『毒』が全身に回ったそのときこそ、自分の持っていた霊力は完全に消え失せ、代わりに堕落した者のみが手にする忌わしい力を手に入れるのだろう。
「それでも、ヴァルハルト国王からは、至宝の一部を賜るべきです。そしてカルディアに帰った後、テオドール陛下に、至宝を捧げ、神子の座を退く旨をお伝えすればよろしい。そしてそのままシェイド様と結婚してしまえばいいのですわ」
冗談にしては、笑えぬ侍女の突拍子もない発想に、エステリアの顔から血の気が引いた。
「シェイドと?あの人を欺けと言うの?無理よ。あの人は神子でない私なんて、必要としてないわ、きっと。それに……もしも、私がソフィア王妃と『同じ事』になっていたら……この時にも、私のお腹に……妖魔との子供が宿っていたら?私は……どう説明すればいいのよ」
胎内に植えつけられた妖魔の種が、芽吹き、実りになるはずがないと、どうして言い切ることができるだろう?まだ見えぬ恐怖に、エステリアは思わず己の下腹部をきつく締め付けた。
しかしシエルは、そのまま続けた。
「望まぬ子供を殺す方法なら、いくらでもありますわ。ただし、その後石女(うまずめ)にならぬという保障はできませんが」
時として、この侍女はぞっとするほど恐ろしい事を言う。
「そして……何食わぬ顔をして、私はあの人に嫁げばいいの?」
「はい」
表情を変えずに頷くシエルに気圧され、エステリアは自嘲的に笑った。
「貴方って……すごいわね……本当に、強いわ。私とは正反対……」
「そもそも、エステリア様が神子の資格を失ってしまったのならば、いずれは神託が下り、この世のどこかに、エステリア様の力を引き継ぐ者が現れるはず。今の貴方にできることは、ただ一つ。次の神子のために、至宝を揃えることですわ。一所に至宝さえ集めてあれば、次の神子はこんな長旅をさせられずとも、すぐに洗礼が受けられるでしょうし……」
「でも、そんなこと、あのテオドール陛下が許してくれるわけがないわ。私が神子でなくなった事を知れば、あの人は必ず、従者を務めた貴方達を処罰するに決まってる。あの人は、そういう残酷な人よ?」
「いいえ。たとえ貴方を手に入れることができなくとも、己が国に至宝の全てが集うとなれば、さしずめテオドール陛下も、お怒りにはならないと思います。処罰のことはどうかお気になさらないで。少なくとも陛下の甥であるシェイド様は刑に処されることはないでしょう。あのお方がなんとか口利きしてくだされば、私もガルシア様も極刑は免れるかもしれません。最悪、ガルシア様は左遷されるかもしれませんが……シェイド様がきっとなんとかしてくださいますわ」
そしてシエルは念を押すように続けた。
「そのためには、絶対にここでシェイド様の地位を貶めるような行動に出てはなりません。間違っても自害などを考えられてはいけません。貴方がもしそのようなことになれば、かの公爵夫人は、それをいいことに、貴方を『偽者の神子』だと決め付け、貴方を連れ立ったシェイド様を、糾弾するでしょう。その火の粉は無論、『偽者の神子を祀り上げた』私達にも及びます。重ね重ね申し上げますが、この時点でシェイド様の立場を悪くするような行動だけは慎んでください」
「わかったわ……私は私の役目を終えるその時まで、皆を……欺き通せばいいのね?」
「ええ。これも復讐の内と思っていれば、きっと心も楽になりますわ」
「復……讐?」
「テオドール陛下は、かつてエステリア様の集落に攻め入り、当時大巫女を務められていたマーレ王妃を略奪したのでしょう?お母上を盗られたエステリア様には、テオドール陛下に復讐する権利があります。神子にならず、至宝のみを突っ返す――これほどの嫌がらせはありませんわ。それに……望んではいなくとも、魔物と契約してしまった以上、エステリア様は魔女でもあります。そのぐらいの心意気で臨まれるとよいでしょう。ものは考えようですわ。なんとか前に進むためには、お辛いかもしれませんが、考えを置き換える必要があります」
「そうね。そう思えば私は、自由を手にしたってことになるわね」
聖女としての制約に、束縛されることがなくなった今となっては、哀しみも怒りも、憎しみさえ、無理に押し殺す必要もない。例えば、カルディアでテオドール一家を諸共呪い殺そうが、心の赴くままにシェイドを求めようが、これからは自由だ。誰にも咎める事はできない。そう思えば、なにか望みの全てを手に入れたような錯覚すら覚える。こんな風に考えることができるのも、堕落したおかげなのだろう。
「それって……本当に、素敵よね」
再び疼き出した呪詛を押さえながら、エステリアは低く笑った。
旅を終えるまでもう少し……もう少しだけ辛抱すれば済むことだ――全てが終れば晴れて自由の身となる。何も気に病む必要などない……そう自分に言い聞かせたにも関わらず、エステリアの頬には、どうしてか涙が伝っていた。





メルザヴィア城内に数ある地下室の中でも、既に忘れられた一室にて、所々に灯された蝋燭の火が揺れている。蜘蛛の巣と埃に塗れ、陰惨としたその部屋の中央には、なにやら曰くありげな棺が置かれ、その真下にある床には、この棺に術式を施すために用意されたのだろうか?円陣と不可解な文字が描かれている。クローディアと、いわゆるイザークを次期国王に推す『シュタイネル派』と呼ばれる諸侯ら数人は、その棺を円卓さながらに、囲むようにして立っていた。
「全ての手筈は整いました。後は機会を待ち、行動に移すのみ」
クローディアの声が、地下室に響く。
「してクローディア様、国王一家より、如何にして王冠を取り戻す次第でございますか?」
夫であったシュタイネル公を失って以来、クローディアにとって右腕といっても過言ではない、ソルヴェーグ侯が訊いた。クローディアは、かすかに口の端を上げて微笑むと、
「ソルヴェーグ侯、そなたが見つけ出した呪術師の言うとおり、最初は、『これ』をつかう予定でした」
目の前の棺を見下ろし言った。
「自らの手を汚さずに、国王一家を滅ぼしたければ、呪詛の力を使うしかない。強力な呪詛を使いたければ、呪う相手とは深い縁で繋がり、なおかつ無念のうちに死を遂げた者の死体を媒体にせよと、その者は言った。だから、私はグランディアに密使を放ち、僭王として粗末に祀られた兄上の墓をあばかせ、その遺骨をここまで運ばせた。何者にも期待されず、兄や弟達への嫉妬と羨望に塗れて散ったベアール兄様ほど、獅子の兄弟を取り殺す呪いに適している者はいない。ベアール兄様の怨念を持って、国王ヴァルハルトを狂わせ、王妃諸共、血祭りにあげようと思っていた。そしてイザークを次期国王として即位させれば、もはやジークハルトには帰る場所も、地位もない。後は、あの小倅を、帰国した際にでもヴァロア皇帝の落とし種でありながら、王座の簒奪を計った罪で裁くだけ。ここまで策を練ったにも関わらず、私にはどうしても踏み切ることができなかった……」
国王夫妻に毒を盛る、または刺客を放って暗殺を企てる、などという無粋な方法は好ましくない。
あからさまに、これはシュタイネル派の陰謀と受け取られてしまうからだ。
ならば国王夫妻には、自ら殺し合いを演じ、滅びてもらうしかないのだ。
それも誰にも見えぬ『呪術』という力によって。
夫妻の不審な死に理由をつけるとすれば、それはあのヴァロアの一件が巻き起こした疑惑と、怨嗟を未だに引きずり、刺し違えて果てたということにすれば、シュタイネル派にとって、これほど都合のいいものはない。

と、ここまで王座を覆す手段を得た当初、クローディアの心は弾んだものだが、彼女にとって、この策は多くの問題を抱えていた。まず、ソルヴェーグ侯が連れてきた呪術師というものが、『本物』であるという確証がないということ。
貴族の中にも、占術師や呪術師を密かに重宝している者達もいる。しかしながら、そのほとんどは、金目当てに貴族に取り入った『偽者』であることも多い。
本来、魔術や呪術の類とは、無縁であるクローディアには、その真偽と実力を見極める術はなく、
仮に本物であったとしても、呪詛が相手の身にふりかかるまで、一体どれだけの儀式を行い、終えた後、どれほどの日数を要するのか、そして呪いの効力はいつまで持続するのか、その検討すらつかない。
どんなに強力な呪詛も、絶好の機会を狙って用いねば意味がない。
それを逃せば全ては水の泡となる。そして呪詛は複数の人間にかけることはできないという。
たとえ国王夫妻を殺したとしても、英雄王に永遠の忠誠を誓った多くの国王派までは一斉に殺害することはできない。国王夫妻を失った彼らは益々団結し、ただちにジークハルトを帰還させ、王座につけるだろう。
と、なればクローディアのこの策で、それを阻止するためには、なんとか彼らを懐柔し、イザークに跪かせるしかないのだが、鉄壁の忠誠心を持つノイマン卿ボリスを筆頭にした国王派が、そう簡単に降嫁した王族の子に膝を屈するわけがない。彼らの『士気』を奪うには、国王夫妻、そしてジークハルト共々滅ぼすしかないのだ。
メルザヴィアに後継者がいなくなれば、さしずめ国王派も、イザークを王に据えることに異論はないだろう。
しかし、その完璧といえる手段を見つけることができずに、悶々とした日々を送っていたクローディアの前に、あるとき、リリスが現れたのだ。
兄であるカルディア国王テオドールが専属の預言者リリスを召抱えた後、強運を手にしたということは、近頃、風の噂で聞いた。名も知れぬ呪術師よりも、テオドールからの信頼を得ている者の方が、このときのクローディアにとっては、はるかに逸材に思えた。
クローディアは勿論のことだが、呪術師のことは伏せ、切々と自らの信念と望みを訴え、またリリスも、王家の血を守ろうとするクローディアの意見に賛同し、協力することを約束してくれた。それでも呪術師を連れてきたソルヴェーグ侯の厚意を無駄にすることはできなかったクローディアは、ベアールを媒体にしての呪詛は、それこそ不安定なものではあるが、あくまでも最後の手段、切り札として取っておく事にした。
そして丁度ベアールの遺体が届いたという知らせと、同時に王太子の帰還という話を聞いたとき、再びリリスが現れたのだ。
「あの小倅が帰還したという知らせを聞いたとき、未だ国王一家を失墜させる完璧な手段を思いつかぬ我が身の不運を呪った。けれどもリリスが授けてくれた策のおかげでその考えは変わったわ。なによりどこまで天は私の味方をしてくれるのか――この時期にあの小倅が帰って来たことが、かえって好都合になった」
言いながら、クローディアは手を掲げた。その掌には、セイランでリリスが手にしていたものと同じ宝玉――魔石の一つが載っていた。
「リリスから譲り受けたこの小さな宝玉が全てを変える。これによって、あのジークハルトは血に狂い……更なる惨劇を呼ぶであろう」
勝利を確信して不気味に微笑むクローディアの姿に、周囲の諸侯らは息を飲んだ。
「ですが、クローディア様。ジークハルトはともかく、仮にも英雄王と謳われた国王陛下を、実の兄上を討ち取るのですぞ?お覚悟はおありか?」
恐る恐る尋ねたのは、王太子の帰還に伴い、急にシュタイネル派としての威勢が削がれつつあるドリーセン伯爵だ。
「ドリーセン伯、今更ながらに怖気づかれたか?」
冷ややかな目でソルヴェーグ侯がドリーセン伯爵を一瞥した。その気迫に小さくなるドリーセン伯爵を他所に、クローディアは悠然と言い放った。
「イザークが生まれたときから、その覚悟は決めています。安心をし、敵国の血を引く王太子を産んでもなお、周囲を謀り続けるあの女にほだされた兄上など、もはや英雄王にあらず。ただの腑抜けも同然……」
これは謀反ではない。王座の簒奪でもない。メルザヴィア王家の正統な血を守るための、クローディアにとっていわば『聖戦』であるのだ。
「皆の期待は決して無駄にはせぬ。とりわけソルヴェーグ侯、そなたの働きには、感謝している。イザークが国王となった暁には、必ずそなたを宰相に据えてくれよう……そう、全てはこのメルザヴィア王家の血を守る為には、致し方ないこと。王家に上手く入り込んだヴァロアの汚れた血で、このメルザヴィアの歴史を塗り替えられてなるものか」
必ずや、ヴァロアの血を滅ぼし、この国に真の国王を掲げて、メルザヴィアに平穏と安寧をもたらしてみせる――今は亡き夫との約束をクローディアは心の中で何度も反芻した。
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