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EternalCurse

Story-36.夜宴(サバト)-白の誘い-
「で、そこまでの話を聞いた限り、エステリア様はそのまま『未来の旦那様』から画廊に置き去りにされてしまった、というわけですわね?」
「ちょっと、からかうのはやめて。思い出したら腹が立ってきた……」
シエルの部屋で、画廊での一部始終を話して聞かせたエステリアは、夜食に用意されたマフィンを手に取ると、早速、口に放り込んだ。
「あら、どうしてですの?」
「あの人だって私の力を見極めることを、賭けの条件に出していたくせに。私は何も答えを聞いてないのに、いきなり先手を打つのは卑怯だわ」
今更ながらの愚痴を零すエステリアに、シエルは呆れ果て、肩を落とした。
「あの、エステリア様。そういう事はシェイド様に求婚された直後に、言い返さなくては意味がないのでは?」
「だから、それができなかった自分に腹が立っているのよ」
「まぁ、そういう面においては、賢者様が一番優れていますわね。シェイド様を一撃で黙らせる、あの切り替えしの速さ。尊敬しますわ」
シエルは宥めるように言いながら、ワイン瓶を取り出すと、その半分をエステリアのお茶の中に注いだ。
「どこぞの貴族様からの差し入れですわ。神子様にお仕えしているというだけで、私までこんなに厚遇されると、逆に気味が悪いものがありますけど。まぁ、とりあえずお茶と割ってからいただきましょう。就寝前の気晴らしにはこれが一番ですわ」
確か、セイランでも『シェイド絡み』の話で思い悩み、就寝前にあの鬼神と酒盛りをする羽目になった気がする――エステリアはそう思いつつ、酒が注がれたカップに唇をつけた。
「私は……集落じゃ、ずっと巫女として生きてきたから、結婚や、温かい家庭を持つことは縁遠いものだと思ってきた。自分に夫がいて子供がいるなんて、想像したこともないし、望んでもいない。ううん、望んではならないのよ。それが当たり前だったから」
「それほど不服でしたなら、その場でお断りすればよろしかったのに……」
「――だって、あの人を傷つけずに済むような言葉が、見つからなくて」
「要するにエステリア様は、シェイド様のことが本当は大好きなのに、ただ単に、ご自分の立場が神子であるから、泣く泣く求婚を断らざるを得ないことにお悩みなのでしょう?」
「どうしてそういう解釈になるの?」
「あら。だって、エステリア様のお言葉から察すれば、そういうことになりますわ。ご自分のお気持ちにお気付きではないの?それにシェイド様ご本人にしても全てが終るまで待つと言っているのですから、いっそ求婚を受ける方向でお返事だけでも差し上げては?」
シエルの意外な言葉に、エステリアは顔を上げた。
「でも――王妃様って、立派な世継ぎを産むことが役目なんでしょう?私には……」
「例え今が『白い結婚』だったとしても、シェイド様は構わないと思いますわよ?僭王ベアールではあるまいし、いきなりエステリア様に手をつけるとも思えません。聖戦が終るまで、そこのところの分別は持っておられるはずです。そもそもシェイド様はご自分の出生に、罪悪感すら抱かれているようですし、下手をすれば王族の身分を捨てて、ブランシュール邸の『本物』の養子になるおつもりなのでしょう?むしろ自分の子孫を残すことは望んではおられないのでは?」
話を面白がっているのか、やたら後押ししてくれる侍女の姿に、エステリアはやるせない面持ちで肩を落とした。
「エステリア様は納得いかないかもしれませんが、もしかしたらシェイド様は、本当にエステリア様の神子としての『素質』を既に見極めているのかもしれませんわよ?」
「そもそも、その神子の『素質』っていうのは何の事なの?」
「神子というのは、選ばれた者それぞれが、異なる力を持ち得ているのだそうです。暁の神子が、何故歴代の神子達の中でも伝説となり、『最強』と謳われるのか、エステリア様はご存知ですか?」
確かに歴代の神子の中で、サクヤ以外の名を聞く事はほとんどない。エステリアは頭を振った。

「なんでも暁の神子には、人間や魔族、神をも問わず、『調伏』し、自分の力の一部として使役、召還することに長けていたそうです。それが神子サクヤの力であったのでしょう」
「じゃあ、セレスティアは、どうだったのかしら?」
「それはわかりません。彼女は志し半ばで亡くなってしまったのですから。エステリア様には、何か気になることでもあるのですか?」
「神子って、基本的には神の光――つまりは神霊術と、地水火風の四大元素(エレメント)を司る力を持っているんでしょう?だとしたら、どうして火の力に守られていたはずの彼女が、みすみす火刑に処されてしまったのかしら」
伯母のセレスティアさえ生きていてくれたら、自分は神子として旅に出ることも、求婚を迫られることもなく、集落で平穏な日々を過ごせたはずなのに――エステリアの言葉にはいくらかそのような感情が含まれていた。
「確かに、火の力も操れたセレスティアなら、逃げることは可能だったかもしれません。ですが、そうなれば、逃走する彼女を捕らえようとする兵士達を手にかけなくてはなりません。自分が助かるために力を使い、他人を殺してまで生き延びたいと、果たして神子が思うでしょうか?」
己の命惜しさに、他人の命を奪ってでも生を望むのだとすれば、その者はもはや神子などではない。悪魔に魂を売り渡したのも同然の魔女だ。
「セレスティアの処刑の話については、私は文献に残っているものを人伝に聞いただけですから、はっきりとしたことは言えないんですが、刑はグランディアの中央広場で執行されたそうです。立ち会ったのは数名の兵隊だけ。僭王ベアールですら、自分に反抗した女の死に様には興味を示さなかったそうです。セレスティアの身にまとわりついた炎は激しく、それこそ『神の嘆き』と言わんばかりのものだったとか。炎はセレスティアの全てを焼き尽くし、死刑執行に立ち会った者の何人かは、それに巻き込まれて亡くなったそうです。どこまでが本当のことかはわかりませんが、今となってはその件も『天罰』の一言で片付けられていますけれど。ですが、そういった『文献』が残っているということは、炎に巻かれず、無事に生き残った者もいるということですわね」
「素質のことはわかったわ。でもどうして、あの人は私が必要なのよ?」
「エステリア様にしかご理解できないことが、あのお方にもあるのですわ。あのお方は……きっと、『他人に甘える事』が苦手なのだと思います」
「他人に甘える……事?」
それはエステリア様にも言えることですわ――シエルは付け加えた。
「シェイド様は生まれながらにして、何もかも手に入れられているお方です。多少、家族愛や、親戚とは縁が薄いようですが、それでも王太子という身分、英雄王の息子という肩書きに、麗しいお姿、剣においても天賦の才能をお持ちで、同時に頭も切れる方です。
そういうお方は、他者に頼ることなく、何事も自分お一人の力で解決していまいます。それがあのお方の欠点とまでは言いませんが、良くない所なのです。全てにおいて万能であるがゆえ、他者の力まで自分と同じ基準に合わせるよう強要してしまう。凡人や無能者には到底無理な話ですわ。
一応、ご本人も自分のその『悪い癖』は理解していらっしゃいますから、それだけの実力を持ちながら、カルディアでは出世街道を目指さずに、ガルシア様の副官に甘んじているのですわ。
でもやはり苛立つときもあるようで、セイランで、あの小さな女帝陛下に対して、随分と厳しい言葉をぶつけていたことが、いい例ですわね」

「確かに、セイランでは随分怒っていたわね。あれ、父親の素性がわからなかった女帝陛下に、自分の姿を重ねていたのかしら?」
「まぁ、厳密には『ものわかりの悪い女帝陛下』のお子様ぶりに苛立っていたというところでしょうか。お二人に共通しているのは、父親に関して、なにやら複雑な事情をお持ちだということ。
自分ならばそれを知るなり、即座に父親の前から姿を消して、国を出ることを決めたのに、何故この女帝は、忌まわしいだけの父親を恋しがるのか、理解ができない――とお思いだったのでは?
その他にもシェイド様は、特に王妃様のことで、子供時代に心に深い傷を負っていると思います。
ラゴウに騙され、陵辱されて子を宿したも同然の侍女を無残に殺したことにも、何か通じるものがあります。魔剣が暴走したきっかけも、確かあの猪がシェイド様のお母様を侮辱したことが原因でしたし……完璧なようで、あのお方はとても脆い。表面上、強がってはいらっしゃいますが、内心、どこかで助けを求めている部分もあるのではないでしょうか?ですが、そんなこと、あのお方には死んでも口にすることができないでしょうね」

「要するに、あの人はものすごく不器用なのね?」
「はい。エステリア様に告白できただけでも、あのシェイド様の性格からしてみれば、随分と立派なものだと思います。まぁ、それだけの魅力がエステリア様にはありますし。大体、あのお方に『俺にはお前が必要だ』と言わせてしまったのですから大したものです。こんな最強の殺し文句はありませんわ」
「でも、何も私じゃなくても、もっとあの人を理解できる人が、世の中にはたくさんいるんじゃない?」
その言葉に、シエルは深く息をついた後、苦笑した。
「エステリア様のその『おっとり』とされた部分が、シェイド様にとって息抜きとなる唯一無二の癒しなのかもしれませんわね。きっと」
シェイドがエステリアへと向ける気持ちは、本物だ――そう言い張るシエルとは対照的にエステリアの表情はイマイチ冴えなかった。
「婚約以前に、私は呪詛をかけられているのよ?」
「だったら、早くあの妖魔を倒すことですわね。それに越したことはありません。さあ、夜更しはこれまでにして、自室に戻ってお休み下さい」
「そうね。ごめんなさい。色々愚痴を聞かせてしまって……酔いがさめる前に、この勢いで眠らなくてはね」
エステリアは、飲み干したカップをテーブルへ置くと、立ち上がった。
「いいえ。私でよければいつでもご相談に乗りますわ。エステリア様とは随分とお部屋を離されてしまいましたから、何かあったときは、大声で叫ぶか、真っ先にこちらへ飛び込んできてくださいね」

「わかったわ。ありがとう」
おやすみなさい――エステリアはシエルに微笑むと、そっと部屋を出た。


扉を出ると、エステリアは深い溜息をついた。
ああはシエルに言ったものの――ここまで困惑した頭のまま、まともに就寝できるはずもない。
自分は確か、あの侍女に求愛の丁重な『断り方』を相談しに部屋まで訪れたはずだ。
それにも関わらず、まさか『心からの祝福』が答えとして返ってくるとは思ってもみなかった。
全ての役目を終えた後に、結ばれればいいだけの話ではないか――、あの侍女と、王太子は二人して同じ事を言う。
それでいいのだろうか?
全てが終れば、人として当たり前の幸せというものを、望んでも構わないのだろうか?
エステリアの気持ちがほんの少しだけ、揺らごうとしていた。

だめだ、そんなことが許されるわけがない――エステリアは自分のあさましい望みを恥じるように、頭の中から振り払った。
そんなエステリアを笑うかのように、どこの窓から入ってきたのか、七色に光る翅を持つ蝶が、ひらひらと目の前を舞った。
メルザヴィアにはこのような生き物がいるのだろうか?蝶の放つ不思議な輝きにエステリアは触れようと手を伸ばしたが、蝶は、その手をすり抜け、廊下の奥へと消えていく。

「ついて来い……って言ってるわけじゃ、ないわよね?」
あの蝶が消えた先には、確か礼拝堂があるはずだ。
そこで祈りでも捧げ、頭を冷やせ――ということだろうか?ただの考えすぎにも思えるが、そこで心を落ち着かせるのも悪くはない。
エステリアは蝶の後を追うように、廊下を進み、階段を下った先にある礼拝堂に足を運んだ。

静かに扉を開き、一歩踏み込むと、人気の無い夜の礼拝堂には、ひんやりとした空気が漂っていた。大きな窓にはめ込まれたステンドグラスも、華麗に輝く昼間とは違って、ぼんやりとした星の明りが差し込み、床にくすんだ色彩の影を落としている。
このぐらい閑寂であるほうが、祈りに集中できる――愚かな想いを早く断ち切らなければ――エステリアは祭壇に向かって歩き出した。

すると再びあの不思議な蝶が現れ、エステリアの横を通り過ぎると、祭壇の中央に安置される女神像の下へと吸い寄せられていく。
その直後、女神像に暗い影が落ち、そこから伸びた手が蝶を掴み取る。
「まさか、こうも簡単に誘き寄せられるとは、思ってもみなかった」
女神像の前で、聞き覚えのある声がした。エステリアは立ち止まる。
腹部の呪詛が、熱を孕んで脈打つ。
女神像の前にいた影が、黒い翼を広げた。開いた掌から、光る粉と化した蝶の残骸が零れ落ちる。
「オル……フェレス……?!」
エステリアが名を呼ぶと妖魔は妖艶な笑みを浮かべた。





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