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EternalCurse

Story-35.求婚
「え?」
エステリアが辛うじて発した声は、それだった。
「え?じゃない。俺の妃になってくれと頼んでいるんだ。聴こえなかったのか?」
それが人に物を頼む――もとい、淑女へ求婚する態度なのだろうか?
傍若無人な王太子の物言いに、エステリアの表情が険しくなる。
「ちょっと……本気で言っているの?」
「俺が冗談でこんな事を言うか」
ふて腐れたように答えるシェイドの姿に、エステリアはこの世の終わりのような溜息をついた。
「もしかして……これが、貴方の言ってた『酷い事』なの?」
「そう受け取るかどうかは、お前次第だ」
「どういうつもりよ、私が、貴方の秘密……本当の身分を見抜けなかったから、こんな事を言って困らせるわけ?」
シェイドはエステリアの神子としての素質を、エステリアはシェイドの秘密を見抜くという賭けにおいて、エステリアが負けた場合、その代償は『酷い事』であると、あの時シェイドは言っていた。
逆に、先に彼の秘密に辿り着けば、多少の救いにはなる……とも。
つまりその『救い』とは、彼が王太子であるという秘密を早い段階で見抜いていれば、このように突然『求婚』という暴挙に出られたとしても、エステリアにはある程度の予測と、心の準備ができているはずだ――ということなのだろうか?
結局、見抜こうが見抜くまいが、どちらに転んでも、『求婚』されることには変わりないのだが。

これに付け加えるならば、秘密の『答え』を、ガルシアには決して言ってはならないと、念押されたのは、不必要な時に、自分がヴァルハルトの息子であることが知れ渡り、騒がれることを懸念したからだろうか?
シェイドの身分を知れば、なまじヴァルハルトを敬愛してやまぬ分、ガルシアは彼に対し、おそらくは今以上に心を砕いたことだろう。
その分、呪われた出生の秘密を知ったときに与える失望も大きい。
それが心苦しいから、ギリギリになるまで口止めすることを頼んだのだろうか?

――さっぱりわからない。彼の真意がつかめない。
考えれば考え込むほどに、エステリアはどんどん泥濘に嵌っていくような気分を覚えた。
そもそも、こちらから本当の答えを尋ねているのにも関わらず、『そう受け取るかどうかは、お前次第だ』の一言で片付けられては、元も子もないではないか。
しかし、まるで照れ隠しのように素っ気無いシェイドの態度からして、『答え』については
――案外、図星だったのかもしれない。

「別に。最初に出会ったときから、俺はお前を妃に迎えるつもりだった。それだけだ。悪いか?」
「悪いか――って……」
何食わぬ顔で、けろりと言うシェイドに、エステリアは絶句する。
この求婚は出会ったときから考えていた?そんな馬鹿な、ありえない――、そもそもこのシェイドには悲しい結末を迎えたとはいえ、ミレーユという恋人がいたはずだ。
彼女が今も生きていたならば、確実にシェイドの婚約者になっていたはずだと、シエルから聞いたことがある。失って数年経ったとはいえ、それほどまでに愛していた恋人との思い出を、過去に捨て置き、他の女に易々と求愛などできるものなのだろうか?エステリアはシェイドの神経を心の底から疑った。
「私達、出会ってまだ数ヶ月も経ってないのよ?」

「だからどうした?」
「負けた罰とはいえ、これは少し酷すぎるわ」
「そんなもの、答えを出せなかったお前が悪い」
きっぱりと言い切るシェイドにエステリアは何一つ返す言葉が見つからない。

「俺にはお前が必要だ。それだけは誓って事実だ。お前以外の女とは、到底結婚する気もない。それに、何も今すぐ挙式しろとは言うつもりはない。『全て』が終わった後でも俺は構わない、ここまで言っているのに、お前は何が不服なんだ?」

貴方が構わなくても、私が構うのよ――エステリアは必死でその言葉を飲み込んだ。

シェイドの物言いは、高圧的で、やたら自分勝手なものが多い。
が、どうしてかエステリアには憎めないでいた。個人的な感情としては、やはり自分はセイランであの薬師兼鬼神に指摘された通り、少なからず彼に好意を抱いているのだろう。
しかし、元より、自分は神子として選ばれる以前から、マナの集落で大巫女として過ごしてきた――いわば、心身共に神に捧げた『聖女』である。人の手によって穢されるわけにはいかない。
これから神子となる身であるなら、尚更の事だ。決してこの求愛を受け入れるわけにはいかない。
エステリアはその旨を伝えようとしたが、

「出自が定かでない俺の地位が、お前を不安にさせるというのなら、この国は捨てよう。カルディアに帰って、ブランシュール家の本当の息子になるのも悪くはない。それとも王族以外の――ただの騎士の身分になった俺と結婚するのは嫌か?」
どういうわけか、今日に限って、シェイドには全くこちらの言葉が通じそうにない。

「そういう問題じゃ……ないのよ」
言いかけたエステリアの右腹に鈍痛が走る。妖魔にかけられた呪詛が、再び疼き、エステリアが苦悶の表情を浮かべた。突如、腹部を押さえ、屈みこんだエステリアを心配そうな面持ちでシェイドが見つめる。
「どうした?痛むのか?」
「ううん。ちょっと、ね」
まさか妖魔から呪詛をかけられた――など口が裂けても言えない。
何よりシェイドの事を気遣えばこそ、彼の前で、かつての恋人ミレーユの命を奪った妖魔の話などできるはずもなかった。
呼吸を整えて、じっとしていると、チリチリとした痛みが遠退いた。ようやく身を起こしたエステリアに、少しだけ安心したような面持ちでシェイドが語りかける。
「そういえば至宝のことなら、話はつけておいたぞ。その在り処までは教えてもらってないが、ヴァルハルトは快くお前に譲ることを承諾してくれた」
「そ、そう。ありがとう。助かったわ、シェイド」
神子となるに当たって、必要不可欠な至宝の一部が手に入るよう、働きかけてくれたことには、感謝すべきなのだが、今現在、婚約という話を持ち出され、動揺しているエステリアには、どうしても心からの礼を彼に述べることができなかった。
シェイドは軽く溜息をつくと、
「とにかく、返事は後でいい。さっきの話は頭の隅にでも置いていてくれ」
颯爽とした足取りで、画廊を出て行ってしまった。
シェイドのいなくなった画廊にて、エステリアは左手の中指に光る、あの魔剣と対を成すような指輪に目をやった。
これほど物騒な結婚指輪はない――これを譲ってくれたときのシェイドの言葉が、エステリアの心に何度も響いていた。



「シェイド様が……メルザヴィアの王太子……」
ブランシュール邸で例の手紙を盗み見て以来、カヴァリエ侯女レイチェルは、ここ最近ではめっきり口数も減り、食事も喉を通らなくなっていた。
あれほどまでに恋い焦がれていたブランシュール家の次期当主が、このカルディアを発ったことが、娘の心によほどの衝撃を与えたのだろう――驚くほどの娘の変化を心配した侯爵夫妻は、毎日のように屋敷に医師を呼んでは診断させ、なかなか快方へと向わないことから、一時はレイチェルを保養地にやろうとまで、考えたほどだった。

そのような事で傷ついているわけではない――的外れな両親の見解に、ベランダに佇むレイチェルは唇を噛みしめた。
レイチェルがカルディアの三大公爵家であるブランシュール家に、他家の追従を許さずに、思いのほか近づくことができたのは、やはり自分の父親、カヴァリエ侯の取り計らいがあってこそのものだ。
しかし、シェイドの真の身分は、メルザヴィア王家の後継者であった。
他国には他国の、名門貴族らが存在する。おそらくシェイドにしても、その貴族の中から選りすぐった娘を、王妃として娶ることになるのだろう。
ようやく歩み寄れたはずの距離が、即座に遠退いてしまった。そして自らが、彼の『妃』となれる可能性は、限りなく低い。しかし決してシェイドのことは諦めたくはない。その事実と葛藤でレイチェルは苛立ち、毎晩眠れぬ夜を過ごしているのである。
「残念だけど、貴方の想いは叶いっこないわ。永遠にね」
「誰?!」
自分を嘲笑う声にレイチェルは振り返ると、そこに淡い光が収束し、面妖な出で立ちの女が姿を現した。
「初めまして。レイチェル・カヴァリエ嬢。私はリリス。テオドール陛下直属の預言者」
レイチェルに問われるよりも先に、リリスは名乗りをあげた。
「リリス?貴方が国王陛下ご寵愛の預言者だっていうの?」
訝しげなレイチェルの視線にもかまわず、リリスは続けた。
「可哀想なレイチェル様。シェイド・ブランシュールに近づきたいがため、せっかく築き上げたものも、彼の身分を知ると同時に、一瞬にして崩壊してしまったわね。それに加えて、心の中では、旅の道中で彼があのエステリアと、『間違い』を犯さないか、気が狂いそうなほどに心配している……」
心を読まれ、赤面したレイチェルが、この不躾な預言者を罵倒しようと口を開くも、リリスがその唇に人差し指を押し付け、黙らせる。
「彼にしても彼女にしても、とても一目を引くような容貌の持ち主だもの。気になって当然よね。貴方が心配するのも無理はないわ。でも本来、神子と英雄というのは、強い絆で結ばれているものよ。どう足掻いても貴方がつけ入る隙なんてない。それが運命。どうせ叶わぬ願いなら……もう一度、これを使って見る?」
リリスは口元に笑みを浮かべると、レイチェルの手に漆黒のナイフを握らせた。
その持ち手に施された禍々しい蛇と悪魔の装飾を目にした途端、レイチェルの表情が強張る。
「忘れたなんて言わせない。このナイフには、傷つけた相手を徐々に蝕み、苦しめながら死に至らしめる毒が塗られている。これを使って、貴方は、いえ貴方の雇った刺客は、『あの女』を始末したのではなくて?」
甘く囁くリリスの声で、レイチェルの脳裏に、三年前に死んだカナリア色の髪を持つ、あの子爵令嬢の姿がちらついた。
「国王陛下直属の預言者ともあろう者が、この私を脅迫するつもりなの?」
「ご冗談を。私はこの物騒なものを、元の持ち主にお返しにきただけ。このナイフをこのまま仕舞うのも、他人の恋路の邪魔をする『誰かさん』を貫くのも、貴方次第でしょう?」
「お前も、あのエステリアという神子が気に入らないの?だからこの私を焚きつけようとしているのね?」
「いいえ。私はただ貴方が不憫に思えてならないの。納得できない運命なんて、自分の手で変えてしまえばいい。そう思わない?」
リリスは小さな黒い魔石の一つを取り出すと、それをレイチェルの胸元に押し付けた。
「貴方にこれをあげる」
魔石は一瞬にして、レイチェルの身体の中に沈んでいく。その様子にレイチェルは目を疑った。
「一体、今のは何なの?」
「お守りよ。貴方の恋を叶えるためのお守り」
未だに自分の目の前で起こったことが信じられずに、呆気にとられているレイチェルに、リリスは猫撫で声で語りかけた。

「知りたいなら見せてあげましょうか?レイチェル。これから起こりうる未来のことを、そして真実を。勿論、貴方がそれに耐えるだけの勇気があるなら、ね」

未来、そして真実――心の内を激しく揺さぶるその響き(ことば)に、レイチェルは固唾を飲み、ゆっくりと頷いた。
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