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Eternal Curse

Story-34.出自-U
「今から二十年ほど前、丁度、今の殿下と同じ年の頃であったヴァルハルト陛下が、暁の神子と共に聖戦に赴き、勝利を得て帰還したことは、そなたらでも知っておろう?」
両手を杖の上に置き、どっかりと椅子に腰を下ろしたボリスの話を、ガルシアらは黙って聞き入っていた。
「聖戦後、まもなくして陛下は、かねてより懇意にされていたエルトゥール伯爵令嬢ソフィア殿と、婚約された。英雄王の結婚に、国は一斉に沸き、誰もがお二人を祝福した。そう、あのシュタイネル公爵夫人、クローディアただ一人を除いては」

「まぁ。その頃から、小姑による嫁いびりが始まっていましたの?」
「まったく、あんな綺麗で優しい王妃様のどこが気に入らないんだ?あのおばさんは」
ボリスはシエルとガルシアの意見に、軽く息をつくと、
「それはソフィア様が、エルトゥール伯の実の娘ではなく、養女という立場であったからだ」
苦々しく言った。
「ソフィア様は、いわゆる『いわくつきの子』でな。さる貴族の庶子であったそうじゃ。貴族の庶子を孕んだ女といえば、大抵、使用人や平民の娘が想像されるが、ソフィア様の実母はれっきとした家柄の持ち主だったらしい」

「身分も血統もいいのに、子供を庶子扱いするなんざ、よほどの事情があったんだろうな」
「たいした事情がなくとも、男というのは邪魔になった女と腹の子ぐらい、いとも簡単に捨てるもんだぞ」
サクヤがばっさりと斬り捨てる。ボリスは咳払いをすると、続けた。
「とはいえその母上は、ソフィア様が幼い頃に流行り病で亡くなった。母上を失ったソフィア様は、この国に連れてこられて、まもなくエルトゥール伯の養女にされた。
エルトゥール伯爵夫妻は、たいそうな慈善家で、その子供達は全て男子であったことから、どうしても娘を欲しがっていた。そんな伯爵夫妻にとって、ソフィア様は、まさに打ってつけの逸材でな。喜んで引き取った。夫妻は、実子と変わらぬほどの愛情をソフィア様に注ぎ、育てた。そのこともあってか、ソフィア様は、実に教養もあって、何より気立ての良い娘へと成長されていたのだ。
聖戦という壮絶な戦いに身を投じていた、当時のヴァルハルト陛下にとって、ソフィア様の温かさや優しさが、唯一の拠り所であったのだと、儂は今でも信じておる。
しかし、クローディアはお二人の結婚を、最後まで反対された。出自が定かでない、どこの馬の骨とも知れぬ養女を、王妃として娶ることは、メルザヴィア王家の血を汚すようなものだ――と、言われての。その頃から、この国に不穏な空気が漂い始めた」

あの公爵夫人の気性の激しさを知った三人には、当初ヴァルハルトとソフィアの婚姻を猛反対し、激昂するクローディアの様子を容易に想像することができた。

「クローディアの反対も押し切り、陛下とソフィア様は結婚されて、晴れて夫婦となられた。
しかし、その幸せも長くは続かなかった。ヴァルハルト陛下が、用あってこの国を離れていたとき、事件が起きたのだ」
ボリスの眉間に深い皺が刻まれる。
「メルザヴィアの西、かの宿敵ヴァロア帝国の刺客によって、ソフィア王妃がさらわれたのだ。ヴァロアとは異端の神を信仰する邪教徒の国。その土壌はこのメルザヴィアよりも悪く、季節の多くが深い雪に閉ざされておる。それでもヴァロアから見れば、メルザヴィアは幾分か豊かな土地。当時のヴァロア皇帝、アイザックはソフィア王妃をさらい、人質にすると、その引き換えに、こちらにある条件を出してきた」

「土地の割譲――だな?」
サクヤの言葉に、ボリスが深く頷く。
「さよう。しかし、割譲と称してはいたが彼らが本当に望んでいたのは、この国の実質的な支配であった。帰還されたヴァルハルト陛下は、事の次第を知って、怒り狂われた。勿論、陛下はあの卑劣漢どもの条件など呑まずに、単身、ヴァロアへ赴き――そして、あの国を滅ぼした。実質、アイザックは、陛下に倒され、今や廃人と化しているらしい」

話の通り、英雄王の逆鱗に触れたヴァロア帝国は、たった一夜にして壊滅的な大打撃を受けた。
それもヴァルハルト、ただ一人によって、だ。当時の人々はこの一件をまさに『神の鉄槌』であると信じ、それは後の語り草となっている。勿論、この奇跡的な王妃の奪還劇については、ガルシアらも一度は耳にしたことがある話だ。
「そして陛下に無事救出されたソフィア王妃は、メルザヴィアに戻り、九つの月が過ぎた後に―― 殿下を産み落とされた」
そこまで言い終えたボリスは、なにやらバツの悪い面持ちで、じっと床の方に視線を落とした。

ガルシアは一体、どうしたものか?と首を傾げる。シエルはボリスが言わんとしたことを察し、
「つまり、その計算でいきますと、王妃様は陛下と結婚された直後、もしくはヴァロアにさらわれた頃に、懐妊した――ということになりますわね」
と、補足するも、ガルシアはますます、話の本筋がわからなくなったようで、今度はサクヤの方を見た。仕方なく、女性を代表してサクヤが言った。

「王妃が九ヵ月後にシェイドを産んだおかげで、当時、王宮ではあいつの父親がヴァルハルトではなく、アイザックの子である話が出てきた、と続けたいんだろ。ご老体?」
ボリスは小さく頷いた。
「そう。そしてこのことは、あのクローディアにとって、王妃を糾弾する格好の餌となった。あのヴァロア皇帝アイザックが、人質にした王妃を『無傷』で返すわけがない――と。妻をさらわれたヴァルハルト陛下にさらなる屈辱を与えるため、王妃に何かしらの辱めを与えているはずだ、と言い出してのう」
当時のことを思い出しているのか、ボリスは目を細め、天を仰ぐ。
「殿下を産んで間もなく、クローディアらの糾弾を受けたソフィア王妃は、精神的に追い詰められたのじゃろう。ある夜、健やかに眠る殿下を殺して――自らの命を絶たれようとした」

「で、王妃と王太子殿下はどうなった!」
急に身を乗り出すガルシアをサクヤが呆れたように制した。
「落ち着け、馬鹿。二人は無事に決まっているだろうが。そうでなければ王妃も王太子も今頃生きていないぞ」
おお、そうだったな――ガルシアは我に返ると、再び椅子に腰を下ろした。
「その娘の言うと通り、ソフィア王妃の常軌を逸した行動は、寸前のところで陛下によって止められた。おそらくは産後ゆえ、気が高ぶっておったのだろうとのことであったが、その時、居合わせた者の中に、シュタイネルを擁する者がいたのだろう。この噂は、すぐに王宮に広まった。
『王妃は、不義の子を産んだが故に自害を考えたのだ――これこそが王太子が国王の子ではなく、ヴァロア皇帝の子である決定的な証拠ではないか』とな。そしてこの日を境に、諸侯の中に、国王夫妻を見限って、シュタイネル一派を推す者が次々に現れた。ますますお立場が悪くなる一方であった王妃や殿下とは裏腹に、奴らの力は日に日に増していった……というわけじゃ。
無論、儂のように国王一家に、生涯の忠誠を誓っておる者共もいる。降嫁したとはいえ、かつては王族だった者に、このようなことを申すべきではないが、正直、我らはクローディアなど好かぬ。シュタイネル公爵家なんぞ、なんの国益にならぬ故な」

確かに、クローディアは獅子王の娘であり、ヴァルハルトの妹である。 実質、降嫁してもなお、王家に近い血筋として、権力を振るうことを許された身だ。しかしながら、それでも王族でなくなった今となっては、多少の『慎み』というものが必要となる。
だが、クローディアは慎むどころか、国王一家を幾度となく誹謗、中傷し、周囲の貴族や諸侯らと徒党を組んで、糾弾を続けている。過去の身分――すなわちその栄光にすがるようにして生き、親子共々この城で幅を利かせているその様は、まさに遺骸から孵化した毒虫に等しく、見苦しいことこの上ない。

「いがみ合う大人達に比べ、周囲の風当たりが辛くとも、例えその理由がわからずとも、幼い殿下はとても優秀であらせられた。学問も、剣術も飲み込みが速く、上達も速い。メルザヴィアの後継者として、あの方以外に相応しい者なんぞおりはせぬ。美しい娘御よ、爺馬鹿とお思いじゃろうが、これは事実なのじゃ」
「それぐらいはわかっている。あいつには口の悪さ以外、欠点がない」
それはオメェもじゃねぇか――ガルシアがそう言いたげな目でサクヤを見ている。
「ある日、かねてよりヴァルハルト陛下のものであり、城の地下に奉納されていた魔剣ナイトメアを殿下が見事に引き抜くという一件がおきての。あのときほど驚いたことはない。
しかしその傍ら、儂は思った。やはり、このお方は陛下のお子様であるのだと。英雄王の血を引いているからこそ、魔剣の魔力に屈し、魂を奪われることがないのだ、と。
しかし、これほどの証拠をつきつけても、クローディアらは納得しなかった。ヴァルハルト陛下がナイトメアを扱う事ができるのは『生まれながらの英雄』だから、至極当然のことである、と奴らは言った。しかし、殿下がナイトメアに触れることができたのは、ヴァロア皇帝の妄執を引き継いだ『呪われた御子』であるからだ、と難癖をつけての」

そもそも、一度王太子を『ヴァロア皇帝の子』と決め付けた以上、そう簡単にクローディアらが意見を覆すはずがなかった。彼らは王太子を貶めるためなら、詭弁を弄することも厭わない。

「これを発言したのはジェラルド公――つまりはクローディアの夫だった。公は妻の話に懐柔され、反王太子派の筆頭となり、いつしかあのユリアーナを、後のメルザヴィア女王に据えることを夢見ておった。あのような醜女がこの国の女王となったときの事を考えると、メルザヴィアの名も地に落ちるというもの。せめて人柄ぐらいマシだったなら、救いようもあるが、考えただけでも身の毛がよだつ。そんな時、殿下が急にメルザヴィアを出て、しばらくはカルディアに滞在したいと言われた。
あまりにも突然のことで、我らも戸惑った。ついに、殿下も己が出生にまつわる心無い噂のことを知ってしまったのだと、思った。
しかしカルディアといえば、陛下がかつてエドガー・ブランシュールの下で修行をした国。
殿下も剣聖に預けられると聞き、少なからず安堵した。それにこの王宮にいるよりは、伯父であるテオドール陛下の国に身を寄せていた方が、殿下の心も休まるというもの。
我らは殿下が剣聖によって、ヴァルハルト陛下にも負けぬほどの立派な剣士になられて帰国する日を待つことにした。
彼奴らシュタイネルの一派は、殿下がカルディアに発たれた後、ますます勢力を伸ばしてきた。
だが、それから数年もしないうちに、ジェラルド公が急逝した。おそらくは天罰であろう。これで少しは奴らも大人しくなると思ったが、どこまでも悪運の強い女よ、クローディアは夫を失った後に第二子を産み、それが待望の男子であったことをバネに、再び立ち上がった。
第二子の名は、イザーク。今年八歳になるその息子を奴らは、あろうことか『殿下』と呼び、常に王太子殿下の失脚を願っておる。が、今回の殿下のご帰還で、我ら国王一家を支持する者達にも、活気がついたというもの」

そしてボリスはまるで自身に言い聞かせるように言った。
「今度こそ、今度こそ我らは奴らを跪かせ、殿下こそがこの国の正統な後継者であることの証を立てなければならんのじゃ」



「子供の頃、ユリアーナと大喧嘩して、ヴァルハルトに叱られた後、俺は居場所を失くして、この画廊に逃げ込んだんだ。そして、しばらく絵を眺めているうちに気付いた。この王家には黒髪の人間がいない。しばらく考え込んだ後、ようやくその謎が解けた。俺の黒髪は、別の誰かから受け継いだもの――つまりは俺がヴァルハルトの子ではないことを意味しているのだ、と。
それと同時に、クローディアやユリアーナ、そして一部の貴族達が俺を蔑む理由もわかった。奴らはメルザヴィア王家の血を持たない俺が、何食わぬ顔で王太子を名乗っていることが、何よりも許せないんだ」
母の腕に抱かれて眠る、赤子姿の自分の絵を見つめながら、シェイドは続けた。
「真実に気付いた俺は、失意のまま、ずっとここで――泣いていた。俺はヴァルハルトの息子ではない。そして言葉には出さないが、ヴァルハルトもソフィアもそれを確信している。
それでも俺を我が子として目をかけているヴァルハルトの寛大さには、感謝こそするが、その一方でクローディアは、疑わしき俺の出自を旗印に、国王夫妻――とりわけ王妃と俺を王座から引きずり降ろすことだけを考えていた。自分の存在が両親を苦しめている、もう此処にはいられないと思ったとき――声が聞こえたんだ」

「声?」

「ああ。俺以外、誰もいないはずのこの画廊で、確かに女の声を聞いた」
シェイドは軽く頷いた。

「今思えば、そいつは苦悩に陥る俺を笑っていたのかもしれないな……そいつは何度も俺に呼びかけてきた。俺は必死にその声がする方向を辿って……やっと着いたところに、魔剣(こいつ)はいた」

「じゃあ、貴方を呼んでいたのは?」
エステリアが念を押すように訊く。シェイドは腰に差した魔剣に視線を落とした。
「魔剣ナイトメアだ。城の奥に奉納されたこの剣の真上に、俺は、一瞬だったが黒い翼を持った死の女神が両手を広げている姿を見た。ナイトメアはかつてヴァルハルトが愛用していた魔剣。人の魂を食らう力があるから、決して触ってはならないと、物心がついたときから聞かされてきた。だが、俺は迷わず、この剣を引き抜いた」

エステリアは黙ってシェイドの話に耳を傾けている。
「これ以上、国王夫妻に迷惑をかけるぐらいなら、いっそ死んだほうがいい。俺がいなくなって、その後、二人の間に子が生まれれば、それが男でも女であっても、正統な血筋の世継ぎであることには変わりない。俺が死ぬ事で万事が収まるのなら、それでいいと思った。だが、魔剣に触れたものの……死ぬ事なんてできなかった」

皮肉なものだろ?――シェイドが力無く笑う。
「俺がナイトメアを引き抜いたと知り、城内は騒然となった。さすが英雄王の血を引く王太子だ、と俺を賛辞する者、俺が呪われた血の持ち主だからこそ魔剣に魅入られたのだ、と蔑む者。人々の反応は様々だ。それからしばらくして、俺は、王妃の身に起きた一件の話を耳にした。
王妃はヴァロア帝国にさらわれ、皇帝に陵辱された。ヴァルハルトが王妃を取り戻したときには、既に俺を身篭っていた。話によると、若い頃のヴァロア皇帝、アイザックは青みがかった黒髪の男だったらしい」

「だから、貴方はこの国に居るに居られなくて、カルディアに着たの?」

「ああ。とりあえずはエドガーの下で剣の修行に励む、という名目で。ヴァルハルトも最初は反対していたが、後で承諾してくれた。エドガーと一緒なら、大丈夫だと思ったんだろう」
これで納得できたろ?あの連中が俺を毛嫌いする理由が――、そう訊かれたエステリアは、なんと答えればいいものかわからず、ただ、居た堪れない面持ちでシェイドの顔を見つめることしかできなかった。

「そんな悲しい顔をするな。俺は何もお前の同情が欲しくて、洗いざらい話したわけじゃない。それに、本題はここからだ」
「本……題?」
何やら嫌な予感がしたエステリアが、少しだけ後ずさりをする。その脳裏をよぎったのは、あの『賭け』の話だ。もしや今から、いわゆる『答え合わせ』をする気なのだろうか?
そうだとしたら、最悪だ。
自分はシェイドの『秘密』とやらの答えに、何一つ辿り着いていない。負けはもはや決まったようなものだ。せめてもう少し、考える時間と手掛りが欲しい。答えの期日を先延ばしにすることはできないのだろうか? 思いを巡らせているエステリアに、シェイドが歩み寄る。

「俺を擁護する者と、敵視する者に別れている今の王宮では、表沙汰にはできない。こんな薄暗い場所で、重苦しい話の後に、こんな事を言うのもおかしな話だが、理解してくれるとありがたい。だから――」
シェイドは急に改まると、エステリアの手を取り、黒曜石の瞳でその顔をじっと見つめ、言った。

「俺の妃になってくれ。エステリア」


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