|
|||||||
Eternal Curse |
Story-31.対峙 | |||||||
「次代の神子とはいえ、仮にもメルザヴィア国王である兄上に対して、なんという口の利き方ですか!慎みなさい!」
静まり返った周囲からの一斉の注目を集める中、クローディアはエステリアに非難の言葉を浴びせると、立て続けに玉座を見上げた。 「妃殿下、この娘は王族に対して、これほどまでに非常識かつ、横暴な態度に出ているというのに、なぜあっさりとお許しになられるのか!これは王家の威厳に関わることですよ!そしてジークハルト殿下!貴方も貴方です!神子の共に帯剣を許すなど、正気の沙汰ですか?万が一、その者達が兄上の命を脅かす行動に出たら、何とするのです!」 激昂するクローディアを前にして、ソフィアの顔から、先程までの温和な表情が消え失せる。 そしてソフィアは何かに怯えるように、すっと目を逸らした。 何かおかしい――自分が招いてしまった不注意によって、生じた事態に申し訳なく思う傍ら、 エステリアは、このクローディアの行動によって、メルザヴィアの家臣達の空気が一瞬にして変わった事に感付いていた。 王妃に向かって堂々と苦言を呈するクローディアの姿に、一部の諸侯らはボリスを筆頭に眉を潜め、嫌悪を露わにし、そのもう一方では、この成り行きを、さも待っていたかのような笑みを浮かべ、公爵夫人を後押しするような視線を送っている者達がいる。そんな彼らを率いるクローディアの瞳の奥にあるものは、嫉妬や怨嗟を伴い、醜く膨れ上がった――憎悪。 それも王妃とこの王太子に対し、激しく向けられたものだ。 「お言葉ですが、私の後ろに控える彼らにとって剣は命に等しく、それがあってこそ、カルディアから遠路遥々、このメルザヴィアまで神子を護り、送り届けることができたのです。そんな彼らから剣を取り上げるなどできるはずもありません。それとも叔母上は、この者達が陛下に牙を剥くと、本気で思っていらっしゃるのですか?それも英雄王たる陛下に」 敵意を剥き出しにするクローディアに、静かに反論するシェイドの横顔は、これまで見てきたどんな表情よりも、冷たく、厳しく、そして謁見の場でなければ、今にもこの叔母を魔剣の餌食にしかねない程の危うさがあった。 激情にかられるクローディアと、冷徹と非情さを兼ね備えた王太子の間に垣間見える深い溝。 睨み合う互いを鎮めるかのように、ヴァルハルトが口を開いた。 「クローディア、そなたこそ慎むがよい。我ら王族とて、神子の前には跪くのが世の習い。 本来ならば、こうして玉座から神子を見下ろすことすら許されてはおらぬ。次代の神子よ、我らの非礼の数々、許して欲しい」 王族でありながら、神子に対しての弁えを心得ているところは、さすが暁の神子と共に聖戦に赴いた経験のあるヴァルハルトである。 エステリアに詫びを入れると、厳しい口調でクローディアに言った。 「下がれ、クローディア。そなたがいては、神子殿に『メルザヴィアの人間は神子への礼儀すら知らぬ愚か者』と思われよう。これ以上私に恥をかかせたいのか?」 ヴァルハルトに御され、クローディアは苦々しい表情で後列に下がる。 「すまぬが、謁見はこれまでだ。ジークハルト、積もる話もあるだろうが、それは会食のときにでも聞こう。神子よ、これからのそなたの活躍には期待する。暁の神子を超える者となられよ」 そこまで言うと、ヴァルハルトは早々に謁見を打ち切ってしまった。 おそらくは周囲の不穏な空気を読み取っての判断であろう。それがわからぬシェイドではない。 「それでは、我らはこれにて失礼いたします。それでは後ほど――」 シェイドも即座に立ちあがると、踵を返した。エステリア達もそれに倣う。 「待て、そこの金髪の娘よ」 去り行くその後ろ姿に何を重ねたのだろうか、ヴァルハルトは、急にシエルを呼び止めた。 「はい?」 振り返ったシエルにヴァルハルトが尋ねる。 「そなた……どこかで会ったことはなかったか?」 しかし、シエルは不思議そうな表情をした後、頭を振った。 「いいえ。陛下。私のような身分の者が陛下にお目通りしたはずがございません」 「そうか。どうやら人違いだったようだ。すまなかったな」 どこか納得のいかぬようなヴァルハルトに、シエルはいつもの如く、屈託なく笑い、優雅に一礼すると、その場を後にした。 「まったく、散々な謁見だったな」 謁見の間を後にしたシェイドが疲れたように、肩をすくめた。 「いや、陛下が俺を覚えてくださっていた。俺はもうそれだけで充分だ。いつ死んでも悔いはねぇ」 未だ夢心地であるガルシアの身体をシエルが揺する。 「充分じゃありませんわよ。いつまで思い出に浸っているんですか!」 「そうだぞ。肝心な至宝の話を何一つできなかったんだからな。これでは謁見した意味がない」 サクヤが腕組みしたまま言った。 「至宝のことなら、俺が話をつけよう。国王夫妻との会食の時にでも切り出せば、邪魔しに来るものもいないだろう。悪いな、エステリア。しばらくメルザヴィアに滞在してもらう事になるかもしれないが、いいか?」 「え、ええ。私は……」 構わないけど――そう言いかけたエステリアに 「それは嬉しゅうございますぞ、殿下!」 ボリスの声が重なった。 「お前、いつからそこにいた?」 シェイドの声の調子が微かに低くなる。 「今しがた、殿下に追いついてございます!」 「何のために?」 その有り余るほどの愛情にうんざりしているのか、ボリスに対するシェイドの口調は、いささか冷たい。 「勿論、シュタイネル公爵夫人から受けた仕打ちに心を痛めておられるであろう、殿下をお慰めするためでございます!殿下、叔母君のことはどうかお気になさるな」 「別に気にしていない。あの叔母の執拗な苛めと難癖は、今始まったことじゃないだろ?」 もう慣れている――軽くあしらうシェイドの顔を、ボリスが悲痛な面持ちでじっと見つめていた。 幼い頃からの自分を知るこの老臣の、言葉にならない重苦しい表情と、微妙な『間』が心地悪かったのか、シェイドは即座に話題を変えた。 「ああ、そうだ、ボリス。もう聞いたと思うが、エステリア達のために部屋を用意してほしい。 城じゃ、俺が帰ってきたことに託けて、どうせ会食だの、舞踏会だのと、連日開くことになっているんだろう?しばらく、ここで足止めされるだろうから、彼らがなんら不自由なく過ごせる部屋を選んでくれ。こういうのはお前が一番得意だろ?」 さも今思いついたかのような口調でボリスに命じる。ボリスはそれを聞くなり、先程と一転して、生き生きとした表情で胸を張った。 「おまかせ下され!殿下!このボリス、身命を賭して陛下の客人をもてなしましょうぞ!」 そこまでやらなくていい――シェイドの目はそう物語っている。 今のままでも充分、もてなしてもらっているのに――エステリアは心の中で呟く。 「まったく、しばらくは冷たくあしらっていたかと思えば、急に持ち上げて年寄りを喜ばせる――あいつは、悪魔か?」 シェイドを見ながらサクヤが眉をひそめた。 「シェイド様もシェイド様ですが、あのお爺様もけっこう乗せられやすいというか、わかりやすい性格ですわね」 シエルが苦笑する傍らで、ようやく夢から覚めたガルシアが、廊下の向こう側から、大柄な女に率いられて歩く侍女の一団の姿に気付いた。 「なんだ?あのご一行様は?こっちに向かってくるぞ?」 「あの中央にいるでかい女が、シュタイネル公爵令嬢、ユリアーナ。クローディアの娘だ」 「あれが?!『メルザヴィアの奇跡』の正体か!」 ユリアーナの容姿を見て愕然とするガルシアに 「奇跡なんかじゃない。女怪――いや、『恥』だ」 シェイドがすかさず訂正を入れる。 エステリアらは、思わずユリアーナの顔を凝視した後、言葉を失った。 公爵令嬢ユリアーナの顔色は青白く、染みそばかすが浮き出た肌で、他人を睨みつけ、見下しているような目線は、見ている者達を不快な気分にさせる。 大きく膨れた鼻に、厚い唇、骨太い体型。そのどれを取っても謁見の間で見た母親のクローディアとは、似ても似つかぬ産物で、纏っている薔薇の刺繍が施された緑色のドレスは、悲しきかな、令嬢の器量の悪さをさらに際立て、ただの悪趣味に思えた。 馬車の中でシェイドから聞いた話が真実であるならば、この醜悪の器の中に貴族特有の『傲慢で腐りきった魂』が、いや、『己が美貌に対する揺ぎない自信に満ちた魂』という不釣合いなものが収まっているというだけで、失笑を誘う。 「そこの!この ユリアーナは、シェイドの前で足を止めると、手にした扇で彼らを払い除けるような仕草を見せた。 その傍若無人な物言いと態度に、ボリスが顔を真っ赤にして激昂する。 「なんと無礼な!このお方はジークハルト王太子殿下であるぞ!そなたらこそ道を開けられよ!」 「ジーク、ハルトォ?」 その名を耳にした途端、ユリアーナはずかずかとした足取りでシェイドに接近すると、その顔から爪先までをじっくりと品定めするように見回した。その相手を完全に馬鹿にしきった表情は醜悪で豚にも等しい。 「神子を連れて帰ってきたとつい先程耳にしたけれど、まさか目の前にいる貴方とは思わなくてよ。随分と大きくなったようね。この国を出るときは、哀れなほどに白くてやせ細った惨めな子供だったのに」 「貴方は随分と、『健康的』に成長したようですね。ユリアーナ」 「健康的だけじゃないわ、『美しく』を付け忘れないで、ジークハルト。私、貴方と違って世界には『メルザヴィアの奇跡』として名を馳せていますのよ?」 シェイドは、ユリアーナの太めの体格を皮肉ったのだが、本人にはまったく通じておらず、周囲からの冷めた目線すら、気付かぬその様子はまさに滑稽としか言いようがない。 「で、神子とその従者とやらはどこにいるの?」 「私の後ろに」 「あら、この後ろに控える貧相な者達は、貴方の新しい近習ではなかったの?」 その一言、一言が刺々しいユリアーナは軽く顎を上げ、エステリアらの顔を順に見た後、芝居がかった素振りで、身を震わせるとシェイドに言った。 「このようなどこの馬の骨ともわからない者達と寝食を共にして、ここまで帰ってきたなんて。信じられないわ。それになんなのです?そこの醜い女達三人は。まともにドレスすら着ない上、城下街の界隈ではあるまいし、揃いも揃ってそんな格好で城を闊歩するなんて、なんて非常識なの?!まるで娼婦だわ。ジークハルト、貴方を従兄弟と呼ばなくてはならない、私の身にもなってください」 エステリアが苦笑いする。 シエルは『街の娼婦の方が、貴方より充分整った顔と体型をしていましてよ?』という言葉を喉元で止めるのに必死であった。 ガルシアも何も反論はできなかった。ここで彼女に言い返す権限を持っているのは、王族の血を引くシェイドのみだからだ。 しかし約一名、 「この私に……醜い、だと?」 ユリアーナの侮辱に敏感に反応した人間がいる。それは勿論、自他共に認める美貌の持ち主であるサクヤだ。 「お前、私達を娼婦呼ばわりしているが、少なくとも私はその立場であっても、公妾まで簡単に上り詰めることができるぞ。お前なんぞは、人間の男はおろか、犬でも相手にしたがらないだろうがな」 サクヤのその一言で、周囲に戦慄が走った。 エステリアやシエルは完全に固まっている。ユリアーナの侍女らにどよめきが走り、その誰もが、王太子と神子を除くこの一行の処刑が免れぬことを確信し、ユリアーナ本人は、それが生まれ初めて受けた侮辱と気付くまで、しばしの時間を要した。 「おい、姐ちゃん、それはちょっと言いすぎだぞ」 ガルシアはうろたえながらも、サクヤを制する。 「うるさい。男は黙ってろ!」 しかしサクヤは鋭く一喝すると、続けた。 「顔はな、その人間の生き様を一番よく現す鏡だ。お前の場合、その面に醜く歪みきっている目と感覚、それから根性が顕著に現れているぞ」 「貴方、何様のつもり?!」 ユリアーナが目を剥き、サクヤに向かって吼えた。 「貴様こそ、たかが貴族の分際で何様だ」 仮にも王族と血縁関係にあたる公爵令嬢を『たかが』呼ばわりするとは――周囲が絶句する中、シェイドだけはサクヤの相変わらずの度胸に感心するように、口元を緩めた。 「いや、本当にやめておけって、姐ちゃん」 誰が止めようと、言って聞くようなサクヤではない。 「やかましい。なんで美しい私が、こんな女から醜いと呼ばれなければならない?」 「まぁ、自画自賛なんて、惨めで愚かで、何の取り得もない女のすることですわ」 ユリアーナがそう言えば、 「勘違いした醜女ほどこの世で一番見苦しいものはない。どんな美しいドレスだろうと、宝石だろうと、貴様のような肉の塊に纏われては、哀れというものだ」 サクヤが切り返す。周囲の温度が下がっていく。 ユリアーナは鼻の穴を膨らませると、喚き散らした。 「これ以上、私を愚弄しようものなら、お母様に言って外交問題にするわよ!シュタイネル公爵家の力をもってすれば、それも可能よ。きっと戦争になるわ!そうなったら、お前を真っ先に血祭りにあげてよ!」 「ほお……セイランと開戦するか。実に面白い発想だな。受けて立つぞ。しかし――」 サクヤが目を細めた。 「食されるのが運命の『雌豚』から、血祭りにあげてやるなどと言われるのは、心外だ」 このままでは英雄王ヴァルハルトと、暁の神子サクヤが築いた、メルザヴィアとセイランの国交に亀裂が生じてしまうことは免れない。堪らずガルシアが叫ぶ。 「なに、戦争をさも楽しそうに煽ってるんだよ!姐ちゃん!」 「我が美しき都、セイランには四神の他、数多の神獣の憑代達、そして鬼神が率いる鬼軍団がいる。これで一度に攻められたなら――さしずめヴァルハルトとシェイドでも、メルザヴィアは、かなりの苦戦を強いられるだろうな」 「なるほど、じゃあ俺は四神と鬼神相手に戦わなければならないわけだ」 「そうだ。私としては、お前と鬼神の一騎打ちが是非とも見てみたいんだがな」 興味深げに話を聞くシェイドに、ガルシアが喘ぐように言った。 「こらシェイド……じゃなかった殿下!何を乗り気になっているのですか!」 「ちょっと、サクヤさん、お願いだからそれはやめて」 これにはさすがのエステリアも止めに入る。人間同士の戦争が勃発してしまっては、神子としての立場もあったものではないからだ。 「ガルシア様、それからエステリア様。女の喧嘩は厄介ですわ。ここまで来たなら首を突っ込まない方が賢明かと」 一方のシエルはというと、冷静であるようでいて、どうも投げやりのようである。 「仮にセイランがメルザヴィアを滅ぼしたとしても、異国の使徒を先に侮辱した上に、あろうことか『紅の盟約』を破って開戦をしかけたメルザヴィアの敗北譚は、歴史の書に、『最も愚かな王朝』の代表として記されることになる。勿論、醜女、お前もこの無益な戦のきっかけとなった最低最悪の悪女として名を残すことになるだろうよ。僭王ベアールと同じだな」 「勝手に俺の国を滅ぼすなよ」 シェイドはやれやれと言わんばかりに、肩を落とした。 「どこまで、この 「この騒ぎをヴァルハルトが聞いたならば、咎を受けるのは、確実に醜女、貴様の方だ。お前の失態を聞いた家臣どもは、心の中で両手を挙げて喜ぶだろうよ」 「伯父様を呼び捨てにしないで!メルザヴィアの家臣がこの私の味方をせぬとでも思っているの?!」 「いちいちお前にそんなことを言われる筋合いはない。私とあいつとは旧知の仲だからな。そもそも貴様は『社交辞令』という言葉を知らんようだな。心にもない言葉を真に受けるお前もお前だが、心身共に腐りきった者を、必死の思いで賛辞している家臣のその心、まことに痛み入るぞ」 「その辺にしておけ、サクヤ。人を詰るときのご婦人の顔だけはいただけない。お前は誰もが認める絶世の美女だろ?凡人を苛めて、大事な顔に無駄な皺を増やす気か?」 もはや国家を揺るがさんとした『口喧嘩』の勝敗は見えている。シェイドがサクヤをたしなめた。 「私は好き好んで他人の容姿を詰っているわけじゃないぞ?ただ受けた侮辱は、同じ侮辱を持って返しているだけだ。だが、ここはお前に免じて引いてやろう。お前にはちゃんと審美眼が備わっているようだからな」 余裕綽々としたサクヤの物言いに、ユリアーナが声を張り上げた。 「ジークハルトォ!お前はこの私の美貌が、こんな庶民以下だと言うの?!」 「おや、ユリアーナ。今しがた貴方は、自画自賛は惨めで愚かで、何の取り得もない女がすることだと仰っていませんでしたか?」 涼しげな顔をしてシェイドが反論する。ユリアーナは言葉に詰まり、 「そこの女!絶対に許さなくてよ!必ず罰を与えてやる!それからジークハルト!その女の味方をしたお前も同罪だわ。覚悟をし!卑しいお前がこのまま城に止まれると思ったら、大間違いよ!」 辛うじて思いついた捨て台詞を喚き散らすと、侍女を率いて足早に去った。 「あの女、殺してもいいか?」 去り行くユリアーナを見ながら、抑揚のない声でサクヤが言った。 「いい、と言いたいが、ここはメルザヴィアだ。王太子という立場上それは許可できない。どうしてもやりたいんだったら、あの女をセイランまで連れて行くことだ。セイランまでいけば、その国の法を以って裁くことができる。煮るなり焼くなりすればいい」 シェイドの口調は、冗談とも本気とも受け取れないものであった。ただ彼は、あの公女が死んでも構わぬと思うほどに嫌っていることは確かのようだ。 「同じ気位が高くて性格が悪くても、顔が見られる分、レイチェル様の方がまだマシですわね」 シエルの言葉は辛辣である。 「でもすっきりしましたわ。私は駄目ですね。職業柄、やはり貴族様の前では、余計な事を言わぬよう、黙り込んでしまいますもの」 「そもそも、家臣のほとんどがあの女を蝶よ、花よと祭り上げ、煽てるから付け上がるんだ。誰かが真実を教えてやらねば、目を覚まさぬものだ」 「まことにその通りだ。あのメルザヴィア王家に巣食った女怪め!」 サクヤとユリアーナの喧嘩に気圧され、一言も発することができなかったボリスがようやく口を開いた。 「な?私の言った事は本当だったろう?器量が悪くて変に賢い女は、このような御老体すらも嫌うものだ」 囁くサクヤにシエルは、『ごもっともです』とばかりに頷き、エステリアはなんとも言いがたい表情をしていた。 小さくなったユリアーナ一行の姿を見て、ボリスが呪いを込めて吐き捨てる。 「生誕の際、かのセレスティアから祝福を受けた身である殿下を『卑しい』じゃと?恐れを知らぬ愚か者が、天罰を受けるが良い!」 「セレスティアが?シェイドに祝福を?」 思わぬ言葉にエステリアが訊く。 「さよう!セレスティアは、十数年の眠りにつく前、このメルザヴィアを訪れ、赤子であった殿下に祝福を与えられたのじゃ。かのセレスティアも殿下のことを、後の『英雄』と認めておった。このメルザヴィアは陛下に続き、二代に渡って『英雄』を輩出したことになっておる」 自信たっぷりに言いながらボリスは続けた。 「その祝福を受けたときの殿下の寝顔といったら、もう……白くふっくらした花の顔に、淡い薔薇色の頬、黒々と濡れた長い睫に、小さく形の整った唇――まさにこの世に舞い降りた天使さながらの愛くるしさ。猿とも蛇とも似つかぬものの寄せ集めが如きあの公女の幼き頃とは、もはや雲泥の差でござった」 目じりを緩め、顔を綻ばせるボリスにシェイドは頭痛すら覚えていた。 「もういい、お前は少し黙ってろ」 「爺馬鹿だな」 サクヤがずばりと斬り捨てる。 「しっかし、姐ちゃん、一時はどうなるかと思ったぜ。まったく、心臓に悪い。いや、まだ安心はできねぇ。あの公女、絶対に仕返しに来るぞ」 ガルシアが冷や汗を拭った。 「悲しいことに、あれでも俺の従兄弟さ。カルディアにいるアドリアも、グランディアのルドルフもな」 言いながらシェイドがエステリアの方を、ちらりと見た。 「そしてテオドールが俺の伯父で、お前の母親、マーレ王妃は俺の伯母。血縁関係こそないが、俺はお前とも従兄弟同士ってことになるな」 「え?」 言われてみればそうだ。思いきりそれを表情に出したエステリアに、シェイドが呆れたように言う。 「お前、本当に鈍いな」 笑われたエステリアは、話を逸らすようにシェイドに尋ねる。 「その従兄弟も、叔母様もどうして、貴方や王妃殿下にあんなに冷たいの?」 「ああ……それは、俺が――」 「殿下!なりませぬ!」 口を開きかけたシェイドを、慌ててボリスが制止する。シェイドは軽く溜息をつくと、煩わしそうに言った。 「別に話しても構わないことだと思うが?どうせこの城の半分の人間はそう思っていることだろ?」 「それでも、殿下自らがそのような事をお話になるなど、ならんのです!」 「俺が喋ってはならぬことなら、お前がこの者達に話しておけ」 「は?」 自ら掘ってしまった墓穴に、ボリスは、あんぐりと口を開けてしまった。 「これは命令だぞ?嫌だと言うなら、俺は今からでもカルディアに帰る」 「そ、そんなぁ……殿下ぁ、この年寄りをあまり苛めんで下され」 弱気になったボリスをシェイドは捨て置き、エステリアの名を呼んだ。 「エステリア」 「何?」 急に畏まるシェイドにエステリアが首を傾げる。 「ボリスが部屋の用意を終えた後にでも――いや、俺の方がまだ落ち着かないか。もしかしたらニ、三日後になるかもしれないが、大事な話があるんだ。付き合ってほしい」 「ええ。わかったわ。貴方の都合がついたら、教えてね」 頷いたエステリアに、シェイドが微かに笑みを浮かべた。 「で、殿下!このボリスを差し置いて、神子と密談とは、つれないですぞ!」 「うるさい。お前こそさっさと客室を用意しないか。最高にもてなすんだろ?」 「ちょ、ちょっとお待ち下さい!殿下!殿下〜!」 まだやるべきことは沢山ある――そう言い残して、先に行くシェイドを必死に追いかけるボリスの姿を見送りながら、サクヤがやれやれと呟いた。 「やっぱりあいつは悪魔だな」 |
|||||||
|