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Eternal Curse

Story-30.王太子
「あいつがカルディア人じゃないことは知っていたが、なんでまたよりにもよってメルザヴィア人なんだよ。聞いてねぇぞ?!」
王太子であるシェイドと引き離されてから、一体何時間が経ったのであろうか。
案内されたメルザヴィア城内の貴賓室にて、ガルシアは頭を掻き毟るようにして吼えた。

「そりゃ、他人にはあまり話してないことだろうからな。カルディアであいつの本当の身分を知っているのは、奴の養父母と、国王一家ぐらいじゃないか?」
相変わらず平然とした態度のサクヤは、給仕の者から出されたお茶を啜りながら寛いでいる。
「確か、ブランシュール夫人とお母さんの名前が同じだって、前、言っていたわ。だから夫人には不思議な縁を感じるって……」
同じくエステリアも、手にしたお茶の中に映った自分の顔を見つめながら呟いた。

「ブランシュール夫人の名はソニアです。これをメルザヴィアの言葉に直すと、ソフィアになりますわね。確か、この国の王妃様の名前がそうだったような……」

「ヴァルハルトの妻の名は、ソフィア・ルーツィエ・バスティエンヌ・メルザヴィアだ。初めて聞いたときはクソ長い名前だと思ったもんだが、これで間違いないだろう」
これを聞いてますますガルシアは自己嫌悪に陥った。

「ああ!俺は今の今までなんてことをしてきたんだ!あのお方のご子息に多大なる無礼を働いてしまった、この罪、死んでも償いきれねぇ!」

「ガルシア様、今更後悔しても遅いですわよ」
「やっぱり……俺は不敬罪で処刑かなぁ……」
テーブルに頭を沈めた状態で、虚ろに呟く。
「シェイドがガルシアさんを処刑するなんてありえないわ。きっと大丈夫よ」
「そ……そうか?」 エステリアの慰めの言葉に、ガルシアは少し顔を上げたのだが、
「いや、あいつは案外、心が狭いぞ」
またまたサクヤがトドメを刺した。
「ちょっと、サクヤさん、あんまりいじめないで。可哀想だわ」
「こいつには大人としての自覚が足りん。これぐらい打ちのめしても問題はなかろう」
「終った……俺の人生は、もう終わったんだ……」
ガルシアが再びうなだれた直後、ノックもなしに扉が開かれる。
エステリアやシエルは驚いて、扉の方向に視線をやると、そこにはボリスが立っていた。

「ゆるりと寛いでおられるかな?なんぞ窮屈な思いはされてはおらぬか?神子の一行よ」
城門の前で出会ったときの厳しさはどこへいったものか、愛すべき殿下の『お供』と知るや、ボリスの表情は柔らかい。
「はい。丁重なおもてなし、ありがとうございます」
エステリアは立ちあがり、ボリスに向かってお辞儀をした。
ボリスは『そうであろう、そうであろう』と満足気に頷く。

「このメルザヴィアは、中央やそなたらの国カルディアに比べ、辺境の地ではあるが、ここに住まう者どもは、最も忠義と礼節を重んじておる。それゆえ――はうっ!」

機嫌よく『お国自慢』をしていたボリスの言葉が、奇妙な声と共に途切れ、その身体が押し退けられる。
「おい、国王への目通りが可能になった。行くぞ」
端にやられたボリスに代わって、シェイドが現れ、颯爽とした足取りで部屋の中に入ってくる。
「殿下!この爺にも喋らせてくだされ!!」
悲痛な面持ちでボリスはシェイドに訴えかける。
「だめだ。お前は前置きが長すぎる」
冷たくあしらうシェイドは正装しており、白を基調とした、豪奢な金糸の刺繍が施された衣装を纏っていた。普段の騎士姿とはまた一味違うその姿に、エステリアは息を呑んだ。
これで愛想と言葉遣いがよければ王太子として申し分ないのだが、と心の底で思いながら。

「ジ…ジ…ジークハルト王太子殿下!今までのご無礼、お許し下さい!」
シェイドの声を耳にした途端、テーブルに突っ伏していたガルシアが立ち上がり、背筋を伸ばして硬直した。
「普段どおりシェイドで構わないぞ?その名前、長くて面倒臭いだろ?」
王太子という身分が明かされた後も、シェイドの周囲に接する態度は変わっていない。
「なりませんぞ!殿下!国王ご夫妻以外で、殿下の名を呼び捨てにする者があってはなりませぬ!ここは王族と臣下という一線を明確にするために――」

「帯剣していても構わないから、とにかく全員部屋を出ろ。国王のところへは俺が案内する」
ものの見事にボリスの説教を無視して、シェイドが促した。
「帯剣しても構わぬ、ですと?!」
ボリスの声が裏返る。
「異国の客人に、た、た、帯剣を許したまま陛下にお目通りするなど!非常識にも程がありますぞ!殿下には申し上げにくいことでございますが、もしも、もしものことがあったら、どうなさいます!」
興奮するボリスを一瞥した後、シェイドがガルシアの方に向き直って言った。
「念のため聞くが、お前、ヴァルハルトを殺す気はあるか?」
その場にいたサクヤ以外の者達の表情が、一瞬にして凍りついた。
そんな空気すら物ともせず、シェイドは両腕を組んだまま、ただガルシアの返事を待っている。
「あ、あるわけねぇだろ!」
ある意味、侮辱とも受け取れるその質問に、ガルシアが顔を真っ赤にして叫んだ。
「だろ?立ち向かうだけ無駄さ。ヴァルハルトは相手が両手剣(バスタードソード)で挑もうが、細剣(レイピア)一本で返り討ちにできる実力の持ち主だからな。ボリス、ガルシアもそう言っているんだ。これで問題はないだろ?」
それともまだ文句があるか?――ボリスを見下ろすシェイドの目はそう物語っていた。
「さっさと用を済ませるぞ。こんなところに長居は無用だ」
言うが早いか、シェイドが踵を返す。
しばし呆然としていたエステリア達も、慌てて後に続いた。
ボリスは歩幅を必死に合わせながら、シェイドにすがりつく。
「殿下、殿下はカルディアでの修行を終え、帰還するついでに神子をここまで送り届けたのではなかったのですか?『長居は無用』とは一体、どういうことです?まさか、また……」

「一人で勘違いするなよ、ボリス。俺はテオドール伯父の臣下として、たまたま肉親が『国王夫妻』をやっているメルザヴィアを訪れたに過ぎない。この国にある至宝の一部さえ貰えれば、とっととカルディアへ帰るつもりだからな」
シェイドのあまりにもつれない態度に、ボリスの顔から精気が失われていく。
後ろでこのやり取りを聞いていたエステリアは、王太子を愛して止まないこの爺やが、いささか不憫に思えた。



おそらく城内における『謁見の間』というのは、どの国も同じような光景なのだろう。
天井に描かれた見事な絵画、光差し込む大きな窓、磨きこまれた大理石の床と支柱。
そのきらびやかな空間の中央は、常に謁見者のために、あるいは進言する者のために空け、臣下はその両脇に立ち並ぶようにして控える。
国王と王妃はそこから数段上がった場所に据えられた玉座から、この場を見下ろす。
玉座の後ろには、大抵、国の象徴たる紋章が刺繍された旗が掲げられている。
シェイドに連れられ、エステリアが踏み入れたメルザヴィアの謁見の間は、まさにそれであった。
獅子の兄弟の国であるためか、造りも印象も大してカルディアとは変わらない。

ただ足下に気をつけ、傍らに控える重臣達の視線を気にせずに、一行は静かに玉座の前まで進むと、跪き頭を垂れる。
このお決まりの動作も、カルディア、セイランと場数を踏んだおかげか、随分と板についてきたものだ――エステリアは苦笑した。

「シェイド・ジークハルト・ソレイアード・メルザヴィア、神子を連れてただいま帰還いたしました」
「そう固くならずともよい。皆の者、面を上げよ」
恭しく挨拶を述べるシェイドの頭上に、国王の落ち着いた声が響いた。

「はい」
シェイドに倣い、控えていた一行は一斉に顔を上げる。
国王夫妻を見上げたエステリアは思わず、嘆息した。
そろそろ四十を迎えるであろう、国王の顔は、精悍で凛々しく、灰色の髪は王者としての貫禄を際立たせ、その髪と同じ灰色の瞳は、揺らぐ事のない意思の強そうな光が灯っている。
英雄王ヴァルハルト――誰もがそう賛辞するに相応しい容貌だった。孤高の王者、灰色狼と称されるのも頷ける。
代わって王妃は結い上げられた青い髪に、抜けるほどに白い肌と、硝子玉のように透き通った水色の瞳の持ち主で、王妃の額には小さな緑の宝石と銀で誂えた額飾りが横切っており、胸元には、今度は青い宝石と銀で作った揃いの首飾りがかけられている。白から水色で統一されたドレスは王妃の儚げな美しさを引き立て、三十代後半に差し掛かっているにもかかわらず、まるで雪の妖精を思わせるようだった。

美しい人達だとエステリアは思った。
まるで夢物語を描いた本から飛び出したような、整った容姿の国王と王妃だ。
そしてこの二人が、シェイドの本当の両親なのだ。
見たところ、誰もが憧れを抱く名君と、温和で貞淑、そして賢明な妃といった印象のこの夫婦を、
なぜ息子であるシェイドは苦手とするのか、敬遠してしまったのか、エステリアは不思議でならなかった。

「やはり私の見立ては正しかったようだな」
国王ヴァルハルトが、口元に笑みを浮かべ、ふいに呟く。
その視線はガルシアを、いや、背中の両手剣を捉えていた。
「今のそなたほど両手剣の似合う者もおるまい。ガルシア・クロフォード」
英雄王から名を呼ばれ、ガルシアが声を震わせた。
「陛下……」
覚えていてくれた――あの時の、それも二十年前の、ほんの戯れ程度の出会いにもかかわらず、だ。

「よく私との約束を果し、このメルザヴィアを訪れてくれた。まさか神子を伴ってくるとは、あの時は思ってもみなかったが」
ヴァルハルトの労いに、ガルシアは感極まって、言葉に詰まる。
微かに肩が震え、その目じりには光るものさえあった。
シエルはぎょっとした表情で、ガルシアを見上げていた。言葉にならぬガルシアに代わって、シェイドが口を開く。

「陛下、クロフォード卿はカルディアの将軍であり、私の上官でもあります。卿の武功はカルディア随一とされ、テオドール伯父上からも一目置かれた存在であります。
かくいう私も、戦において、卿には幾度となく助けていただきました。時には『人格者』として、迷う私を正しい方へと導いて下さります。私にとって、卿は心強い『師』であり、『騎士の鑑』と呼べる尊いお方です」

『クロフォード卿』に『騎士の鑑』――普段はガルシアを、『あの馬鹿』呼ばわりしているシェイドの信じられない口調に、エステリア一行は、蒼白になっている。

「よく、あんな涼しい顔をして心にもない口上を、すらすらと言えるもんだな。感心するぞ」
サクヤが小声で呟く。
「まったく同感ですわ。聞いているこっちの方が、鳥肌が立ちますもの」
シエルも同意し、頷いた。
「なるほど、そなたには随分と息子が世話になったようだ。私からも礼を言おう」
「そ、そんな滅相もございません!ヴァルハルト陛下!」
明らかに、少年時代のあの頃に戻ったようなガルシアの調子に、ヴァルハルトは破顔すると、今度はシェイドを見た。
「ところで、そなたの養父母、ブランシュール夫妻は息災か?」
「はい」
「そうか、何度かこちらから文は送ってはいるのだが、やはりメルザヴィアからカルディアまでとなると、返事も遅れるようだ」
「ブランシュール公は、かつて陛下が公爵家に滞在されたときのことを、懐かしみ、よく私にその話を聞かせてくださいました。私がカルディアを発つ前日も、公は機会があれば、メルザヴィアを来訪し、是非、陛下にお目通りを願いたいと申しておりました」
そこまで聞いて、ヴァルハルトは思い立ったように言った
「久々にそなたと剣を交えてみたいものだ。カルディアで、剣聖エドガー・ブランシュールから授かったそなたの技を確かめてみたい」
しかし、シェイドは頭を振った。
「今更陛下と手合わせするつもりはありません。(わたくし)ごときが陛下に敵うはずもありませんので」
ヴァルハルトに対するシェイドの返事は、あまりにもよそよそしい。
エステリアはそこに、なにか引っかかるものを感じた。
「そう謙遜するな。そなたももはや子供ではなかろうに。ときに――」
ヴァルハルトはエステリアに視線を移す。

「随分と話が逸れてしまったが、そなたが次代の神子か?」
「…………え?」
しばしの沈黙のうちに、エステリアが我に返る。
呆然としているエステリアの横から、再びシェイドが代わりに答えた。
「陛下、この方こそが預言者イシスの神託を受けた次代の神子、エステリア殿です。
エステリア殿は『運命の双子』たるカルディアのマーレ王妃を生母とし、伯母はあのセレスティアであります。――エステリア、陛下がお尋ねだぞ?」
シェイドの少し強い口調による呼びかけで、今しがた国王が自分に問いかけていたことにようやく気付いたエステリアであったが、
「あ、はい」
と、なぜか、反射的に出たものは、気の抜けたような返事であった。

「どうした、神子よ。気分でも優れぬか?それとも私の顔になにかついているのか?」
ヴァルハルトが首を傾げ、しかしやんわりと訊いた。
「いえ、申し訳ありません。陛下とお妃様が、あまりにも若くて、お美しいご夫婦でいらっしゃったので……その、見とれてしまって」
「見とれて?」
ヴァルハルトが目を見開く。
「まぁ……」
国王の左に座した王妃ソフィアも、不思議そうな顔でエステリアを見つめ返している。

――また、やってしまった。
エステリアはひたすら後悔した。しかし、威圧的であったカルディアの国王夫妻とは、全く異なるメルザヴィア国王夫妻の雰囲気に、とりわけ『王妃』の違いを比べ、エステリアが見とれていたのは、紛れもない事実である。
なにより、ヴァルハルトとシェイドの間に見え隠れする、微かな隔たりに、気を取られていたこともこの失敗の原因の一つだ。
「申し訳ございません。国王陛下、妃殿下」
深々と頭を下げるエステリアを目にして、
ソフィアは、シェイドと同じ、白絹のような手の指先を口元にあて、笑っている。
「貴方って、とても可愛らしい人ね」
おっとりとした声でソフィアがエステリアに笑いかけた。
「大丈夫よ、可愛い神子さん。この歳になると、若いと褒められて苦になることなんてないの。
ねぇ、ヴァルハルト?貴方もそうでしょう?」
「あ?ああ……」
突然、話をふられて、ヴァルハルトは戸惑いがちに返事をした。
「気にしないでね。ヴァルハルトだって、心の中では喜んでいるはずよ?この人は、生まれつき灰色の御髪だから、いつも年齢より老けて見られがちなの」

「はぁ……」
なんと答えれば良いのだろうか――エステリアは困惑した表情のまま、助けを求めるようにシェイドを見た。
「王妃はいつもあんな調子だ」
だから気にするな――シェイドが呟く。
その言葉にエステリアが、安堵したその時――
「無礼者め!」
甲高い声が、謁見の間に響き渡った。
国王夫妻が、エステリアらが、そして周囲に控えていた諸侯、兵士の誰もが一斉に、声の持ち主へと視線を移した。
そこには、扇を広げ、侮蔑を込めてエステリア一行を睨みつける、シュタイネル公爵夫人――クローディアの姿があった。
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