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EternalCurse

Story-3.刺客
ガルシアが今生の別れと言わんばかりに、軍の宿舎で酒盛りを始めたのは、日も暮れて間もない頃だった。
「大体なぁ、なんで将軍の俺まで神子さんの旅路に借り出されるんだ? 俺にはこの国を守る仕事があるんだぞ? 勅命とはいえ、やっぱり納得いかねぇ」
ガルシアはそうぼやきながら、グラスに並々と注がれた葡萄酒(ワイン)を一気にあおる。一体、何十杯目になるのだろうか。
「確かに、良い方に受け取れば、神子付きの従者として選ばれ光栄の至りだが、悪い方に考えれば、俺達は陛下から優しく左遷されたようなものだからな。」
傍らの椅子にゆったりと腰をかけたシェイドが言う。ガルシアと違ってこちらはテーブルに用意された酒に一切手をつけていない。
「だろ? お前もそう思うだろ? だったらそんな辛気臭い顔してねぇで、お前も飲め! 飲んで盛大に嘆こうじゃねぇか!」
「酒乱のお前といちいち付き合っていたら、身が持たない」
「なんだよ、俺の酒が飲めねぇっていうのか? お前はいいよなぁ、いずれは英雄になるって陛下のお墨付きでよ! かっこいいじゃねぇか! 俺なんかただのお供だぞ? お供!」
酒の力もあって一段と絡むガルシアにシェイドは溜め息を漏らすと、
「よかったな、お前達。明日からは軍も静かになるぞ」
と、実にしみじみと周囲の部下達に語りかけた。
「確かに、ガルシア将軍がいなくなると寂しくはなりますね。ああ見えても将軍は士気を高める天才でいらっしゃいますから」
シェイドと同じテーブルに座っていた青年が答える。彼はガルシア軍第ニ騎士団の副将カイル。
その長い髪と同じ(はしばみ)色の瞳で微笑む様はとても柔らかな印象で、とりわけ己の上官に対しては歯に衣着せぬ物言いで有名な本隊の副将、シェイドとは実に対照的である。
だがガルシア軍にとって二人は両翼であり、何事に対しても熱すぎる彼を鎮めるにはなくてはならない存在であった。
「気楽にやればいいさ。俺やガルシアがいない間は、全ての軍隊はお前のものだからな」
「ご冗談を。貴方がたの兵隊まで預けられて、どこが気楽ですか。私は自分の騎士団をまとめるだけで精一杯です」
カイルはそう言いながら、葡萄酒の瓶を手に取り、シェイドの方へ傾けた。
「貴方も召し上がったらどうですか? 少々口にするぐらいなら構わないでしょうに」
「別に喉は渇いていない」
「だったら酒肴ぐらいはつまんでください」
「腹も減ってない」
「ああ、わかりました。恋煩いですね?」
「笑えない冗談だな」
一言言う度に、素っ気無い返事が返ってくる。だがこの性格は今に始まったことではない。
「貴方はいつからそのように食が細くなられたんです? 以前はもっとよく食べておられたような気がしましたが?」
カイルは皿に取り分けた燻製肉を口に運ぶ。
「お前はいつから俺の観察が趣味になったんだ?」
「ですが、副将の責任として酔いつぶれた『アレ』を部屋まで持って帰るには相当の体力が必要ですよ?」
アレとはもちろん、ガルシアのことである。これには、さすがのシェイドも苦笑して、目の前の皿に置かれたチーズの一切れだけを手に取った。
「そういえば、カヴァリエ侯女には会われましたか?」
「いいや? 今度は『ソレ』がどうしたんだ?」
「シェイド、仮にもカヴァリエ侯爵令嬢のことを『ソレ』呼ばわりすることだけはお止め下さい」
「お前だってガルシアを『アレ』呼ばわりしているだろうが。で、そのカヴァリエ侯爵令嬢レイチェル殿がどうかしたのか?」
わざとらしく言い換えたシェイドに嘆息し、カイルは続けた。
「いえ。ただレイチェル殿が昼間に貴方に会わせろとここまで押しかけてこられたのです。どうやら貴方が陛下の命令で、明日、神子と共にこの国を発つことを聞かれたようでして」
「昼間といえば、丁度、俺が神子を迎えに行っていた頃だな」
どうやら侯爵令嬢はシェイドとは運が悪く行き違いになってしまったらしい。
それもそのはずである。シェイドはマナの集落より神子を城へ届けた後、軍の宿舎には顔を出すことなく、そのまま国王との謁見へと向ったからだ。
「ですから、夜になれば貴方がこちらに戻ってくるだろうと、レイチェル殿にお話しておきました。もしかしたら、そろそろお見えになるかもしれませんね」
「永遠に行き違ってくれればいいものを」
シェイドは舌打ちした。侯爵令嬢がシェイドにご執心ということは有名な話である。
さらに言うなら、彼女の父親で有力貴族のカヴァリエ侯爵においては、カルディアの三大公爵家――ブランシュール家の跡取りであるシェイドに娘を嫁がせようと、事あるごとに婚約話を持ちかけてくる。一方的に熱を上げられ、追い回される立場のシェイドにとって、この侯爵父娘は頭痛の種に過ぎないのだ。
シェイドは帯剣すると立ち上がった。令嬢と出くわす前にこの場を去るつもりだ。
「会って……差し上げないのですか?」
「お前に任せる。お前は、彼女と会うのが嫌ではないんだろ?」
虚をつかれ、カイルは目を丸くした。
「俺はお前と侯女が良い仲になってくれればいいと思っているが」
それが本音だった。苦手な女を同僚に押し付けたいから言っているわけではない。少なからずカイルがその令嬢に想いを寄せていることをシェイドは知っていたからである。
「あの、ガルシア将軍はどうされます……?」
去り際にカイルが尋ねる。
「酔いつぶれたら、水でもぶっ掛けてそこらに放っておいてくれ。引きずって持って帰る」
そう言いながら部屋を出るシェイドの姿を見送りながら、カイルは溜息交じりに肩を落とした。


国王は王宮の地下――かつて儀式の間として使われていた場所へと足を運んでいた。
「出でよ、唯一無二にして影の預言者、リリスよ」
テオドールは立ち止まり、明かり一つないその場所で、自らが最も信頼を寄せる預言者の名を呼んだ。
「お待ちしておりましたわ。テオドール」
暗闇の中から艶のある女の声が返ってくる――そしてその声に呼応するように、中央に設置された拝火台が突如として青い炎を吹き上げた。炎に照らされ、声の主の姿がぼんやりと浮かび上がる。
国王からリリスと呼ばれ、現れた女は黒い錫杖を片手に持ち、身体の線に沿った闇色の法衣を纏っていた。頭部は大きな仮面と兜にも似た帽子ですっぽりと覆われている。傍から見れば実に面妖な出で立ちであるが、人前で決して素顔を見せない『預言者』としてはこれが当たり前の格好なのだろう。

「昼間に謁見で神子と対面した。そなたの申した通りに事は進めておいたぞ」
「それなら、私もずっと見ておりましたわ。陛下は随分と神子に意地悪をされたご様子」
「ふん。覗き見はそなたらの特技でもあったの」
テオドールは拝火台の炎に目をやった。預言者イシスが水鏡を己が目として使うように、おそらくリリスもこの炎を媒介として、謁見の間でのやり取りの一部始終を見ていたのだろう。
「今一度、そなたに問う。覆すことも可能か? そなたの対極たるイシスの予言を」
国王の唐突な問いかけに、リリスは顔の部分で唯一露出された口元に妖艶な笑みを浮かべ、言った。「神の定めた筋書きさえも、私の前には砂上の楼閣。お望みとあれば、貴方のために新たな予言を紡ぎましょう」
自信に満ちたリリスの言葉を国王は鼻で笑った。
「そなたは余に申したな。神子を手に入れよと。神子は全てに栄光をもたらす。神子の力を用いれば、世界は余の手中にできると」
「ええ。申し上げましたわ。神子を従属させ、傍らに置くならば、貴方様は神に勝らずとも劣らぬ力を手にしたようなもの。ただ、神子が貴方様に素直に従えば……の話ですが」
「従わざるを得まい。神子が賜る至宝の一つは、この国にある」
洗礼の儀式を終えた後、神子として世に認められるためには、必ず至宝を手に入れなければならない。それを渡すも渡すまいも、国王の心次第ということだ。
だが神子を『脅す』のはあくまでも最終手段である。事は穏便に進めたいのが本音だ。
「上手くいくかしら?」
「ふん、『セレスティアの悲劇』を巻き起こしたあの愚兄の二の舞にはならぬ」
必ず神子を手玉に取って見せる――国王は決意すると同時に獅子の兄弟の中でも愚鈍王、もしくは僭王と、世界中で蔑まれる兄の顔を忌々しげに思い浮かべていた。




エステリアは城壁の上にある回廊から、街に灯る明かりを見渡していた。本来ならば用意された客室で早々に床に就くはずが、国王との謁見、そして生まれて初めて見た母や異父妹との一件が気を高ぶらせているのだろう。なかなか寝付けない。
なんとか気分を変えようと月夜に惹かれ、外に出で、足の赴くままここに辿り着いたのだ。両手を組んでゆっくりと瞳を閉じ、呼吸を整える。だが、心に浮かんだ王妃と王女の顔は、そう簡単に消せるものではなかった。
物心のついた頃から、母が一族の裏切り者であり、魔女であると言い聞かされてきた。
悲劇の神子と称される伯母とは違い、その妹たる母は一族の中で常に蔑まれている。勿論、捨てられたとはいえ、その娘である自分も例外ではなかった。実に迷惑な話ではあるが、一族の中には、卑しい出自とされるエステリアが一族の大巫女を務めること、そして次代の神子として選ばれたことを快く思わない者も少なくはない。
集落の中にも、王宮の中にも自分の居場所はない――もし晴れて神子となることができたなら、自分に対する周囲の目も、空気も変わるのだろうか?エステリアの唇から自嘲的な笑みがこぼれた。
心を静めようとすればするほど、余計に深みに嵌っていく……そんな自分がおかしく思えたのだ。

「夜風は身体に悪いぞ」
その声が、エステリアの心に住み着いた邪念を打ち消した。
「え?」
驚いて振り返れば、あの黒髪の青年がいつの間にか背後に立っていた。
「シエルはどうした? 一緒じゃないのか?」
シェイドはエステリアが侍女を伴っていないことが気になっているのだろう。
「シエルさんなら、部屋のベッドを整えてから来るそうです。私はそのままでいいと言ったんですけど……」
「ああ。いかにもシエルらしいな」
懐かしむようなシェイドの口ぶりに、思わずエステリアが尋ねた。
「ずっと前から……シエルさんを知っているんですか?」
「ニ年程、俺の屋敷で使用人として働いていたからな。あいつの癖ならほとんどわかる」
「そう……」
エステリアはそう答えると、すぐさま俯いた。シェイドと向き合ったところで、一体、何を話していいのかわからない。そもそも、何故彼がこんなところにいるのだろう? 本当ならば、彼は軍の宿舎で開かれた送別会で、ガルシアと共に盛大に飲み食いしているはずなのに。素朴な疑問がエステリアの頭をよぎった。
「あの、私の……騎士様」
蚊の鳴くような声で、自分に向けて発せられた途方もない呼び方に、シェイドは一瞬、顔を引きつらせた。
「シェイドでいい」
これは勿論、即答である。
「えっ……でも……貴方は、明日から私と一緒に洗礼の旅に出かけてくれる騎士様でしょう?」
エステリアにしてみれば、知り合って間もない仲で――まして道中、自分の身を守ってくれる騎士を呼び捨てにするのは気が引けたのだ。
「俺は別に呼び捨てで構わない。シエルやガルシアに対してもそうしろ。あんただって、俺から『守るべき我等の神子様』なんて呼ばれたら、気恥ずかしいのも通り越して、迷惑だろう」
「え……ええ」
確かにそこまで大袈裟に呼ばれては困る。
「で? 俺達はなんて呼べばいい?」
「え?」
「なるべく『神子』と呼ぶのは避けたい。神子という肩書きは時としては最強の切り札になるが、それを明るみにしすぎれば、逆に命の危険も及ぶからな」
「集落にいた頃――何人かは私のことを愛称で呼ぶ者もいたけれど……」
「愛称?」
「集落では一部の人達からエステルやステラと呼ばれていました。でも、私のことは『エステリア』と、どうか呼び捨てにしてください。」
シェイドはそう言われると、ふと面倒臭がりの上官の顔を思い出した。
「ガルシアには本名よりも、ステラの方が覚えやすいんじゃないか?」
だが、エステリアは首を振った。
「いいえ。私の愛称を教えても、あの方はきっと私の事を『お嬢ちゃん』と呼ぶに決まっているわ」
「それもそうだ。よくわかってるじゃないか」
思わずシェイドは破顔した。エステリアもまた、微笑み返そうとした――そのときだった。

――……けた。

「え?」
弾かれるようにエステリアは顔を上げる。男とも女ともわからない……そんな声がどこからともなく聞こえた気がしたのだ。

――やっと、見つけた。

今度ははっきり、言葉として聞き取ることができた。エステリアは辺りを見回した。
しかしここにはシェイドと自分しかいない。
「どうした?」
シェイドはただ訝しげな表情で、ただならぬ様子のエステリアを見守っていた。
「聞こえなかった? 今、声がして……」
「いや? なにも聞こえないが?」

――私は、……入れる

「なに?」

――私は、必ず手に入れる

「ねぇ? 聞こえるでしょう?」
すがる様にシェイドに尋ねたが、彼は頭を振るばかりだった。エステリアは意識して耳を済ませてみる。だが、二度とその声を捉えることはできなかった。
「あれ? もう聞こえなくなった……」
「今の時点じゃ、お前だけに届いた声としか言いようがないな。それが神の啓示か、幻聴だったのかはわからないが」
エステリアは頷いた。あの声を幻というには釈然としないものがあったが、自分以外に聞こえた者がいないのだから仕方がない。
「とにかく早く部屋に戻った方がいいことは確かだ」
「え?」
突然、そう切り出したシェイドの表情はどこか苛立ちを覚え、口調は明らかに焦りを見せていた。黒い瞳はエステリアではなく、もっと遠くを捉えている。
エステリアが「何故?」と呟く。

「ここにはもうじき――」
答えを言い終えることなく、シェイドはその場に跪いた。
「妃殿下……」
シェイドの言葉にエステリアは身体を強張らせた。
彼が跪き頭を垂れる方へと向き直った。目の前には玲瓏な空気を漂わせたあの王妃が立っていた。
「申し訳ございません。妃殿下。貴方の祈りの時間を妨げるつもりはございませんでした。神子には直ちに部屋に引き返してもらうことにいたします」
王妃に謝辞を述べるシェイドを見て、ようやく彼が焦っていた理由がわかったような気がした。
そう、ここはいつも王妃が祈りを捧げる場所らしい。
偶然か、それとも血の繋がりが成せる業なのか、エステリアは王妃と同じ場所を選び、祈っていたことになる。エステリアは非礼を詫びるように深く一礼し、膝をつこうとした。

「そのままで構いません」
だが、王妃からかけられた言葉は意外なもので、エステリアは呆気に取られた。
「そもそもこの世界にとって希望の光でもある神子が、いくら王家の者とはいえ、私に跪くようなことがあってはありません。無論、国王やアドリアにも、です」
王妃はそう言い放つと、シェイドに視線を送る。
「シェイド、お立ちなさい。私の前でそのような堅苦しい作法は必要ありません。私が祈りを終えるまで、侍女達を柱の影に控えさせていることぐらい知っているでしょう? この場にとやかく言う者は誰もいませんよ?」
「はい」
シェイドが顔を上げ、立ち上がった。それを見つめる王妃の眼差しは温かい。エステリアはこの二人の間に流れる空気があまりにも違うことを感じ取っていた。そこに他者が付け入る隙などない。それはまるで心から信頼の置ける者同士が、またはなにか秘密を共有した者同士が醸し出すようなものにも似ていた。
「次代の神子よ」
改めて、王妃が言う。
「貴方に問います。神子が愛すべき唯一の者は誰?」
そう訊いた王妃の眼差しは先程とは打って変わり、依然として厳しいものに戻っていた。
「神のみです」
エステリアははっきりと言い切った。聖職者や巫女の身は己が信じる神に捧げられたものだ。俗世の人間と契りを交わすことは禁忌とされている。それは信仰と引き換えに神より授かった霊力や神通力を失うことに繋がるからである。
だが、たとえ神子でなくとも、これは誰もが知っていることだ。何故、今更このようなことを訊く必要があるのだろう? エステリアには王妃の真意がわからなかった。
王妃は沈黙し、そんなエステリアをじっと見つめている。揺らめく瞳には哀れみにも、侮蔑にも似たような感情が入り混じっていた。自分はなにか間違った事を言っただろうか? 困惑するエステリアに、王妃は静かに言った。
「貴方はこれから神子となる人です。人間に心を奪われてはなりません。それだけは心得ておきなさい」
そこまで言い終えると、王妃は踵を返した。今宵の祈りは取り止め、そのまま寝室へと戻るつもりなのだろう。エステリアと共に王妃の後ろ姿を見つめていたシェイドが、不意に目を細めた。一瞬だったが、正面に位置した側塔の狭間窓に、月光に照らされ、なにか光るものが見えた気がしたのだ。
シェイドがその正体に気付くには、少しばかり時間がかかりすぎた。
向かい合わせにいた王妃が立ち退き、陰からエステリアが姿を現す――この瞬間を待ちかねたように、刺客からの矢は放たれた。
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