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EternalCurse

Story-2.謁見
「あれが、次の神子候補ですってよ」
「まだ少女じゃないか」
「本当に神子の資格があるのかしら?」
一歩、一歩踏み出すたびに国王の下に控える貴族、諸侯達の囁き声が嫌でも耳に入る。暁の神子の失踪、セレスティアの悲劇を経て、待ちに待った新たな神子候補の登場に、人々は歓喜し、沸くと同時に、彼女の容姿や所作の一つに至るまで、値踏みするかのような視線を一斉に降り注ぐ。己の出自を考えれば、このカルディアという国に招かれた以上、これぐらいのことは覚悟していたが、いざその身になってみると、やはり好奇な目線に晒されるのは快いものではない。
だが、自分の後ろにはシェイドをはじめ、ガルシア、そしてシエルがついていてくれる。
ことのほかこの侍女においては初対面の自分に、気さくに話しかけ、優しく接してくれた。
それを思うと滅入りそうな気分も少しだけ楽になる。俯きかけた顔を上げ、エステリアはカルディア国王が控える玉座の前まで歩み出た。
「お招きに預かり光栄にございます。国王陛下。預言者イシスにより、神子としての神託を頂きました。エステリアにございます」
王を前にして法衣の裾を持ち、恭しく一礼すると、エステリアはその場に跪く。後ろの三人もこれに倣い、膝をついた。
「あいわかった。面を上げよ、次代の神子よ」
国王からの言葉に応じ、エステリアが頭を上げる。
「マナの集落より我が国までの長旅、ご苦労であった」
玉座に片肘をつき、労の言葉をかける国王の顔をエステリアはまっすぐ見据えた。
野性味を帯びた浅黒い肌に褐色の髪、ガルシアに引けをとらぬがっちりとした体躯は国王というより、百戦錬磨の武人に近い印象だ。なによりそれを際立たせているのは、その鋭い眼光にある。髪と同じく黒褐色のその瞳は、野心の色が見え隠れし、まるで血に飢えた獣のようにも思えた。
エステリアは国王の左に位置する玉座に視線を移した。そこには、冷たくも美しい容貌の王妃が座っている。王妃はあまり飾り気のない白いドレスを身に纏っており、身につけている宝石といえば、銀と金剛石を散りばめただけの首飾りと、黄金の髪にこれと揃いの髪飾りを挿しているだけだった。
絢爛豪華な王宮で――それも一国の王妃の出で立ちにしては実に質素なものであったが、このことがかえって彼女の女神のような美貌に威厳を持たせているのである。 

女神なんかじゃない……この女は――

思わず王妃に見とれたエステリアの脳裏を、幼い頃から聞かされてきた忌まわしい事実がよぎる。 

この女は一族を捨てた魔女、そして、私を捨てた――母親。

「して、エステリアとやら、預言者イシスはそなたに何と申した?」
国王の問いかけにエステリアは我に返る。
預言者イシス――神と対話し、その言葉を神託として人々に伝え、正しき道へと導く者。最果ての神殿より、水鏡、聖火、人の夢を媒体にして姿を現すという。イシスは常に純白の法衣とヴェールを目深に被っており、その素顔を見たものは誰一人としていない。最も神秘と謎に包まれた存在である。
エステリアはゆっくりと口を開き、己が託された予言を語りだした。
「イシス様は神子の啓示を私に告げられた後に、深く、広い闇が世界を覆う光景が見えると仰いました。それは歪んだ時間が破壊の神を呼び寄せているのだと。そして――聖戦の兆しであるとも」

聖戦――エステリアがこの言葉を口にした途端、周囲がざわめいた。
それは『神子』と選ばれし者……『英雄』のみが赴く試練。そして果て無き闇との戦いでもある。
一定の周期をもってまた巡り、永劫に続くこの戦いは、まるで神々が地上にかけた一つの呪いのようで、終止符を打つことはない。世界の命運は神子と英雄にかかっている。彼らの働き次第で、この世は一時的だが楽園にもなれば、地獄への一歩を踏み出すことにもなる。
だが、周囲の様子とはうって変わり、国王は一笑した。
「なるほど、歴史は繰り返される――か」
「歴史?」
「暁の神子サクヤと、英雄ヴァルハルト……二十年前の聖戦を戦い抜き、帰還したこのニ人の名は知っておろう?」英雄ヴァルハルトは、獅子の兄弟の一人であり、テオドールの弟、そして現在のメルザヴィア国王でもある。
「そなたが受けた予言は、かつてイシスがこの二人に託したものと変わらぬ。ふん、余の代にて、二度も聖戦を見ることになろうとは……皮肉なものよ」国王は自嘲気味に鼻で哂い、続けた。
「エステリアよ。そなたもすでにわかっておろう? 己が全うすべき使命を」

使命……それは神子となり、聖戦に赴くこと――。
「心得ております」
エステリアは淡々と答えた。
「期待しておるぞ、エステリアよ。そなたが神子となればこの世にはびこる魔族どもをも一掃し、平穏も訪れよう。余はそのためにそなたに尽力することは惜しまぬ」
「お心使い、ありがとうございます。ですが、陛下。陛下もご存知の通り、私はまだ『神子』としての洗礼も儀式も終えてはおりません。そして『英雄』を伴っているわけでもありません」
たった一人で、神子となるべく旅立つのである。期待されたところで、国王の旨に答える日がいつになるかはわからないのだ。エステリアは謙遜したつもりだったのだが、国王はそれを旅立ちへの不安だと受け取ったらしい。
「ならば、そなたの後ろに控えるシェイドを連れて行くがよい。その者はそなたを守る騎士であり、いずれ『英雄』となるだろう。『余の預言者』が申しておった。案ずるな、ガルシア将軍に侍女シエルも供につけよう。神子と英雄とまではいかぬが、心強い味方でいてくれよう」
「お供かよ」
国王の奇妙な言い回しにガルシアが思わず不満を漏らす。
「声が大きい。黙れ」
シェイドが釘を刺す。無論、国王にも聞こえないようにだが。
「エステリア、そしてシェイドよ。そなた達二人には、サクヤとヴァルハルトのような見事な働きを期待してやまぬぞ」
「身に余るお言葉、光栄にございます」
膝をついたシェイドが深々と頭を下げる。
「次代の神子よ。東の大国セイランに向い『賢者』を訪ねるがよい。セイランに住まう歴代の賢者達は何度も神子の洗礼に立ち会ったという。賢者の洗礼を受け、神子の証の一部を賜り、今一度この国に戻るがよい。そなたに真の神子が持つべき至宝を授けよう。それでこそ、そなたは晴れて神子となる」
「かしこまりました」
エステリアは国王に一礼し、感謝の意を述べ立ち上がる。退出のため、後ろに控えた国王曰く『英雄』とその『お供』達もこれに続いた。
「マナの大巫女よ、そなたは余が憎かろうの……」
それは謁見の間より出る一歩手前のことだった。不意に国王がエステリアに声をかけたのだ。シェイドとガルシアが、気まずそうに目を合わせる。国王がかつてエステリアの故郷たるマナの集落で行った蛮行を知らぬものなどいない。その際の『戦利品』は、国王の左に座している。周囲の空気が凍りついた。国王はこれまであえてエステリアを労い、一族の仇敵を、そして奪い取った母親(おうひ)を前にした彼女の反応を楽しんでいたのだ。
悪趣味にも程がある――と、口にはしないがシェイドが眉をしかめる。
「滅相もございません」
エステリアは振り向いた。
「マナの巫女たるもの、憎しみを心に抱くことは最大の禁忌とされております。それはこれから神子になろうとも同じ」
それだけを言い放つと、エステリアは再び歩き出した。
毅然とした彼女の様子に国王は口元を歪めると、隣の王妃に語りかける。
「どうだ? 王妃よ。捨てた我が子と十六年ぶりに対面する気分は」
王妃は深い海色の瞳を細める。「国王陛下、勘違いなさらないでくださいな。私が愛しいのは貴方との娘、アドリアのみ。捨てた娘に未練など一つもありませんわ」
玲瓏なる王妃の声は、去り行くエステリアを背中越しに貫き、その心に小さな風穴を空けていた。


「あ〜、お嬢ちゃんが冷静な性格で安心したぜ、陛下の言葉に煽られて、刃を向けようもんなら、俺達までまとめて死刑だろうからな」
謁見の間を出たガルシアがほっと一息をついた。
国王の仕打ちを気に病むことはないとエステリアの隣で慰めるシエルとは違い、ガルシアとシェイドの二人は彼女達とは幾分、距離をとって歩いていた。そうでなければこのような物騒な会話はできない。
「あれほどの屈辱を受けても、耐えたことには感心するが、冷静とは言い難いな」
「あ? なんでだよ?」
「動揺していたからこそ、神子は跪くことすら忘れ、振り向きざまに国王にものを言ったんだろ?」
それぐらいのこともわからないのか? と言いたげにシェイドはガルシアの横を通り過ぎていく。
「神子様、どうか落ち込まないでくださいね」
「ええ。ありがとう。シエルさん」
「もう! 神子様ったら! 私は貴方様にお仕えする侍女なんですから! 呼び捨てでなければ困ります!」
「でも……」「
ほら、神子様がそんな暗い顔をなさらないで! 明日からはきっと、楽しい毎日が続きますわ。セイランに着いたら、パーッと名物料理でも食べ歩きましょうよ! セイランはこの国にはない珍しいものがたくさんあると聞きます。お買い物も外せませんわ!」
「シエル、お前な、俺達は遊びに行くわけじゃねーんだぞ?」
ようやくエステリアに追いついたガルシアがうんざりと言う。
「国からでる旅の資金ですもの。余裕はあるはずですわ。少しぐらい遊んだってかまいませんわよ」
ガルシアとシエルのやり取りに、エステリアは思わず苦笑した。
「楽しい話の最中に申し訳ないが――お前達、あれを見ろ」
ニ人の話の間にシェイドが割り込む。その顔には忌々しげな表情を浮かべていた。
「どうしたんだよ、シェイド?」
一同は一斉にシェイドが促した方向に注目した。その視線の先にいたのは、侍女の一団を従えた貴族の娘だ。こちらに向ってゆっくりと歩いてくる。
「よりにもよって、こんなときに……」
シェイドはそう言いながら、廊下の端に寄り跪き、頭を下げる。シエルもそれに続いた。ガルシアは慌ててエステリアの袖を引っ張り、無理やり跪かせる。わけもわからぬまま深々と頭を下げる羽目になったエステリアの横でシェイドが小声で言った。
「――アドリア王女がお見えだ」
「アドリア……」
それは先程、謁見の間にて王妃が口にした名だ。エステリアは思わず顔を上げた。その瞬間、丁度目の前を通り過ぎようとしていた王女と視線が合う。アドリアの褐色の髪や瞳、小麦色の肌。そしてその威圧的な眼光は国王のそれによく似ていた。侍従を連れたアドリアは、跪き頭を垂れるエステリアを冷たく一瞥すると、特に言葉をかける様子もなく、静かに通り過ぎていく。

「あれがテオドール陛下とマーレ王妃の間に生まれた王女、アドリア姫。この国の王位継承者だ」
王妃様(あの人)が必要とした娘……ね」
遠ざかる王女と侍女達の衣擦れの音を聞きながら、エステリアは低く呟いた。
「お前達、もういいわよ。下がってなさい」
完全にエステリア達の姿が見えなくなった頃、アドリアは突然立ち止まり、侍女達に人払いを命じた。その場に残ったのは王女と、彼女が生まれたときから王女の直属として仕えている、年配の女官長ヴァネッサのみであった。
「さっきのが、私のお異父姉様(ねえさま)?」
「はい。お母君が陛下に嫁がれる前……まだマナにいらした頃に連れ添った男との間に生まれた娘にございます。ですが、次代の神子とはいえ所詮は陛下の庇護の下に生かされている民にすぎませぬ。尊き血統のアドリア様と比べるのもおこがましく、まして姉妹と呼ぶなど――」
「それ以上は言わなくていいわ。お前の言葉はもう聞き飽きたから」
女官長の言葉をアドリアは途中で断ち切った。
カルディア国王の王妃であり、あのセレスティアの双子の妹である母の栄光、そして母がマナの大巫女を務めていた際、一族の男と結婚し、娘――あの異父姉を儲けたという醜聞。
母の光と影、そして異父姉の存在はアドリアが生まれたときから付きまとう。ことあるごとに侍女達は、顔も見たこともない姉と自分を比較し、王女には類まれなる程の賛辞の言葉を、異父姉についてはその間逆の感想を言い聞かせてきた。
アドリアこそが真実、王妃の『第一子』であり、王妃が集落時代に産んだ子は『庶子』であると位置付けることによって、王妃の過去を拭い去ろうとしたのだ。それ故、アドリアの中には異父姉への優越感、そして敵意が同居している。国王(ちち)に負けた一族である姉が、自分に勝てるわけがない。どんな理由であれ、異父姉は自分より光の当たる場所に出るべきではない。それは至極当然のことで、この世の摂理だ。たとえ姉が次代の神子に選ばれていたとしても――。
「――気に入らないわ」
アドリアは言い捨てると、残忍な笑みを浮かべて女官長に尋ねた。
「ねぇ……次の時代のカルディアに登る太陽は、『一つ』でいいわよね?」
王女の言葉の意味を悟り、一瞬蒼白になるヴァネッサだったが、気を取り直すと
「かしこまりました」
と一礼し、その場を去った。
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