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Eternal Curse

Story-28.在りし日の思い出
人生で最高の出会いと最悪の出会いというのは、ほとんど同時期に来るものだと、そのときのガルシアは心底思った。
それは今から二十年前の出来事。当時、まだ十二歳の少年であったガルシアは、カルディア王国の騎士団へ志願するために、離れの森で剣の鍛練に明け暮れていた。
若干十二歳とはいえ、ガルシアの体躯は既に二十歳前後の青年と思えるほどに発達していた。
樹に思い切り打ち付けたショートソードが刃こぼれし、ガルシアは軽く溜息をついた。
よほどの力を持て余しているのだろう。この大きな掌にすっぽりと収まるこのショートソードに、ガルシアは物足りなさを感じていた。
「そなたの体格にその片手剣(ショートソード)では、かえって戦い辛いものがあるだろう。剣も哀れというものだ。いっそ両手剣(バスタードソード)を持ってみてはどうだ?」
今の心を代弁するかのような言葉に、ガルシアは驚き振り向いた。
いつからここにいたのだろう?そこには馬上からガルシアを見下ろしている青年がいた。青年は灰色の髪と瞳の持ち主で、端整な顔立ちであるが、眼光は鋭く、身なりのよさから貴族だと伺える。

「あんた、ずっとそこから見てたのか?」
「遠乗りの最中に通りかかったのでな」
このご時世に、森で乗馬を楽しんでいるぐらいだ。よほどの道楽息子なのだろう。
ガルシアは軽蔑するような目で青年を見た。
「そなた、名前は?」
青年が尋ねる。だがガルシアは
「そっちから名乗れよ。それが筋ってもんだろう?」
不愉快そうに言った。
青年は、己の非礼、もしくはガルシアの威勢の良さを鼻で笑うと、名乗りをあげた。
「確かにそなたの言う事が道理というものだ。私はヴァルハルト。長い名乗りをあげずとも、これでわかってくれることを、そなたに願う」
手短に名乗った青年の名を聞いた途端、ガルシアの表情が一変した。

ヴァルハルト――正式にはヴァルハルト・アナトール・エルヴィン・メルザヴィア。
獅子王の四男にして、若きメルザヴィア王国の君主。容姿とその生き様から『灰色狼』とも称される孤高の剣士。預言者イシスの神託により、暁の神子と共にこれから聖戦へと赴く者。

「で、そなたの名は?」
「ガ、ガルシア・クロフォードと申します!さ、先程は、ご無礼を仕りまして、め、め、面目の次第も――」
かの英雄との出会いにガルシアは歓喜する一方で、先程の不遜な態度を恥じ、必死に慣れぬ言葉を並べて、謝辞を述べようとする。
「構わぬ。捨て置け。たまたま稽古に打ち込むそなたの姿を見かけ、つい口出ししてしまったが、不快であったのなら許してほしい」
「め、め、滅相もございません!お、俺……いや、私も、丁度そう思っていたところでしたので、貴重な助言をありがとうございました!」
ガチガチに硬直しているガルシアを見て、ヴァルハルトも口元を緩めた。
「ガルシア・クロフォード」
「は、はい!ヴァルハルト陛下!」
「そなたは良い素質を備えている。立派な騎士となった暁には、是非ともメルザヴィアを訪れてくれ。成長したそなたを見てみたい」
「はい!行きます!絶対に陛下のお目にかかれるよう、頑張ってカルディア一の騎士になってみせます!」
直立不動で答えるガルシアにヴァルハルトは頷くと、そのまま馬で駆け出した。
ガルシアは感慨深く、その後姿をいつまでも見送っていた。



その後、ガルシアは先程以上に真摯に稽古に打ち込んだ。
騎士を目指すものならば、誰もが憧れるあのヴァルハルトと会話をすることが出来た上、労いの言葉までかけてもらったのだ。それが何よりの励みになった。
ガルシアは一息つくと、額にびっしりと浮かんだ汗を拭い、天を仰いだ。
稽古に夢中であったあまり気がつかなかったが、既に陽は落ちている。
今日の稽古はここまでだ。ガルシアは、剣を携え、帰路に着こうとした。

丁度その時、森の奥から、地響きのようなものが聞こえた。
「なっ!なんだ?!」
ガルシアは辺りを見回した。地響きの音は次第に大きくなる。
それが『足音』であり、複数のものであることに気付いた頃には遅かった。
ガルシアは森の奥から姿を現したトロール三匹に周りを囲まれていた。
トロールとは、山は森に住む魔物で、陽光を弱点とする醜悪な巨人だ。
森で人の匂いを嗅ぎつけ、陽が暮れたことを機にここまでやってきたのであろう。ガルシアは緊張のあまり、固唾を飲んだ。
一対一ならば、まだ勝算はあったが、獰猛な巨人が三匹も相手では勝てるはずもない。
ガルシアは即座に逃げ道を探した。騎士を志す者として、勝負を見捨てて逃走を図ることは恥ずべき行為なのだが、ガルシアはみすみすここで犬死したくはなかった。
駆け出そうとしたガルシアの動きを封じるように、トロールは丸太のような腕を振りかぶる。
ガルシアはその攻撃をなんとかかわすと、トロールの腕に一撃を叩き込んだ。
しかし、元々刃こぼれの多かったガルシアの剣は、剣先がトロールの腕に食い込んだと同時に刀身が折れてしまった。その衝撃でガルシアは弾き飛ばされ、尻餅をついた。
トロールは傷ついていない方の腕でガルシアの片足を掴むと、その身体を軽々と放り投げた。
投げ飛ばされたガルシアは樹の幹に背中を叩きつけられ、地面に落ちると、何度も咽た。
たった今切った口内に血の味が広がる。
動けなくなったガルシアを嬲りながら殺すつもりなのだろう。トロール達は、醜悪な顔に笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてきた。

せっかく王国一の騎士になると誓った日に、トロールの餌になって死ぬ羽目になるとは――唇を噛んだガルシアの目尻に、悔し涙が滲む。
死を覚悟したガルシアは、立ち上がることすらできない自分の最後の抵抗としてトロールを睨みつけた。 トロールは、そんなガルシアにとどめを刺すかのように、再び腕を挙げた。
あれをまともに食らえば、頭蓋を砕かれるのは確実だ。
ガルシアは反射的に瞼をきつく閉じ、歯を食いしばった。
だが振り下ろされたはずのトロールの拳は、いつまで経ってもガルシアに当たる気配はなかった。
妙に思ったガルシアは瞼を開くと、目の前の光景に絶句した。
トロールの巨大な肩に、黒い翼を持ち、息を飲むほどに美しい妖魔が舞い降りている。
トロールは拳を振り上げたまま、何が起こったかわからない面持ちで佇んでいる。
妖魔の手がゆっくりとトロールの首をなぞった。
途端、トロールの首が落ち、その巨体がばらばらと崩れ落ちた。
『足場』を失ったことも物ともせず、妖魔は静かに地面に降り立った。
その手が宙を撫でたかと思うと、残りのトロール達も同様に倒れていく。
ガルシアには見えない無数の刃が、トロール達を切り刻んでいるようにしか思えなかった。
地に落ちたトロール達の肉塊は、ひとりでに発火し、灰と化していく。

「これほどまでに低俗な魔物どもがこの地にまで出没するとは、この世界も随分と狂ったものだ」
一瞬にしてトロール達を一掃した妖魔が、自嘲的に言った。
銀髪金眼、黒翼の妖魔――その特徴から察するに、彼が『永久なる闇の支配者』と称される者であることは、一目瞭然だった。ただの伝説だと思っていたが、まさか実在したとは――その容貌に思わず見とれてしまったガルシアであったが、油断はできない。
妖魔がトロールを倒したのも、ガルシアの精気を狙い、獲物を横取りされまいと思ったからこその行動かもしれないからだ。 地面に突っ伏したままのガルシアは、なんとか手探りで折れた剣の柄を見つけると、それを握り締め、威嚇するかのように妖魔に突きつけた。

「そんなもので私と対等に渡り合えると思っているのか?私は、お前の命には興味はない」
折れた剣を構えて挑むガルシアを見下ろし、妖魔は失笑すると、悠然と言い放った。
自分は妖魔にとって、歯牙にかける価値すらないのか―― そうとも受け取れる妖魔の言葉が、ガルシアの心の中に深く突き刺さる。

「いつか、お前が強くなったらかかってこい。私はいつでも相手をしてやろう」
妖魔は黒い翼を広げると、ふわりと舞い上がり、夜空に消えた。
ガルシアは妖魔がいなくなった空を、しばらく睨みつけていた。
魔物に取り囲まれ、ほとんど身動きすらとれず、窮地のところを、よりにもよって妖魔などに命を救われた。それがガルシアにとっては何よりの屈辱だったのである。

この日、ガルシアは心に二度目の誓いを立てた。
必ず、カルディア一の騎士になる。そして、いつかあの妖魔にこの借りを返してやる――と。

そして妖魔との不思議な因縁は、二十年経った今もなお続いている。


「それは本当なの?!」
メルザヴィア城の城郭から目と鼻の先ほどの距離に構えられたシュタイネル公爵邸にて、優雅にお茶の時間を楽しんでいたはずのクローディアは、執事の報告を聞くなり、ティーカップを持つ華奢な手を震わせた。
クローディア・エレオノーレ・シュタイネル。現在は降嫁してシュタイネル公爵夫人と称されているが、彼女こそ獅子の兄弟の末妹にして、メルザヴィア国王ヴァルハルトの妹である。
獅子王レオンハルトの数多い子供達の中、唯一の娘であった事から、
両親の愛情を一身に受けて育ち、また類稀ない美姫としても名を馳せた彼女は、十六歳の時にメルザヴィアのシュタイネル公爵と結婚し、一男一女を儲けた。
現在三十六を迎えても、クローディアの美貌は衰えることはない。
クローディアは雪雲を思わせるようなスモークブルーの瞳を細め、執事の次の言葉を待った。
「はい。一行の乗った馬車は、まもなくメルザヴィア城門へと辿り着くかと」
執事からの恭しい返事を聞くと、クローディアは、兄のヴァルハルトよりも赤みがかった灰色の前髪を撫でつけながら
「あの薄汚い小倅が。今更何をしにこの国に帰ってきたというの?」
呪いの言葉を吐くかのように言った。
執事はそんな主人の態度も見慣れている様子で、話を続ける。
「なんでもカルディアより次代の神子を連れ立っての帰還であるとか」
「その神子とやらは、『本物』なのでしょうね?」
「預言者イシスによって、神託を告げられた少女と聞き及んでおりますが……」
「はっ、どうだか。あの小倅の連れて来た娘など、信用できるものですか。ところで、お前、『あれ』はもう手に入ったの?」
「勿論でございます。クローディア様が仰せの通り、『あれ』は密かにグランディアより船にてお運びしております」
執事の答えにようやくクローディアが満足気に顔を綻ばせる。
「一体、何を運んだというの?」
背後から両肩に手を置かれ、耳打ちしてきた艶やかな声に、クローディアは驚き振り向いた。
「リリス!いつからそこに?!」
クローディアが座る椅子の真後ろには、カルディア国王直属の預言者、リリスが立っていた。
「ご安心なさって、クローディア公爵夫人。私は今しがたここに辿り着いたばかり。それ以上前の貴方がたの会話は、何一つ聞いてはおりませんわ」
そんな話信用できるものか、お前は何でも見通す『預言者』ではないか――クローディアはそんな疑念を胸に秘めたまま、リリスを一瞥した。
「辿り着いた――なんて、仰々しい。どうせその身体もカルディアから飛ばした幻影なのでしょうに」
「ご名答。さすが賢夫人と名高いクローディア様ですわね」
取ってつけたような賛辞に、クローディアは鼻を鳴らす。
「で、今日は何の用なの?リリス」
煩わしそうな口調のクローディアに、リリスは芝居がかったような素振りで首を傾げた。
「もうお忘れですか?今日は、貴方が常日頃から悲願とされている、『王太子失墜』のための策を、お教えにあがりましたのに」
その言葉を耳にするなり、クローディアは思わず身を乗り出そうとして、己のはしたない動作に気付く。
「――聞かせなさい」
扇を開き、何事もなかったように姿勢を正したクローディアの瞳は、獲物を狙う鷹のように爛々と輝いていた。

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