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Eternal Curse |
Story-27.一つの賭け | |||||||
「はぁ?」 エステリアは思わず頓狂な声をあげてしまった。 「神子の洗礼には、『至宝』が必要とのことだ。生憎このセイランにはそれがない」 「至宝?」 その言葉を聞いて、エステリアは真っ先に思い浮かんだのはカルディアで国王と謁見したときの会話だった。 「ちょっと待って!その『至宝』の話だけど、それって確かテオドール陛下が、私が神子の洗礼を受けて、カルディアに戻ってきた後に授ける――って、あの時に言っていなかった?」 「正確には――陛下はお前に、賢者の洗礼を受け、『神子の証の一部』を賜り、今一度カルディアに戻って来いと言っていた。その『神子の証の一部』こそ、至宝の『一部』のことだ。それを持ち帰ることができたら、陛下はお前にカルディアにある残りの至宝を与えるおつもりらしい」 「……一部?」 「サクヤに言わせれば、セレスティア亡き後、彼女に授けられるはずだった至宝はばらばらにされ、獅子の兄弟が治めるカルディアとメルザヴィアで預かることになったそうだ」 「ねぇ、どうして至宝を預かる国にグランディアが入ってないの?グランディアだって獅子の兄弟が治める国なんでしょう?」 「グランディアに神子の至宝を預かる資格なんて無い。セレスティアの悲劇を起こしたのは、紛れも無くグランディアの僭王ベアールだからな。だから明日にでもメルザヴィアに発って、ヴァルハルト陛下に謁見し、至宝をすみやかに譲渡してもらう必要がある」 「今度は……メルザヴィアに行くの?」 更なる長旅に、エステリアは脱力した。 「安心しろ。あの賢者も同伴してくれるそうだ。神子の洗礼も、神子の証――至宝の一部を賜るのも同時の方が、都合がいいとのことだ。お前と賢者サクヤの名を出せば、さすがのメルザヴィア国王も素直に従うだろう。ただ、至宝がないと洗礼を行えないとわかっていた上で、王都奪還に俺達を利用したあの賢者には、少々頭にくるものがあるが……」 「サクヤも同伴って……?でもサクヤがこのセイランをまた離れたりしたら……」 再びラゴウの一件のようなことが起こり得る可能性があるのではないか?言いかけたエステリアをシェイドが制止する。 「女帝と鬼神が和解した今、あまりその心配はないそうだ。あのチビ……いや、女帝も死んだと思っていた父親が側にいてくれるんだ。変なものに付け込まれることもないだろう」 「もう知っているの?女帝陛下の父親の事……」 「ああ。つい先程、ソウリュウのところでサクヤが話したからな。ガルシアは相当たまげていたぞ。俺はある程度は予想していたが……」 中庭で用事を済ませた二人は、賓客の間に向かって歩き出していた。 「それはそうと、明日にはメルザヴィア行きか。あの国に帰るのは十二年ぶりだな。今度ばかりは嫌でも両親に顔を見せなければならない――それを考えただけで帰るのが憂鬱になる」 「貴方、メルザヴィアの人だったの……」 「ああ」 「本当のご両親に会うのが、そんなに嫌?」 「そうだな。特に俺にこんな名前をつけた母親には会いたくない」 「名前?」 数歩前を歩いていたシェイドが立ち止まり、振り向く。 その表情には、やや皮肉めいた笑みが浮かんでいた。 「ふざけているだろ? 「やっぱり、由来は 「こんな黒髪で、黒目で、俺が両親に似ているところなんて、何一つもない。腹いせもいいところさ」 「お母さんと仲が悪い――のね……?」 「母親を苦手とするところは、お前と同じだろ?」 痛いところを突かれて、エステリアが押し黙る。確かにそうだ。自分にしても実の母親とはいえ、あの王妃とはなるべく関わりたくはない。立場を置き換えて考えてみれば、シェイドの気持ちはなんとなくわかる気もする。 「あの鬼神が放っていた香り――あれを嗅ぐと、すぐに母親の事を思い出すんだ。あの人は柑橘系の果物が好物だったから。いや、好物というよりは、もの珍しいから好きだったのかもしれないな。あの人はそれほど身体も強くはないし、儚くて、心だって折れそうなぐらいに弱い。 ……だから風邪を拗らせたときなんかは、なんとか笑ってほしくて、あの人の大好きな果物を差し出そうと思ったんだ。でも、俺の祖国では季節柄、実りが悪くてな。果物はほとんど輸入に頼っているんだ。だから結局何もできなかった。父親の方も考えていたことは同じで、欲しい果実が手に入らないものだから、やきもきしていたらしい」 と、ここまで話を聞いた限り、シェイドからはそれほど母親に対する嫌悪感のようなものは感じとれない。エステリアには、むしろ嫌うどころか、母親が心配でしょうがないようにも思えた。 「ねぇ、本当にお母さんが苦手なの?あまりそうには思えないけど……?」 思ったことをそのまま口にしてみる。だが、 「あの二人は、俺が居ない方が上手くやっていけるのさ――だから本当の家を捨てて、カルディアまで行ってやったのに」 強がっているようで、苦しげなシェイドの横顔を見た瞬間、エステリアの胸は締め付けられた。 何か自分にできることはないだろうか?これについてはお互い様ではあるのだが、なかなか見せないシェイドの本心を、全て理解しようとするのは難しい。 だが、何とかこの場を和ます方法ぐらいはあるはずだ。 エステリアは思いついたように帯に下げていた飾り紐を取り外した。 「これ……気休めかもしれないけど、貴方にあげる。少しでも貴方の心が安らぎを得るように、眠れるように。それから本当の貴方を取り戻せますように」 両手に包み込み、願をかけ、シェイドに手渡す。 「この石達にはね、不眠や悪夢を退けたり、心が迷った時の道標になったり……僅かだけど、今、私が願った事を叶える力が宿っているの。私の一族はね、ありとあらゆる自然の恩恵によって、術を使い生きているの。石の力も例外ではないわ。」 「受け取っておく」 掌に乗せられた飾り紐を見つめ、呟いたシェイドをエステリアが凝視する。 「どうした?」 「受け取ってくれないと思っていたの。貴方のことだから、こんな石を見せ付けたところで、鼻で笑われるかと思っていたから」 「お前――そんなに俺が血も涙もない人間に見えるのか?」 「ううん!そんなことない」 時折、冷たさの中に優しさを垣間見ることもある――それは紛れも無い事実だ。 だが、あまりにも大袈裟に否定したせいか、シェイドにはお世辞にしか聴こえなかったらしい。 少し不機嫌な顔をして、肩をすくめる。 「あの、気を悪くした?」 「……別に」 シェイドはそのまま胸元を探ると、そこからリングネックレスを取り出した。 「お返し……とは言わないが、これをやる」 鎖から外された指輪は、魔剣と同様に漆黒で、細かく装飾された石座の中石には、やはり深紅の猫目石が埋め込まれている。 「魔除けだ。お前、俺と一緒にいると、やたらと色んなものを見るだろう?これを持っていれば、魔剣の瘴気にあまり影響されずに済む。ただ……大きいから、なかなか合わないかもしれないな」 微妙な顔をして、シェイドはエステリアの左手を取ると、その中指に指輪を通す。 「中指ならぴったりね。薬指だったらそのまま抜けてしまいそう」 「薬指でぴったり合いでもしたら、これほど物騒な婚約指輪はないな」 婚約――冗談なのか本気なのかさっぱりわからない口調で、さらりと言ったシェイドに、エステリアが赤面する。 「貴方は持っておかなくていいの?」 ほとんど誤魔化すように尋ねてみる。 「俺は問題ない。お前こそ、この飾りは大事なものじゃなかったのか?」 「いいの。今、私が貴方にできることはこんな気休め程度だから。私、まだ無力だから」 「無力?」 「だって、幻には翻弄されたし、暴走した貴方を止めることもできなかったもの……」 未熟な自身を恥じるように俯いたエステリアの表情を見て、シェイドがすかさず呟いた。 「一つ、賭けをしようか?」 「賭け?」 いきなり何を言い出すのだろう?エステリアの表情はそう訴えている。 「俺がお前を見極めるのが早いか、お前が俺を見抜くのが早いか」 「どういうこと?私に貴方の何を見抜けばいいの?」 「俺の大切な隠し事――つまりは『秘密』だ」 「隠し事って簡単に言われてもわかりっこないわ。それに貴方は私の何を見極めるというわけ?」 「お前の神子としての『素質』」 エステリアが怪訝そうに眉をひそめる。 「そんな顔するなよ」 「少し、難しいんじゃない?」 「だから賭けとして丁度いいんじゃないか。それに『秘密』の事なら、そのうち――嫌でもわかるさ」 「ますますお手上げだわ。私にとって貴方は『不可解』の塊だもの」 「じゃあ、一つだけお前に手がかりをやるよ。少なくとも俺はお前が言っていたように『普通』の人間とは違う。それをどんな意味として捉えるかはお前次第だ」 溜息交じりに言ったシェイドの一言は、手がかりどころかますますエステリアの頭を混乱させる。 「もし、私が賭けに負けたらどうするの?」 「そのときは――俺がお前に酷い事をする」 急に真面目ぶってシェイドが言った。 「俺はいたって本気だ。嫌な思いをしたくなかったら、先に秘密を暴くことだな。ただし――答えは絶対にガルシアには洩らすな。これが条件だ」 「貴方の秘密って、ガルシアさんにばれると不都合な事なのね?」 「俺にとって、あいつは『不都合』という塊で出来た上官だ」 「じゃあ、私が勝ったら、一体何の得があるの?」 「――多少の救いにはなるさ」 全く意味がわからない。エステリアが嘆息する。 「じゃあ、貴方が私に何かしてくれるわけ?」 「ああ。本当にわかったなら、また女装でもなんでもしてやるよ」 「そういえば女装した貴方の顔、誰かに似ていたんだけど……」 「誰に?」 「思い出せないわ。ごめんなさい、気にしないで。それじゃ、ここでお別れね」 再び話しながら歩くうち、自身のために用意されていた部屋を通り過ぎようとしていたエステリアは 慌てて扉の前まで戻ると、そのままシェイドに別れを告げた。 部屋に入ってもすぐに就寝というわけにはいかない。随分と遅れてしまったが髪の色を戻す必要があるからだ。 「おやすみなさい。シェイド。魔除けの指輪、ありがとう」 「ああ。おやすみ」 忙しそうに扉の中へと消えたエステリアを見送る。 「本当の貴方を取り戻せますように……か」 エステリアから微かに心の内を見透かされたような……そんな感覚に、シェイドは飾り紐の石を見つめながら呟いた。 「おかえりなさいませ。エステリア様」 ようやく寝室へと戻ってきたエステリアをシエルが嬉しそうに出迎える。 「明日、メルザヴィアに発つそうよ?」 「ええ。先程ガルシア様から聞きました。猪退治の後は掃除、その上洗礼は後回しにされて次の国へ向かうことに、かなりご立腹でしたけど。さっ!それはそうと、早く湯殿へ行って髪の色を戻しましょう!準備はもう出来ております。急がなくては眠る時間がなくなってしまいますわ!」 「そう……ね……?」 シエルに背中を押されていたエステリアの言葉が、急に途切れた。 「エステリア様?どうされました?」 「っ……!」 エステリアの右下腹部が、妖魔と初めて出会ったあの夜のようにチリチリと痛んだ。 再び襲ってきたその焼け付くような感覚にエステリアが膝を折る。 「エステリア様!」 「ごめんなさい。急に……お腹の辺りが熱く、なって……」 「見せてください!」 シエルが断りを入れて、エステリアの上着を捲り、痛みを訴える場所を確認する。 「これは……」 シエルが思わず目を見開いた。エステリアの右下腹部には、模様のような赤い痣が浮き出ている。 「何なの?これ……」 シエルはしばらくその痣を見つめると、 「呪詛……」 掠れるような声で言った。 「え?」 「エステリア様は、呪詛をかけられたようですわ……どこでかけられたか、誰にかけられたか、心当たりはございませんか?」 呪詛をかけられる『心当たり』としてエステリアが真っ先に思い浮かべた相手は、一人しかいなかった。 「きっと、あの妖魔だわ」 そうとしか考えることができない。妖魔は何度もエステリアに忠告している。 『お前を必ず手に入れる』と。 その言葉こそが、エステリアを手中に収めるために向けられた『呪詛』そのものだったとしたら? エステリアの手が、熱を持つ『呪詛』の上を、ゆっくりと辿る。 「でしたら、できるだけ早くその妖魔を殺すことです。エステリア様が呪詛の餌食になる前に」 悲痛な面持ちでエステリアの両肩を掴んだシエルの手は、微かに震えていた。 現在、深夜に及ぶセイランとは異なり、カルディアはまだ宵の口であった。 その頃、シェイドの養母であるソニア・ブランシュールは、自室に篭り、息子の『両親』から届いた手紙に目を通していた。 手紙は二通あり、一通はブランシュール夫妻へ、そしてもう一通はシェイドに宛てられたものであったが、生憎手紙はシェイドがカルディアを発ってから届いており、行き違いのために未だに封が切られていなかった。 セイランでのシェイドの滞在先を調べ上げさえすれば、この手紙を息子の元へと、送り届けることもできるのだが、どの道、神子の洗礼さえ終われば、シェイドはこの国に帰ってくる。 屋敷に戻ったそのときに見せても、なんら問題はないだろう。 もしも、シェイドに取り急ぎ伝える用事があるのであれば、それは真っ先にブランシュール夫妻宛の手紙に書かれていからだ。 シェイドの両親は、息子の『教育者』としてブランシュール夫妻には隠し事をしない。それはソニアも重々承知していた。 「奥様。カヴァリエ侯女、レイチェル様がお見えです」 手紙を読む事に夢中で、ノックの音すら気付かず、使用人の声でようやくソニアが顔を上げたときには、こちらの返事も待たずに扉が開かれ、その先にレイチェルが立っていた。 呆気にとられたソニアを他所に、レイチェルは静かに近づくと優雅に一礼し、 「シェイド様が屋敷を離れられ、お寂しい思いをされているソニア様を、お慰めにあがりました」 小さなバラの花束を差し出した。 「ありがとう。レイチェル」 ソニアはテーブルに手紙を畳んで置き、花束を受け取るとレイチェルに微笑んだ。 「やっぱりあの子がいないとだめね。屋敷から一人、話し相手が減ったというだけで、心の中にぽっかりと穴が開いてしまったみたい。だから貴方が来てくれて嬉しいわ。レイチェル」 「お邪魔ではなかったかしら?お手紙を読まれていたのでしょう?ご友人からかしら?」 「いいえ。シェイドのお父様からよ。ちょっと待っててね、レイチェル。貴方からいただいたお花を早く生けてあげないと、萎れてしまうわ。それからお茶の用意をさせましょうね。それともお酒が良いかしら?」 ソニアは早速立ち上がり、部屋を出ると、近くの使用人を呼びつけ、受け取った花束を手渡し、なにやら申し付けている。 レイチェルはそんなソニアの後姿を見た後、テーブルの上に置かれた手紙に目をやった。 「シェイド様のお父様……」 シェイドがカルディア人でないことは周知の事実である。だからこそ彼の出生地、または本当の『家柄』や『家族』について、レイチェルは以前から興味があった。 なにせ、カルディアの三大公爵家たるブランシュール家と養子縁組するほどである。よほどの地位がなければこのようなことはできないだろう。 シェイドの祖国での身分は、この三大公爵家に匹敵、または見合うものだと考えていい。 さらに言うならば、養子に出されたということは、祖国では家督を継ぐ必要のない立場――位置にいるのであろう。つまり彼は次男、あるいはそれ以下、または末弟ということになる。 せめて送り主の名を見る事ができれば、そこからどの国の、どの名家が探ることはできるはずだ。 ――知りたい。彼の素性を。少し覗き見るぐらい構うものか。 ソニアが使用人と話し込んでいる隙に、レイチェルはテーブルの上に折り畳まれた手紙を広げた。 手紙に書かれていたのは、養子先での息子の身を案じる父親の――ごく普通の文面であった。 だが送り主の名を見た途端、レイチェルの顔は一瞬にして蒼白になる。 手紙を持ったその手は驚愕で震えていた。 この場に倒れずにいることができる奇跡を、心から神に感謝したいほどの衝撃を、レイチェルは感じていた。 もう一度、手紙に目を落とし、送り主の名を心の中で呟いてみる。 シェイドの出自を色々と勘ぐってはいたが、もはやそれどころの話ではない。 手紙の最後を締め括る、達筆な文字は、 ヴァルハルト・アナトール・エルヴィン・メルザヴィア――かの英雄王の名を記していた。 |
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