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Eternal Curse

Story-26.父娘
「聞こえていたとは思いますが……レンゲは先代女帝と私との間に授かった娘なんです」
「もう一つの『秘密』って、その事だったんですか?」
「ええ。でも一夜にしてここまでわかってしまうなんて、予想外だったな」
レンゲを寝かしつけた後、鬼神の城の『扉』を開いて王城に出たエステリアと共に歩きながら、シオンは言った。
「此処より遠くて、最も近い場所、相容れぬ世界に父親はいる……サクヤも罪なことを言ってくれます」
最も遠くとは、シオン自身が鬼という種族であること、近い場所とは女帝の側、相容れぬ世界とは人と鬼との関係を示している。
両者は必要以上に互いを干渉しないことを条件に和平を保っているのだ。種族間の違いは永久に超えることはできない、いわば平行線のようなものである。幼い女帝が悟るか否かの謎をかけ、サクヤの言葉はそれを明確に表していた。
「レンゲは――決して虚弱体質というわけではないのです。あの子の体調が崩れてしまうのは、体の中に流れている人の血と、私から受け継いだ鬼の血の一部が鬩ぎあっているのが原因なんです――ラゴウの目の前で見せた青白い炎は……鬼火といって、我々が使う妖術の一つなんです。感情の高ぶりなどでそれが起こらぬよう、毎日『薬』を飲ませてはいますが、やはり……不憫でなりません」

どう言葉をかけて良いものかわからずに、エステリアはただ静かに話を聞いていた。
「あの子が――私に似ているのは瞳の色だけ。髪の色や性格は母親譲りです。でも、まさか口説き文句まで同じことを言うとは思わなかったな」
「口説き文句?」
「貴方の紫色の瞳が好きだった。勿体無いけれども今の瞳も、湖面に映る月のようで嫌じゃない――人から鬼の王に転生してしばらく落ち込んでいた私を気遣ってくれた先代女帝の……妻の言葉です」

「本当ですね。あの時の陛下と同じ言葉だわ」
血は争えませんね――シオンは苦笑した。
「先代の陛下とシオンさんは、密かに婚約されていたんですね?だから一部の人しか陛下の父親の事を知らないのでしょう?」
「婚約なんて、綺麗な響きではありませんでしたよ。彼女は夜、私の城に押しかけてこう言ったんです『好きでもない男の妻になって子供を産むぐらいなら、尼になります。それが嫌だからお願い、貴方が私に世継ぎを産ませなさい!』と」
先代女帝のあまりにも率直すぎる愛の告白を聞き、エステリアは固まった。
「あの……それで先代女帝と、シオンさんは結婚したん……です、か?」
おそらくはそれが女帝と鬼神夫妻の馴れ初め話になるのだろうが、なぜか抑揚のない口調でしか尋ねることができなかった。

「いや、私だってそんなこと言われてすんなりと受け入れたわけじゃありませんよ。確かに人と鬼との間に子が成せぬわけではありません。それはすでに私という産物で実証されていますからね。ですがセイラン王家に鬼の血を入れるなど、絶対に許されない。だから何度も言ったんですよ、『もしもその大事なお世継ぎに角が生えて生まれたらどうするんだ』と。ですが、向こうも決して引き下がりません。最後は『貴方男でしょう?私が欲しくないの?』とまで言う始末です。私が言いたかったことは、そういうことではないのに……」

エステリアは頭を抱えた。
「私だって彼女を愛していました。彼女が欲しくないわけがないでしょう?でも私には女帝付きの薬師として、鬼神として……どちらの立場でも女帝を娶ることなんてできない。彼女がセイランの女帝という立場でなかったら、むしろ人という種族でなかったら話は別ですが。私の人としての一生はすでに終わっているのです。人間だった私の命は、以前、死の危機にさらされた彼女に分け与えてしまったから。これから始まった鬼神としての一生は気が遠くなるほど長いものなのでしょう。それを思うと、次の代まで自分の業を背負わせるわけにはいかない、と思っていました……けれど、若気の至りですね。一度だけなら、それで相手の気が済むのなら……いえ、私自身の長い一生のうち、一つの思い出として……彼女の想いに応じました」
シオンがエステリアの顔を見て、力無く笑う。
「本当に自分勝手でしょう?私はただ、自分が人並みに、誰かを愛せた記憶が欲しかっただけなんですから」
「先帝とは、それっきりで別れたんですか?」
「いえ、別れるどころか女帝は毎晩、私の城にやってきましたよ?『世継ぎができるまで通い続ける』と豪語して」
エステリアの顔が一瞬引きつる。
「先代女帝は言い出したらきかない人でした。もう最後は私も悩むのが馬鹿馬鹿しくて、どうにでもなってしまえと思ったぐらいです」
先帝との恋が美しい思い出どころか、ほとんど投げやりと化していたという事実に、またまたエステリアが絶句する。
「それでもレンゲが生まれて嬉しかったのは事実です。ですが表向きは薬師である私には父親として名乗ることも、堂々と抱く事もできません。できるとすれば、それは熱にうなされていたあの子に薬を与えるときだけでした。結果、私はあの子に寂しい思いをさせてしまうことになった。……今更悔いても仕方ない話ですがね」
シオンはそのまま歩みを止めた。
「さて、見送りはここまでです――どうやらお迎えが来たようなので」
「お迎え?」
エステリアがシオンを不思議そうに見上げ、彼に促されるまま、正面を向く。
廊下の向かい側には、シェイドが立っていた。



「神子と鬼神が仲良く夜歩きとは、まったく妙な組み合わせだな。あんた、面なしで堂々とここを歩いて大丈夫なのか?」
会って早々にシェイドの第一声には痛烈な皮肉が入り混じっている。
だが、それこそシェイドが、いつもの調子を取り戻している証拠のようで、内心エステリアは胸を撫で下ろした。
「こんな状況だからこそ快適な面無し生活を満喫しているんですよ。普段の王城なら、こんなに素顔を晒して歩くことなんて出来ませんからね。本当に貴重です」
「そりゃ、女帝お抱えの薬師がよりにもよって、鬼神と知れたら大騒動だろうしな」
「まったく。貴方があんなに早くに私の正体を見抜いたおかげで、随分とやりにくかったんですよ?」
「あんたのことは初めて会ったときから疑っていたさ。薬師のくせに、オレンジみたいな香りの瘴気を放っていたからな。そして鬼神からも同じ匂いがした。だが、同一人物だと確信が持てたのは、あんたがエステリアに薬を渡しながら妙な事を口走ったときだ。あんた、こう言っただろ?『貴方がたも物見の水晶で見たとおり、今の陛下はどこか虚ろだ』と。 『薬師』としてのあんたはあの場にいなかったはずなのに、こんなことを言うのはおかしい。だが、あんたが鬼神として気配を殺し、俺達に近づきつつ水晶の様子を見ていたのなら、辻褄が合う」
シオンは感心したようにシェイドを見ている。
「よくよく考えてみれば、鬼神の城と地上を繋ぐ扉を開くのも、閉じるのも全て鬼神の役目だ。セイランの城へ潜入するとき、あんたは扉を開け俺達を送り出した。だったら俺達が路地裏から水晶の間へ入ったときも、鬼神が中から扉を開いたことになる。城に入って真っ先に俺達を出迎えたのは、薬師のあんただった。やっぱりあんたが鬼神で正解だった」

「大した洞察力です。実に残念でしたよ。もう少し早く来てくれれば、三人で宴会ができたのに。貴方とはもっと色々と話してみたかった。今度セイランに立ち寄られた際は、是非、私の城に寄ってくださいね。城の酒蔵には数多の果実酒と菓子を眠らせていますから」
「あんたは本当に鬼の王なのか?」
「なんとか鬼の王の真似事はやれるようにはなりましたよ?未熟ですけどね。それでは私はこれで。おやすみなさい、お二人さん」
飄々とした口調でシオンはシェイドとの話を受け流すと、やはり娘の事が気になるのか、すぐに自らの城へと戻った。



「そういえば……貴方――今頃どうしたの?」
シオンが去った後、シェイドと二人きりになったエステリアは話を切り出した。
「中庭に突き刺した魔剣を取りに来ただけだ。それがどうかしたのか?」
だが相変わらず、シェイドの返事は素っ気無い。
まるで質問した自分の方が責められているようなその口調に、エステリアは顔をしかめた。
「……その前は、一体何をしていたの?」
そう……例え『あの光景』が幻影だと聞かされていても、やはり確かめずにはいられない。
念を押すように、今一度シェイドに尋ねる。
「身体に入った魔剣の毒の回りがひどくてな。ソウリュウのところに行って休ませてもらった。ついでに謝罪もしてきたところだ。他国の玉座の前であんな醜態を晒したからな」
「本当に、そこに行っていたの?」
「おかしなことを言う。俺の行き先に不可解な点があるというのなら、ソウリュウに会ってくればいい」
嘘を言っている様には見えなかった。誤魔化したいのならば、わざわざ証人の名前を出し、会うことを薦めるはずがない。すでに口裏を合わせているということも考えられるが、相手はあの堅物そうなソウリュウである。そんな裏工作に乗ってくれるはずもない。
だとすれば、やはり『中庭』にいたサクヤと『ソウリュウの元』にいたシェイドが本物で、一体、誰が何のために見せてものかは知らないが、『寝所にいたシェイドとサクヤ』は幻だったと考えて間違いない。エステリアはようやく納得した。

「じゃあ騒ぎのことを知らないのね?」
「騒ぎ?」
「カルディア国王陛下の預言者と、妖魔が同時に現れて、急に戦う羽目になってしまって……それから、妖魔が貴方の魔剣を使ったの」
勿論、その後自分が妖魔から唇を奪われたなど、口が裂けても言えない。
別にシェイドに義理立てするつもり気はないのに――沸々とざわめく心にエステリアは戸惑った。
「使えるさ。妖魔の持つ闇は、ナイトメアの闇を上回るからな」
そんなこと当たり前だろう?と言わんばかりの口ぶりである。

シェイドは玉座の間と同じく、半壊した中庭に立ち寄ると、突き立ててあった魔剣を引き抜いた。
「もう、触っても平気なの?」
「ああ」
「どうして?さっきまで瘴気に冒されて、苦しんでいたんでしょう?」
「お前、魔剣の瘴気に弄ばれて幻でも見ていたのか?まるで俺だけ毒気が抜けて気に入らないみたいな言い方だぞ?」
魔剣の刀身を確かめながら、シェイドが振り返る。
「そういうつもりで言ったわけじゃないけど――確かに幻なら、嫌なものを見たわ。それが魔剣の瘴気を浴びたせいか、妖術が原因かはわからなかったけど」
「俺は、魔剣に気に入られているからな。その分、瘴気が抜けるのも普通の人間よりは早い。だが、ナイトメアも使い方を誤れば、自身に災いが及ぶ諸刃の剣。使いこなすのは容易じゃないさ。それでも俺にとってこの魔剣は、物騒な相棒のみたいなものだ。絶対に手放すことはできない。――俺が俺で在り続けるために」
エステリアは目を見張った。そんな彼女の表情を見つめてシェイドが物悲しげに笑う。
「俺は、時々……自分がわからなくなるときがあるんだ。他にも色々と厄介な症状を抱えてる」

「……症状?」
「前に言ったと思うが、俺は一定の時期になると、普通の人間としての食欲が失せる。例えそれが王室御用達しの料理人が作った食事だろうが、希少価値のあるワインを勧められようとも、何もそそられない。何を食べても一切、味もわからない。砂でも噛んでいるような感覚を覚えるときもある。その上、満足に眠れない。最終的にはもっと最悪なものが待っているが」

「食欲もなくて、眠ることもできないなんて……貴方、なんだか吸血鬼みたいね」
「だったらどうする?」
「冗談よ。そんなわけないじゃない。第一、貴方はセイランに着いたときは普通に食事を取っていたし、太陽の下だって平気に歩いてる。鏡にも姿は映るわ。それに、もし吸血鬼か魔性の類だったら、神子候補なんかと一緒に行動するのは途方もなく苦痛なんじゃない?
でも……少なくとも、貴方は『普通の人』とも違うでしょう?そんな魔剣を扱える人だもの。
ただ、その魔剣を持つ代償として、貴方はそういった症状に苛まされているような気もするの。なんとなく……だけど。だからといって、貴方に魔剣を手放したら?なんて言えないしね。
――もし、無事に神子になれたら、真っ先に貴方の身体を治療をしてあげるわね」

「その事なんだが……」

シェイドが申し訳なさそうに言った。
「セイランで神子の洗礼を執り行うのは、どうやら無理らしい」

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