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Eternal Curse

Story-24.半妖
「すみませんね。こんな格好で」
鬼神の根城にある一室で、肩当てや胸当て、手甲を外しながらシオンは、申し訳なさそうに言った。部屋の中央には小さな食卓と椅子があり、エステリアはそこに着席を促されていた。
所々に置かれている照明の柔らかい光が、目に優しく、不思議と心を穏やかにする。 少し奥にはゆったりとした背もたれ付きの長椅子が見えることから、ここはいわゆる『くつろぎ部屋』といったところだろうか。
「これ、早く脱がないと肩が凝るんですよ。でも形式上、人前に出るときは着ておかないといけませんしね。厄介なものです。ところで、一体何があったんですか?」
「さ……先程は、申し訳ありませんでした!その、いきなり抱きついて……」
エステリアは顔を赤らめ、身を小さくして謝った。
「ああ。あれですか。大丈夫ですよ。いつも女帝から飛びつかれていますから、慣れっこです」
「あの……本当にごめんなさい。私、いえ、ちょっと……貴方と……お話をしたくて。だから、つい」
それはあまりにも見え透いた嘘だった。
「そうですか。それはよかった。丁度私も『餌』の時間でしたから」
「は?」
エステリアは思わず身を引いた。 シオンは豪奢な外套を無造作に長椅子に掛けると、
「ああ、そんなに怖がらなくても結構ですよ?コハクがあのとき言っていた『食事』とは、これの事です」
棚から山盛りの菓子盆と、酒瓶を取り出し、卓上に次々と並べていく。
「お菓子と果実酒……が……貴方の『餌』なんですか?」
「はい。私、甘いものが大好きでして」
誰もが恐れを成す鬼神――である(現に角もあれば、牙も見える)はずのシオンは子供のように眩しく笑う。
「一応、食べようと思えば人間だって食べることができますよ。ただし、あれは豚や鶏なんかと違って、食べ終わった後の後始末が大変なんですよ」
素敵な笑顔の後に、この会話だから始末が悪い。エステリアは心底そう思った。
「エステリアさんは、おいくつでしたっけ?」
「十六です」
「お酒、飲めます?」
「一応、薬としてなら飲んだ事があります。一族では十六歳ぐらいから成人と認められますから、お酒として飲んでも大丈夫だと思います」
「そうですね。お酒ほど良い薬はありませんからね。まぁ、サクヤのように飲みすぎては害ですが」
「そんなに、飲むんですか?サクヤさん」
「ええ。あの人にとって酒は水のようなものです。一晩で樽二つは空きますよ?」
言いながら、シオンは少し大きめの杯に酒と、沸かしたばかりの湯を注ぐ。
「杏を漬け込んだ酒にお湯を足したものです。眠る前には丁度いいですよ。身体が温まりますからどうぞ」
「ありがとう、いただきます」
エステリアは杯を受け取ると、さっそく口をつけた。それはとても甘く、口当たりも良い。
お湯割りのせいか酒そのものを強く感じることもなく、心地よさだけが身体中を駆け巡る。
「エステリアさんは……いえ、エステリアさんも、もしかして最初から気付いていました?私の正体に」
「いえ、でも……あの、私が帯飾りを落としたときに、なんとなく鬼神は優しい人かもしれないと思いました」
「ああ、あれですか」
「だって、ほら、飾り紐についていた石を傷つけないように、わざわざ篭手を外して拾ってくれたんでしょう?」
「あれは癖です。ほら、私、普段から素手でしょう?薬の調合だって、あんな無骨なものを身につけてやったりしませんからね」
彼の言う『あんな無骨なもの』はそこら辺に見事に放り投げられていた。
「あの、今は陛下についていらっしゃらなくて、大丈夫なんですか?」
「陛下はまだ心の整理はつかぬはずです。そっとしておいた方がいい。あの時は、ああ仰っていましたが、私が鬼神と知って、すぐに受け入れることはできないでしょう。今の今まで、鬼のことは散々毛嫌いしていたんですから。本当なら、彼女がもっと大人になってから知るべきことだったんですが」
「でも……これで、よかったんじゃないでしょうか?大人になってから知れば、もっと複雑な感情で悩むことになるかもしれませんから。それに……一生隠し通すぐらいの覚悟がない限りは、秘密なんて、早く打ち明けた方がいいわ。楽になるから」
「じゃあ……もう一つの『秘密』もばれるのは時間の問題、ですかね」
「え?」
「いえ、こちらのことです」
シオンは話を打ち消した
「陛下は貴方が、貴方のその香りが大好きだと言ってました。だから、信頼もすぐに取り戻せると、私は思います」
「陛下は私の香りを『美味しそうな蜜柑の匂い』と言いますが、これ……実は私の妖気の匂いなんですよ」
「こんなに優しい香りが、ですか?」
「サクヤに言わせれば、鬼神はこの香りで人を惹きつけた後、その身を食らうために使うのだそうです。その辺りは妖魔の類と変わりませんね。ですが、普段は霊力の強い者にしか、その匂いを感じ取ることはできないんです。貴方の騎士はそれに気付いていたようで、薬師として現れた私と鬼神として現れた私が同一人物であると見抜いていました。物見の水晶の前で『人前に素顔を晒すことができない奴に心を許していいものか?』と、言われた時は随分焦りましたよ。洗いざらい話さなければ、到底納得してくれそうにない雰囲気でしたから」

貴方の騎士――そんなわけはない。エステリアは会話の中の些細な言葉に敏感な反応を示した。それに気付いたかのようにシオンは苦笑しながら盃に口をつける。
「なにか、お悩みのようですが……?どうかされました?『ただの話』がしたくて、ここにいるわけではないのでしょう?」
「いえ……その本当に、聞きたいことや、お話したいことは沢山あって……どれから切り出していいのかわからないんです」
「力になれるかはわかりませんが、どうぞお話してみてください」
「あの……貴方はどうして、女帝陛下に忠誠を誓っているのですか?」
いきなりなんてことを言うのだろう?――そんなことは、暁の神子と鬼神が交わした盟約とわかりきっているではないか。エステリアは心底、口下手な自分を呪った。
案の定、シオンは目を丸くしている。
「それは……和平を望んだ暁の神子の案とはいえ、仮にも人より優れた力を持つ鬼が――その王たる私が、どうして素直に人間側の軍門に下り、あんなか弱い女帝を護っているのか?という類の質問ですか?」
確かに言われてみればそうである。 そもそも鬼の王が、人間であるエステリアと面と向かって、お菓子や果実酒を楽しんでいる事自体、不自然にも程がある。
「ええ。その通りです。貴方の力はラゴウとの戦いのときに見せてもらいました。やろうと思えば、このセイランの人間たちを根絶やしにするぐらい、簡単だと思います」
もうだめだ、まともな会話ができない――なんとか話に乗ろうとして思わず出てしまった失言に、エステリアはそのまま俯いた。
「構いません。続けてください」
「はい。えっと……私達の住まう地にしてみれば、魔族や魔物が人間と手を取り合うなんて……本当に信じがたいことです。だから水晶の間で、暁の神子と鬼神のお話を聞かせてもらったときは、腑に落ちない部分もありました。そして、女帝の元に向かう前……先代の女帝が貴方に助けを求めていたと知ったとき……そんな信頼関係で結ばれていたことに、本当にすごく……驚きました」

「先帝が私を信頼を寄せていた――そう言ってくれたのは貴方ぐらいです。私だって、あの時ばかりはびっくりしましたよ。思わず、面の下で間抜けな顔をしていたはずです。まさかそんな答えが返ってくるとは思ってもみませんでしたから」
一呼吸置いて、シオンは続けた。
「私にはね、人間側にも与するきちんとした理由があるんです」
エステリアはじっと耳を傾けた。
「確かに、私の生まれる前は……人と鬼と妖が争う時代でした。貴方が言ったことは、思っていたことは決して間違いではありません。鬼が人と手を取ることなんて、考えられなかった。鬼も人を餌としか思っていませんでしたし……いや、多分今もそう思っている鬼の方が多いんですが、人も、私達の事をこの世に生まれた災厄そのものとしか、思っていませんでした。そこで暁の神子サクヤは、ご存知でしょうが鬼神を四神と共に迎えることにした。ですが、彼女も鬼神に帝への忠誠を誓わせる代わりに、見返りとして先代の青龍殿の当主を妻に捧げる事で、なんとか事態を収めようとしたそうです。当時、暁の神子の条件をのんだ鬼神が、私の父で――」
「先代の青龍殿当主が、貴方のお母さん?」
シオンは頷いた。
「ちなみに私の母は、ソウリュウの母の妹にあたります」
「じゃあ、貴方は……半妖で……ソウリュウさんとは……」
『従兄弟です』――シオンは言った。
「だからラゴウとの戦いの最中『化け物の子なんて、生まれない方が幸せだ』と言った彼の言葉が、やたら心に突き刺さりましてね、もう身を抉られるような思いでしたよ」
「す……すみません!シェイドが失礼なことを言って……」
「ああ。別に気にしなくていいですよ。それに、それは貴方が謝ることではないでしょう?」
シェイドに代わって謝罪するエステリアの姿に、シオンが笑う。
「でも、和平のための婚姻とは表向きの話で……実のところ、暁の神子は妻に捧げる女が『青龍殿の当主』であることは伏せていて……本当は刺客として差し向け、父の寝首をかこうとも画策していたそうですよ」
エステリアは絶句した。
「ところがそう計画したのはいいのですが、当時はカグヤ――妖の女王全盛時代でしたので、鬼側も大変だったようで……父の方は、妖との戦いで記憶と力を失っていましてね。母は好機とばかりに無力な人間と変わらない状態の父に近づき、看病をするふりをして、命を狙っていたそうです」
随分と物騒な話である。
「ですが父の世話をしながら、一緒に過ごすうちに、母も情が移ったんでしょうね。記憶も力も取り戻した父を殺そうとしたときには、すでに私を宿していたようでして……どちらも殺すことができなかったそうなんです」
暁の神子に聞いた話なんですけどね――シオンは付け加えた。
「結局、母は父の元を去り、密かに私を産みました。父は……やはり母が忘れられなかったのか、それとも、王城で私が人間達の良いように利用されてしまうことを恐れたのでしょうね。あんな物騒な結界が施された宮廷まで来て、暁の神子に頭を下げたんだそうです。どうか我が子を殺さないでくれ――と。半分は人間の血が流れていても、父にとって私は世継ぎですからね。まぁ、これは暁の神子の勝ちですね。上手に私という人質を取った上、殺すつもりだった鬼神を完全に跪かせ、上辺だけだったはずの盟約を実現させてたんですから」
「お父様は、あの結界に阻まれていたの?」
「ええ。父は完全な鬼ですから。元より王座の間の結界は、四神たちが女帝に謀反を起こさぬよう、また争わぬよう戒めるための結界です。そこに辿り着くまでに張り巡らされているのは、いわば、破魔の結界。その名の通り、妖、鬼を阻み、力を弱らせるためのものです。王座の間に現れた父はかなりの妖力を結界に奪われていたそうです。ですが私は人と鬼を繋ぐ者です。半分、母の血が流れているからこそ、あの結界をなんなく通り抜けることができるのです。まぁ人間のなりをしているときは先程も言いましたが、貴方やシェイドのように霊力の強い人間にしか、妖気を感じ取ることはできませんから」
だからこそ、サクヤは今の鬼神は特別だと言ってのけたのだ。ようやく合点がいったエステリアであったが、ひとつ疑問が残る。
「でも……お母さんは、当時の青龍殿の当主だったんでしょう?だったら貴方にも四神の血が流れているんじゃ?」
母親が四神の憑代であったというのなら、その息子であるシオンは玉座の間の力に阻まれることはないのだろうか?エステリアの質問に、シオンは首を横に振った。
「いいえ。私に流れている血の半分は、正真正銘ただの人間のものですよ。王座の間で制約に縛られることはありません。それに四神の力は血を通して受け継がれるものではありません。あくまでも、その力を受け入れるだけの器の持ち主であるのか、霊力を持ち得ているのか……それが選ばれるための条件です――神子と同じように。そして母の力はその後、ソウリュウへと渡されました。母が眠ったそのときに」
「眠る?」
「厳密には……私の両親は、私が生まれてまもなく眠りにつきました。この地に害なす魔物を封印する鍵として。母は青龍の力を手放しても、霊力の強い女性でしたから」
「鬼神であるお父様も、眠っているってことですよね」
「陰と陽」
「え?」
唐突に切り替えられた話に、最初エステリアは戸惑っていたのだが、
「いきなりすみません。でも大事な話なので、聞いてくださいね」
そんなシオンの微笑みに釣られて、あっさりと頷いてしまっていた。
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