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Eternal Curse

Story-22.もう一人の預言者
「っ……」
壁に片手を突き、よろけた身体を支えるシェイドの顔色は、この上なく蒼白であった。
女帝の手前ではなんとか平静を保ってはいたものの、『後遺症』は思ったより早くシェイドの身体を蝕んでいた。
「そんな身体で何をしていたんだ?」
柱の陰から、サクヤが姿を現す。
「中庭に、魔剣を突き刺してきた。剣の力を使いすぎたから、休ませる必要がある」
煩わしそうに答えるシェイドの額には、びっしりと汗が滲んでいる。

「思った以上に苦しそうだな。お前、そんな身体で『魔剣以外の力』も使って、あの猪と戦っていただろう?」
サクヤが唇の端を吊り上げ、意地悪そうに微笑んだ。
「おかげさまで、玉座の間は半壊だ」

「…悪かったな」
立っているのもやっとという状態で、賢者の戯言に付き合う気にはなれない――シェイドは、そのままサクヤの横を通り過ぎようとした。
が、案の定、足が言う事を利かない。
数歩、歩いたところで、シェイドはその場に両膝をついてしまった。
サクヤは軽く溜息をつくと、シェイドの前に立ち、手を差し伸べた。
「どうする?お前の身体、私が鎮めてやってもいいぞ?」
優艶な笑みを浮かべる賢者の顔を、シェイドは黙って見上げていた。

「おい。『王都奪還』のために力は貸しても、『後片付け』までさせられるなんざ……聞いてねぇぞ!」
「仕方ないじゃない……オジサンの連れが必要以上に暴れたからこんなことになったんじゃないか!」
袖を捲くり、手桶で水を撒いて床に染み込んだ血を洗い流すコハクが溜息をついた。
部屋中に広がった生臭さに、ガルシアは思わず鼻をつまんだが、
「誰がオジサンだ!」
勿論、反抗することは忘れていない。
「同じ猪でも、妖じゃ、やっぱ猪鍋にはできねぇよな……」
足下に散らばった肉片を前にしてオウガがしみじみと言う。
「オウガ、オメェ、こいつを食べるつもりだったのかよ!」
「確かに、この『もつ』では、良い出汁は取れそうにありませんわね……」
「シエル……オメェ……気持ち悪くねぇのか?」
「全然。ブランシュール邸にお勤めしていた頃は、豚をよくさばいたものですわ」
「いや……豚と人間は明らかに違うだろ……」
何を隠そう、ここにはラゴウの死体の他、哀れな侍女達の遺体も含まれているのだ。
それでも平然としているシエルの神経をガルシアは心底疑った。
「それにしても……この部屋に残っている瘴気の量から察するに、結構無茶やったんじゃない?オジサンの連れ」
雑巾を絞るコハクが辺りを見回した。
「だからオジサンって言うな!……確かに、今回ばかりは……本当に焦った、いや驚きの連続だったけどよ」
「もしかして……初めて見たの?彼が本格的に魔剣を使うところ……」
ガルシアは無言で頷いた。

「いや、まぁ厳密にはあんなに瘴気というか……真っ赤な妖気に塗れたあの野郎を見たのが初めてなんだ。今までこんな風に戦いが長引くことなんてなかったからな。大抵、あいつが敵を突き刺したときには、勝負がついていたしな」
ガルシアは一呼吸置くと、続けた。
「まさか、あの野郎が身重の女まで殺すとは思わなかったぜ?姐ちゃんは、シェイドは正気だと言っていたが……俺に言わせれば正気の沙汰じゃねぇ。怒りにかられたところを、見事に魔剣に操られていたとしか思えねぇんだ」

「今更シェイド様を責めたって仕方がありませんわ。悪いのは、シェイド様の逆鱗に触れるようなことを言った猪の方でしょうに」
「まぁ、確かに猪野郎は、ご都合主義の話で奴を侮辱してたけどな。そういや、女帝陛下にも驚かされたぜ?まさかあんな炎を使う能力があったなんてな……」

オウガとコハクがふと顔を見合わせた。
「そりゃ、セイラン王家の人間は特殊だからね。神様のご加護を受けていたり、妖の憑代としても通用したり。だから陛下にどんな能力が備わっていたって、別に不思議なことじゃないよ」
平然としつつも、どこか無理やり納得させようとしているコハクの物言いに、ガルシアは妙に引っかかる物を感じた。

「さてと、私はそろそろここをお暇いたしますわ」
自分の作業に一区切りつけたシエルが掃除道具一式を持って、立ち上がる。
「あ!さてはオメェ、もう掃除に飽きやがったな!」
「まったく……ガルシア様はどうしてそう発想が幼いんですの?私は、今から湯浴みの支度をしなくてはなりませんのよ?」
「このやろ!卑怯だぞ!お前だけ抜け駆けして風呂に入るつもりか?!」
シエルはひたすら頭を抱えた。

「全てはエステリア様のためですわ!私達は王城に潜入するのに、わざわざ染髪しているんですのよ?髪の色を元に戻すには、お湯が必要でしょうに!もう!失礼します!」

「怒るなって!ところでお嬢ちゃんは今、どこで何してるんだ?」
「シェイド様のその後の様子が心配のようで……捜していらっしゃるようですわ。多分、シェイド様は、今日お借りしたお部屋で休んであるでしょうから、そちらに向かわれたと思いますわ。こうしてはいられません。私も急がないと…」
「ここから湯殿までは結構かかるから、迷わないようにね」
「ご丁寧にありがとうございます」
気遣うコハクへ優雅に会釈して、シエルはその場を後にした。



ラゴウ直属の兵士や侍女達が排除された王城の廊下に、エステリアの足音はよく響いた。
先程のサクヤの話にもあったが、王城を開放するには、数日かかるという。
無論、それは心身共に疲れ果てたレンゲを養生させるために設けた期間でもあったが、
なにより、セイランを混乱させた者達の『後始末』には、それほどの時間を要するのだ。
大僧正の名の下に、様々な悪事を働き、弱き者を苦しめ、甘い汁を吸ってきた者達に救いの道などない――つまりは一斉に『処刑』を行うことで、サクヤと四神の意見は一致している。

ラゴウを信仰することは、妖の女王への忠誠を意味する。
それが女帝への不敬罪に値することはもちろん、彼らはサクヤを廃し、また四神を廃することにも賛同している。それはこの地を護る四方、及び中央の力の均衡を崩し、滅亡へ導くため加担するようなものなのだ。
危険な芽は早いうちに摘み取っておかなくてはならない……他国の政に口出しするつもりはないが、国のためとはいえ、やはり『処刑』という言葉は、エステリアにとって聞こえの良いものではなかった。
今回の件は致し方ないとして、少なくともエステリアの伯母……セレスティアは王族の身勝手さによって命を絶たれたのだから。

それでも刑が執り行われる前夜……この日ぐらいは、ゆっくり休むようにと、サクヤや四神の計らいで、王城の賓客の間を借りることができた。

髪の色も元に戻さなくてはならないが、やはりそれよりも気にかかることがあるとしたら、それはシェイドのことだ。
玉座の間の『後片付け』に追われるガルシアやシエル達とは異なり、女装を解く作業もあってか シェイドは無言でその場を立ち去ってしまった。
あれほどの瘴気を放つ魔剣を長時間に渡って駆使していたのだ。
毒気に冒され、その身体に変調をきたしていてもおかしくはない。弱音を吐かぬ彼の性分から察するに、人前で倒れる前に自分から姿を消したと考えて良いだろう。
だとすれば、彼が向かう場所は、勿論『賓客の間』である。
困憊した身体を浄化する少しでもの手助けになれば――エステリアはシエルから訊いた道順を通り、賓客の間の扉の前に辿り着いた。

まだ起きているだろうか?それともここには居ないのだろうか?
そんなことを思いながら、エステリアは扉を叩こうとした。
しかし、扉は軽く閉められていたためか、エステリアがノックするよりも前に、部屋の内側から吹きぬけた夜風に押され、中を覗き見るには充分なほどの隙間を開けた。
静寂の中に微かな息遣いが聞こえる。 寝息だろうか? エステリアはそこから中の様子を確かめた。

シェイドは既に寝台に横たわっていた。
その穏やかな寝顔から察するに、瘴気の毒は抜けているようだ。
エステリアは一安心した。
そのまま扉を閉めて、立ち去ろうとした時――シェイドの身体の上で『何か』が蠢いた。 『それ』は上体を逸らしながら起き上がったかと思うと、再び身体を下に沈める。
窓から差し込む月の明りに照らされて、浮かび上がった『それ』の緑を帯びた黒髪と白絹の肌――完璧に整った裸身。そして類稀ない美貌とそれを引き立てる瑠璃の瞳は、見間違えようがない。
エステリアは目を見開き、凍りついた。
その視線、そして気配に気付いたように、シェイドが眼を開ける。
シェイドは虚ろな表情で、事に及ぶサクヤの腰をゆっくりと引き寄せた。




立ち竦み、足早に部屋を去ったエステリアの様子を見ながら、テオドール国王直属の『預言者』リリスは笑った。
その身体は、魔剣が突き立てられている中庭の上空に浮かんでいる。
片手には長く、先端に宝玉が埋め込まれた杖が握られており、もう片方の掌には黒真珠にも似た魔石が七つ乗せられていた。 その魔石の一つから陽炎が立ち、ラゴウがこのセイランで常に発していた陰の気――その中でも最も強い『肉欲』という邪気がその中へと吸収されていく。
セイランでの目的は達成された。リリスは口元を緩めると、邪気に満たされた魔石を握りしめた。

「随分と艶かしい幻影を見せてくれたものだな。おかげ様で、しばらくは神子から口を利いてもらえそうにないぞ」
その声にリリスは驚き、思わず周囲を確かめた。しかしそこには誰も居ない。
それもそのはず――ここは空中だ。人の姿など無くて『当然』なのだ。
反射的に取った自らの愚かしい行動を恥じるようにリリスは小さく笑うと、足下に視線を落とした。 声は『地上(した)』からかけられたはずだ。
そこには今しがた『シェイドと同じ床にいたはずの』サクヤが佇み、リリスを見上げている。

「盗み見なんて、お行儀が悪いですこと」
「あんなものを神子に見せ付けた貴様ほど、悪趣味ではないがな」
サクヤは吐き捨てるように言った。
「でも貴方だって、私が見せた幻と同じように、彼を慰めようとしていたじゃない?」

「奴からはあっさり突っぱねられた。あいつは父親の方に似て、実に可愛げがない。いや、父親に続いて世界で二番目に可愛げがない…といったところか。それから貴様の具現化した妄想と、私の慰めを一緒にしてくれるな。補足ついでに言わせて貰うが、もうじき神子がこの中庭に駆けて来る。貴様が幻影を見せた部屋から遠ざかるには、ここを抜けるしかないからな。そしてこの場で私の姿を見つければ、さすがにあの娘もおかしく思うことだろう。私は晴れて無罪放免というやつだ」

「動揺しているあの娘に、冷静に判断なんてできるのかしら?それに――誤解されたままの方が、貴方にとっても都合がよろしいんじゃなくて?」
「あの程度のことで頭に血が上っているぐらいでは、神子は失格だ」
「あら、冷たいのね」
「ところで随分と嬉しそうに邪気を集めていたようだが……今回の猪の横暴は全部お前が仕組んだことか?」
「ご冗談を。それはあの醜い妖が勝手に企てたこと。私はただ、彼が残してくれた『恩恵』に肖っただけだわ」
リリスはサクヤの視線から逃れるように、魔石を懐にしまいながら笑った。
「それにしても頑丈な方ですこと。ラゴウの牙は確かに貴方の腹を貫いていたわ。いくら神子から癒しの術を施されたとはいえ、そんなに早く動けるようになるものかしら?」

「神子にはいささか悪いが、私は癒しの術などの世話にならずとも、傷を完治することができる。 現世(うつしよ)に生きる者に私を傷つけることなど出来るものか……それだけの話だ」
言いながらサクヤはゆっくりと錫杖を掲げた。リリスも同じく手にした杖を構える。

セイラン王城の中庭に轟音が鳴り響き、城の異変に気付いたガルシアと四神の二人が、そして賓客の間から逃げるように去ったエステリアが、ここに集うのは――まさに時間の問題だった。
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