Back * Top * Next
Eternal Curse

Story-17.対決-T
「娘は?娘はまだ見つからんのか?!」
苛立たしげな大僧正の声が、玉座の間に響き渡った。兵士達の顔に緊張が走る。
「は!申し訳ございません。娘の行方は未だ知れず……我らも血眼になって……」
兵士の一人が歩み出て必至に弁解するも、ラゴウは耳を貸すことなく、兵士を殴りつけると
「ええい!もう良い!この大僧正ラゴウに逆らう者は、神への反逆ぞ!お前たちはこれより、取り逃がした娘と、家族と、その花婿を探し出し、捕らえた後に張り付けにせよ!邪霊に取り付かれた者どもの哀れな末路を民衆にも見せるのだ!」
これこそ神命と言わんばかりに兵士らに命じた。

苛立つ原因は他にもある。
兵士の報告によれば、城内に侵入し、騒ぎを起こしている者達がいるという。
それはただの賊か、それとも未だにサクヤを信ずる者達か――どちらにせよ、命知らずもいいところだ。ラゴウは同時に侵入者の排除も命じた。
その大喝に恐れおののき、蜘蛛の子を散らすように逃げ去る兵士達の姿を見るや、
無能者が――ラゴウは丸まると太った顔を歪ませ、舌打ちすると、
首から下げた大きな数珠を弄びながら、厚かましくも女帝の玉座にどっかりと腰を下ろした。

玉座の後ろには、酒肴を乗せた盆を持つ侍女達が数人控えている。
それはラゴウに『慰みもの』として使い捨てられた女達でもあった。
大抵『婚約者』と引き離され、『祓いの儀』を受けた女達は、絶望と共に自らの命を絶っていった。
しかし、中にはラゴウに心酔し、王城に留まることを望んだ者もいる……。

そういった者達には『侍女』という役目を与え、こうしてラゴウの、そして女帝の身の回りの世話をさせているが、一度相手にした者に、ラゴウが興味をそそられることはない。
男と通じた女達からは、実に不快な『臭い』がするからだ。
それに比べ、穢れを知らぬ乙女らは、なんとも香しい。
その肉体を蹂躙し、儚くも短いひと時の輝きを、この手で奪いつくす――それはまるで新雪を踏みにじって、汚すような――歪んだ快感であった。
今宵、それを味わうことが出来ぬとは――ラゴウは溜息と共に肩を落とすと、侍女の一人から酒瓶を取り上げ、一気に飲み干した。

――それにしても、人間とはなんと弱く、愚かしい生き物だろう。

とりわけ女帝はその典型だった。
唇から零れた酒を無造作に拭いながら、ラゴウは心の底で笑う。
誰もが持つ心の空隙……その中にぴったりと入る甘い言葉を、その者が最も欲していた言葉を囁くだけで、それがかつて愛した者からの『お告げ』と言うだけで、こうも容易く信じてしまうものとは……。

女帝には、己が意思を鈍らせ、心惑わす薬を毎日処方している。あの様子だと完璧に傀儡に成り果てるまで時間はかからないだろう。
『儀式』を執り行う日も近い。
抜け殻となった女帝の身体を器に、本来、セイランに在るべき君主が……
『妖の女王』が降臨する――いや、させる。
そう考えるだけで、ラゴウの身体は歓喜に震え、無能な配下どもへと向けた怒りは、いつの間にか消えていた。

ラゴウら『妖』にとって、妖の女王――すなわちカグヤは唯一絶対の神にも等しく、四神に護られる人間や、その人間と手を結んだ鬼神は忌むべき敵であった。
彼らと『暁の神子』によって、妖は苦汁を舐めさせられてきた。
だが、カグヤさえ復活を果せば、形勢は逆転する。
いや、『暁の神子』のいなくなったセイランなど取るに足らない。
鬼神にしても人間どもに手懐けられた今となっては、『闘神』としての本能も失い、ただの腑抜けに過ぎないだろう。 妖がセイランを支配する日は近い。
セイランだけでなく、妖の女王さえいればこの世は確実に闇へと堕ちる。

ラゴウは次の酒瓶を手にした。これは着々と進みつつある計画への祝杯だ。
これで『祓い』と称して、閨へと誘い込む娘が手に入っていたのなら、申し分なかったのだが……。
「大僧正様!」
兵士の一人が叫んだ。
これ以上何の用がある?――ラゴウは煩わしそうに返事をすると、兵士の方へ向き直る。
そして――信じられないものを見たかのような顔つきへと変わる。

息を弾ませ、駆け込んだ兵士の後ろには、ラゴウが今しがた求めていた『女』の姿があった。
少し大柄ではあるが、『女』は、黒絹の髪と真珠の肌、そして黒曜石の瞳を持っていた。
赤く彩られた唇は髪や肌の色を引き立てており、衣の裾から覗いた脚は、なんとも艶かしい。
ラゴウは一瞬にして心を奪われた。

「大僧正様のご加護を授かるために、宮廷を訪れ、彷徨っていたところを連れてきた次第にございます。身の丈も大きく、口も利けぬ娘でございますが、どうかお慈悲をおかけください」

兵士の説明などラゴウにはほとんど聴こえてはいなかった。
ただ、目の前の『女』をなんとしても手に入れたい――その衝動が体中を駆け巡る。

「もうよい。でかした。お前は下がっておれ」
ラゴウは早々に兵士を追い出すと、
「さぁ、さぁ、近う寄れ」
猫なで声で『女』を手招きした。
「美しい顔をしておる――これで口が利けぬとは勿体無い。そなたが言葉を失ったは、そなたについた悪しき霊のせいじゃ。この儂が祓ってしんぜよう」

しかし、『女』は大僧正の座る玉座の周りを見るなり、躊躇い、数歩後ずさりした。

「なんだ?侍女達の目を気にしているのか?案ずるな。この女どもの心はもはや現世にあらず。 愚かしい感情に動かされることもない。ただ儂への信仰心を誇りに生きておるのだ。これから『祓いの儀』を受けるそなたを、祝福の目で見守ってくれることであろう」
大僧正は『女』の手をとり、その身を玉座へと引き寄せた。

「黒絹の髪に黒曜の瞳か、悪くないのう」
ラゴウは『女』の髪を何度か梳くと、そのひと房を手に取り、香りを堪能している。

「なあに、なにも恐れることなどない。そなたは儂を信じておればよいのだ。さすれば全ては一瞬で終わる。祓いを終えたそなたは至福の悦びと共に果てるのだ」
『女』は我が身を抱きすくめるようにして、俯いている。
恥らう姿さえなんとも愛おしく、ラゴウは今まで相手にしてきた誰よりも、この『女』の全てを奪いつくしたいと思った。

ラゴウは『女』の衣の裾を捲ると、白魚のような太腿を撫で上げた。『女』が眉をひそめ、俯く。
その反応を楽しみながら――そしてこの『女』がこれからどう乱れていくか、想像を膨らませながらラゴウは獣じみた長い舌を出し、『女』の首筋に這わせる。

このとき、羞恥に震えていたはずの『女』の右手が、左の袖へと滑り込み、その腕に封じられた『魔剣』を取り出したことなど、ラゴウは知る由もなかった。



『女』が玉座から飛び退くと同時に放った魔剣の一閃は、確実にラゴウの身体を捉えていた。
あまりにも一瞬の出来事に、ラゴウは事が把握できず、呆然としている。
鈍い音をたて、『何か』がラゴウの足下に落ちてきた。
それは、どこか見覚えのある毛深い男の左腕だった。
ラゴウはふいに、いつもと違う感覚を覚え、左肩に視線を移した。
そこには本来在るべき『腕』がなかった。 ラゴウの表情が次第に険しくなる。
いや、目まぐるしく変わる。
ようやく切り落とされたものが、自らの腕だと悟ると同時に、ラゴウの左肩からはおびただしい血が噴出した。

「ぐっ・・・がぁあああっ!!」
ラゴウは片腕を失った肩を抑えながら、玉座を転げ落ちると、痛みで床の上をのた打ち回った。
そんなラゴウの様子を、魔剣を手にした『女』が冷たい目で見下ろしている。

「安心しろ。魔剣に斬られた奴は、どのみち長くは生きられない。それがどんなに生命力の強い魔物だとしてもな」
『女』の口から漏れた低音の声に、ラゴウの表情が凍りつく。
そして怒りと痛みに身体を震わせると、血走った目を見開き、叫んだ。

「貴様……男だったのか?!」
「男と女の見分けもつかないとは、随分と目の悪い大僧正様だな。得意の神通力とやらはどうしたんだ?」

『女』――シェイドは、衣の袖で大僧正に舐められた首筋を拭うと、呆れるように言った。
「貴様ぁ、このようなことが許されるとでも思っているのか?!一体何者だ?そのような小細工をしてまで儂の命を狙いに来るとは……。さては、城の中で騒ぎを起こしている『侵入者』とやらも、お前の仲間か?言え!誰の差し金だ?!」
喚き散らす大僧正を前に、シェイドは肩を落とした。
「自分の胸に聞いてみるんだな」
冷たく言い放つシェイドに、ラゴウは執拗に訊く。
「さては、サクヤか?サクヤだな?貴様はあの小娘に雇われた刺客……だな?」
しかし、シェイドは何も答えない。だが、その沈黙こそが『答え』だった。
「そうか……あの小娘が……小癪な真似を……」
ラゴウは己の命を狙った『首謀者』の正体を悟ると、低く笑った。
「小娘の飼い犬が、この儂に刃を向けた罪は重いぞ」

ラゴウは、切り落とされた左腕を手に取ると、ゆらりと立ち上がる。
「貴様は先程言うたな。その『魔剣』とやらに斬られたものは、長くは生きられぬ、と……だが、実に残念だ。儂にそのような小細工は利かぬ!」
ラゴウは勝ち誇ったように叫ぶと、切断された腕を血まみれの肩に押し付けた。
瞼を閉じて深く息を吸い込むと、徐々に傷口が癒え、接合されていく。
シェイドは目を見張った。
「とくと見たか?これぞ神のご加護よ」
ラゴウは何事もなかったかのように、繋がった腕を軽く回してみせる。

「まったく、不覚にも男に発情していた魔物が、神を語るなんぞ――ほとほと呆れる」
シェイドは内心、穏やかではなかったが、それを悟られぬよう、素っ気無く答えた。
これまで魔剣によって奪えなかった命などない。斬られたが最後、標的は生命力を削がれ、確実に死に至る。 まして傷口を再生するなどありえない。
そんな魔物はこれまで遭遇したことはない。 だからといって、シェイドは最初から負けてやる気も、諦める気もなかった。
「フン、貴様が何度斬りつけようと同じ事よ、何度でも再生してくれようぞ。そう……何人たりとも、この儂を傷つけることなどできんのだ!」
繋がった方の手で、首の数珠を弄りながら、ラゴウが悠然と言い放つ。
「……面白い」
シェイドは鼻で笑った。完全に勝算がないわけではない。 戦っていれば、いずれは……いや、必ずその最中に打開策が見えてくるはずだ。
もう一度魔剣を握り締め、身構える。
「だったら貴様が再生する力を失うまで、何度でも八つ裂きにすればいいだけの話だ!」
風を切るような動きで、ラゴウに襲いかかる。
「強がるな!小童!!」
ラゴウが吼えると、その声は衝撃波となって押し寄せた。
シェイドは一瞬引き下がったが、すぐに振り切ると、そのまま魔剣を滑り込ませるようにしてラゴウの胸を貫いた。

しかし、ラゴウは剣に貫かれたことすら気にも留めない表情で、シェイドを見つめると、
「見れば見るほど、女子のような顔をしておる……勿体無いのう。貴様を捕らえた暁には、その意識を奪い、男妾として飼いならすのも悪くない」
恍惚と言った。

「つくづく貴様は変態だな。人間の女だけでは飽き足らず、男色の気もあるのか」
シェイドは魔剣を引き抜き、続けざまにラゴウを斬りつけた。
しかし、不意を疲れて左腕を跳ね飛ばされたときに比べ、ラゴウは痛みを感じる様子もなく、その傷はまるで、火にかけられた水が、やがて湯気をたてて蒸発するかのように塞がっていく。
シェイドは構わず、ラゴウの腹を抉るように魔剣を突きたてる。
しかし、すぐさま癒着しはじめた肉はせめぎ合い、身体に入った異物――魔剣を押し出そうとしている。
「どうした、もう終わりか?このままでは儂の身体がお前の魔剣をへし折ってしまうぞ?ん?」
下卑た笑いが、耳に障る。 ラゴウの驚異的な治癒力に抗うように、シェイドは柄に渾身の力を込め、押し戻されてくる魔剣を食い止める。
しかし、それも長くは持ちそうになかった。魔剣はそれ以上、ラゴウの腹を突き進むことはなく、辛うじて『刺さっている』程度だ。魔剣を持つシェイドの手が微かに震えている。 それを目の当たりにして、ラゴウは実に愉快そうに言った。

「なんと、震えておるではないか、痩せ我慢も行き過ぎると身体に毒ぞ」
だが、シェイドは黙ってラゴウを睨みつけている。
「それとも何か?ようやく儂の恐ろしさが、偉大さがわかったか?そう、怖がるな。剣を捨てれば許してやろう。男とはいえ、そなたの白魚の手を血で染めるには、実に惜しい」
ラゴウは、魔剣を持つシェイドの手を両手で包み込もうとした。
その瞬間、シェイドは力を緩め、ラゴウの身体から弾き出された魔剣と共に、後ろに飛び退いた。
「そうつれなくするでない。そなたと儂の力の差は歴然、何ゆえ従わぬ?」
悲痛な面持ちで、ラゴウが語りかける。
シェイドは魔剣を持った手をゆっくり下げると、瞼を閉じる。
「そうだ、それで良い。あとは全てを儂に委ねてくれれば良いのだ……」
ラゴウは爛々と目を輝かせ、両手を広げて一歩、また一歩とシェイドに近づく。
「馬鹿が……」
シェイドは眼を開け、そう呟くと、そのままラゴウの喉元に魔剣を突きつける。
「なんだ?また不意打ちのつもりか?」
呆れたようにラゴウが言う。
「俺が倒せない魔物など、この世に存在しない。唯一、勝算がない者がいるとしたら、それは闇の支配者(オルフェレス)だけだ……」
シェイドは壮絶に笑った。
「俺がお前を無意味に斬りつけ、失意のうちにまた不意打ちに出たと、本気で思っているのか?
俺は、お前が何の力をもって傷を癒しているのか、確かめていただけだ」
言いながら、喉元に突きつけた魔剣を胸元まで移動させ、数珠のところで止める。
「なるほど、お前に魔剣が通用しないのは、『そいつ』のお陰か……」
ラゴウが首から下げた大振りの数珠の数個が、輝きを失い、枯れ木のような色へと変じている。
朽ちた数珠の数は、シェイドが斬りつけた回数と全く同じであった。 シェイドはすっと目を細める。
「ついでに『人間のふり』をして、城の結界を潜り抜けられたのも、そいつの力……だな?どうせ、その念珠に人の魂でも溜めているんだろう?その魂が放つ『人間の臭い』で自分の瘴気を誤魔化したか……」

「よく気付いたな」
ラゴウの表情は心なしか硬い。無意識のうちに、数珠を護るようにして身構えている。

「なめるなよ。お前を切り裂く度に魔剣(こいつ)は『不機嫌』になる。ということは、魔剣(こいつ)は、人の魂を前にして、寸前のところで『誰かさん』に横取りされている――ってわけだ。人の魂を使って傷を癒しているとしたら、どこかにそれを溜めているはずだ。それを見極めるために、無謀に突っ込んでいくふりをしたが……」
シェイドの手が血肉と魂に飢えた魔剣(あいぼう)をなぞる。

「いいか、ただで死ねると思うなよ。お前のおかげで魔剣の『飢え』はますます激しくなった。こうなったら、魔剣が満足いくまでお前の持つ全ての魂を食らい尽くすしかないな」
殺気を込めて、ラゴウへと歩み寄る。
魔剣に埋め込まれた深紅の猫目石(キャッツアイ)が呼応するかのように妖しく輝き、瘴気を放つ。 少しずつ詰め寄ってくるシェイドに、ラゴウは、後ずさりをした。
魔剣からは、己が持っている以上の瘴気を感じる。いや、魔剣だけではない。使い手そのものが発する瘴気――なんとも言い難い負の力が、ラゴウに危機感を与えていた。
本能的に危険を察知しているラゴウを見て、シェイドは剣を構えた。
目的はただ一つ、人の魂を溜め込む、念珠を全て打ち砕くこと――そして、癒しの術を失ったラゴウの身体を引き裂くことだけ……。その際に魔剣と自らが得る、至福の高揚感。引きつったこの醜悪な魔物の顔が早く見たい。シェイドは笑った。
それは圧倒的な力を持つ獣が、弱い獲物を嬲り殺し、楽しむような、残忍な笑みだった。
ラゴウの目は泳ぎ、逃げ道を探している。なんとしてでもここを振り切り、『妖』の仲間を引き連れて 体勢を立て直したいところだ。
だが、ラゴウの動きを読んだのか、シェイドは先に回りこみ、出入り口を塞ぐように立ちはだかる。

「死ね」
シェイドが踏み込み、ラゴウへと斬りかかる。
勝負は一瞬だ――そう思ったところで
「放せ!この化け物!妾を誰だと思っておる!セイラン王国女帝のレンゲであるぞ!!」
子供の叫び声が聴こえた。
思わず振り返ると、玉座の間への入口には、蜥蜴のような魔物に抱えられた女帝の姿があった。
その後ろには、大僧正の侍女達に捕らわれたエステリアとシエルの姿もある。
「エステリア……シエル……」
表情を曇らせたシェイドに代わり、ラゴウは笑っていた。
天は……いや、未だ復活を果せぬ妖の女王の魂は自分に味方をしてくれた。
これで女帝やこの男の仲間であろう女どもを人質に、形勢を逆転できる。
呆気に取られていたシェイドをエステリアが見つめた。
ごめんなさい――そう訴えるエステリアの悲壮な瞳の色だけが、シェイドの目に焼きついていた……。

Back * Top * Next