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EternalCurse

Story-152.廃園での再会
「貴方が薦めてくれた娘だもの。きっと良い子なのでしょうね」
「ええ。それは保障致します」
おっとりとした口調で、シェイドにそう語る王妃の姿を目の当たりにして、ミレーユは呆気に取られていた。
意外だった。
王妃は生まれたばかりの娘を捨て、一族を滅ぼした男の下に嫁ぐような女だ。
氷の女王のようなその容姿から、さぞ冷酷な女性なのだろうと勝手に思い込んでいた。
「これからよろしくね、ミレーユ」
伺うように言われ、
「あ……こちらこそ、よろしくお願い致します」
我に返ったミレーユは慌てて、ドレスの裾を摘まみ、一礼した。
「貴方は随分と、私の事を恐れていたみたいね?」
王妃に指摘され、ぎくりとした表情をミレーユは隠す事ができなかった。
素直な子だこと――と王妃は笑う。ミレーユもまた、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、微笑み返した。
「な、お前が思っていたような方じゃなかっただろ?」
王妃の世話を一通り終えた後、早々と下がるように命じられたミレーユを見つけると、シェイドは早速、そう話しかけた。
「王妃の侍女が、こんなにも早くお暇を貰っていいのかしら?」
ミレーユの返事は、まったくもってシェイドの言葉に対する答えになっていなかった。
初めて丸一日、王妃と接してみて、未だに動揺しているいるのだろう。
それは致し方ない。今でも世間の大半が抱いている王妃への印象は、
これまでのミレーユが想い描いたいたものとさほど変わらない。

「妃殿下は、侍女に負担を強いる事をよしとされない方だ。元より、質素な生活を好んでおられるからな。
むしろ、そこらの貴婦人方の方が、大勢の侍女を酷使していると思うぞ?」
とはいえ王妃が四六時中、侍女を連れ歩く事を避けるのには、もう一つ、理由がある。
それは王妃の長きに渡っての悲願とも言える、決して悟られるわけにはいかない計画の為だ。
それが夫であるテオドールへの復讐である、などとはシェイドは口が裂けても言えない。
「そうなんだ……」
ミレーユはそう洩らすと
「てっきり、私、嫌われたものかと思って……」
良かった――と胸を撫で下ろした。
そんなミレーユの横顔がシェイドには、この上なく、愛らしいものに思えていた。





雑踏の中を潜り抜け、シェイドはオディールの姿を追っていた。
あれは、確かにミレーユの姿だった。こちらを見ているような、そんな視線を感じた。
すれ違う人々の中に、微かにだが、この世の者とは違う“匂い”が残っている。
これは罠か、それとも――? 様々な思いをめぐらす中、ふと思い出したのは、いや、どうしても頭の中から離れなかったのは、ミレーユと初めて出会った日の事、そして過ごしてきた、眩い日々の数々だ。

こんな事は初めてだった。
妖魔として目覚めて以来、彼女の事は忘れていた。
厳密に言えば、これまでの彼女への想いや記憶が急速に冷め、薄れ、失われて行ったという方が正しいのかもしれない。
彼女の命を奪ってしまった事は、勿論、後悔している。だが、何故か悲しみを覚える事はなかった。
その代わりに、神子への執着心だけが、増幅していった。
そう、本来、番うべき相手は、神子、その人だ。
彼女とならば、ミレーユの時のような悲劇は起こらない。彼女ならば、全てを終えた時に、この呪われた身体から解放してくれるかもしれない。
半ば神子という存在にシェイドは淡い期待と、救いを求めていた。セレスティアとエステリア。まして、本物の神子が判明してからは尚更それは強くなっていった。熱に浮かされているかのように、本能的にエステリアの存在を欲していると言ってもいい。
「すみません、うちの子を見ませんでしたか?」
懇願するように、街の女から声をかけられ、シェイドは我に返った。
「うちの子?」
反射的にそう答えると、シェイドは声がした方へ振り返り、女を見下ろした。二十代半ばだろうか、どこにでもいるような、素朴な母親だった。
「まだ幼い娘なんです。先程まで一緒にいたはずなのに、目を離した隙に……」

「申し訳ないが……」
正直、今はそれどころではない。そう言いたげなシェイドの雰囲気を読み取ったのか
「そうですよね。ごめんなさい。いきなり見ず知らずの人にこんな事を尋ねても、仕方ないですよね……」
その母親はうな垂れながら、自分が来た道を引き返した。
一刻の猶予も許されない、こんな時に――シェイドは内心、舌打ちをしたい気分になった。
早くオディールを追わなければ、その“残り香”が消えてしまう。
僅かなその匂いと気配を嗅ぎ分け、シェイドは入り組んだ路地へと入って行った。
グランディアの街並みは、まるで迷路だ。オディールの足跡を辿るうち、どんどん辺りから人気が無くなっていく。まるで誘き出されているかのようにも思えた。
エステリアらと引き離す作戦だろうか? と、すれば、この先に、オディールが――あるいはセレスティアかフェネクス、いや、その全てが待ち構えているのかもしれない。彼らとその場で一戦交える事があるならば、街一つは軽く吹き飛ばしてしまう事だろう。

引き返すか――?シェイドが足を止める。
今更、オディールを追って何になる? オディールに何を求めている? 
頭を冷やせと自分自身に言い聞かせる。そう、あれはもはや“ミレーユ”ではない。
ミレーユの記憶を持っただけの抜け殻――屍鬼に過ぎないではないか。
だが、もし、ミレーユであったなら? 彼女があの時、死ぬ事なく、奇跡的に生きながらえて、ただの人間として姿を現したのならどうだろう? カナリア色の眩しい金髪で、あの弾けるような眩しい笑顔で、こちらに手を差し伸べてきたら? 自分はこれまで彼女を傷つけてきた事を詫び、赦しを請うのだろうか?

ふいに、風の中に、微かではあるが血の臭いが混じって流れてきた。
どこか遠くで喧騒に巻き込まれた誰かが大怪我でもしたのだろう。そんな臭いですらこの妖魔の身体はいとも簡単に嗅ぎ分けてしまう。
そうだ、俺は妖魔でかつての英雄の魂を宿す者――、それがシェイドに現実を突きつける。
風に混じる血の臭いが、徐々に濃いものへとなっていく。

と、同時に、死人の気配を一段と強く感じた。
関係ない、早く引き返せ――と心の底で堕ちた英雄の魂が訴えている。迷わずに神子の元に戻るよう、警鐘を鳴らしている。

後を追え――と、心の片隅に残っている、人間の部分が甘く囁く。

血の臭いを辿った先にあったものは、朽ちた薔薇園であった。
こんな街の外れにこのようなものが存在する事に、シェイドは違和感を覚えながらも、枯れた茨が巻きついたままの、幾重ものアーチをくぐる。
これよりも手前にあったものは、緑が映える、グランディアの街並みだった。
だが、踏み入れたこの廃園――この区画だけは、不自然なまでに、まるで冬に閉じ込められたかのように、生気を失った茶色や黒のみで彩られている。
ここにはかつて、貴族の邸宅でも建っていたのだろうか? その没落と共に、屋敷は取り壊され、庭園だけが放置されたのかもしれない。
あるいは、このグランディアに、劇場のような娯楽が出来るよりも前、民の憩いの場として、造られた場所なのだろうか? 色あせた芝生を幾分か進んだ時だった。
軽装の女剣士が、その場所で蹲っている。
いや、蹲っているだけではない。
その胸の内に、しっかりと抱きとめた幼い女児の喉下に、牙を突き立てている。
風に乗って運ばれていたのは、この女児の血の臭いだ。
シェイドはその瞬間、察した。女児は虚空を見つめたまま、痙攣している。女剣士の牙がさらに深く埋もれた時、女児は一度だけ喉を鳴らし、そのまま動かなくなった。
ぐったりと弛緩した子供の遺体を安置させ、オディールはゆっくりと立ち上がる。
「さっき母親が目を離した隙にさらってきたんだけど、呆気ないものね……」
口元についた血を丁寧に拭いながら、オディールは言った。
「さらって……きた?」
ふと、雑踏の中で自分に声をかけてきた母親の事が、シェイドの頭を過ぎる。
「この子、ミレーユっていう名前なんですって」
オディールの口調は、それが気に入らないといった風だ。
「ああ、でも勘違いしないでね。名前が気に障ったから殺したってわけじゃないから」
シェイドに口を挟む隙すら与えず、淡々と、オディールは続けた。
「私は死人。糧がなくては、自分の身体ですら維持する事ができない。だから、より巨大な力を繋ぎに使う事で、この世に止まった。この間、貴方も見たでしょう? 私の“本体”」
それは紛れも無く、オディールが中央広場で現した、あの半人半馬の――二角獣の姿の事だ。
「どんなに強い魔物を繋ぎに使ったところで、それでも、餌は必要なの。でも全然足りない。こんなものじゃ、なんの足しにもならない。貴方も余計な事をしてくれたものね」

「余計な事……?」
反芻するシェイドに、苛立ちを覚えたのか、オディールの表情が険しくなる。
「わかってないの? 私を屍鬼にするきっかけとなる、“土台”を作り上げたのは貴方自身よ?」

「お前は……テオドールの瘴気に当てられて、蘇ったんじゃなかったのか?」

「目を覚ます羽目になったのは、その瘴気の所為よ。でも、三年前、死んだはずの私が、腐敗すらせず、”そのままの姿”で土の中に眠っていられたのは、少なからず、貴方の力が私の中に残っていた事、そして、今際の際に貴方が行った願掛けがあったからよ。そこで主従の契約が成されてしまったの。
私は、貴方の魔力無しでは存在すらできない、脆い身体で蘇り、屍鬼になった。
私にとって、セレスティアから与えられた魔物の肉体は、あくまでも、崩壊を遅らせるための繋ぎでしかない」

オディールの口元に、自嘲的な笑みが浮かぶ。それはミレーユであった頃には、見せた事のない表情だった。
「私を創造した“主”の力が強いという事は、その“下僕”が己の存在を維持する為の糧をどれぐらい要するかぐらいはわかるわよね?」
高位な魔族や妖魔は、自身の魔力から、あるいは力、その分身でもある使い魔や下僕を作り出し、使役する事が可能だ。生み出された下僕達は、主の魔力を与えられる事によって、生き長らえる事ができる。それが適わぬ場合、従来、持ち合わせていた力と匹敵するほどの糧を喰らわなくては生きてはいけない。
万が一、主であるシェイド自身が死ねば、下僕であるオディールもまた、同時に消滅する運命でもあるのだ。
「私は、まだ消えるつもりなんてないわ」
本来の姿のシェイドを彷彿とさせる、黒曜石の瞳がじっとこちらを見据えている。だが、それは光を失った死者の瞳だ。生きていた頃の彼女の瞳は温かみのある煉瓦色(テラコッタ)
「これからも、沢山の子供の血肉を喰らって、私はここに在り続ける」

「子供を喰らう?」
「そう。子供が憎いわけじゃない。なのに、私の身体はそれ以外を糧として受け付ける事ができない」
かつてシェイドはミレーユとの将来を約束した。子供達に囲まれた、穏やかで、温かな家庭を築こうと。
ミレーユの魂は、死してもなお、その場所に縛られているのだろうか。
屍鬼としての本能が、潰えてしまった夢を――子供を喰らい、血肉を身体に取り込む事で果たそうとしているのかもしれない。
だとすれば、なんと惨い業を、彼女に与えてしまったのだろう。
生前の彼女は、子供が好きな女性だった。失ったはずのミレーユへの想いが、心の底にあったはずの古傷が小さく疼く。
「俺は、どうしたらいい?」
創造してしまった責任をどうすれば取る事ができるだろう。
その歪な魂をどうすれば、救う事ができるだろう。
いや、どうすれば、無駄な殺戮など行わせずに、彼女を“生かす”事ができるだろう。
脆く、危ういものに触れるかのように、ゆっくりと、シェイドがオディールへと手を伸ばす。
その手が頬を撫でた瞬間、

勝った――オディールの中に眠るミレーユが薄っすらと笑みを浮かべた。




森の中に作っていた、女王蜂の住処は、ウォルターを兵隊達の餌食にしたまでは良かったが、ガルシアやシオンらと一戦交えた後では、見るも無残な状態だ。
卵で埋め尽くされていた黄金の山は、所々焼け焦げ、孵化したばかりの幼虫や、成体となる直前で倒された兵隊達の肉片が、散らばっている。
「いたたたた……」
その血生臭さが残る山の頂点を、褥にして女王蜂は、背中を擦っている。
あの馬女(オディール)……思いっきり、踏みにじってくれちゃって……絶対に許さないんだから」
子供のように唇を尖らせながら、女王蜂はオディールへの恨み言を吐き、寝返りを打つ。
その身体の下で、黄金の卵達が押し潰されていた。
従順に働いてはくれたが、この兵隊(こども)達はもう駄目だ。
これ以上孵化させたところで、さして敵を倒す事も、護衛にもならないのだろう。
さらに強い兵隊達を作り出さなければ――無駄に数を増やすよりも、頑丈な固体を数体だけでいい。
もっと良い子が欲しい!――どこか懐かしさすら思える面差しの、だが、邪悪な目と魂を持つ司祭にそう強請ってみると、司祭は実に面白そうだと答えてくれた。
これまでにない力を持つ種を授けられると、数刻もしないうちに腹から黒い卵がいくつか出てきた。
ほんの数個に過ぎないその卵は、随分と強い瘴気を放っている。これは楽しみだ。女王蜂は、鼻歌を混じりに、その新しい卵を撫でていた。もうすぐ孵化して幼虫が出てくる。
誰を餌食にしようかな? 立派な兵士に育て上げたら、“あの女”を嬲り殺してやるんだから。
その為には、この子達の新しい巣も作らなきゃ――ずっと静かで、魔力を蓄えられる場所がいい。
「待っててね。すぐに良い寝床を見つけてくるから」
弾けるような笑顔をまだ目覚めぬ我が子らへと向けると、女王蜂はその場から飛び立った。
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